

12月1日出雲弥生の森博物館で『古代出雲人人骨DNAから日本人のルーツを探るプロジェクト研究報告会』が行われた。これは『東京いずもふるさと会」が猪目洞窟(出雲市)と小浜洞窟(松江市美保関)出土の人骨のDNA解析プロジェクトをクラウドファンディングで立ち上げたもので、その解析結果の講演会である。
前日熊本から戻ったばかりだったがこの講演を聞き逃す訳には行かない。当日は特養へ行き妻の昼食介助をして、夕方にはショートステイをしている母を迎えに行く、その間の時間に幸いにも出席できた。
最初の報告は斎藤成也国立遺伝学研究所教授。
現代出雲人のDNA分析。3代前まで出雲に暮らしていることが明確な40人のDNAを他の地域と比較したものである。その結果は出雲はDNA的には東北や鹿児島に近いことが分かる。言語学的にも出雲弁と東北弁はいわゆるズーズー弁で似ていると言われていた。儂もなぜこんなに離れているのに言葉が似ているのか不思議でならなかったが、教授は鮮やかに解説してくれた。
すなわち、旧石器時代に始まった日本列島への渡来は従来は2段階と言われていたが、実は3段階に渡っていて、3回目の渡来人は北九州から瀬戸内海、近畿、関東へと列島中心部を進んだのではないか。するとどういうことが起きるかと言うと、渡来人が進んだ中央に延びる長いベルト地帯はより混血が進む。
教授は面白いことを言う。「渡来人は都会を目指すのです」なるほどと思う。蘇我氏は日本のどこに上陸したか知らないが、彼らは政権の中央に辿り着いている。先進地帯ではDNAの変化が他地域よりは当然大きくなる。
周辺地域は取り残される訳である。出雲も東北も鹿児島も取り残されたのである。離れた出雲と東北とどんな交流があったのだろうかとばかり考えていたのがとんだ的外れだった訳だ。目から鱗とはこのことである。
よくアイヌとオキナワは似ていると言われている。これも取り残されたDNAと考えれば納得が行く。
教授は古代史は門外漢のはずなのに、日本人のDNA変遷のエポックメーキングに「スサノオ」と「国譲り」と「大和政権の国造派遣」を上げる。「スサノオ」神話に象徴されるような出来事、「国譲り」神話に象徴されるような出来事、「国造」は大和朝廷の地方支配。これらがDNAの変遷にあずかっているのではないかと。科学者の立場からの論は新鮮で歴史の専門家とは異なる説得力を持つ。教授はこうも言う。「私は年代はいい加減だと思いますが、系図と言うものはある程度は信じていいものではないかと思っているのです」
妙に説得力があるのは、DNA解析に話が面白かったからか。
神澤秀明博士は国立科学博物館人類研究部研究員。
猪目洞窟の出土人骨の報告。猪目洞窟はこのブログでも以前紹介した、出雲国風土記で『黄泉の国』の入り口と語られている洞窟である。昭和23年に発見された人骨が『弥生の森博物館』に収蔵されている。
6体のうち3体が縄文系、3体が渡来系と分かるが、資料年代は1000年もの幅がある。
そのうち2体の核ゲノムは現代人より縄文的であったそうだ。現代人の中にある縄文人の割合は10パーセントなのだが、出土人骨は15パーセントであったそうだ。
残り4体のDNAも良好なので、これらから核ゲノムデーターが解析出来たら、猪目の弥生から古墳時代と現代出雲人のゲノムを比較し、山陰地方の遺伝的変遷が出来るそうだが、後2年はかかるらしい。
この記事の何十倍ものデーターや資料をレジュメとしてもらっているのだが、とても紹介しきれないので簡単な記事で申し訳ありません。





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帰り道、すぐ近くに「山中鹿之介」の屋敷跡がある。
















その結界になっているのが『三つ鳥居』と呼ばれる鳥居である。拝殿のすぐ裏にあるが写真撮影禁止。
