1月12日
訪問リハビリが始まる。病院で2回とあわせて週3回になる。永世病院でのリハビリとは比べものにならない微々たるものだが、これだけでも嬉しい。お昼の配食も始まる。昼食の準備をしなくていいのは助かる。邦子は半分しか食べないので、残りが俺のお昼。
夜の9時から12時までが俺の時間。途中11時にオムツ交換。「ビールの匂いがする」と言われた。明日からはオムツ交換が終わってから飲むことにする。
1月13日
車で行くのもタクシーで行くのも大変だったので、今日から自立応援団の車で病院へ行く。車椅子専用車なので移送が楽。会計を待つ間、邦子が騒ぐので帰宅。午後、邦子が昼寝している間に車で払いに行く。
1月15日(土)
邦子在宅日。一日中向かい合っているのは辛い。自ら3回トイレに行くと言う。トイレでオムツ交換していると、「本当の夫婦になったみたい」と言ってくれる。
ケアマネがデイサービスをもう一日入れたら介護保険を使い切ると教えてくれる。
1月16日(日)
俺がぐったりしていたら、娘が夕食を作ってくれる。家政婦さんを雇わないと限界だ。
娘がネットで俺の本を調べたら「大変面白い、満足だ」と言う書評があったと教えてくれる。嬉しい。
1月17日
自立の車で外来リハ。付き添う。交通費1800円。2時間の待ち時間代1200円。調布市の福祉タクシー券を使えるのでタクシーより安く済む。リハを待っている間に小説の構想を練る。集中できるのはこの時間しかないので意外と進むような気がしている。
1月18日
邦子、デイサービス。邦子の眼鏡を直しに行く。その後、ロイヤルホストで昼食、仕事。3時前に戻って、家政婦紹介所を二三当たる。
邦子がトイレを言うのはいいのだが寝ていると大変。起こして左足に装具をつけ、右には靴を履かせ、車椅子に移乗してトイレ誘導。トイレもオムツだから立たせてのオムツの取り外しは一苦労。トイレでオムツはつけられないので、ベッドに戻ってからオムツをする。
1月19日
邦子在宅。朝ヘルパーさんが来ている間は俺は寝ている。ヘルパーさんが帰る前に起き、しばらく邦子の相手をして邦子を寝せたら俺も寝る。昼食後も邦子を昼寝させ、俺も寝る。それだけ寝てやっと夕方から動く元気が出る。
娘の腰痛は整形でレントゲンで診たら、股関節が少しずれていることが原因とわかる。俺はサッカーのやり過ぎで痛めたのだろうと軽く考えていたが、どうやらそんな簡単なものではなさそうだ。その時、俺は不意に娘が2歳か3歳の頃、邦子が俺に言った言葉を思い出す。娘の股関節のレントゲンを見た日医大の優秀な医師が「大きくなったらこの子は股関節の手術をしなければならない」と言ったと言うのだ。俺は今日の今日まで完全に忘れていた。嫌な予感がして言い知れぬ不安に襲われる。
1月20日
午前中、外来リハ。付き添いだけになったので精神的に楽になる。
便秘が5日続く。浣腸をしようとしたら嫌だと言う。夕食後、トイレに行くと言う。やっとお通じがある。
1月21日
夕方デイサービスから帰って来たら、ダイニングで夕食後まで2時間一緒にいるのが辛く、総菜で済ませようと思ったが、邦子に背中を向けてひじきを煮る。鶏のモモを入れる。二人だけの夕食も辛いものがある。邦子は一人だけ夢想の世界に居る。今いるところが青森だったり、看護学校時代の友人の家だったり。一生このままなのだろうか。
1月22日(土)
今日も夕食は二人。総菜を買うも切り干し大根の味噌風味を邦子に聞きながら作る。これも治療のつもり。
1月23日(日)
邦子の妄想は何とかならないものか。夕食を食べたことを忘れ、寝せようと思ってもラーメンを作ったから食べると言い張り、怒ってぶって来る。辛い。哀れでならぬ。ストレスで甘いものを無性に食べたくなる。コーヒーを飲みながらアーモンドチョコをひと箱たべてしまう。
