状況は違うが、将来の不安という意味では今の天皇家と似ているといってよい。
新井白石が6代将軍家宣の政治顧問となったのは宝永6年(1709年)。
天皇家の後継問題は不安定なまま続いていた。当時、世襲親王家は伏見宮、桂宮、有栖川宮の三家しかなく、しかも天皇家との血縁も遠くなりつつあった。この状況を深刻にとらえた新井白石は第四の世襲親王家を創設することを家宣に提言した。
だが、家宣は受け入れても、守旧派が大反対した。
守旧派は祖法(家康以来の慣例)を破ることには激しく抵抗したが、彼らは家宣の信任を得て辣腕をふるう白石を憎悪する反白石派でもあったのだ。有能ゆえに家宣の政治顧問となり、改革をすすめる白石の周囲は敵ばかりだった。白石がやることには何でも反対する者もいたほどだった。
しかし、白石は「将軍家だけ栄えて、朝家が衰えるのは道理に反する」と、儒教的モラルを真正面から訴え強引に押し通すと、宝永6年(1709年)東山天皇の第六皇子を第四の世襲親王に迎え、閑院宮家を創設する。
それから70年後の安永8年(1779年)白石の懸念が現実化した。
後花園天皇が崩御すると、男子がなかったので、皇統断絶の危機を迎えたが、閑院宮家の二代皇子の祐宮師仁親王が119代光格天皇となったのである。
実はこの119代光格天皇の直系が126代の現天皇なのである。即ち、白石が閑院宮家を創設していなかったら、今の天皇家はなかったことになるのだ。
これが、いかに奇跡的なことかと言うと、白石の政治顧問としての在職期間がわずか7年しかなかったこと、二人三脚としてともに歩んだ将軍家宣との治世がたったの3年間しかなかったことをみればよくわかるだろう。家宣の後、幼君家継に仕えるも、4年で家継が死ぬと、白石は罷免され隠居して逼塞し二度と表舞台に立つことはなかったのである。
実際問題として、白石が閑院宮家創設に費やした時間は一、二年のことだと思うが、一政治家として居並ぶ政敵と戦い抜き、万難を排してやり遂げた事が今の混迷に何を語り掛けているのか考えてみる価値はあると思う。
いまこの問題にかかわっている人たちは何を考え、何をやろうとしているのか。
だって、日本にかつて女性天皇が存在したことなど、まるでなかったかのように一切無視して話をすすめているではないか。
【歴代女性天皇】
飛鳥・奈良時代
33代推古天皇
35代皇極天皇(37代斉明天皇重祚)2回天皇を務めた
41代持統天皇
43代元明天皇(46代孝謙天皇重祚)2回天皇を務めた
44代元正天皇
江戸時代
109代明正天皇
117代後桜町天皇
不都合な真実に目を背けているとしか思えない。






































