曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

タグ:日々の出来事

やっと出雲の冬らしくなった。
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寒くならないなあと思っていたら、天予報通りいきなりぐんと寒くなった。朝、さあっとあられが降るとあっという間に真っ白になった。早速、ボロ軽の後ろにスコップと長靴を積む。1月2月の大雪でひどい目に遭った。二度とあんな目には遭いたくないので、今年はずっと積んで置く。今日はふったりやんだりで積もりもしなかったが、奥出雲の広島県との境の方は30㎝以上積もっているそうだ。
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12月の畑報告。
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12月11日               12月11日
左)11月16日に植えた「つるなしスナック」の芽が少し成長した。今はもう少し大きいが、今日の雪にも負けず、冬を越してもらう。
右)11月25日に植えた「つるなし赤花えんどう」の芽。遅い分小さい。
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12月11日               12月11日
左)カリフラワーを採る。少し小さいけれど美味かった。今は4つとも全部採って、2つ食ってしまった。
右)レタス完食。16個作って、6個親戚に上げたが、1月足らずでよくぞ10個も食ったものだと我ながら呆れている。来年からはもっと早く植え付けて、時間差をつけることをかんがえなければいけない。
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12月16日               12月25日
左)焼き芋をレンジで作る。右の緑色は小松菜のジュース。
さつま芋を処理しないといけないので、保存していたさつま芋を焼き芋にした。
半分に切ったのは「安納芋」。これは美味かった。「金時」と食べ比べたら、お話にならないくらい美味かった。「紅はるか」は「安納芋」と同じしっとり系なので、美味いはずなのだが、今年は出来が悪くて食べ比べをする芋がなかった。
小松菜は食べきれないのでリンゴやニンジンと一緒にジュースにした。青臭いけれど家で栄養だと思って飲む分には我慢できる。
右)わが家の畑。全景。こんなに作る予定ではなっかたのに。そこそこ食べることが出来ているから、頑張った甲斐はある。クリスマスの頃はまだこんなにのどかな光景だったのだが……。
この日は、夜、隣保の集金会があった。
儂と同じジャガイモ新農法をやっている人が「儂は地温を上げるためにもう黒マルチを張った」と、言うではないか。「ええ、もう張ったの」儂は教科書通りに2月に張るつもりだったから仰天する。農事はもう少しゆっくりしようと思っていたので焦らされる。
こうして今年もあっという間に後3日。明日、妻を迎えに行く。1月4日まで外泊。いつもと同じ手抜きの正月だけど、正月気分だけは味合わせてやりたい。娘夫婦は帰って来れるのだろうか。この寒波が心配だ。

本年も拙いブログにお付き合い頂きありがとうございました。
みなさま、よいお年を。

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左は前回の台風24号が来る前の写真。去年は白い曼殊沙華が3本咲いたが、今年は5本咲いた。何年も3本しか咲かなかったので、増えて嬉しい。この調子で増えて欲しいのだが、白い曼殊沙華は赤ほどは増えないようだ。
向こうは池。ホテイアオイがここはアマゾンかと言うほど生い茂っている。

右のへたくそな絵は「イチゴの苗の正しい取り方」
親からランナーが伸びると、次々と子供の苗が出来る。それを太郎次郎三郎と名付ける。一番最初に出来る太郎は親の悪いウィルスを受け継ぐそうなので、これは取らない。次の次郎、三郎からポットに受けて苗を育てる。大きくなったら秋になって植え付ける。こうすれば苗代ただでイチゴが出来る。
儂もそうするつもりだったが、暑くて畑に出るのが嫌になった。みるみる雑草が伸び、イチゴも枯れたので諦めたのだが、どっこい何株かしぶとく生きている苗があり、ランナーも伸びて出来の悪い子供を作っている。それが9月28日の下の写真。
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正しい苗の取り方ではないが、適当にスコップで掘り起こし、ポットに移し替えた。
果たしてこんなやり方で取った苗がうまくイチゴをつけるかどうか分からないが、何十本も苗を買うと金がかかってしょうがないので試してみる予定でいる。
農作業は後に残すとどんどんたまるので、台風が来る前にばたばたとやってしまう。
イメージ 510月1日のレタス。
台風24号はまた出雲には雨だけ降らせて和歌山の方へ行ってしまった。ところが、北海道まで行ったのに、やけに吹き返しの風が強く、数日前に植えたばかりのレタスの苗が2本ほど千切れたり、なぎ倒されたりした。