1月26日
友人が編集者に会ったら、編集者は果たして俺が書き続けられるかどうか危惧しているそうだ。俺の情熱次第と言ったそうだ。俺は一生邦子のオムツの世話だけで終わるつもりはない。
1月27日
今日から週2回月木に4時から6時まで家政婦に来てもらう。お婆さんで2時間近くかかって鯵の南蛮だけしか作れなかった。いまどき家政婦はおばあさんしかなり手がいないらしい。
そういえば今日は邦子が笑った。娘と三人で夕食の時、娘が兄がにわかに英語の勉強を始めた(就職後のことを考えてのことらしい)と言う。大きな声でRの発音を繰り返していると口真似したら、邦子は口を歪ませて笑う。(顔の半分は若干麻痺している)。我が家に邦子の笑い声が響き渡るのはいつ以来だろう。こんなに笑ったのは病後初めて。頼むからよくなっておくれ。
1月28日
編集者から電話。新人としては悪くなく、まだ伸びそうなので次作の打ち合わせをしましょうとのこと。だめかと思っていたので飛び上がるほど嬉しかった。
1月30日(日)
昨日今日と娘が夕食を作ってくれる。
1月31日
夕食前の6時半に痙攣を起こす。救急車を呼ぶも杏林は手術中。烏山の病院は担当者不在。世田谷池尻の自衛隊中央病院に運ばれる。邦子は高卒後、自衛隊の看護学校に入学。ここで働いていて、池尻に下宿していた俺と出会ったのだ。まさか20数年ぶりに来るとは。邦子の後輩と言う看護師が邦子を覚えていて声を掛けてくれた。痙攣予防の筋肉注射と点滴を受けてタクシーで11時に帰宅。
帰宅したら娘の部屋に人影が二つ。娘が過呼吸を起こしてしまい、不安になって友達に来てもらったそうだ。娘が痙攣を見たのは初めてだからショックを受けたのだろう。
それにしてもこの頻度で痙攣が起きるとしたら考えてしまう。小説の構想を考えなければならず、ずっとTVを見せて構想を練っていたからであろうか。邦子が可哀想でならぬ。
2月1日
昨夜の騒ぎで編集者との打ち合わせを一週間延期してもらう。2作目に入った矢先の延期。早速期待を裏切った。やっぱりこの人は駄目なのではないかと思われたに違いない。気が滅入る。
食後に一緒にTVを見ていても痙攣が起きるのではないかとはらはらする。
2月2日
邦子在宅。小説どころではない。ベッドでくしゃみをする。風邪を引かねばよいが。
2月3日
外来リハの後、診察。帰宅遅くなる。そこへ調布の通所施設からデイサービスの聞き取り調査が来る。家政婦を頼んでおいてよかった。
寝ないとぐずる邦子をなんとか寝かせつけたと思ったら、トイレに行きたいと言う。起こしてトイレ誘導。やっと寝かせてから小説の構想をまとめる。夜中の0時半までかかる。
2月6日(日)
邦子、夕方熱っぽいので測ったら36.9℃。すぐおかゆを作る。風邪薬を飲ませる。11時、オムツ交換の時測ったら37.1℃。月曜に痙攣騒ぎがあって日曜には風邪騒ぎ。心も体も休まる暇がない。やめようと思うもアーモンドチョコをひと箱食い、ビールとサンドイッチを買って来て流し込む。
2月7日
朝、平熱に戻り、夕食後37℃。夜11時、36.5℃。明日、デイサービスに行ってくれないと俺は編集者に会うことが出来ない。
2月8日
何とかデイサービスに出す。用心のために入浴は中止したが、本人は入りたいと言ったそうだ。可哀想だが仕方ない。1時新宿で編集者に会い、ストーリーの線(シリーズ2作目)で行こうと決まる。
2月10日
邦子、TVのリモコンを耳に当てている。タクシー会社に電話していると言う。
TVで脳卒中の話をしていたら、「私も脳卒中になるかしら」と言う。
2月12日(土)
今日からデイサービスは調布。遠いので心配だったから帰宅してから一時間寝かせる。何とか大丈夫そう。これでデイサービスは週三回になった。介護保険使い切る。
2月13日(日)
