明日が赤穂浪士討ち入りの日である。私は数年前、赤穂浪士の討ち入りについて沈黙を通した新井白石について書いて以降、赤穂浪士について触れていないが、白石が沈黙を通した理由をその後も折に触れて思い返してはいた。だがこれと言う結論もなくそのままになっていたのだが、ふと、もし自分が新井白石だったらどう裁いたであろうかと考えたら、意外と簡単にすうっと答えが出たので書いてみる。
将軍綱吉の時代に起きたこの事件を裁いたのは荻生徂徠(そらい)である。彼は「法は法である」と法治主義の立場から浪士は有罪にした。浪士同情論が沸き起こる中でのこの断罪は勇気ある裁きであると思うし、ここまでは恐らく白石も同じ意見だったと思う。だが徂徠は浪士に同情していて彼らには切腹を命じた。切腹は名誉の死である。ここが間違いである。法は法であるなら、浪士は打ち首にされるべきだったのだ。だがもしそうしたら世論は許さなかったであろう。それは徂徠も恐れたし、もともと同情しているのだからそんな判決はでるはずはなかった。結果は浪士の死は称えられたことは皆知っている通りだ。
ちょっと冷静になればおかしな話だ。浅野内匠頭のやったことは一人の老人に公の場で斬りつけた一方的な傷害事件である。それを仇討ちと称してたった一人の老人を寄ってたかって斬り殺すことがどうして許されよう。またこれは幕府の仕置に対する反逆でもある。幕府の裁きに歯向かった者たちがどうして許されよう。事実だけ見れば浪士を弁護する余地はどこにもない。
しかし、屈折した時代の屈折した民衆の屈折した心情は恐ろしい。無罪を唱える学者もいたぐらいだから、徂徠のこの裁きはぎりぎりのところだったのであろうと思う。
白石はもちろん間違っていると思ったはずだ。最も正しい裁きはどうすべきかは考えていたはずだ。だがそれは決して公にはできない判決だったのではないだろうか。だから大勢の学者たちが侃々諤々喚きたてても沈黙を押し通したのだと思う。
そこで私はもし私が白石だったらこの事件をどう裁くか考えてみた。結論から書くと阿保みたいな簡単なことだった。47人全員を島流しにしてしまうのだ。全員一つの島に一人、ばらばらにできるだけ遠くの人も住まないような絶海の孤島に流してしまうのだ。後醍醐天皇が流されたような隠岐のような大きな島には流さないのだ。こんな島に流したら英雄になってしまう。
かくして事件が風化するのを待つのが現実的かなと思うのだが、一方ではこうも思う。
きっと下手な戯作者は島流しになった47士の子孫が、上野介の子孫に討ち入りをかける話を作るのではないかと。要はこの事件は元禄と言う時代の病理が生んだ仇花のようなもので神様をもってしても完璧な裁きはできなかったのではないかかと。だから白石は黙り通していたのかなあ。考えてみれば江戸時代だけではない。いつの時代も病んでいる。もちろん現代も。過去を病んでいると言ったら、逆に笑われるくらい病んでいるのは我々の時代かもしれない。
将軍綱吉の時代に起きたこの事件を裁いたのは荻生徂徠(そらい)である。彼は「法は法である」と法治主義の立場から浪士は有罪にした。浪士同情論が沸き起こる中でのこの断罪は勇気ある裁きであると思うし、ここまでは恐らく白石も同じ意見だったと思う。だが徂徠は浪士に同情していて彼らには切腹を命じた。切腹は名誉の死である。ここが間違いである。法は法であるなら、浪士は打ち首にされるべきだったのだ。だがもしそうしたら世論は許さなかったであろう。それは徂徠も恐れたし、もともと同情しているのだからそんな判決はでるはずはなかった。結果は浪士の死は称えられたことは皆知っている通りだ。
ちょっと冷静になればおかしな話だ。浅野内匠頭のやったことは一人の老人に公の場で斬りつけた一方的な傷害事件である。それを仇討ちと称してたった一人の老人を寄ってたかって斬り殺すことがどうして許されよう。またこれは幕府の仕置に対する反逆でもある。幕府の裁きに歯向かった者たちがどうして許されよう。事実だけ見れば浪士を弁護する余地はどこにもない。
しかし、屈折した時代の屈折した民衆の屈折した心情は恐ろしい。無罪を唱える学者もいたぐらいだから、徂徠のこの裁きはぎりぎりのところだったのであろうと思う。
白石はもちろん間違っていると思ったはずだ。最も正しい裁きはどうすべきかは考えていたはずだ。だがそれは決して公にはできない判決だったのではないだろうか。だから大勢の学者たちが侃々諤々喚きたてても沈黙を押し通したのだと思う。
そこで私はもし私が白石だったらこの事件をどう裁くか考えてみた。結論から書くと阿保みたいな簡単なことだった。47人全員を島流しにしてしまうのだ。全員一つの島に一人、ばらばらにできるだけ遠くの人も住まないような絶海の孤島に流してしまうのだ。後醍醐天皇が流されたような隠岐のような大きな島には流さないのだ。こんな島に流したら英雄になってしまう。
かくして事件が風化するのを待つのが現実的かなと思うのだが、一方ではこうも思う。
きっと下手な戯作者は島流しになった47士の子孫が、上野介の子孫に討ち入りをかける話を作るのではないかと。要はこの事件は元禄と言う時代の病理が生んだ仇花のようなもので神様をもってしても完璧な裁きはできなかったのではないかかと。だから白石は黙り通していたのかなあ。考えてみれば江戸時代だけではない。いつの時代も病んでいる。もちろん現代も。過去を病んでいると言ったら、逆に笑われるくらい病んでいるのは我々の時代かもしれない。
コメント