パソコン修理中の6月22日に大社うらら館で観劇したものです。しばらくパソコンが使えなかったので遅ればせながら報告するものです。これは出雲演劇鑑賞会主催の演劇ではありませんが同じ演劇のジャンルなので出雲演劇鑑賞会のカテゴリに入れておきました。東京演劇集団と言う劇団が上演するもので山陰で初めてのバリアフリー演劇です。バリアフリー演劇というのはあらゆるバリア(=障害)を取り払って、どんな人でも(=どんな障害を持った人たちも)、健常者と一緒にお芝居を鑑賞し楽しもうという演劇です。
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今回は「出雲の精神保健と精神障がい者の福祉を支援する会ふあっと主催」でした。
目が見えない人、耳が聞こえない人などなどあらゆる障がいを持った人がどうやってお芝居を楽しむことができるのか、何も知らなかったので一体どうするのだろうと、しばしば通っているうらら館に行ったが、上演前からすべてが初体験ばかりだった。
まず上演前に出演者全員が舞台に上がって自己紹介するのだ。ヘレン・ケラー役はこんな声で、身長は何センチぐらいで、髪型はこんな感じで、こんな感じの衣装を着ている。靴はこんな感じの靴を履いていて、歩くとこんな音がすると、どんどんと舞台を踏み鳴らす。すなわち、これは目が見えない観客や、耳が聞こえない観客が役者をイメージしやすいようにあらかじめレクチャーしておくのだ。
この他にも舞台上には手話通訳者(この人はお芝居にも一部参加する)がいて、舞台背景にはバリアフリー日本語字幕が浮かぶ。ライブで音声ガイドがあり、適宜舞台説明もある。
障がい者には行き届いた配慮と感心したが、健常者にはうるさすぎないのかなあと思ったが、これはすべて裏切られることになった。
すなわち主人公ヘレン・ケラーは三重苦の少女で目が見えず、耳が聞こえず、話すこともできないので、この主人公のなすことすべてが観客には理解不能なのであるが、障がい者のための日本語字幕や音声ガイドが私たちのような一般の観客の理解を助けてくれるのである。
この芝居に誘ってくれたのは娘である。まだ3歳半の子もつれて一緒に診るつもりだったが、孫が熱を出したので私だけが観劇したのだが、その娘から「どんな障がいがある人も見に来るし、連れて来るから、上演中に大声を出す子もいれば、ヘレン・ケラーがカップを投げつけたら、『あんなことをしたらいけないねえ』という子がいたりするのよ」と聞いていた。
確かに、上演中、何度も意味不明の大声を何度もあげる障がい者もいた。
ところが不思議なことに私はそれをうるさいとも観劇の邪魔になるとも思わなかったのである。
劇場という所は上演中に私語をするのはタブーである。絶対に許されない。それくらい劇場は神聖にして犯すべからざる場所なのになぜだろう。
答えは簡単だった。三重苦の少女ヘレン・ケラーと教師アニー・サリバンの戦いともいうべきドラマを見ているうちに、ヘレン・ケラーの障害はヘレン・ケラーだけの障害ではなく、私のすぐ隣の障害になっていたのである。あの大声も私の隣人の声であり、それは劇場全体の声になっていたのだと思う。
逆に言えば障害はヘレン・ケラーだけではない、私たちの身の回りのどこにでもあるものなのである。みんなそれを肌に感じながら舞台を見ているのだ。
舞台と観客席は不思議な一体感を作り出していたのだ。
ラストの有名な場面は涙なくしては見られないものだった。
舞台には実際に水が出るポンプが設置されていて、ポンプを押すと水が流れ出る。ヘレン・ケラーは両手ですくって顔をぬぐう。そしてアニー・サリバンから教わったWATERの指文字を一つ一つアニー・サリバンの手のひらに押し当ててゆく。(ABC…に相当する指の形が決まっていて=それを指文字と言う)
W・・・A・・・T・・・E・・・R・・・WATER
WATER=水を認識した瞬間だった。そして、
T・・・E・・・A・・・C・・・H・・・E・・・R・・・TEACHER
TEACHER、アニー・サリバンを先生と認識した瞬間だった。
この日の体験は私にとってまったく新しい感動だった。