曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

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10月24日(水)は、こんなに天気がいいのは今日で最後ではないかと思われるほどの好天。特養へ行く。マッサージしてから、昼ご飯の前に散歩に出る。
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今年の柿(特に富有柿)は出来が悪いように思う。隣家の柿もひどく出来が悪い。
奥さんに聞いたら、柿は裏表があるから、去年豊作だったから、今年は悪いのだと言っていた。儂は猛暑のせいだと思っていた。柿農家は裏表があっても肥料管理などきちんとやってちゃんと作るんだそうだ。そんなものか。天候の影響はどの程度あるや否や、よくわからん。
右は道端の花。散歩の初老の夫婦と出会う。「こんにちわ」と向こうから挨拶してくれる。奥さんが赤い花の種を採っているので、花の名を聞くが、奥さんも知らない。
奇麗だから庭に蒔くと言っていた。こう言う夫婦を見ていると本当に羨ましい。
特養の広い駐車場に戻ると、儂の妻も言ってくれた。
「人がうらやましがるくらい車椅子を押して」と。
ビュ~ンと押してやった。
イメージ 310月27日(土)は特養のお祭り。
10時半開始なので、10時に行き、マッサージしてやってから会場へ。早いもので入所2回目のお祭り。小学校の金管演奏は毎年同じ。ポンポンを振って踊ってくれた。
「小学校時代を思い出して懐かしい、〇〇先生、私がお婆さんになったから驚くだろうなあ」と、言っていた。
その後は、民謡。安来節や関の五本松など。もちろんドジョウすくいがあって、銭太鼓もある。
その後、お昼は一緒に食べるも、途中で抜けて、儂は12時半からバザーのお手伝いに行く。お手伝いは去年と同じ、買い物の袋詰め。値付けが安いし、有線放送などで宣伝もするので、結構お客さんが来る。普段は週二回特養に顔を出し、畑で3、4人の顔なじみと話をするくらいの変わり映えのない暮らしをしているので、たまにお店屋さんごっこみたいなことをするのも楽しいものである。

久し振りの語録

「お父さんが熊本弁使うのすごくいや。ママちゃんと一緒に居るみたいで」

2006.8.5

「起こして」

「待ってて、すぐやるから」

「いやだ。いつも待ってて。言った時にして、いつもがまんしてるんだから」

2006.8.8

「左手が折れてるから抱えてあげられないの、モモちゃん(犬)」

2006.8.9

「まだ寝ないの」と、訊くと、

「家へ帰るの」

「ここが家だよ」

「本当の家に帰るの。連れてってくれるんでしょ」

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夜、オムツ交換に行ったら
「お迎えに来てくれたの」
オムツを換えていたら
「こんなところを見たら、人は何というだろうね」
2006.8.12
「私が死んだら、お父さん、焼かないでね。私なんかいつ死ぬかもしれないと思っていたから。墓守に生まれて来たんだなあと思う。出雲の」
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TVを見ていて、(俺の作品ではない)
「お父さんの作品すごくいい。泣ける。ありがとう、こういうのを書いてくれて」

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「帰ろう、お父さん」

「ここがお母さんの家だよ」
「どこがどこだかわからなくなっちゃったよ」
2006.8.13
「お父さん、寝ているところを見るといい男よ。朝日が出る前の、まだ暗いところで横に寝ているの見たら、いい男よ。みんな、そう言わない?ほかの女が声をかけない?」
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「アンドーナツ買って来て。モモちゃん、お願いってこうやってやるんだよ。お願いしたよ」
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夜、寝せつける時
「起きるの。早くおいしいカレーを食べさせろ。カッチン姉ちゃんに言いつけるぞ」
2006.8.14
「明日からお正月だから、煮しめだよ」
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オムツ交換いやがるのを
「ちょっとで終わるから」
「ちょっとじゃないよ。あっち向けたり、こっち向いたり、大変なんだから。処理するの大変なくらいおしっこ流してやるから」
2006.8.15
ショートステイのスタッフを見て

「かっちん姉ちゃんも年取ったねえ」

2006.8.23

ショートステイから戻った翌朝、「お帰りなさい」と声をかけると

「母と海外旅行に行ってきたの。NYに言って来たの。親孝行して来たの。お正月料理ばかりであきちゃった」

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「しびれはありますか」と訊くと

「痺れのある時は自分でさすります。あとアンパンを食べると治ります」

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「車椅子に乗せて下に連れてって、赤ちゃんみたいに」

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パット交換の時

「お風呂屋さんで、お母さん、横向いてとかやらないでよ。みんな、見てるんだから。衆人監視のもとで。曽田さん、幸せねえとか言われるけど、幸せなんだか……」

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「私は小さい時から預けられたでしょ。だから子供は絶対預けないと思った。朝早くから別れて、ご飯も一緒に食べられないし、どれだけずっと待ってたか」

