曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

カテゴリ: 電子書籍

どこからどう説明して、どう書けばわかってもらえるか、それがわからないくらいぐちゃぐちゃになっている。まず自分ができないことを3つ。紙書籍化するにあたって、第一段階は「書名」や「作者名」などをローマ字と日本語表記し、読者が本を選ぶときに分かりやすいように、本のテーマを短い言葉で7項目書き出したりする。ここがOKになったら、第2段階に進めて、ここでも要求される作業を一つずつ書き込んで行けばいいのだが、ここで最初にぶち当たったのが「本の内容紹介」。これ自体は難しいことではないのだが、なぜかこの文章はHTML化しないといけないのだ。「なんじゃ、それ?」である。要は文章に記号を入れて提出すると、簡単にいえば改行などが文章通りになることらしいのだが、私にできる訳がないので、手伝ってもらっている後輩にやってもらう。
たとえば、以下のように。

<p>五歳の夏、辰敬は出雲国富田の城下町で将棋と出会った。</p>

<p>それが五歳の武士の子の運命を変えることになろうとは、その時は誰も知る由もなかった。</p>

<p>たちまち将棋の虜になる辰敬。</p>
以下省略して

<p><strong>4巻の構成:</strong></p>

と、まあこんな具合で、すぐ覚えられるものだそうだが、私は見ただけで目が眩んだ。
なんとか後輩のおかげで、いよいよ第3段階に進んだところで大渋滞している。
ここではいよいよデーターをアップするのだが、原稿をPDFにしないといけない。私はPDFなんてやったことがないので、これも後輩にしてもらう。
そして、本の表紙や背表紙、裏表紙を一つにまとめたものをフォトグラフで作らないといけない。私にできる訳がない。もちろん後輩にやってもらうのだが、そこで、問題。
「曽田さん、ページ数と本の大きさを決めないといけません。そのためには今の原稿が400ページを超えないようにしてください。超えたら本が厚くなりすぎます」と言うのだ。
私はそれまでに第1巻は450頁あったものを2回直して425頁に縮めていたが、これをぎりぎり400頁にしなければいけない。これは400字詰め原稿用紙にして598枚を532枚にすることになる。
第2巻は460頁あったものを2回直して409頁にしたが、これももうひと踏ん張りして400頁以下にしないといけない。
そう言う訳で今は第1巻の3回目の直しをしているのだが、私は一日中原稿に向かっているわけには行かない。朝夕マルコの散歩に1時間半取られる。朝昼は手軽に済ませるものを食べているが、夕食だけはまともなものを食うようにしている。炊事もする。そのためには毎日買い物に行く。掃除も洗濯もある。このシーズンになると畑もやらないといけない。もうみんな秋冬野菜は終わっているが、私はさぼっていたのでこれから大急ぎでやらないといけない。朝の散歩から帰ってきたら、1時間強は農作業である。ああ、思い出した。耕運機のガソリンがだだもれしたので修理に出したり、近所から耕運機を借りたりの騒動があった。孫の幼稚園の運動会もあった。ここ何年もお酒なんか飲みに出たことがないのに、なんと飲めない私が一週間に二人も接待して出雲駅前で酒(もちろんノンアル)を飲んだ。
この他にも、お寺関係で出雲市仏教徒会の講演会があり、17、18は妙心寺の本山参りで京都へ行き、25日には先代和尚さんの13回忌があって出席しないといけない。22日には島根医大で目の検査。31日は出雲演劇鑑賞会がある。27日は隣保の集金会。部落水道の係をしていたので、半年の会計報告を出さないといけない。
このほかにもインフルエンザの予防注射を受けに行き、毎月の歯の検診もある。
というわけで、とてもじゃないが、ブログを書く暇がなかったのです。
というわけで、私の今の目標はとにかく何が何でも1巻を出版すること。この第3段階をクリアーすれば第4段階は税金や振り込みの事務処理みたいなものだから、いよいよ試し刷りができるのだ。
1巻さえ出版すれば、後は楽だから、歯を食いしばり、石にかじりついても、老骨に鞭打って、頑張る所存でおります。