日曜と水曜は小説のことは考えず、介護に徹すると決める。
ところが邦子は俺が「つきまとうのはうっとおしい」と言う。
今日は娘に化粧をせがんでいた。こんなところに娘の力が必要になることを実感するが、いつまでも家に居る訳ではない。
2月16日
介護に徹する日と決めていても、邦子が午前2時間、午後2時間、寝ている間は小説をやらなければと思ってしまう。だが俺も横になったまま起き上がることが出来ず。午後は邦子が寝ている間に買い出し。夜は8時に寝せたら11時のオムツ交換まで時間があるのだが、明日の家政婦さんのメニューを考える。年寄りなのでハイカラなものは作れないから、これが結構大変。
2月18日
11時の最後のオムツ交換。シーツまで濡れていると、一旦邦子を車椅子に移乗させてシーツ交換をするので手間がかかる。邦子に「左足が痛いのに」と頬をぶたれる。思わずかっとなるもぐっとこらえる。左足が慢性的に痛いことは分かっていること。悪いのは手早くやろうとした俺の方だ。
2月19日
調布のデイサービスでは習字をしている。邦子は書道が好きで何年も通っていたのでやらせて欲しいと頼んだ。習字は本格的なもので、俺も意味が分からないような難しい漢文を書いている。恐らく意味も分からず手本を見て書いているのだろう。その名前に「曽田芳千」と書いている。これは俺の母が木目込み人形の師範として使う名前である。自分は倒れる前は「曽田清華」と言う名前を持っていたのに忘れている。


左)世禄多富
曽田芳千と書いたつもり。芳千がヘンな字になっている。
右)紫花陽春
曽静香と書いている。田が抜けている。清華を思い出せなかったのだろう。しばらくはこの静香をよく書いていた。
習字の出来るデイサービスに行けて本当に良かったと思う。ミミズがもつれたような字しか書けなかったのに、こんな字が書けるようになったとは夢のようだ。
2月20日
介護に徹する日に決めたので、邦子と話しながら料理を作る。こういう会話が大切だと思う。
娘はNGOで知り合ったケニア人に誘われてケニア大使館主催のノーベル賞平和賞を受賞したマータイさんのパーティへ行った。最後にマータイさんと握手して、3月にケニアのワークキャンプに行くと挨拶したよし。色々な国の人と知り合いになったと大喜び。明日、こんな話を邦子にしてやったら喜ぶだろう。
2月21日
外来リハがあったが、家政婦さんが来てくれたので今日は楽だろうと思っていたら、昼夜2回便失禁する。便失禁の処理は手間取るので邦子が文句を言う(罵詈雑言に近い悪口=実にひどい聞くにたえない言葉を使う)ので、おもわず俺も声を荒げてしまい反省する。自分が哀しくなる。すまないと心の中で謝る。
2月22日
デイサービスの日。今日こそ楽できるかと思ったら、夕食後と11時前に2回便の始末。11時前にはシーツ交換も。防水シーツは明朝までには乾くまい。便を柔らかくする薬が効き過ぎている。ズボンやタオルに付いた便は洗い流してからでないと洗濯機に放り込めない。参った。
2月23日
今日は酸化マグネシウムは三食抜くがそれでも軟便を漏らす。明日からは昔の酸化マグネシウムに戻す。
2月27日(日)
一年が経つのが早い。思い出すのも辛い。数日前からこの日をどんな思いで迎えるのだろうと思っていたが、目先のこと、歯磨きのこと、うまく寝せることなどをこなすので精一杯。一年前を振り返る暇もなかった。
3月1日
杉村升の告別式。急死だった。齢も同じライター仲間。彼に誘われてゲーム制作に関わり、面白い経験をさせてもらった。優秀な破天荒な脚本家だった。邦子がデイサービスから戻って来るので久しぶりに会ったライター仲間たちと話をすることもなく慌ただしく帰る。
娘のフィリッピン大学留学が決まる。11月頃出発。それまでに邦子との二人の生活に慣れないと。まずはケニア行きで一ヶ月留守。