2006.8.24

「ここは府中のライオンズマンションじゃないよ」

「なんでそんなこと言うんだ。ばかたれ」

(注:昔住んでいたマンション)

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ヘリの音がして

「〇〇兄ちゃん(従弟)じゃない。ヘリコプターで帰って来るんでは。そこの中学校へ」

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唐突に

「あっ、今〇〇さん(従妹)、出発、今日の11時頃着く」

2006.8.25

様子を見に覗いたら

「あなた、私の夫でしょ?様子見に来たの?やきもちやいて見に来たの?」

2006.8.26

「あっ、くすり(飲ませるのを)、忘れてた」

「発作起きたら、お前のせいだぞ」

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「私が死んだら、ああやって、親子三人拝んでよ」

(TVを見て)

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「私の夢はね、お父さんの背中を流してあげること」

2006.8.27

ひょいと顔を見て、

「あら、お父さんだったの。何でここにいるの」

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薬を飲ませたら

「優しいのねえ、今年初めて優しくしてもらった」

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ベッドに移乗させると

「優しいねえ。こんなに優しくしてくれたら、ママちゃんも、ミーコおばちゃんも安心して帰るよ」

2006.8.31

「私ね、お金貯めて、〇〇ちゃん(娘)にもっといいピアノを買ってあげたい」


イメージ 110月6日の大根畑。
台風25号が接近中。今度は日本海を通るので、被害を覚悟していたが、朝鮮半島寄りにコースを取ったので、今回もまた出雲地方は大きな被害なし。
お昼に特養に顔出しして、一緒に妻と飯を食い、施設を出たらかなり激しい風が吹き出す。
一本立てにした大根の苗が、その前の24号の風で少しダメージを受けていたので、これはヤバイかもと家に戻り、強風の中、不織布をべた掛けにする。夜になって雨風強くなるが、暴風雨には遠く及ばず。
お陰で何とか大根の苗は守れた。



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左は10月8日。出雲大学駅伝。イオンの3階から写す。帰郷して7年になるが、これまでは忙しくて見ることが出来なかった。今年、初めて見た、と言ってもあっという間に通過。
右は10月19日の畑。
まだ豆類と玉ねぎが残っているが、ほぼ植え終わる。やっと一段落してほっとしたところである。こうやって見ると、忙しいのによくやったなあと思う。
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イメージ 510月20日。
左は春菊とサラダ蕪。ぐんぐん成長。春菊のお陰か、蕪に虫が来ない。
その向こうに見えるのがレタス。これも勢いよく育ち、一度に出来るから、どうやって処理しようか思案している。
その向こうの鈴なりブロッコリーとカリフラワーはいつのことやら。
右の黒マルチには、去年出来、乾燥保存していたわけぎの球根を植える。最後は引っこ抜いて、酢味噌和えにして食う。とても美味かったので、今年は大量に植える。手前の穴には晩生の玉ねぎを100個植える予定。わけぎの向こうには50個穴が空いていて、そこには早生の玉ねぎを植える予定。
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左の畝は奥から、日本ほうれん草とサラダほうれん草の種を播き、もみ殻を被せた。
二番目の三列には人参黒田五寸の種を播き、同じくもみ殻を被せる。
人参はちゃんとした農家は8月から播く。遅いからどうなるか分からないけれど、畝が余ったから播いてみた。多分駄目だろう。
三番目の三列は小松菜を播いた。
儂は小松菜の料理はうといので、作る気がなかったのだけど、これも畝が余ったので播いた。
その手前に五つ植わっているのが、サニーレタスの小さな苗。売れ残りがあったので買った。
大きく広がる空き地は、11月も遅くなってから、つるなしのスナックエンドウとつるなしの赤花えんどうの種を播く予定。
右の畝がイチゴ。畝が長いので、何と52株も植えた。(去年は33株)。自家取りの苗が半分以上。不足分は近所で分けてもらい、畑に取りに行った。今年は苗代ただで作るつもりだったが、大小不揃いで、見栄えも悪く、迷っていたところ、ホームセンターの「なんば」で偶然、宝交を税込み100円で売っているのを見つける。100円ですよ。100円。一番安い宝交早生は普通は150円前後で売っているから、100円なら買おうと6個買う。植えてみたら、100円でも自家取りよりいかにも見栄えが良い。まだ10個ほど穴が残っていたので、追加を買いに行く。宝交は品切れで、宝交早生があったので100円で10個買って植える。自家取りと安物の苗でどんなイチゴができるか、楽しみでもあり不安でもある。
イメージ 810月20日
大根も垂直栽培した。これを始めると、畑先生を初め、みな、「また垂直栽培か」と、にやにやして見ている。目にものをみせてくれん。そのためには実証しなければならない。垂直に縛る大根と今まで通りに普通に作る大根を比較することにした。
中央の八株がこれまで通りに作る大根である。左側がおでん大根の垂直と普通に作る四株。右がおろし大根の普通に作る四株と垂直。垂直栽培に頑張ってもらわないと、笑いものになってしまう。

