曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 出雲暮らし

3月15日(日)
14時に前日入院。この日は忙しく、朝、マルコを散歩させ、8時半には娘宅へマルコを預ける。(マルコは夕方娘がペットショップに預けに行く)9時過ぎに荒神谷博物館へ。毎月の「風土記談義」の場をかりて「戦国を旅した男 石見岩山城主多湖辰敬」の宣伝をさせてもらう。その後、コンビニでパン買って食べてから、平田の総合医療センターに入院。


3月16日(月)
朝から絶食。本当なら朝一から手術だったが、順番が変わって2番目になり12時過ぎから手術。11時に付き添いの娘が来て、全身麻酔の説明を受けてからサインして手術。手術室に入って「手術を始めます」と、言われて、マスクを当てられたら、次に声をかけられて目を覚ました時には終わっていた。2時間半を完全にタイムワープしていた。こんな感覚は初めてで不思議な感じがした。
すぐに病室に戻り、付き添いの娘とバイバイしたら後は寝ているだけ。医療の進歩に感心していたらそこからが地獄だった。左手には点滴。両足には弾性ストッキングをはかされ、ブーンブーンと締め付けられ、導尿のカテーテルは手術中につけられたままで、右の人差し指にも洗濯ばさみみたいな計測器具をつけられ、自由に身動きできなくなっていたのだ。
ただ寝ているしかない。横にもなれず、もちろん寝返りも打てない。腹腔鏡手術で開腹はしてないが、腹膜を切って剥がしたりしているので、耐えられないほどではないが多少の痛みはある。動こうとすると痛みと言うほどではないが鈍痛がある。気を紛らわせようとチャンネルを取ってTVを点けるのも一苦労。軽い吐き気もする。カテーテルも初めての経験で違和感がたまらん。トイレに行ければいいのだが、トイレに行かなくてもいいようにカテーテルをしているわけで、1時間仰向けになっていただけで背中が痛くなる。吐き気止めを出してもらう。18時にロールパンとバナナとミルクの夕食が出るが半分しか食べられない。後は翌朝8時の朝食まで寝たきり。ベッドで上半身を上げたり下げたりしているだけ。一睡もできず。

3月17日(火)
朝食前に頼んで、点滴、カテーテル等全部を外してもらう。体はパンパンに張って、両肩も固く強張りひどく痛むので湿布を出してもらって張る。痛み止めも出してもらったら、昼前には吐き気はなくなり、痛みも和らぎ、歩くのも楽になる。午後にはこの調子ならと、明日の退院を決めるが、帰宅してすぐ昼ごはんの用意が嫌なので、病院で昼ご飯を食べて14時退院を決める。

3月18日(水)
朝、臍に詰めてあった綿を取る。目が悪いこともあって、はじめはどこに傷があるか分からなかったが、よく見ると臍から下に向かって小さな傷あり。臍の中にも傷らしきものあり。ここからカメラが入ったのだろう。その両脇に臍から7㎝ぐらい離れたところに傷口あり。ここから左右の鉗子を入れてカメラで見ながら手術をしたのだろう。
次回術後初回外来は4月2日。それまで入浴は不可。シャワー。
午後から雨。14時前に退院。
マルコを迎えに行く。マルコ、大喜び。雨が降っていたので出雲ドームまで行って、早速マルコの散歩。その後、イオンへ行って、夕食の買い物。すべて総菜。冷凍の御飯をチンして、即席沖縄もずくスープで夕食をすます。

 いま私の臍はひたすら痒い。

ところで明日は2時から「春のお彼岸説教」がある。
6時半からは出雲市民会館で出雲演劇鑑賞会で「等伯ー反骨の画聖ー」がある。私が好きな安土桃山時代の画家長谷川等伯の芝居だ。どうしよう、行けるか行けないか。どちらか一つでも出るのか。悩む。