訪問リハビリが始まる。病院で2回とあわせて週3回になる。永世病院でのリハビリとは比べものにならない微々たるものだが、これだけでも嬉しい。お昼の配食も始まる。昼食の準備をしなくていいのは助かる。邦子は半分しか食べないので、残りが俺のお昼。
夜の9時から12時までが俺の時間。途中11時にオムツ交換。「ビールの匂いがする」と言われた。明日からはオムツ交換が終わってから飲むことにする。
1月13日
車で行くのもタクシーで行くのも大変だったので、今日から自立応援団の車で病院へ行く。車椅子専用車なので移送が楽。会計を待つ間、邦子が騒ぐので帰宅。午後、邦子が昼寝している間に車で払いに行く。
1月15日(土)
邦子在宅日。一日中向かい合っているのは辛い。自ら3回トイレに行くと言う。トイレでオムツ交換していると、「本当の夫婦になったみたい」と言ってくれる。
ケアマネがデイサービスをもう一日入れたら介護保険を使い切ると教えてくれる。
1月16日(日)
俺がぐったりしていたら、娘が夕食を作ってくれる。家政婦さんを雇わないと限界だ。
娘がネットで俺の本を調べたら「大変面白い、満足だ」と言う書評があったと教えてくれる。嬉しい。
1月17日
自立の車で外来リハ。付き添う。交通費1800円。2時間の待ち時間代1200円。調布市の福祉タクシー券を使えるのでタクシーより安く済む。リハを待っている間に小説の構想を練る。集中できるのはこの時間しかないので意外と進むような気がしている。
1月18日
邦子、デイサービス。邦子の眼鏡を直しに行く。その後、ロイヤルホストで昼食、仕事。3時前に戻って、家政婦紹介所を二三当たる。
邦子がトイレを言うのはいいのだが寝ていると大変。起こして左足に装具をつけ、右には靴を履かせ、車椅子に移乗してトイレ誘導。トイレもオムツだから立たせてのオムツの取り外しは一苦労。トイレでオムツはつけられないので、ベッドに戻ってからオムツをする。
1月19日
邦子在宅。朝ヘルパーさんが来ている間は俺は寝ている。ヘルパーさんが帰る前に起き、しばらく邦子の相手をして邦子を寝せたら俺も寝る。昼食後も邦子を昼寝させ、俺も寝る。それだけ寝てやっと夕方から動く元気が出る。
娘の腰痛は整形でレントゲンで診たら、股関節が少しずれていることが原因とわかる。俺はサッカーのやり過ぎで痛めたのだろうと軽く考えていたが、どうやらそんな簡単なものではなさそうだ。その時、俺は不意に娘が2歳か3歳の頃、邦子が俺に言った言葉を思い出す。娘の股関節のレントゲンを見た日医大の優秀な医師が「大きくなったらこの子は股関節の手術をしなければならない」と言ったと言うのだ。俺は今日の今日まで完全に忘れていた。嫌な予感がして言い知れぬ不安に襲われる。
1月20日
午前中、外来リハ。付き添いだけになったので精神的に楽になる。
便秘が5日続く。浣腸をしようとしたら嫌だと言う。夕食後、トイレに行くと言う。やっとお通じがある。
1月21日
夕方デイサービスから帰って来たら、ダイニングで夕食後まで2時間一緒にいるのが辛く、総菜で済ませようと思ったが、邦子に背中を向けてひじきを煮る。鶏のモモを入れる。二人だけの夕食も辛いものがある。邦子は一人だけ夢想の世界に居る。今いるところが青森だったり、看護学校時代の友人の家だったり。一生このままなのだろうか。
1月22日(土)
今日も夕食は二人。総菜を買うも切り干し大根の味噌風味を邦子に聞きながら作る。これも治療のつもり。
1月23日(日)
邦子の妄想は何とかならないものか。夕食を食べたことを忘れ、寝せようと思ってもラーメンを作ったから食べると言い張り、怒ってぶって来る。辛い。哀れでならぬ。ストレスで甘いものを無性に食べたくなる。コーヒーを飲みながらアーモンドチョコをひと箱たべてしまう。
1月26日
