10月6日は本山参り。我が家は臨済宗の妙心寺派。毎年秋に京都の本山妙心寺にお参りをする行事がある。山陰西教区第4部に所属する出雲市内11のお寺が檀家を集めてお参りする。我が家では数年前までは母が参加していたが老年になり欠席するようになり、儂は妻の在宅介護があって参加は無理。数年不参加が続いていたのだが、今年は父の供養もあり、行ってやりたいなと思っていたら、丁度妹が助っ人に来る日程と重なったので、母を妹に頼み参加する。


朝6時半にお寺に集合。3台のバスが参加者を集めて、山陰道の宍道SAで合流。ここから3台一緒に一路京都へ。米子道が中国山地を越えるまでは雨が降ったりやんだりしていたが、中国道を東に向かうにしたがって秋らしい天気になる。素晴らしかったのがバスのガイド。聞いたらガイド専門の会社に属し、今回の旅行に雇われたのだが、50年配の女性だが、出雲のガイドさんなのに中国道を京都に着くまで通過する土地土地の歴史、地理、話題などを次から次へと紹介してくれる。知っている事でも記憶があやふやになっているので改めて正確に教えてもらうのはありがたい。中国道から淡路島がこんなに大きく見えるとは。見ているはずの景色なのに教えられるまで気が付かなかったことに我ながら呆れる。お昼に京都へ着き、嵐山で昼食。本山参りは明朝で、今日は昼食後に栂尾の高山寺と大原の寂光院を回る。


京都は高校の修学旅行以来と言ってよい。一時期東映の太秦にある京都撮影所に通ったことがあるが、京都駅からタクシーで直行。打ち合わせして、ホテルか旅館で直しをして、撮影所で直しを見せてOKが出たら、即タクシーで京都駅に向かい、とっとと東京へ戻っていたので、折角京都へ行きながら名所旧跡へ足を運ぶことなどなかったのである。渡月橋も何十年ぶり。右は高山寺の日本最古の茶園の石碑。
栂尾の高山寺は初めて訪ねる。明恵上人が日本で最初の茶園を作ったので知られている。


どんなすごい茶園かと、静岡の茶畑を想像していたら、出雲の農家が畑の片隅に作っているような小さな茶畑であった。


高山寺は鳥獣戯画で有名な寺であった。すっかり忘れていた。石水苑の中に複製が展示してある。
この後、大原の寂光院へ。高校の修学旅行で三千院へ行ったことはかろうじて覚えているが、寂光院へ行った記憶がない。三千院へ行って寂光院へ行ってないはずはないのだが。それどころか恥ずかしいことに建礼門院が隠棲していたのが三千院だとばかり思い込んでいた。いかに高校時代古典の勉強をおろそかにしていたことか。建礼門院の悲しい人生を思い起こしながら、寂光院の門を潜るも、その寂光院が12年前に放火で全焼したことを知り、(そういうニュースを思い出したのだが)未だに捕まっていない放火犯に怒りを覚える。


寂光院入り口 再建された本堂


庵があったとされる場所 建礼門院が使った井戸の跡
裏は山、前は野辺と平家物語には記されている。壇ノ浦で我が子安徳天皇の後を追って入水するも引き上げられ、29歳で落飾、大原に隠棲、36歳で死ぬまで過ごした地である。

5時過ぎに今夜の宿花園会館に着く。
この会館には本山参りの檀徒が全国から集まって泊まるのだが、山陰西教区第4部のように100人を越す団体は(今年106人、去年116人)全体の2位なのだそうだ。1位は同じ出雲の斐川地区の団体でバス5台で来るそうだ。出雲は神様の国なのに、なぜか仏徒も律儀なのだ。
宴会をして皆酔っぱらって寝てしまったので、ロビーにて。今夜はここまで。


朝6時半にお寺に集合。3台のバスが参加者を集めて、山陰道の宍道SAで合流。ここから3台一緒に一路京都へ。米子道が中国山地を越えるまでは雨が降ったりやんだりしていたが、中国道を東に向かうにしたがって秋らしい天気になる。素晴らしかったのがバスのガイド。聞いたらガイド専門の会社に属し、今回の旅行に雇われたのだが、50年配の女性だが、出雲のガイドさんなのに中国道を京都に着くまで通過する土地土地の歴史、地理、話題などを次から次へと紹介してくれる。知っている事でも記憶があやふやになっているので改めて正確に教えてもらうのはありがたい。中国道から淡路島がこんなに大きく見えるとは。見ているはずの景色なのに教えられるまで気が付かなかったことに我ながら呆れる。お昼に京都へ着き、嵐山で昼食。本山参りは明朝で、今日は昼食後に栂尾の高山寺と大原の寂光院を回る。


京都は高校の修学旅行以来と言ってよい。一時期東映の太秦にある京都撮影所に通ったことがあるが、京都駅からタクシーで直行。打ち合わせして、ホテルか旅館で直しをして、撮影所で直しを見せてOKが出たら、即タクシーで京都駅に向かい、とっとと東京へ戻っていたので、折角京都へ行きながら名所旧跡へ足を運ぶことなどなかったのである。渡月橋も何十年ぶり。右は高山寺の日本最古の茶園の石碑。
栂尾の高山寺は初めて訪ねる。明恵上人が日本で最初の茶園を作ったので知られている。


どんなすごい茶園かと、静岡の茶畑を想像していたら、出雲の農家が畑の片隅に作っているような小さな茶畑であった。


高山寺は鳥獣戯画で有名な寺であった。すっかり忘れていた。石水苑の中に複製が展示してある。
この後、大原の寂光院へ。高校の修学旅行で三千院へ行ったことはかろうじて覚えているが、寂光院へ行った記憶がない。三千院へ行って寂光院へ行ってないはずはないのだが。それどころか恥ずかしいことに建礼門院が隠棲していたのが三千院だとばかり思い込んでいた。いかに高校時代古典の勉強をおろそかにしていたことか。建礼門院の悲しい人生を思い起こしながら、寂光院の門を潜るも、その寂光院が12年前に放火で全焼したことを知り、(そういうニュースを思い出したのだが)未だに捕まっていない放火犯に怒りを覚える。


寂光院入り口 再建された本堂


庵があったとされる場所 建礼門院が使った井戸の跡
裏は山、前は野辺と平家物語には記されている。壇ノ浦で我が子安徳天皇の後を追って入水するも引き上げられ、29歳で落飾、大原に隠棲、36歳で死ぬまで過ごした地である。

5時過ぎに今夜の宿花園会館に着く。
この会館には本山参りの檀徒が全国から集まって泊まるのだが、山陰西教区第4部のように100人を越す団体は(今年106人、去年116人)全体の2位なのだそうだ。1位は同じ出雲の斐川地区の団体でバス5台で来るそうだ。出雲は神様の国なのに、なぜか仏徒も律儀なのだ。
宴会をして皆酔っぱらって寝てしまったので、ロビーにて。今夜はここまで。
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