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左)3月まで勉強していた高見家文書。長賢暦禄。高見家と言うのは出雲市内の南の大地主。そこの当主の日記である。
右)4月から勉強する三木家文書。三木家は出雲市内の北の大地主。元は宇多源氏の血を引く由緒正しき武士の家系を記録した文書である。
通い始めてこの春で4年目になるが、この間、先生は自分が読むだけでは勉強にならないから、誰か読みませんかと促すのだが、遠慮しいで何事も控えめで恥ずかしがり屋の生徒たち(殆どが60歳以上)は誰一人手を挙げようとしなかった。とうとう先生は業を煮やし、昨秋、「これからは強制的に指名します」と宣言。一番狼狽したのは儂だ。何しろ生徒の中で一番不勉強であることには自信があったのだ。
予習はしない、復習もしない。ただ当日に来て先生が読むのをただひたすら書き込むだけを繰り返していたのだ。授業は月一回だから次に来た時には前回のことはきれいに忘れている。自分でも呆れるくらい進歩していないことは痛いほど分かっている。こんなことではいけないと思っているのだが兎に角忙しい。予習は無理でもせめて復習だけとおもってもどうしても時間が取れなかったのである。
かくして新方式の授業が始まったのだが、皆、ちゃんと手を挙げて読んで行くではないか。勿論、読めないところは沢山あるが、先生が助け舟を出してくれる。先生が指名しなくても次々と誰かが読んでくれる。儂は当てられたら困るなあとひやひやしていたのだが杞憂に終わる。3月まで一度も読まずにすんだのだが、4月からはそうも言えなくなる。さすがにそろそろやらないとカッコ悪い。この一ヶ月時間を作って三木家文書を読み進める。と言っても、まとまった勉強時間は取れないから食後30分だけとか、今日は半頁とか、二、三行だけとか進める。
三木家文書の前に高見家文書長賢暦禄がどのようなものか紹介する。

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上の文書を一部拡大した。真ん中に「四十二の賀祝下古志上古志村」と読める。これは「四十二歳の祝いに下古志と上古志村…」云々と書いてあるのだが、これは文政年間の記録。これが天保に入ると筆者は年を取り、字はもっとひどくなり、誤字脱字はあるはで先生も「こりゃ読めんから飛ばしましょう、ははは」という始末。
4月17日から「三木家文書」に入る。
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高見家文書と比べたら随分読みやすい。これは高見家文書のように当主が書いたものではない。公儀に提出する由緒書だから、いくら大地主とは言え当主が書いたしろものなど恐れ多くて提出できない。こう言う物を書くには書き役のような人間がいて書くことになっているのだ。だから一字一字きちんと書いてあり読みやすいのだ。両方を比べてみよう。
Inked三木にて拡大1618553100369_LI
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上が三木家文書。赤線は『にて』と読む。『ニ而』のくずしである。
下が高見家文書。ピンクが同じ『にて』である。同じ『にて』でも書き手によってこんなに違う。初めは戸惑ったが『にて』とはこんなものだと思えば慣れて来て、文脈からこんな感じの字が出て来たら『にて』だと分かるようになる。
三木家文書だがいくら読みやすいと言っても読めないところがいくらも出て来る。
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水色は『所持』、橙は『候(そうろう)』、緑は『扨(さて)』、黄色は『以前』。
通して読むと『所持つかまつり候。さてまた五代以前……』となる。
『候』の崩しは頻繁に出て来るのでさすがに覚えたが、『所持』や『扨』や『以前』は何度もお目にかかっているはずなのに予習復習をしない不勉強が祟って読めなかった。大いに反省する。
考えてみたら、予習復習の時間が少しはとれるようになったのは、妻や母の面会がコロナの所為で出来なくなったからだと気が付く。妻や母には申し訳ないがもうしばらく余裕のできた時間を勉強に使わせてもらおうと思っている。
明日は荒神谷博物館で『風土記談義』。これはただ聞いていればいいだけだから楽である。月に一度の息抜きで、学問的な雰囲気を愉しむ時間である。