
読みながら長石監督と「スタンドバイミー」の話をしたことを思い出していた。調べたら「スタンドバイミー」が公開されたのが1987年だったから、戦隊シリーズでは光戦隊マスクマン(これも調べて分かった)を放映していた時になる。東映の大泉撮影所の前の喫茶店(もう名前を忘れた)だったか、撮影所のプレハブの一室だったか、新宿西口の喫茶店「滝沢西口」だったかはっきりとは覚えていない。打ち合わせの前か、終わった後かも思い出せないが、二人きりだったことは確かである。
長石さんは野球帽を逆さに被ったいつものスタイルで、メガネの奥の優しい目を消えてなくなるくらい細くして、「スタンドバイミー、いいよなあ。あんな映画を撮りたいなあ」と、叶いそうもない願いをため息にのせた。儂も相槌を打ち、切ない笑みを返すしかなかった。メインのライターとメインの監督を務めていたが、夢を食べては生きて行けない。
今、読み終わって、長石さんに「うえしょうさんが凄い小説を書いたよ。スタンドバイミーなんか足元にも及ばない、魂が震えるような小説だよ」と、言ってあげたくなった。長石さんにも読んで欲しかった。生きていたとしても、撮れなかったに違いないが、上原さんが命を注いで書き上げたことを喜んでくれたであろう。儂は長石さんを戦友だと思っていた。心の監督だと思っていた。長石さんが喜んでくれたら儂も嬉しいのである。読ませてあげられないのが本当に悔しい。「いいいよなあ。こんな小説、映画にしたいなあ」と言う声を聞きたかったのに。
読む前はこの小説が出版されたことを知らなかったことへの後悔があった。
いくら田舎に引っ込んでしまい、昔の付き合いは殆ど断っていたとは言え、どうして気が付かなかったのかと。2年前に読んでいたら、上原さんに感動を手紙にして送ることも出来たのにと。
だが、読み進み、読み終わって、儂の薄っぺらな言葉などとても恥ずかしくて送れたものではないことを思い知った。
儂は上原さんが沖縄と円谷プロの先輩である金城さんのことをお書きになったのは知っていたが、その後、沈黙を守っておられた。どうされたのか、もうお書きにならないのかとたまに上原さんを思い出すことがあった。
ライターの最後は小説か監督を目指そうとするものが多い。
なぜならTVの仕事は華やかに見えて、ライターは満たされないものを抱え、鬱屈し、疲弊するから。TVの仕事に本当に満足して終える人なんてごく少数ではないだろうか。
上原さんもウルトラマンなどで評価されてはいても、それで納得している人ではないことはお互いに話さなくても同じ仕事をしている同士、手に取るように分かる。
本当にお書きになりたいものがあるはずなのに、どうして書かれないのだろう、もうお書きになる気はないのだろうかと気になっていたのだが、読み終わってやっと分かった。
上原さんは儂ら凡百のライターが抱えている満たされないものなどはるかに越える、はるかに重いものを抱えておられたのだ。儂らからは沈黙に見えたけれど、それは数限りない死者の声に耳を澄ますための静寂だったのではないだろうか。
お亡くなりになったのは残念だが、この本が残ったことは喜ぶべきことだと思う。よくぞ書いて下さった。よくぞ残して下さった。うえしょうさんにしか書けない本です。後世に残すべき本だと思う。
上原さんは本の中で、自分を「びっくり眼」と書いておられた。
確かに上原さんは大きな目が印象的だった。驚いた時や、感心した時は大きな目を更に大きく見開いておられた。儂は最初はなんだかわざとらしく目を剥いて見せているのかなあと思ったのだが、本を読んでわかった。
上原少年はあの「びっくり眼」で戦中戦後の沖縄を見て来たのだ。おそらく少年時代はもっと大きく見開かれたことだろう。
そして、晩年・・・・・・あの大きな目をぎらぎらと光らせながら、小説をお書きになっていた姿を想像したら涙が出て来た。合掌。
この本の最後に嬉しいプレゼントを見つけた。

上の写真だが、最後のページの隅に「活字で利用できない方のためのテキストデーター請求券」が印刷してあったのである。これは目の不自由な人に「テキストデーター」を送ると、「音声読み上げソフト」で読んでくれるものである。目の不自由な人でも本が読める。これからはすべての出版物で採用すべきと思う。