Xの悲劇、Yの悲劇、Zの悲劇と言えば、エラリー・クイーンの有名な推理小説の題名である。このうちXの悲劇とZの悲劇が私の身に起きたのが、8日前の6月17日の朝のことであった。最近は朝5時に目が覚めると、バナナを一本食ってからマルコと散歩。6時前に戻って来てから、グラノーラとヨーグルトとミルクの朝食。6時半過ぎには畑に出て1、2時間働き、8時半ごろにはシャワーを浴びてから台所の机でパソコンを開く。早い時は7時半ごろからパソコンを開くこともある。実に爽快である。
その日も今日も頑張るぞと思ってパソコンを叩いていたら、突然、字が出て来なくなる。それがZのキイだったのである。
私はローマ字入力するので、たとえば「水」と打とうと思えば、「MIZU」と打つ。すると「みず」と打ち出されるので、それを変換して「水」にするわけである。ところが「Z」を打ってもスカになってしまうので「MIU」と打ったことになり、画面上には「みう」と表示されてしまうのだ。
「何だ、こりゃ、どうなってんだ」と、キーボードの全部のキーを叩いてみたら、Zと隣のXのキーだけがバカになっていることがわかる。
即ちこれが私の「Zの悲劇」と「Xの悲劇」だったのである。ローマ字入力でXを使うことはないが、Zは大いに使う。ざ(ZA)、じ(ZI)、ず(ZU)、ぜ(ZE)、ぞ(ZO)が打てなかったら、文章が作れない。
こうなったら私が駆け込むのがヤマダ電機のテクニカルサポートである。ここには私が前回パソコンを買った時、出張で設定してくれたSさんがいる。結局、NECに送って修理して送り返してもらうしかないのだが、往復で2週間(12日と言われたかもしれない)かかると言われて絶句する。そんなに長い間、パソコンがない生活なんてこれまでやったことがない。しかも今は辰敬の小説の紙書籍化に取り掛かっていて、ちょうど8章の大直しをやっているところだったのである。
私は考えた。修理に出したLAVIEはもともと調子が悪くて、この3月にメンテナンスパックをしたばかりだった。それが6月にはキーがバカになるトラブルを起こしてしまった。機械にはこういうめぐりあわせの悪いものがあるものだ。私はどうやら運の悪い機械に当たってしまったようだと思った。このパソコンも買って来年で5年になる。ちょっと早いが買い替えしてしまおうと思ったのだ。
少しでも安い方がいいので、一ランク小さい13.5インチのLAVIEを買った。
ところがこれがさらなる悲劇の続きになろうとは。
新しパソコンの出張の設定は6月20日に決まる。その間にヤマダ電機で古いパソコンから新しいパソコンに移せるものは移してもらって、20日には自宅でしかできない設定をやってもらうことにした。古いパソコンはそのまま修理に出す。将来的には修理した古いパソコンと新しいパソコンの2台が揃うことになる。
(2台パソコンを持ってどうするんだと自分でも思ったが、それは後で考えることにする)
やれやれ、これで8章の直しができて、これまで通りのパソコン生活ができると思ったのだが、なんとインターネットがつながったり、つながらなくなったりする。というか、ほとんどつながらない。
ブログもだめ。銀行もダメ。ネットで振り込みもできない。
泡を食って、6月21日、ヤマダのテクニカルサポートに持ち込む。Sさんに診てもらったら、パソコンには一切問題ない。問題があるとしたら自宅のNTTの機械やルーターだろうと言うことで、出張できるのは6月24日。
そして、昨日24日。Sさん、曰く。そんなに大変なことではないだろうと思っていたら、今までこんな現象にあったことがないと言う。いろいろ調べて恐らくNTTに問題があるようだが、ルーターに問題がないとも言い切れない。そこでNTTの機械を初期化してみようと思うも、2011年に私が出雲に帰郷した時に設置したもので、いくらさがしても古い記録が見つからない。アサヒネットのメールのIDとパスワードは保存してあったが、接続用のIDはあるのだが、パスワードがわからない。
NTTに連絡してパスワードの再設定しようと思っても、インターネットが不調だからなかなかつながらない。仕方ないから電話で申し込むも延々と待たされ、やっとのことで通じて再設定したのがもう夕方。
それまでに、このままインターネットが通じないままにしておく訳には行かないので、SさんがDNSを固定化するという荒業でインターネットを通じるようにしておいてくれた。修理に出したパソコンが戻って来たところで、NTTの機械を初期化するのか、あるいは何かの手立てをほどこすのか、機械を最新のものに交換するのか、どうなるか分からないが解決してくれることになっていると私は理解している。
そう言う訳でしばらくブログが出来ませんでしたが、ようやく出来た次第です。私もようやく世界と通じた気分になりました。不思議なものでTVを観ても世界と通じている感じはあまりしなくて、パソコンだと通じている感じがするんだよね。

