京都から高速を北上して天橋立への分かれ道を過ぎてから、山道に入って辿り着いた出石町に着いて最初に訪れたのが宗鏡寺。出石城の殿様仙谷氏の菩提寺。私たちと同じ臨済宗のお寺。
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別名沢庵寺。沢庵和尚の寺として知られている。昼食まで30分しかなくて忙しい見学だったが、ここでガイドをしてくれたのがうら若き女性だったのである。普通お寺のガイドはその寺の坊さんがしてくれるから、一体誰だろうと思いながら聞いていたが、どことなく頼りなく、たどたどしいところがある。それでも一生懸命、将軍家光と沢庵和尚の話をしてくれる。
「家光に食事を出すことになった和尚が、昼になっても出さず、えんえんと待たせた挙句、お茶漬けと沢庵を出した。お腹がすいた家光はおいしく食べたが、沢庵は為政者たるもの、百姓はこのようなものしか食べていないことを知ってくださいと語った。感じ入った家光が沢庵を指さし、これは何という食べ物かと問うたら、沢庵は名前はないと答えた。すると家光は沢庵と名付けろと言い、以来、みな沢庵とよぶようになった」と長い話を、懸命に話してくれたのであった。
こういう話だと、私なんか「ここはこう言った方が味がある」とか「こう言えばぴったりなのだが」と思うのだが、彼女は最後まで自分の言葉で懸命に話してくれた。
忙しく寺を出て、昼食をとって、永楽館に行き、いざ出雲を目指して帰るバスの中で、このガイドの話題が出た。何とお寺のお嬢さんで15歳だと言う。高校一年生だったのだ。道理でたどたどしくも初々しいわけだ。
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右の写真。祀ってあるのは仙谷家のお殿様や家老たちの位牌。
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庭も手入れが行き届いているとはいえない。全体的にくすんだ印象のお寺だった。

このお嬢さんと話した人によると、なんとこの寺には檀家がいないと言う。みんな、仰天する。「そんな寺があるのか」「どうやって食ってるんだ」
この寺は江戸時代から領主の仙谷家だけの菩提寺だったので、殿様と家老のような偉い人だけの位牌しかなく、家来たちや商人や町人百姓は、檀家になっていないのだ。だから明治維新になって仙谷家が東京へ行ってしまうとたちまち難儀してしまったのだ。
道理で修理も満足にできないはずだ。お嬢さんの父親の和尚さん自ら修理していると言う。
「もっと早く知っていれば、帰るときに少しでも寄付したのになあ」
「あのお嬢ちゃん、気前良くてね、普段は見せないところだけど入って下さいと見せてくれたんだよ」
帰りのバスの中は、15歳の女子高校生ガイドの話でひとしきりほっこりしたのであった。
みんな、出石は知らなくて、お寺も永楽館も知らなくて、全員、期待していなかったので、この町全体が醸し出す、一生懸命に生きて行こうと言う空気に癒され、励まされてみんな「いい旅だったな」と言いながら戻ったのであった。
私も二、三年後に訪れてみたいと思った。あの15歳の女子高生ガイドがどうなっているか会ってみたいと思っている。