今年初めての風土記談義がある。昨年の3月から10月までコロナで中止になっていて、11月に再開してから3回目の談義。


コロナ以前は日曜日の午前中に100人近くの人数が集まっていたのだが、再開後は密を避けるために午前午後の二部制になり、儂は午後の部になる。人数も減り今日は30人もいなかったと思う。先生は午前と午後同じ談義を二度しなければならないから大変だ。一時間談義をしたところで窓を全開にして数分間空気を入れ替えながら後半30分の談義を進める。窓際の儂は震えあがるほど寒かった。

荒神谷博物館内から眺めた冬枯れの公園。正面に古代ハスの池があり、その向こうの林の奥に大量の銅剣が埋まっていた。
初めの一時間は出雲風土記を読み進めながらの談義。宍道湖の向こう島根半島の秋鹿(あいか)郡大野郷の項は5行しかないのだが、2回の談義でもまだ終わらない。談義だからただの古文の解釈では終わらない。話は自由に飛び、関連する地理や天文など風土記の世界の全体像を描こうとしていると儂は理解している。今日は原本を離れて、大野郷にある大野津社についての話。江戸時代に書かれた「風土記抄」や「雲陽誌」などには素戔嗚尊(すさのおのみこと)がヤマタノオロチを退治した後、オロチの角や骨が流れて来たのを祀ったとか、オロチの角と骨にまつわる言い伝えが載っているというお話。
後半の30分は講師が変わって風土記逸文の談義。
逸文と言うのは古い書物に「〇〇国の風土記にこのように書かれている」と、紹介されている一文を言う。長い文章もあるが多くは短く、ほとんどの国の風土記は残っていないので、真偽のほどが定かではないのだが、残された貴重な資料である。
今日は伯耆国(鳥取県西部)風土記の逸文。
昔、伯耆国はハハキの国と呼ばれていたようだ。
そこには、『てなづち・あしなづちの娘、稲田姫をヤマタノオロチが吞もうとしたので、稲田姫は山中に逃げたが、母が遅かったので、姫が「母来ませ、母来ませ」と言ったことから、この国を「母来(ハハキ)の国」と名付け、後に
「伯耆(ハハキ)の国」とした、云々』と『諸国名義考』という書にはあるという話。
儂は腰を抜かすほど驚いた。
てなづち・あしなづちの娘、稲田姫がヤマタノオロチに呑まれると言う話は出雲風土記の代表的なお話である。
それがなぜ伯耆国風土記にそっくりそのまま載っていて、しかも伯耆国の国名の由来にもなっているなんて一体どういうことなのだろう。
しかも、講師の体験によると、昔、鳥取に住む親せきの小学生の子が、スサノオのヤマタノオロチを退治する話をとても誇らしげに語ったと言う。
神話がどうやって作られて行き、どうやって伝承されて行くのか、深い闇を垣間見た気がした。
風土記談義が午後の部になってから、終了後、近くの温泉に行くことにしていて、今日は3回目。
荒神谷博物館のすぐ側をロマン街道という玉造まで山の中を抜ける道がある。その道を5分も走ると途中から山陰線の荘原駅方向に降りる道がある。

その途中にあるのが日本三美人湯の川温泉にある「ひかわ美人の湯」。矢印がその駐車場。


ここは湯もいいが露天風呂が最高。とても広く、しかも屋根付きの湯が二つあり、一つは打たせ湯になっている。露天風呂を三つも楽しめる。午後から時折り白いものが舞ったが温まった身体には逆に心地良かった。この三、四日は春になったように暖かかったがまた明日あたりから寒くなるようだ。雪だるまのマークが出ていた。もう雪はいい。


コロナ以前は日曜日の午前中に100人近くの人数が集まっていたのだが、再開後は密を避けるために午前午後の二部制になり、儂は午後の部になる。人数も減り今日は30人もいなかったと思う。先生は午前と午後同じ談義を二度しなければならないから大変だ。一時間談義をしたところで窓を全開にして数分間空気を入れ替えながら後半30分の談義を進める。窓際の儂は震えあがるほど寒かった。

荒神谷博物館内から眺めた冬枯れの公園。正面に古代ハスの池があり、その向こうの林の奥に大量の銅剣が埋まっていた。
初めの一時間は出雲風土記を読み進めながらの談義。宍道湖の向こう島根半島の秋鹿(あいか)郡大野郷の項は5行しかないのだが、2回の談義でもまだ終わらない。談義だからただの古文の解釈では終わらない。話は自由に飛び、関連する地理や天文など風土記の世界の全体像を描こうとしていると儂は理解している。今日は原本を離れて、大野郷にある大野津社についての話。江戸時代に書かれた「風土記抄」や「雲陽誌」などには素戔嗚尊(すさのおのみこと)がヤマタノオロチを退治した後、オロチの角や骨が流れて来たのを祀ったとか、オロチの角と骨にまつわる言い伝えが載っているというお話。
後半の30分は講師が変わって風土記逸文の談義。
逸文と言うのは古い書物に「〇〇国の風土記にこのように書かれている」と、紹介されている一文を言う。長い文章もあるが多くは短く、ほとんどの国の風土記は残っていないので、真偽のほどが定かではないのだが、残された貴重な資料である。
今日は伯耆国(鳥取県西部)風土記の逸文。
昔、伯耆国はハハキの国と呼ばれていたようだ。
そこには、『てなづち・あしなづちの娘、稲田姫をヤマタノオロチが吞もうとしたので、稲田姫は山中に逃げたが、母が遅かったので、姫が「母来ませ、母来ませ」と言ったことから、この国を「母来(ハハキ)の国」と名付け、後に
「伯耆(ハハキ)の国」とした、云々』と『諸国名義考』という書にはあるという話。
儂は腰を抜かすほど驚いた。
てなづち・あしなづちの娘、稲田姫がヤマタノオロチに呑まれると言う話は出雲風土記の代表的なお話である。
それがなぜ伯耆国風土記にそっくりそのまま載っていて、しかも伯耆国の国名の由来にもなっているなんて一体どういうことなのだろう。
しかも、講師の体験によると、昔、鳥取に住む親せきの小学生の子が、スサノオのヤマタノオロチを退治する話をとても誇らしげに語ったと言う。
神話がどうやって作られて行き、どうやって伝承されて行くのか、深い闇を垣間見た気がした。
風土記談義が午後の部になってから、終了後、近くの温泉に行くことにしていて、今日は3回目。
荒神谷博物館のすぐ側をロマン街道という玉造まで山の中を抜ける道がある。その道を5分も走ると途中から山陰線の荘原駅方向に降りる道がある。

その途中にあるのが日本三美人湯の川温泉にある「ひかわ美人の湯」。矢印がその駐車場。


ここは湯もいいが露天風呂が最高。とても広く、しかも屋根付きの湯が二つあり、一つは打たせ湯になっている。露天風呂を三つも楽しめる。午後から時折り白いものが舞ったが温まった身体には逆に心地良かった。この三、四日は春になったように暖かかったがまた明日あたりから寒くなるようだ。雪だるまのマークが出ていた。もう雪はいい。
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