娘一家に二人目の子供が生まれ、幼い子を二人抱えてとても飼えないと言うので、豆芝のマルコを預かってから2年半。はじめは可愛い可愛いと可愛がっていればよくて、マルコもすぐになついてくれ、出雲のド田舎暮らしも気に入っていたのだが、最近、とみに私への愛が深まって来たのか、私がそばにいないと夜も日も明けない状態で、この冬からは毎晩私のベッドに上がって来て寝る。私も眠れないので布団の下から足で押し出そうとするのだが、隅っこにへばりついて、それからはここが指定席で絶対に動かない。
PXL_20260310_221847735PXL_20260310_232701384
左)布団が毛だらけになるのでシーツをピンでとめ、月2回洗濯している。
右)縁側から私を見つめるマルコ。
私がちょっとでも外へ出ると縁側に座って私の姿を追い求める。ごみ捨てに行く間も。表で立ち話をしていても。畑仕事をしていると姿が見えなくなる時があり、ヒンヒンと声を上げて啼く。
PXL_20260311_042214525
今では買い物に行く時も必ずついて来る。買い物が長いとおもらしをしたことがあったので、今では防水シーツを敷いている。
とにかく私がいないと不安なのか、家に閉じ込めておくと、襖を開けて出て行こうとするようになった。脱走されたり、畳の部屋でおしっこされたらたまらんので、襖につっかえ棒をしたのだが、すると襖に体当たりしたり、びりびりと爪でひっかき始めた。これはやばいぞと思っていたら、とうとうやってくれた。
PXL_20260310_221400604PXL_20260310_221415130
襖に穴を空けてしまったのだ。
玄関側から見ると、
PXL_20260310_231630625PXL_20260310_231642397.MP
すっぽり穴が開いて、向こうの部屋が見える。しかもマルコはこの穴を潜り抜け、玄関の上がり座敷におしっこをして元の部屋に戻っていたのだ。
PXL_20260311_032625282
結局、長時間出かける時はブロックに縛り付けることにした。
それ以前にも、台所のテーブルの脚に縛り付けたりしていたのだが、その時はテーブルを引きずり、椅子に飛び上がり、椅子からテーブルに飛び移り、私のノートパソコンの上に立っていたのだ。どんだけキモを冷やしたか。思案の末、ブロックに縛り付けるしかないとの結論に達したのである。
不憫だが仕方ない。
世話を焼かせる犬だけど、マルコは私がいないと寂しいのだ。可愛がり過ぎて、そういう犬にしてしまったのだな。私も一人、お前も一匹。こんな犬だけど、私は可愛くて可愛くてたまらないのです。

【追記】
3月13日。」
半年に一回のMRIの検査結果を聞いて戻って来た。結果は変わりなしで、先生からは16日の手術が決まってよかったねと言われて帰って来た。留守にした時間は買い物を入れて3時間。これだけしっかり対策したから、さすがにもう大丈夫だろうと玄関に入ったら。
PXL_20260313_021355878
襖が半分消えている。こんなこと初めて。
一歩入ったら、
PXL_20260313_021432964
襖は倒れ、部屋の中はしっちゃかめっちゃか。リードが右の椅子(写っていない)の脚に絡みついて、マルコは神妙な顔。悪いことをしたのは分かっているのだ。リードをあまり短くしたら動ける範囲が狭すぎて可哀そうだと思ったので、長めにしておいたのが裏目に出てしまった。もともとこの部屋はこのようになっていたのである。
PXL_20260313_063322828
リードを縛っていたブロックはこの部屋と隣のダイニングとの間に置いていた。孫が遊ぶ段ボールハウスがあれば近寄らないだろうと思っていたら、どうやって反対側まで動かし、どうやって襖を倒すほど暴れたのか。昼ごはん前に大掃除をさせられた。
これからはリードの長さを短めにし、リードを縛り付けるブロックの位置も考えなければ・・・。
15日の入院前にかんべんしてほしい。