96歳の父が18日に入院した。
この夏の暑さがこたえたのか、食欲が減退気味だったが、先週末、ついに何も食べれず、水も一口も飲めなくなった。
儂には一切弱気なことは言わないのに、丁度助っ人に来ていた娘には「入院したい」とか「年を取ることがこんなにきついこととは思わなかった」と言ったそうだ。
妹は今月は忙しくて休む予定だったのだが、衣装の入れ替えなど儂には出来ないと思い、急遽無理して来てくれたのだ。虫が騒いだと言っていた。
儂の妻も外泊で戻って来ていたし、娘夫婦も来ていたから、こんなに弱った父を抱えて、もし儂一人だったらと思うとぞっとした。
「入院したい」と弱音を吐いたのが、15日の土曜日。16日が日曜、17日は祝日。
16日は一旦元気が戻ったように見えたが、17日はもういけない。訪問医に相談してひとまず点滴してもらうことに。
ところが点滴の針が刺さらない。
看護士さん曰く。「水分がなくて、血管がぺしゃんこになっていてなかなかうまく刺さらなくて……」
血管がぺしゃんこなんて初めて聞いた。
16日娘夫婦は帰京。
18日、訪問医が紹介状を書いてくれて、徳洲会病院に入院できた次第。妹も用事があるのでこの日に戻る。
病院では早速点滴を打つ。
すると、お昼にはハーフ食だが、ぺろりと平らげる。二日連続点滴を打ったからだろうか。ひとまず胸を撫で下ろす。この年で入院したら寝たきりになってしまうと聞いていたので、それを一番恐れていたのだが、手術をしたわけではないので案じるほどではなかったのかもしれない。点滴も19日で終わる。治療計画書ではおよそ1週間で退院予定とはなっているが、主治医とも面談したが、今回の不調の原因がこれと言ってはっきりと特定はできないとのこと。
数値的にも画像的にもそれほど悪いものは見当たらないのだそうだ。
もしかしたら「老衰かもしれないが、老衰なら直す方法はない」ようなことを告げられる。確かにこればかりは誰も避けられない。一番聞きたくない言葉だったなあと思う。96歳で要介護1、療法士さんも驚いていたが、衰えは確実に迫っているのだ。
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リハビリは19日から始まっていて、ベッドの上でマッサージを受け、足を曲げたり延ばしたりする。その後、足に5キロの重りをつけて、ペダル漕ぎする。
廊下で杖を突きながら歩行訓練もする。専用のリハビリルームが6Fにあるので、次はそこで訓練するそうだ。しっかりリハビリしてくれているので安心する。
ところが、21日に儂に異変が。
夜中に何度もトイレに通い、明け方には耐えがたい腹痛に襲われ、激しい下痢に見舞われる。この日、儂はかかりつけ医の病院で、エコーを受けることになっていたのだが、起き上がることが出来ない。儂が病気になると言う、この家では絶対に起きてはいけないことが起きたようで、儂は焦りに焦りまくる。
その後もトイレに通い、最後は布団にくるまって寝ていたら、お昼ごろには何とか起き上がれるようになる。エコーは2時からなので、何とか間に合う。
エコーでは胆のうのポリープは異常なし。10年近く飼っているのだが、大きさは変わらず。あらたにすい臓に嚢胞が見つかったが、心配は無用。ただ、脂肪肝が見つかる。これは、正直ショックである。儂みたいにほとんど酒飲まない人間に出来るなんてどうにも納得が行かない。
その後、かかりつけ医から『腸感冒』と診断され、腸炎の薬などを出してもらう。
出ました!『腸感冒』!以前、このブログで、『秘密のケンミンショー』で「島根の医者は風邪を腸感冒という」と紹介されたことを取り上げ、いつかなぜ『腸感冒』と言うようになったか、そのうち先生に訊いてみると書いた。帰郷して『腸感冒』と言われたのは、これで二度目である。聞くチャンスだったのだが、混んでいたし、父の見舞いにも行かなければならなかったので、また次の機会にすることに。
病院には毎日顔を出しているが、特養もほったらかしにしておくわけには行かない。
22日は妻が特養に戻って4日目なので儂としては絶対に顔を出してやらないといけない日である。声だけで儂と分かってくれるとほっとする。久しぶりに天気が良くて散歩も出来たが、便失禁あり。ちょうどお昼ご飯の準備で忙しい時に、スタッフに頼むのも気が引けたので、自分でやってしまう。十何年やっているから、こんなこと何でもない。
その後、病院へ。出雲市の西から東まで横断。
今日はリハビリ休みの日。少し歩かせようかと思ったが、今日はやりたくないと言うので無理はさせず。おやつやバナナ、幼児用ジュースが欲しいと言うので、明日はおふくろを連れて見舞いする時、届ける予定。それだけ元気が出た証か。
ところで、脂肪肝対策も今夜から始める。
先生は運動をしろと言う。儂には一番縁のない言葉。これまでそんな時間がないと諦めていたのだが、そうも言ってられない。そこで夕食後、歩くことから始めることに。今夜は15分歩いて引き返す。30分の散歩から始める。ただ、これを冬の出雲で続ける気はない。ある程度、体力が出来たところで、体育館やプールの運動に切り替えようと思っている。本当に儂は忙しくできている人間なんだなあとつくづく思う。