どういう事かと言うと、私のEメールのアカウントが消えたかららしい。らしいと言うのは私がPCに疎いからで、消えたと言う言い方も正確ではないかもしれない。そこでまずPCで何が起きたかを説明する。
①アマゾンで本を買って、レジに進んだら普通はそこで買い物ができるのに、なぜかアカウントの切り替え画面が出て来て、先に進んでみると、このEメールアドレスを持つアカウンが見つかりませんと出るのだ。もちろん本を買うどころではない。これが、なぜブログ開設以来初めての大ピンチになるかと言うと話は続く。
②私はこの一連の流れをスマホで写真に撮っていた。私の後輩でPCに詳しいライターに見せて教えを請おうと思ったのである。
スマホで撮った写真は私のPCのグーグルフォトに自動的に送られるようになっている。
私はその写真を別なフォルダーに送る。そしてそれをメールに貼り付けて後輩に送ろうと思ったのであるが、グーグルフォトにスマホの写真が送られてきていないのだ。

私はブログに乗せる写真はグーグルフォトに送り、そこから別なフォルダーに移す。それをブログにある画像と言うところに送り、そこからブログに貼り付けている。すなわちグーグルフォトに写真が入ってこないと言うことは、ブログに写真が貼り付けられないということなのだ。まさに私のブログにとっては大ピンチという訳なのである。

では、そもそもなぜこんなことになったかと言うと、ここにもう一つ厄介な問題を抱えているのだ。これが今回の騒ぎのきっかけになっているのだ。それが私がいま進めている多胡辰敬の小説の完全版を紙書籍として出版する作業である。全4巻を本にして出版する。ちょうど4巻分の表紙も出来上がったところである。
私は電子小説(全10章)の出版はマニュアルを見ながら苦労したが自分一人で出版した。しかし、紙の小説を出版するとなると、その敷居の高さはハンパではない。とうていやる自信がなくて業者に依頼したのだが、後輩ライターが勿体ない、「曽田さんのスキルなら後一息のところで出来ます。(買い被りだと思ったが)僕が手伝うからやりましょう。できます」と言うので、後輩の助言を貰いながら始めたのだが、gmailだのgoogleアカウントだのAmazonアカウントだのが飛び交い、gmailを使うのは初めてで、しかもなぜか受信ボックスが全部英語になっていて、ワンタイムパスワードを送られたらパニック状態になってしまい・・・そういう混乱状態の中でやり残したことや、何らかのミスをおかしてしまったに違いないのだ。
後輩と連絡とり合うと言ってもメールと電話のやり取りだから、行き違いも多く、私は失敗の連続。この一週間、もうこのままではできないのではないかと鬱になり、夜も眠れなかった。だが、後輩の仕事も一段落ついたし、私も失敗を重ねて分かってきたこともあるので、そのうち写真入りのブログを書き、大目標の紙書籍出版もできると思います。