何のことかと言うと手術前におへそをキレイにしてくださいと病院に言われたのだ。
何の手術かと言うと、左鼠径ヘルニアの手術。
今日3月4日、家族(娘)と一緒に手術の説明を受け、15日入院、16日腹腔鏡下ヘルニア修復術を受ける。ヘソからカメラを入れるので、黴菌が入らないようにヘソをキレイにしておいて下さいと言う訳。

ヘルニアだろうと言うことは2年前ぐらいから意識していたのだが、その頃は膨らんでもそれほどひどくはなく、それほど固くもなく、痛みもそれほどではなかったし、医者からも「これくらいの人はいくらもいる。もっとひどい人もいる」と言われたので、ほうっておいたのだが、去年からどんどん膨らんで固くなる。ゴルフボールが入ったように固くなるのだ。それが卵大になった。
去年の11月末には、イオンで買い物中に急に寒気がして、気分が悪くなって倒れそうになる。ヘルニアは朝から膨らんで固かったが、いつものことなのでほっておいたのだが、腹は痛くなるし、よろよろしながらトイレに行く。排便すれば少し気分がよくなるのだが、その日は30分座っていても便は出なくて、ただひたすらトイレで耐えていたら、少し気分がよくなったので、まだふらふらしていたが車で帰宅。

次は12月末の母のグループホームの家族会議。途中で寒気がして気分が悪くなる。ヘルニアは朝からパンパンに膨らんで固くなっていた。どうにもすわってられなくて横になる。幸い元看護婦さんの職員がいて、「私は押し込むのは得意だからまかせて」と、ヘルニアを押し込んでくれた。娘が車で迎えに来てくれた。この日のヘルニアが一番ひどかった。後で知ったが無理やり押し込むのは危険で、絶対にやってはいけないのだそうだ。

そして、2月中旬、自宅でまたヘルニアが固くなって、トイレに駆け込むも便は出なくて、寒気はするし、吐き気はするし、長椅子にぶっ倒れていたら2時間くらいして何とか起きられるようになり、2度排便もあって何とか起きられるようになった。
もう、こうなったら病院に行くしかない。CTを撮ってもらい、手術をしましょうとなった次第。

ヘルニアとは何ぞや。
脱腸と言うぐらいだから、私は腸が飛び出して固くなったと思っていたのだがとんでもない大間違い。ほとんどの人も勘違いしていて、最悪の人では腸が飛び出す人もあるが、飛び出して膨らんでいるのは腸を覆っている膜だという。
老化するとお腹の筋肉が弱くなり穴が開く。その穴から腸を覆っている膜が飛び出すのである。
手術はその膜をもとの位置に押し戻して、穴を特殊なメッシュで覆って、膜が飛び出さないようにおさえるというもの。腸には指一本触れない。目からうろことはこのことだ。
私は飛び出した腸を切って縫い合わせると思い込んでいたのだ。道理で入院日数が少ないはずだ。

と言う訳で、手術は開腹と腹腔鏡の二通り。
先生に聞いたら、半々だと言うが、腹腔鏡だとカメラを入れるのでとてもよく見えると言う。
ヘソの両側に小さい穴をあけ、そこからマジックハンドを入れて、カメラのモニターを見ながら手術を進める。その他にも、筋肉にできる穴は一つとは限らず、男性の場合は近くに後二つぐらいは穴が開きそうな部分があるので、大きいメッシュですっぽり覆うことができて予防にもなるという。最終的には広げた穴を縫い合わせて閉じて終わるのだが、腹腔鏡の場合は最初の穴を丁寧に広げて剝ぐことができるので、大きいメッシュで残り二つのやばそうな場所も覆うことが出来るのだそうだ。
時間はかかるがもちろん腹腔鏡にした。
後は出血や感染、他臓器損傷などの合併症の話だが、いずれも恐れるほどのことはない。他臓器損傷も大勢がモニターを見ているので、「そこは危ない」とか声を掛けてやるので大丈夫とのこと。その他には脳出血、脳梗塞、下肢静脈血栓症、脳出血、脳梗塞、心筋梗塞、肺梗塞、肺炎などがあるが、これは多くは煙草を吸う人に起きること。煙草を吸う人は痰が残りやすく、それが引き起こす症状なので私の場合は煙草をやめて40年以上経っているのでまずは心配ない。