イメージ 1奇妙極まりない台風がやって来る。東から西へ向かう台風なんて、我が人生初めてのことではなかろうか。早い段階の予報で西へ行くと聞いて冗談だろうと思っていた。多少は西へ傾いても列島を北へ縦断して日本海へ抜けると思っていたのに、まともにこちらに向かっている。しかも儂が帰郷してから一番近くを通過しそうな勢いである。早めに帰宅して、立簀を補強する。横に野菜栽培用の支柱を渡し、ロープで固定するが、上部はもともと適当に固定してあるだけだから、強い台風が来たら果たして持つものかどうか心配。そもそも立簀自体が中国製の安物の3年目なのでかなり傷んでいる。強風でバラバラにならなければいいのだが。
気象庁の天気予報では、中国地方には200mmの雨が降り、25~35mの風が吹くと出ていたが、我が家のポイント天気予報では、強い雨が降るのは29日の午前3時~9時の間。6時間の積算降雨量は33mm。風速も最大で5mである。本当にこの程度ですめばよいのだが。
イメージ 2ネギを植えた溝に乾燥防止の藁を敷いている。これが風に飛ばされないように支柱を置いて抑えにした。こんなことをするのは初めてで、果たして効果があるかどうか分からない。写真のネギはもともと成長したネギを植え替えたものだから、20日間一滴も雨が降らなくても、水もやってないのに元気である。ネギは暑さに強い。
ところが池の東側に新しく植えた根深ネギの苗は小さくて水をやらなかったらあっという間に枯れた。すぐに九条ネギの苗を植えなおして、多少水をやったものの、一日やらなかったらまた枯れた。昨日、3回目の苗(九条ネギ)を植えたばかり。雨が降ってくれるのはいいのだが、細い弱弱しい苗だから風が心配。
風といえば、トマトも心配。こちらも補強したが、垂直農法の脇芽8本縛りはいまや一抱えもあるほど葉が茂り、しかも重い。ちょっと強い風が吹いたらひとたまりもなさそう。補修に時間を取られたり、ネギの苗をまた植え替えるようなことにならなければいいのだが。
西から東へ去って行く台風ならいつものことだけど、東から来て西へ去る台風はどうにもイメージが湧かない。幸い直撃はなさそうで、この程度の心配ですんでいる。
岡山や広島は直撃しそうだ。TVで被災地を見ると気の毒でならない。この夏の異常高温や逆行台風など地球温暖化のせいなんだろうなあと思わざるを得ない。
昔の夏はもう戻ってこないのだろうか。エアコンなんかなくても、扇風機がなくても、田舎では蚊帳を吊って寝ていたのに。