長かった。2010年10月に出雲に戻ることになるとは思いもしないで構想を起こしてから、第1章を書き上げたのが2012年の2月8日。出雲に戻って約一年後のことだった。それから白石の小説を書いたので2年間の中断があって、ようやく2024年3月25日に最終章(10章)に漕ぎつけた。実質10年間、ひたすら書き続けた訳だが、こつこつ書き続けていればいつか必ず書き上げられると自分に言い聞かせて書き続けて来た。本当に書き上げられるか自信を無くしかけたことは何度もあった。その度に病の妻に書いて見せると誓い、妻が亡くなってからは妻との約束を果たさなければならないと自分を奮い立てて来た。今は約束を果たせてほっとしている。人間て途方もない事でもやればできるものなのだなあと感慨に浸っている。終わってみればあっと言う間だったなあとも思っている。
曽田様表紙10章縮小

梗概

辰敬が心得状を書いたのは岩山城主になった時である。書き終えると辰敬は妻の千代だけに読ませた。なぜ千代だけに読ませたかと言うと、これは辰敬が身分の高い武士の子で、親に早く死なれた子(即ち辰敬が御奉公をした御屋形様京極政経の子吉童子丸の子)に宛てたものであったからである。尼子氏の時代にあっては大っぴらには出来ないものだったので、心得状は夫婦だけの秘密にされた。

辰敬はいつかこの心得状を吉童子丸の忘れ形見に届けたかったが、尼子家の重臣の立場では憚られて果たすことができず、いたずらに月日が過ぎて行くうちに、偶然娘の阿茶が見つけて二人の子供に読まれてしまう。心得状は辰敬一家の秘密になる。

父の願いを叶えてやりたい阿茶は心得状の写しを作ると大胆にも吉童子丸の遺児に届ける。辰敬は叱らなかった。阿茶は嫁ぐ時も子孫のために心得状の写しを作った。それを新宮党事件で自害することになる姉(尼子国久の妻)も読むことがあり、阿茶の舅の湯惟宗も読む。

心得状は家訓ではないから、忠義や滅私奉公を第一義に説くことはなかった。一言で言えば一風変わった訓えだった。第一に読み書きの大切さを説き、読み書きができないと密書も読めず、恋文までも代筆してもらうことになるとたしなめる。第二にこの世のすべては算用で成り立っていると説き、計算の大切さを説く。武芸においてもほどほどでよいと説き、弓も強い弓を引くことを求めず、正確に当てることだけを心掛けよと説く。他にも料理や薬、流行している武士の舞についても語り、家族、親戚、家臣、領民たちへの接し方など多岐にわたって語る。

一読した千代はこんな風変わりな心得の文章を書いた夫を武士として人としてますます好きになる。この夫を支え、この夫と共に生きて行こうと思う。読んだ者それぞれ受け止め方は違っても、この心得状の一言一言が心を打ち、胸に響いたことに変わりない。

尼子が滅びて行く戦国の苛酷な時代を、心得状を読んだ者たちは辰敬の言葉を支えとして生き抜いて行くのである。

 
私が一番書きたかったのは「心得状」だったのである。実はこの辰敬の書き留めたものには表題に相当するものがないので、皆、便宜上「家訓」と言っているだけで、読めばわかるようにこれは家訓ではない。若い人に与えた人間としての心得を説いたものだと主張する学者の意見に賛同して私も「心得状」としたのである。だからこそ現代人の心を打つのだと思う。
それゆえ10章は構成も9章までのオーソドックスなスタイルとは変えている。これはすべて心得状をより多くの人に分かってもらいたいからである。
10章だけ読んでもらっても「心得状」に込めた辰敬の気持ちは分かってもらえるのではないかと思う。
尼子が毛利元就に追い込まれて行く過程もこれまでの歴史小説では重点を置かれなかったところに視点を当てて自分ではうまく描けたのではないかと思っている。

