去年からみるみる気力と体力が衰え、いつもおツルさんに餌をやっていた家の近くの橋まで「来るだけでもやっとなんです」と喘ぎ、おツルさんが飛んでくる方を見ながら「今年を越えるのはもう無理なような気がするの」と、とても気弱なことを言っていた。
私もいつかはこんな日が来るのだろうなあと覚悟していたが、とうとうその日が来てしまうとは。
3月31日に入院された事だけは以前に記したが、実はその日の異常に気付いたのは私と犬の散歩友達の近所の奥さんHさんだった。偶然、犬の散歩をしていて、おばあさんの家の前で会ったのだ。
私たちは夕方なのに郵便受けから新聞が出ていることに気が付き、玄関灯も点きっぱなしに気が付いた。こんなことはこれまで一度もなかった。Hさんが窓から呼びかけたが返事がない。カーテンも閉まったまま。Hさんはすぐに鍵を取り出して玄関を開けた。Hさんはおばあさんとは付き合いが古く、鍵を預かる仲だった。だがドアにはチェーンが掛かっていて開けることができない。
Hさんが大声で叫ぶとやっと小さな声で返事があった。
「動けないんです」それだけ言うのが精一杯で様子がさっぱりわからない。Hさんは大家さんを捜しに行くので、私はHさんの犬とマルコと一緒にとどまる。しかし、Hさんはなかなか帰って来ない。おばあさんを励ますために、大家さんを探してドアを開けてもらうからもう少し待っててと伝えるだけしかできない。おばあさんも「はい」と答えるだけ。しばらくしてヘルパーさんが二人、駆け付けて来る。Hさんが連絡してくれたのだ。みんなで励ましていると、ようやく大家さんとHさんが工具をもってやって来る。
大家さんがバールの一撃でチェーンを吹っ飛ばし、ヘルパーさんが飛び込む。
ベッドで寝た切りのおばあさんの着替えをして、救急車を要請したところで、Hさんが後は任せてくれと言うので、私も夕食の支度があるので引き上げる。
翌朝、Hさんから報告。
脚の骨折が二か所あり、心臓が考えられないくらい肥大していて、4月を乗り越えることが出来るかどうかだと言う。
そんなに悪かったとは。いつどうして骨折したかはヘルパーさんもわからない。私は今年になって一度も顔を合わせていなかった。Hさんもしばらく顔をみていなかったと言う。
Hさんはよく見舞いに行き、お見舞いに鶴の大きな写真を届けたらとても喜んでいたと教えてくれた。4月を乗り越え、転院の話も出たので私は乗り越えることが出来たのかと思っていたが、一昨日、急に悪くなり、大阪から駆けつけて来た息子さんに看取られ眠るように息を引き取ったと言う。
私は昨日の夕方、散歩の帰りにおばあさんの家の玄関に手を合わせていたら、Hさんが来て家の中に居た息子さん夫婦を紹介してくれる。
息子さん夫婦はおばあさんは田舎で寂しい一人暮らしをしていると思っていたので、犬友達や鶴友達がいたことを喜んでいた。おばあさんからおツルさんに餌をやったり、写真を撮って見せてくれる人がいることは聞いていて、それが私とわかって感謝してくれた。
今日が葬式だったが家族葬で家族以外で参列したのはHさんだけ。
私は張場へ香典を届ける。Hさんはとてもやすらな顔だったと言っていたが、それを聞いたら私も最後のお別れはしたかったなあと思った。
あの人と出会わなかったら、おツルさんとも出会わなかったし、毎日のようにおツルさんに会って、餌をやり、話しかける、浮世離れした生活はできなかったのだ。

↑
↑の先に、小さく白い丸い物が見える。軟式野球のボールだと思う。
今朝、おツルさんが抱卵している場所に餌をやりに行ったが、おツルさんは不在。だが、ボールを抱いていることは分かった。
夕方、餌をやりに行く。
遠くから抱卵場所を見たら、おツルさんの姿はなく、おばあさんが亡くなった報告は出来ないのかと思っていたのだが、不意に上流の方角から飛来すると、私の頭上を飛び去り、Uターンして私の前方に舞い降りると、すぐ近くまで寄って来る。


お腹が空いていたのだろう、勢いよく食べていた。
「おばあさんが死んじゃったよ。もう会えないんだよ。寂しいね。おばあさんのまねはできないけれど、俺とマルコが来るからね。仲良くしような」
おツルさんにはわからないだろうけど、おばあさんには聞こえたような気がした。
おばあさん、あなたは本当にたいした人だったね。
あなたが餌をやっている時、おツルさんがあなたのすぐそばでうたた寝をしていたことがあったよね。
忘れられない光景でした。無償の愛情とはどんなものか教えられました。
さようなら、鶴のおばあさん。