29日朝の3時半に目が覚めたが、雨も降っていないし、風も穏やか。7時ごろ起床したが、曇天で雨は一滴も降っていない。少し風が吹いているだけ。その後、少し降ったが、お昼前には雲の切れ間から青空も見える。
特養へ顔出しし、昼食後、妻と散歩も出来た。曇りで、風が少しあって気持ちいい散歩が出来た。
儂のような上品な男は「おしめりにもならない」と言ったが、近所の人は「蚊のションベンにもならんが」とのたもうた程度の雨だった。
大雨が降ることを想定していたので、夕方、ネギ畑にたっぷり水をやる。
台風が去った後に水やりした記憶はない。
もう少し北上して、広島との県境を通ると思ったのだが……。これほど肩透かしを食った台風も珍しい。最初から最後まで当地の住人にしてみたら、奇妙な台風であった。明後日が当地の最高気温になるそうだ。36度くらいと誰かが言っていた。台風はいいから、雨が欲しい。

世間は三連休だが、儂は毎日日曜日みたいなものだ。
7月14日。第一日目。
イメージ 1いつもは日曜日に特養に顔出しするが、明日行けないので土曜日に行く。昼食前に必ず散歩することにしているが、こんなに暑くなると散歩どころではない。帽子を買ってやる。でも、帽子を被っていても炎天下、散歩は10分が限度だ。這う這うの体で引き上げる。
一緒に昼飯を食った後、儂は出雲図書館へ。
14時から「古文書に親しむ会」。
何と前回から、一人の女子高生が参加。懲りてもう来ないかなと思っていたら、前の方の席に座っているではないか。爺さん婆さん(失礼)ばかりの中に、孫みたいな娘さんがいるのだから楽しい。一番喜んでいるのは先生。そもそも土曜日の14時からにしたのは、この時間なら高校生や大学生でも参加できると思ったからなのだそうである。随分長い間やっているけれど、初めて若い人が来てくれたと目尻が下がっている。
講義でも、「初心者がいるから」と、すぐにホワイトボードに向かって解説してくれる。儂だって初心者だったのになあと思いながらも、分かりやすくていいことなので大いに助かっている。命短し、恋せよ乙女。どうか続けて欲しいものだ。
連休二日目。7月15日。
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『風土記談義』の日。
荒神谷博物館古代ハスは今盛り。
1時間半講義を受けたら、ぐったり疲れて、この暑さの中、蓮を見物しようと言う気は起きない。
嶋根郡(しまねのこおり)の2回目で今日は山口郷(やまぐちのさと)。山口は登山口の意。スサノオの命の御子が治める処が山口とみことのりしたので山口の郷と名付けたと風土記にはある。それに関して、先生の解説。奈良には山口神社と名乗る古い神社が14もある。それらは宮殿建築用材を切り出す山の登り口にあるそうだ。ただし、山口県の山口市は大内氏が13世紀に名付けたもので古い謂れとは無関係とのこと。
連休三日目。7月16日。
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今年も来ました『長浜海岸清掃』。41回目だそうだ。
5時に起きて、5時半に近所の人の車に乗せてもらい、運んで貰う。6時から7時までだが、陽が昇って来たらたちまち汗が噴き出す。



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左)清掃が始まる前の石見側を望む。右)大社側を望む。
写真では大したゴミに見えないが、実際はものすごいゴミ。台風が通過したり、豪雨で大量のゴミが流されたりしたからではないだろうか。
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我々の担当地区が長浜海岸の北端。このようなごみ集積所が海岸の南端まで何十か所もあるのだろう。
イメージ 8拾うのは大きいゴミばかり。
この写真のように小さなプラスチック片は拾いようがない。これらが、やがてマイクロプラスチックと呼ばれる、さらに微細なプラスチック片となるのだろう。海を汚し、食物連鎖を引き起こす。この微細なゴミをどうするのか、待ったなしのところに来ている。海岸でゴミ拾いしていても解決しない。どうするのだろうと思いながら、拾えるゴミだけを拾う。
7時過ぎに帰宅。
朝飯を食って、すぐに寝る。今日は外泊で妻が戻ってくる日。2時過ぎには迎えに行くことにしている。ベッドメイクしたり、部屋を掃除したり、準備があるので、午前中は休むつもりだったが、暑くて眠れず。
午後、迎えに行く。
忙しい3連休から5泊6日の外泊に続く。

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