第八章をようやく発売に漕ぎつけた。毎回同じことを言っているようだが、今回は表紙が8月1日には修正したものが届いていたのに、決定稿を読み直したら不満なところが次々と出て来て書き直していたら20日近く経ってしまった。8章からは物語も長くなり、これまでの1.5倍から2倍になっているのでそれだけ時間もかかった次第です。23日(娘一家が松江に引っ越し)までに仕上げようと猛暑の中、お盆も休まず頑張りました。これで小説のことを忘れて引っ越しの手伝いが出来る。と言っても大したことが出来るわけではないが。
【縮小版】8章表紙修正0801
              第8章「三人荒野」あらすじ

あれから8年、都を離れ流浪の旅をしていた辰敬は忘れたはずの女いちの悪い噂を聞くと足は都へ向いていた。いちの店から出て来た庭師石阿弥と目が合い、石阿弥が河原者石動丸の19年後の姿であることに気づく。辰敬の胸が騒ぐ。石阿弥はいちには正体を隠していた。いちのために日本一の庭を作った暁に正体を明かすとうそぶく。だが石阿弥には盗賊の手引きをしているという噂があった。辰敬は石阿弥を探る。石阿弥は呆けて老いさらばえた謎の老人と同居して世話をしていた。

 いちは管領細川高国に取り入ると都一の政商となり店名も泉覚坊から泉屋に変えたが、高国の没落で店も傾き始めていた。だが、いちは高国の復活を信じていた。

 その泉屋へいちの子と称する悪党赤夜叉が乗り込んで来る。いちは16歳の時、泉覚坊との間に出来た赤子を誰にも気づかれずに産み落とすと鴨川に捨てさせていた。だが赤子は生きていて、それが赤夜叉だと言う。赤夜叉は口留め料を要求するがいちは赤夜叉を我が子とは認めなかった。怒り狂った赤夜叉は泉屋を襲う。石阿弥は配下の山水河原者を動員していちと泉屋をを守ろうとするが、赤夜叉は泉屋の商いを窮地に追い込む。

 その頃、復活を目指す細川高国は迎え撃つ細川晴元と激しい戦いを繰り広げていた。

 高国に泉屋復活のすべてを賭けるいいちに辰敬は現実を見つめることを説く。官位を捨て、泉屋を捨て、無一物になることを説くが、いちは拒否する。石阿弥も泉屋がある限り庭を作り続けると宣言する。いちの行く末を危惧する辰敬。

 高国方有利と見た赤夜叉は晴元方から高国方に寝返り泉屋強奪に成功した。半狂乱のいち。頼りにしていた石阿弥はなぜか助けに来ず姿も消していた。石阿弥が石動丸と知ったいちの怒りは知って黙っていた辰敬に向けられる。孤立無援のいちはたった一人で細川高国のいる摂津をめざす。

 いち、辰敬、石阿弥三人の運命は急変する。

高国方の内輪もめで泉屋が焼き討ちに遭い、赤夜叉一党は全滅。赤夜叉は行方不明になる。店も庭も灰燼に帰した。その焼け跡に三つの人影が立つ。見る影もなく落剝したいち。いちは晴元方の土豪から追われる身になっていた。石阿弥は死の床にある老人の看取りをしていた。老人は石動丸を庭師にしてくれた恩人だったのである。辰敬には出雲の父が死の床にあるとの知らせが届いていた。三者三様の思いは交わることはなかったが、都の隣国丹波の保津城で高国方と晴元方の決戦の火ぶたが切られたところで再び三人は運命の糸に操られるように集まっていた。三人の目の前で石阿弥の師匠が死んだ日、高国方は敗れた。いちの最後の望みも絶えた。そこへ現れたのは瀕死の落ち武者赤夜叉だった。赤夜叉は母を求めていた。そこは死者と生者が交錯する荒野だった。


9章、10章(最終章)も決定稿になっているが、表紙が出来上がってから原稿の見直しをしていると今回のようなことになりかねないので、今の内からもう一度見直しをしておこうと思っている。

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