ここまでの説明に先生は絵を描きながら懇切丁寧に時間をかけてくれる。この他にも看護婦さんの説明もあったが、こちらは前回私が受けていたので省略。それでも一時間以上かかる。
娘が「私がこれまで受けた手術の説明時間の最長記録だよ」と笑う。そういえば、娘が股関節の手術を受ける前の説明を一緒に聞いたが、ただ先生の話を聞くだけで、半分はこの手術を編み出した先生の自慢話だった。術後も半年入院するほどの大手術だったのに。松江の日赤に二人目の出産で2か月前から緊急入院した時もこんなに長い説明は受けなかったと言う。

そして、入院日数も長いのだ。
普通は翌日退院。早いところは術後、即日退院のところもあるのに、ここは16日手術で18日退院。
娘曰く。「東京だったら、絶対翌日退院。その日に退院もあるかも」
私「そうだな。田舎の病院は患者も少ないし、病室も空いてるんだよ。多分」
一人暮らしの私は少しでも長い方がいい。家事から解放されるの何年振りになるだろうか。
嬉しいのは犬の散歩ぐらいはその日から大丈夫で、19日の出雲演劇鑑賞会の「等伯」も観に行くのは一向にかまわないとのこと。

15日までは、恥ずかしくないように、しっかりお腹を洗い、おヘソもきれいにしなければ。ヘソのごまをとるほどほじくり返さなくてもよくて、指に石鹸をつけてそっと撫でるぐらいにすればいいのだそうだ。

PCを土曜日に修理に出さざるを得なくなり、当分ブログは書けないと思っていたが、古いPCでブログが書けることが分かったので、まずは大恥の記事。言いたいことはいっぱいあるけど未練がましいから何も言いません。ついてない時はついてないもので、アホみたいなおまけの話を一つ。
日曜は大雪になりそうなので期日前投票に行くが、うちの選挙区は面白くもかゆくもない。じゃあ、せめて比例だけでも投票するかとイオンへ行った。そして、いざ、投票用紙に書き込もうと確認のために名称を確認したら、私が投票しようと思った名称がどこを探してもない。「なんでやねん」である。よく考えたら、そこは中国ブロックに候補者を立てていないことに気が付く。いまごろ気が付いても遅い。いまさらほかの党の名前を書く気がしないので、無効になることはわかっていたがその名前を書いて出て来る。とんだ大失敗だった。
そして、選挙の日曜日の朝。庭を見たら真っ白。
大雪予報は珍しく大当たりだった。やはりJPCZの威力はすごい。
PXL_20260208_064019247PXL_20260208_064225169.MP
帰郷してから15年で、こんなに降ったのは2度目だと思う。
PXL_20260208_064316562.MPPXL_20260208_065003025.MP
玄関前の通路も分からないくらい積もった。マルコもすっぽり埋まる。
PXL_20260208_065941462.MPPXL_20260208_070718815
左)いつもより遅い散歩だったので先客の散歩あり。
右)我が家の横を一直線に抜ける道。まだ車も走っていなかった。
PXL_20260208_070948466PXL_20260208_071009472.MP
左)池の東側。散歩の後、降り出して午後も降ったので夕方にはネギもすっぽり埋まる。
右)池の西側。こちらは白菜とキャベツをうえたところだけ盛り上がっていて、ニンニクとイチゴは埋まって見えなくなった。
PXL_20260208_073309763
家の前。夕方。明日になって雪が凍ると嫌なので、急遽、車が通るところだけ雪かきをする。
2月9日
朝の玄関前
PXL_20260208_231056054
昨日の夕方とほとんど変わらない。
PXL_20260208_233652683PXL_20260208_235113138
左)昨日の土手のずっと東であまり人が通らないところ。
右)朝の散歩の帰り。我が家の横の道。わずかに車が通った跡あり。お昼に買い物に出たが、この道を通る勇気がなくて反対側に出た。どこもアイスバーンだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
多胡辰敬お知らせ
ブログ『銀山通信』が多胡辰敬の出版記事を掲載してくださいました。
名前の通り、大森銀山の観光ガイドの公式ブログです。近所に出版社をしている人がいて、宣伝してくれるように頼んでくれたら、こころよく掲載してくださったのです。
島根県には多胡辰敬を知っている人は一定数いて、こうして協力してくださる。有難いことです。
私は大学生の時、大森に行き、五百羅漢を見て、熊谷家住宅を見て、銀山の守城だった山吹城のあった山に登ったことがあります。それからはいつでも行けると思うと、行かないままに今に至っております。季節がよくなったら行こうと思っています。
大森もとてもいい町です。皆さまも『銀山通信』を読んで、いつか大森銀山を訪ねて下さい。

