私が書いている小説の主人公多胡辰敬(たこときたか)の五代前の先祖には多胡重俊と言うとんでもない人物がいる。その頃の出雲の守護大名は京極氏で、重俊は京極氏に仕えていた。将棋名人として知られていたが、強いのは将棋だけではなかった。双六(すごろく)や賽(さい)など、ありとあらゆる博打で無敵を誇り、余りの強さにその名は都のみならず日本六十余州に轟き渡り、多胡博打の名を奉られた。重俊をあがめ、あやかろうとする者達は、重俊の絵姿を床の間に飾ったほどだと言う。
その将棋の才は、子の重行、高重と受け継がれ、多胡家は代々博打名人の家と知られるようになった。次の俊英は応仁の乱で大手柄を挙げ、石見の国、中野(今の邑南町)の余勢(よせ)城の城主となるが、バクチ打ちの一家とみられるのを嫌い、将棋を禁じ、一切のバクチも禁じた。
その孫が辰敬だが、なぜか辰敬は子供の頃から将棋が強いことで知られていた。
祖父が禁じ、父も出雲大社の造営奉行をしたほどの人物なのに、なぜ辰敬が子供の頃から将棋の才を示したのか。
そこが面白いところであり、想像力を掻き立てられたところです。