友人が編集者に会ったら、編集者は果たして俺が書き続けられるかどうか危惧しているそうだ。俺の情熱次第と言ったそうだ。俺は一生邦子のオムツの世話だけで終わるつもりはない。
1月27日
今日から週2回月木に4時から6時まで家政婦に来てもらう。お婆さんで2時間近くかかって鯵の南蛮だけしか作れなかった。いまどき家政婦はおばあさんしかなり手がいないらしい。
そういえば今日は邦子が笑った。娘と三人で夕食の時、娘が兄がにわかに英語の勉強を始めた(就職後のことを考えてのことらしい)と言う。大きな声でRの発音を繰り返していると口真似したら、邦子は口を歪ませて笑う。(顔の半分は若干麻痺している)。我が家に邦子の笑い声が響き渡るのはいつ以来だろう。こんなに笑ったのは病後初めて。頼むからよくなっておくれ。
1月28日
編集者から電話。新人としては悪くなく、まだ伸びそうなので次作の打ち合わせをしましょうとのこと。だめかと思っていたので飛び上がるほど嬉しかった。
1月30日(日)
昨日今日と娘が夕食を作ってくれる。
1月31日
夕食前の6時半に痙攣を起こす。救急車を呼ぶも杏林は手術中。烏山の病院は担当者不在。世田谷池尻の自衛隊中央病院に運ばれる。邦子は高卒後、自衛隊の看護学校に入学。ここで働いていて、池尻に下宿していた俺と出会ったのだ。まさか20数年ぶりに来るとは。邦子の後輩と言う看護師が邦子を覚えていて声を掛けてくれた。痙攣予防の筋肉注射と点滴を受けてタクシーで11時に帰宅。
帰宅したら娘の部屋に人影が二つ。娘が過呼吸を起こしてしまい、不安になって友達に来てもらったそうだ。娘が痙攣を見たのは初めてだからショックを受けたのだろう。
それにしてもこの頻度で痙攣が起きるとしたら考えてしまう。小説の構想を考えなければならず、ずっとTVを見せて構想を練っていたからであろうか。邦子が可哀想でならぬ。
2月1日
昨夜の騒ぎで編集者との打ち合わせを一週間延期してもらう。2作目に入った矢先の延期。早速期待を裏切った。やっぱりこの人は駄目なのではないかと思われたに違いない。気が滅入る。
食後に一緒にTVを見ていても痙攣が起きるのではないかとはらはらする。
2月2日
邦子在宅。小説どころではない。ベッドでくしゃみをする。風邪を引かねばよいが。
2月3日
外来リハの後、診察。帰宅遅くなる。そこへ調布の通所施設からデイサービスの聞き取り調査が来る。家政婦を頼んでおいてよかった。
寝ないとぐずる邦子をなんとか寝かせつけたと思ったら、トイレに行きたいと言う。起こしてトイレ誘導。やっと寝かせてから小説の構想をまとめる。夜中の0時半までかかる。
2月6日(日)
邦子、夕方熱っぽいので測ったら36.9℃。すぐおかゆを作る。風邪薬を飲ませる。11時、オムツ交換の時測ったら37.1℃。月曜に痙攣騒ぎがあって日曜には風邪騒ぎ。心も体も休まる暇がない。やめようと思うもアーモンドチョコをひと箱食い、ビールとサンドイッチを買って来て流し込む。
2月7日
朝、平熱に戻り、夕食後37℃。夜11時、36.5℃。明日、デイサービスに行ってくれないと俺は編集者に会うことが出来ない。
2月8日
何とかデイサービスに出す。用心のために入浴は中止したが、本人は入りたいと言ったそうだ。可哀想だが仕方ない。1時新宿で編集者に会い、ストーリーの線(シリーズ2作目)で行こうと決まる。
2月10日
邦子、TVのリモコンを耳に当てている。タクシー会社に電話していると言う。
TVで脳卒中の話をしていたら、「私も脳卒中になるかしら」と言う。
2月12日(土)
今日からデイサービスは調布。遠いので心配だったから帰宅してから一時間寝かせる。何とか大丈夫そう。これでデイサービスは週三回になった。介護保険使い切る。
2月13日(日)
日曜と水曜は小説のことは考えず、介護に徹すると決める。