イメージ 6イメージ 7左は大根。10月3日に間引いて一本立てにした。畑先生に次の台風25号が行ってから一本立てにすればよかったのにと言われたが、抜いた後に言われてもなあ。
右の写真は左から、春菊・サラダ蕪・春菊・サラダ蕪と4列に種を蒔いた。
なぜこんな蒔き方をしたかと言うと、春菊と蕪はコンパニオン・プランツと言って、とても相性がいいのだそうだ。
春菊の匂いで、蕪に来る害虫を防ぎ、大きくなった春菊は蕪の風よけにもなるのだそうだ。勿論、農業雑誌の受け売り。これまでは広い畝に蕪だけ植えていたのだが、空いた場所に春菊を植えても問題がないのだから効率的に畑を使うことも出来るわけだ。
イメージ 810月4日に植えた、鈴なりブロッコリーパープルとカリフラワーの苗。4本ずつ。ブロッコリーとカリフラワーもコンパニオン・プランツ。ブロッコリーの間にカリフラワーを植えると、ブロッコリーの害虫が迷ってしまい、ブロッコリーに寄り付かなくなると言う嘘みたいな話。ブロッコリーの間にカリフラワーを密植しても問題ないのだからこれまた結構な話である。
台風25号が来る。これまでの台風は逆行台風以外はことごとく出雲を避けて、出雲の右側を通過して行った。だが、今度と言う今度は日本海を通りそう。出雲の左側を通過して行く。皆、口々に今度はこれまでのようには行かないと言う。そこで、はやばやとブロッコリーに支柱をする。大きい支柱をしたのがブロッコリー。苗が風に振り回されないように紐で8の字結びしておく。カリフラワーには小さい支柱をする。
台風が過ぎてから植えれば支柱もまだしなくていいのだが、来週には早くも妻が外泊で戻って来る。退院した父の弱りぐあいが著しくとてつもなく手間がかかるようになった。風呂でも溺れかけるし。やれる時にやっておかないと、秋は農事の予定がびっしり。大根もレタスもブロッコリー達も天に任せるしかない。畑だけでも順調に行ってもらいたいものだ。

来る10月19日~21日、第8回『午後から雨になるでしょう』プロデュース
朗読公演『クライマガコのための遁走曲(フーガ)』が行われます。

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去年の夏のブログでご紹介した、脚本家の吉永亜矢さんの2年ぶりの公演です。美人で颯爽として、いつも風を切って歩いている、儂の大好きな脚本家です。(脚本家の旦那がいるけれど……)
毎年、公演をしていたのに、2年ぶりになってしまったのには訳がある。
彼女は何年も前から、お母さんの介護をしているのだ。去年は特に大変で、とても公演どころではなかったのである。介護が楽になることはないのだが、今年こそはと頑張って公演に漕ぎつけたのです。
家庭があり、自分の仕事があり、お母さんの介護があり、その上、公演までこなすなんて、儂もどちらかと言うと頑張る方だけど、とてもかないません。脚本家なのだから、脚本を書いて演出家に渡すだけならまだしも、演出もする訳ですから、エネルギーは倍必要です。
ここ2回朗読劇になったのはそこに理由があります。介護をすませ、へとへとになって、お芝居の演出をつけるのはさすがにスーパーウーマンにとっても限界でした。それでも舞台をやりたい。そこで彼女は考えたのです。朗読劇なら可能だと。声に絞ったのだと儂は思いました。秋の一日、彼女の声に耳を澄ませてください。儂は彼女の芝居を観たことがあるし、前回の朗読劇の台本を読んでいるので、上京できないけれど、暗い客席にいるつもりになって想像します。きっと日常では忘れてしまった言葉、しんみりと心に残る言葉、追いかけたくなる言葉……を、聞くことが出来ると思います。
普段お芝居を観る機会のないあなた。秋天の一日、異次元の世界に浸ってみて下さい。