寒波は来るけど出雲は鳥取ほど積もることはなく助かっている。
それでも朝は寒い。散歩の時間を7時半まで遅くしたがホッカイロは必需品。
ここ数日は鶴に餌をやるために田圃コース。
PXL_20260129_230751949
夜にちょっと雪が降ったらしく田圃は真っ白。
鶴を捜してマルコと歩いていたら、突然、前方をものすごいスピードで駆け抜けて行くものがいる。犬かと思ったがすぐに狐と分かる。先日も誰かが田圃を走る狐を見たと言っていた。私も狐を見るのは3年ぶりぐらいだろうか。
するとその狐の上空を追いかけるものがいる。カラスだ。一羽のカラスが一匹の狐を追いかけていたのだ。急降下して威嚇するカラス。何があったのか分からないが、怒ったカラスが追いかけているようだ。突然のことでスマホを取り出して撮影できなかったのが残念。
狐は写真の右上部の民家のこんもり茂った立木の中に逃げ込んだ。
静かな田圃に戻る。
今朝は鶴は来てないのかと思っていたら、狐が逃げて来た方向からひょこひょこと鶴が現れる。どうやら狐とカラスの追いかけっこに驚いて隠れていたようだ。
私の姿を見つけてやって来たので、この4日間、餌をやっているこの場所で餌をやる。
PXL_20260129_230854236PXL_20260129_230653016
左)早速、おこぼれにあずかろうとカラスが2羽来る。2羽ぐらいだと鶴も平気だが、4羽、5羽と来られると鶴も嫌がる。怒って威嚇するが、集団にはきかない。
右)いつものように食パンと発芽玄米をやる。食パンはカラスに奪われるが、その分を考慮してやっている。カラスは発芽玄米は食べないので最悪全部取られてもいいのだ。
この鶴、私は2年以上餌をやり続けているが、2ヶ月前から、突然いつも餌をやっている川のそばの餌場に来なくなった。それが数日前から姿を現したのだ。
私は餌をやりながら話しかける。
「どうしたの、おばあさんが寂しがってるぞ。いつもの餌場に戻っておいでよ。おばあさん、もう会えないんじゃないかと泣いているぞ」
何度かブログでも紹介したが、このお婆さんは十何年この鶴に餌をやり続けているのだ。それが突然姿を見せなくなり、こんなことは初めてだと嘆いているのだ。毎日、夕方、いつもの餌場に弱った足腰を励ましてやって来るのだが、鶴が来ないので、がっくりと肩を落として帰って行く。遠くからその姿をみると気の毒でならないのだ。もうすぐ90歳になるはずだ。
PXL_20251217_074736312.MP
去年の秋の写真。お婆さんが餌をやりに来ると、鶴は橋の途中まで迎えに来て、それからお婆さんを案内するように橋を渡り、そこでお婆さんから餌を貰うのだ。またこの光景がもどってくることを願っている。

↑このページのトップヘ