ところが邦子は俺が「つきまとうのはうっとおしい」と言う。
今日は娘に化粧をせがんでいた。こんなところに娘の力が必要になることを実感するが、いつまでも家に居る訳ではない。
2月16日
介護に徹する日と決めていても、邦子が午前2時間、午後2時間、寝ている間は小説をやらなければと思ってしまう。だが俺も横になったまま起き上がることが出来ず。午後は邦子が寝ている間に買い出し。夜は8時に寝せたら11時のオムツ交換まで時間があるのだが、明日の家政婦さんのメニューを考える。年寄りなのでハイカラなものは作れないから、これが結構大変。
2月18日
11時の最後のオムツ交換。シーツまで濡れていると、一旦邦子を車椅子に移乗させてシーツ交換をするので手間がかかる。邦子に「左足が痛いのに」と頬をぶたれる。思わずかっとなるもぐっとこらえる。左足が慢性的に痛いことは分かっていること。悪いのは手早くやろうとした俺の方だ。
2月19日
調布のデイサービスでは習字をしている。邦子は書道が好きで何年も通っていたのでやらせて欲しいと頼んだ。習字は本格的なもので、俺も意味が分からないような難しい漢文を書いている。恐らく意味も分からず手本を見て書いているのだろう。その名前に「曽田芳千」と書いている。これは俺の母が木目込み人形の師範として使う名前である。自分は倒れる前は「曽田清華」と言う名前を持っていたのに忘れている。


左)世禄多富
曽田芳千と書いたつもり。芳千がヘンな字になっている。
右)紫花陽春
曽静香と書いている。田が抜けている。清華を思い出せなかったのだろう。しばらくはこの静香をよく書いていた。
習字の出来るデイサービスに行けて本当に良かったと思う。ミミズがもつれたような字しか書けなかったのに、こんな字が書けるようになったとは夢のようだ。
2月20日
介護に徹する日に決めたので、邦子と話しながら料理を作る。こういう会話が大切だと思う。
娘はNGOで知り合ったケニア人に誘われてケニア大使館主催のノーベル賞平和賞を受賞したマータイさんのパーティへ行った。最後にマータイさんと握手して、3月にケニアのワークキャンプに行くと挨拶したよし。色々な国の人と知り合いになったと大喜び。明日、こんな話を邦子にしてやったら喜ぶだろう。
2月21日
外来リハがあったが、家政婦さんが来てくれたので今日は楽だろうと思っていたら、昼夜2回便失禁する。便失禁の処理は手間取るので邦子が文句を言う(罵詈雑言に近い悪口=実にひどい聞くにたえない言葉を使う)ので、おもわず俺も声を荒げてしまい反省する。自分が哀しくなる。すまないと心の中で謝る。
2月22日
デイサービスの日。今日こそ楽できるかと思ったら、夕食後と11時前に2回便の始末。11時前にはシーツ交換も。防水シーツは明朝までには乾くまい。便を柔らかくする薬が効き過ぎている。ズボンやタオルに付いた便は洗い流してからでないと洗濯機に放り込めない。参った。
2月23日
今日は酸化マグネシウムは三食抜くがそれでも軟便を漏らす。明日からは昔の酸化マグネシウムに戻す。
2月27日(日)
一年が経つのが早い。思い出すのも辛い。数日前からこの日をどんな思いで迎えるのだろうと思っていたが、目先のこと、歯磨きのこと、うまく寝せることなどをこなすので精一杯。一年前を振り返る暇もなかった。
3月1日
杉村升の告別式。急死だった。齢も同じライター仲間。彼に誘われてゲーム制作に関わり、面白い経験をさせてもらった。優秀な破天荒な脚本家だった。邦子がデイサービスから戻って来るので久しぶりに会ったライター仲間たちと話をすることもなく慌ただしく帰る。
娘のフィリッピン大学留学が決まる。11月頃出発。それまでに邦子との二人の生活に慣れないと。まずはケニア行きで一ヶ月留守。