外はかなりの雨。今度の台風もまた出雲は直撃を免れそうだが、いまからこれだけの雨が降っていると言うことは、やはり前回の台風より相当大きいようだ。被害の小さいことを祈るばかり。いい秋を迎えたいものだ。

8月10日隣の田圃           9月2日稲刈り
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左の写真はお隣の田圃。この数日前にキラキラ光る防鳥テープを張った。毎年、この辺りでは田植えが一番遅いのだが、今年はなぜか一番早かった。そうするとどういうことが起きるかと言うと、真っ先に雀の集中攻撃を受けたのだそうである。お隣はこんなテープを張るのは初めてのことだとぼやいていた。慣れていないので、張り方がいかにも初心者ぽい。
右の写真は、暑い夏を越した特養の近くの田圃。わが家のお隣はまだ稲刈りはしないが、ここは早々と稲刈り。妻と見物する。
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8月30日。藁と枯れ葉のミルフィーユ作りを始める。
カボチャ畑を整理したら、敷き藁が大量に残った。燃やしてしまうのは勿体ないので、農業雑誌の記事を参考にしてみた。雑誌ではススキと枯れ葉を推奨していたが、ススキなんて大量にないので、藁で試してみる。最後に米のとぎ汁をかける。
イメージ 5ブルーシートで包む。これからは時々米のとぎ汁をかけるといいそうだ。
庭の枯れ葉を集めて運ぶのも大変で、トマトやナスを抜いたりの作業もあったので、夕方だけの作業で数日かかる。
大型台風21号が来ると言うので、9月3日に大急ぎで仕上げる。いい堆肥ができるといいのだが。
9月4日。大型台風はまたもや出雲を避ける。激しい雨が降ったのも一時だけ。当地にとっては丁度良い御湿りになった。この夏は例年より多くの台風が来たが、ことごとく出雲をかすめる。出雲地方は被害ゼロ。ただただ暑かっただけであった。これだけ無傷だと被害を受けた地方の人たちには申し訳ないと思う。
激しい雨が上がったので、さつま芋の『ツル返し』をする。
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手前が安納芋バイオ、向こうがバイオ金時。ナスは抜いた。秋ナスはやめる。
イメージ 8左はツル返しした紅はるか。
安納芋バイオの苗を植えたのが5月12日。
紅はるかが5月25日。バイオ金時が5月28日。さつま芋は110日~120日で収穫する。この後まだツル切りをして、一週間ぐらいしてから収穫するので、逆算するとツル返しが遅いかもしれないが、ぼやぼやしていたら今日になってしまった。
ツルからは不定根という養分を吸収する根が出て、ますます養分過剰になってツルぼけしてしまうのだそうだ。そこで、養分をイモに転流させるためにツルをもちあげて引っ繰り返す作業をするのだそうだ。
雑誌にはそう書いてあったが、実は去年までそんなことをしたことないし、近所の人も誰もそんなことはしていない。それでもなんとかできているから、ここまで教科書通りにしなくてもと思わないでもないが、やってみる。
ただ、今年は異常な暑さのせいか、ツルの伸びが例年ほどではない。紅はるかも3本枯れてしまった。苗が枯れたのは初めての事。安納芋も2本枯れた。今年のさつま芋は余り自信がない。
これから秋冬野菜を植えないといけないのだが、暑くて全然取り掛かれていない。大根やカブの種を蒔きたいのだけれど、誰か農作業ロボットでも作ってくれないものかと思う今日この頃である。

27日に用事が出来て上京することになっていた。当初は前日に上京、翌日に帰郷の予定だったが、27日の午後にももう一つ用事が出来た。その為には少し準備する必要もあるので早めに上京するつもりであった。するとそこに台風がやって来ることが分かる。19号はそれるが、20号がかなりやばそう。で、急遽、21日に妻の外泊が終わったらすぐに上京することにした。幸い妹が助っ人に来てくれているので、両親の世話を頼める。妹が戻る28日に入れ替わりで戻ればよい。
1年半ぶりの上京は楽しみではあるが、約一週間留守にするので畑の手入れをしておかなければならない。
イメージ 1イメージ 28月14日
猛暑の中、九条ネギの敷き藁を取って、土寄せをし、敷き藁を元に戻す。隣組の奥さんたちは夕方6時にならないと畑に出て来ないが、儂は夕食の支度があるから4時ごろに出ないといけない。暑いぞお~。
その後、台風19号、20号が発生したので、敷き藁が飛ばされないように押さえをし、この写真には写ってないが煉瓦を重しにする。
トマトも支柱に結ぶ。


