曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 出雲松江

松江からの帰りにN-BOX+で横転自損事故を起こしてしまった。記憶も生々しい起こした日の夜にこんな記事は書きたくないのだが、どうせ書くことだし、書くなら車を運転する人の他山の石になることだろうと思って書くことにした。
平田に入って平田循環道に入る手前だったと思う。時刻は3時前か。
突然、ガーンという凄まじい衝撃を受けて、「あっ、やった」と思った瞬間、はっと気がついたら、車が横転していて、私の顔の上に豆柴のマルコがいて震えていた。眼の上にドアの窓があり空が見える。この時、初めて何かにぶつかって車が横転したことを知る。原因も分かる。眠っていたのだ。
松江総合体育館で行われた2歳の孫の運動会を見ての帰りだった。犬は家に置いておくとパニックになってウンチやおしっこをするので助手席に乗せて連れて行ったのだ。
松江を出てしばらくして眠気がさしていた。途中、縁石にぶつかりそうになり咄嗟にハンドルを切ったことがあり。「危ない、危ない」と注意していたのだが。事故を起こした直前の記憶は一切ない。
注意していたつもりなのに睡魔に襲われ完全に寝てしまった一瞬があったのだ。
凄まじい衝撃で「あっ、やった」と思った瞬間にもまだ何も見えていなかった。その次の瞬間にぱっと視界が広がった時に初めて横転した車の中にいる自分を認識したのである。この時はまだ何にぶつかったのかも知らなかった。(歩道の街路樹にぶつかったのを知ったのは警官に教えられてから)
つぶれたエアバッグがあり、運転席はしっちゃかめっちゃか。右の肋骨が痛むが、頭は打っていないし、右手に小さな切り傷があるぐらいで大きな流血はない。
駆け付けた人から「大丈夫か」と聞かれ、「大丈夫です」と答える。何とか出ようと思うのだがドアが開かない。シートベルトもなかなか外れない。外の人は「動くな、じっとしていろと」と言うが、目の前からはうっすらと白い煙が出ている。火が出たらどうしようと焦る。その間の時間経過は分からない。交通整理が始まる中、後部の窓が割れていたのか、ドアが開いたのかわからないが、まずマルコを出してから這い出る。歩道の街路樹の下で手当てを受ける。そこへ救急車も来て診てくれるが、右の肋骨の打撲による痛み以外には異常はないが、一応、病院へ行くことに。平田の総合医療センターが無理なので斐川の徳洲会病院に運ばれる。マルコは病院が世話できないので平田の広域交番が一時預かりしてくれることに。救急で首と胸のレントゲンを撮るが異常なし。30分で病院を出る。
平田の広域交番にマルコを受け取りに行くが交番は何か対応事変があったらしく締まっている。1時間ぐらいないと戻れないと言うので、出雲のホンダ北支店へ行く。ここにJAFに事故車を運んでもらったのだが、その時渡した車のキーに家の鍵がついていたので、その鍵を受け取って6時に帰宅。
マルコは娘の婿さんが帰宅後引き取りに行ってくれた。
娘は10月で妊娠8ヶ月、12月に帝王切開の手術日も決まっている。今日も運動会に孫と娘とマルコを連れて車で行った。平日なので婿さんは参加できなかったのだ。もし、娘と孫を乗せていたらと思ったらぞっとした。娘に二子が生まれるまでは娘も二歳の長男ももう私の車には乗せないと宣言する。
もう、運転をやめようかと思ったくらいショックを受けている。
横転した事故車を目の前にしても写メしようと言う気も起きなかった。あったらもっと臨場感を持ってもらえたかもしれないが。
本当に居眠り運転は恐ろしい。寝てはいけないと注意していても、振り払えない限界というものがあって、それを越えた瞬間意識は飛んでしまい、寝てしまっているのだ。そして、次の瞬間には事故になっているのだ。人を巻き込まず、対向車もなく、自損事故で終わったことをせめてもの慰めにしたい。時間帯もあったが田舎の道だったことも幸いした。今でも自分がこんな事故を起こしたことが信じられないが、逆に言えば誰でもいつでもどんな事故を起こさないとも限らないのだ。本当に気をつけましょう。母は85歳で免許を返上させたので自分も85歳で返上しようと思っていたが、もっと早く返上することは今回のことで確実になったと思っている。

初盆が来るし、台風も来る。今日しかないと思って急遽午後から松江に行く。実は娘一家が23日に松江に島根Ⅰターンで戻って来るのである。婿さんが大の出雲好きで前々から出雲に住みたいと言っていたのだがまさか本当に戻って来るとは思わなかったので話を聞いた時は腰を抜かすほど驚いた。二人で話をすすめてちゃんと転職までして9月1日からは松江で働くのだ。それはもう嬉しいのだが喜んでばかりはいられない。23日には引っ越して来るのだから爺さんでも手伝いぐらいには顔を出したい。
そういうわけで引っ越し先がどんなところか、出雲の我が家からどれくらい時間がかかるのかを確認しておきたかったのである。
行きは国道9号線(宍道湖南岸)を通って約1時間でおよその場所に着く。町名しか聞いてなくて住居も詳しく聞いていないので目標の建物で見当をつけるだけ。折角来たし、松江城も近いので、堀川遊覧船乗り場へ行き、その後ヘルンの道を通って小泉八雲記念館を見て引き返す。
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左)堀川遊覧船乗り場       右)松江城の西側の濠
ここから乗って松江城のお濠に出てぐるりと回るようだ。
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お濠の北側のヘルンの道にある小泉八雲の記念館。中には入らず。これからは何度も来ることになるのでただ見て回っただけ。これが昨日だったら歩くことも不可能だっただろう。昨日は出雲でも37.4度もあったのである。今日は33℃ぐらいでしかも台風の影響か雲があったので歩けたのであった。といってもほんの少し歩いただけであるが。実は松江城には50年以上も前に一度来たことがあるだけで、その時は城に登っただけで、この辺りは歩いていないのである。そのうち孫と遊覧船に乗ったり、城に登ったりするだろう。
帰りに松江在住のおじさん(母の弟)を訪ねる。何と隣町で車で5、6分の所であった。おじさん、「裏山に遊びにおいで」と言ってくれた。出雲市の倍以上ある市なのに裏山があるのだから島根県である。
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帰りは国道431号(宍道湖北岸)を通る。この写真は松江宍道湖温泉の先から出雲方面撮ったもの。西は出雲平野だから何もない。4時ごろ、雨が降り出す。やっと待望の雨かと期待したがお湿りにもならない雨。9日か10日頃には降るようだが、皆、どんな台風でもいいから来て欲しい。一雨欲しいと言っている。それくらい出雲も松江も暑い。津和野はもっと暑いのだが。
今日でおよその地理と時間はわかったので、これからは迷惑がられない程度に松江にゆくことになるだろう。

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