多胡辰敬完全版第4巻が届いた。PXL_20260123_003348687
これで念願の紙書籍化が終わり、しばし感慨に浸ったが、それも一日だけ。
実は私は辰敬が終わったらすぐに次の紙書籍化をしなければならないものがあるのだ。
それが電子小説で発表した『老いて愛して書いた』という新井白石の評伝風の小説。以前にも少し触れたが、文庫時代小説を6本書いた後、もう介護と執筆の両立は無理。しかも自分は本当は『多胡辰敬』を書きたくてそっちを進めていたのだが、紹介する人があって、フリーの編集者から何か書いてみないかと言われた。介護もあるし、もう注文を受けて書くのは無理。ほかにも辰敬という書きたいものもある。でも出版業界に未練はあるし、迷っていると、紹介する人も書いた方がいいと言うので、私は助平心を出してしまった。そして、新井白石が偏屈な意地悪爺さんで、市井の事件を面白おかしく解決する話を書いたのだが、書いている途中からこんなものを書いていていいのだろうかと悩みながらなんとか書き上げた。そんなものが面白いわけがなく、結局ボツになり、私はなんと無駄なことをしたのだろうと悔やんだのだが、その一方ではこれでよかったのだと思っていた。
 実は私は面白おかしい意地悪爺さんの白石を書きながら、こんな白石を書いていいのだろうかと言う思いが、日増しに増していたのだ。白石を主人公にするのだから、当然、白石のことは調べる。著作も読む。そうすると調べれば調べるほど、読めば読むほど、白石の凄さに圧倒され、こんなすごい人を面白おかしい娯楽小説にしてはいけないのではないのだろうかと思うようになったのだ。
 そうなったら、よし、俺が書くとなるのが、己の力を知らない物書きのさが。
 見事に大失敗。
 読んだ人にはみな難し過ぎると言われてしまった。
 新井白石は日本の歴史において五本の指に入る天才である。詩人であり、歴史家であり、文章家であり、あらゆる分野の大学者であり、政治家でもあった。巨人という言葉でしかあらわせない人だった。
まともに挑んで描ける人ではない。そこで、白石と父が偉過ぎたために結婚もできない子供たちをキーワードに小説化したのだが、介護に疲れ、辰敬の進行に焦り、白石にも焦り、志しほどの出来には遠く及ばなかった次第である。
 それは辰敬の小説にも言える。だから紙書籍にするのに14年もかかった。だが、ようやく辰敬を終えたいま、やっと残った白石に力を注ぐことが出来るようになった。群盲象を撫でるになってはいけないが、巨人白石のほんのごく一部分だけでもいいが描けたらいいなと思っている。