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同じ8月14日。
坊ちゃんカボチャも手じまいする。
今夏は猛暑でつるも枯れ、あまり数は出来なかった。それでもまだ出来そうだったが、スケベ根性を出して、もう少しもう少しと延ばしていると秋になってしまう。
東京から戻って来たら、秋野菜の畑を作りたいので、未練を断ち切り、この後つるも全部引っこ抜く。戻って来たらつるは枯れているだろう。早いところはもう更地にしてしまって、石灰を撒き、肥料を撒き、苗(何か聞かなかったが)も植えている。もっとも「この暑さで枯れてしまって」とぼやいていたが。(^^)

8月16日。真夏の外泊。特養のように温度管理がしっかりできないから神経を使う。
ところが、17日、いきなり終日風が吹く。家じゅうの窓を開けておいたら、エアコンなしで一日を過ごすことが出来た。夜もエアコンなし。こんなことはこの夏初めて。
翌18日も涼しい。この日も一日中エアコンなしで過ごす。タオルケット一枚で寝ていたら、寒くて目が覚める。それが、午前2時。妻と両親もタオルケットだけで寝ていたので、薄掛けを出してタオルケットの上から掛けてやる。
19日からはもとの暑さが戻る。午前中、妻が寝ている間に『風土記談義』に出席。
今回の外泊中は毎日マッサージを頼まれる。
プロのマッサージさんが休みだったことが影響しているのかもしれない。
儂のマッサージは「つかんでいるだけだ」と文句を言われる。そこへ、マッサージさんから電話。復調したので妻が戻ったら再開してくれる。儂もほっと一安心する。
20号がいよいよヤバそうなので農具を濡れないように片づけたり、枯れ草や敷き藁が飛ばされないように押さえをしたり、やることが一杯。
21日は高温注意報。特養に戻る。
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この日はお昼に焼肉パーティがあるので、11時に特養に戻る。
妻が暮らすユニットと隣のユニットとの共同のお昼である。
参加できる入所者だイメージ 6けだが、それでも十数人が賑やかに、焼肉、焼きそば、焼き鳥、フランクフルト、野菜などに舌鼓を打つ。
儂もおよばれする。
もちろん、この日の為にノンアルコールビールを買って持って行ったら、何と特養の方でノンアルも普通のビールもちゃんと用意してくれているではないか。来年からは買わないことにしよう。スタッフはテラスで肉を焼き、2台の鉄板で次々と焼く。すごい量だなあ、食べきれるんかなあと心配していたら、お婆さんたちが結構食べるので驚く。妻も焼きそばや野菜、肉、焼き鳥は3本も食べる。

翌22日、今日、出雲市駅から特急やくもで新岡山へ出て、新幹線で東京へ。
飛行機でシルバー割引の方が安いのだが、この時期東京便は満席で切符が取れない。
やむを得ずJRにしたのだが、伯備線経由新幹線で上京なんて記憶にないくらい昔のことだ。岡山県の新見を過ぎた辺りで、ヒコーキだったら羽田に着いた頃だと思うとうんざりしたが、車中はずっと『折り焚く柴の記』を読んでいた。
新井白石の晩年の小説はすでに書き上げ、今3回目の見直しをしている。直しながらもう一回手を入れたいと思い、そのために白石の原点ともいうべき自伝に戻った次第である。次で本当の最終決定稿になると思っている。

東京も暑いが、夜は風あり。
一年半前に上京した時は玄関の戸が開かず、ベランダをよじ登って、二階の窓を外して入ったが、今回はなぜかすんなり玄関の戸が開いた。10年以上経っている年代物のエアコンも無事作動する。25、26、27は用事がある。23、24の二日をどう過ごすかだが、24日の台風が心配だ。島根は暴風圏に入っているようだ。今度ばかりは影響がありそうな気がする。

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