10月21日
子供達、夕食不要。外食(秋刀魚定食)ですますも、きんぴらを作っておく。
OTから電話。11月1日に家屋調査の予定だったが、床暖房の工事を先にしてくれていいとのこと。急遽エネスタ狛江に電話する。一階の和室を邦子の居室にし、ベッドを入れるため床張りをするのに合わせて床暖房にする。明日、見積もり。忙しくなる。
10月22日
京王デパートで邦子の誕生祝いにブラウスを買う。今夜も子供たちは夕食不要。水煮の豆と人参を加えたひじき煮を作る。帰宅した娘がぱくぱく食べてくれる。
10月23日(土)
57歳の誕生日。娘がプレゼントをくれたが、25日(邦子の誕生日)に一緒に開けてくれと言うのでそれまでは内容不明。邦子からもお祝いのメッセージがある。娘が助けて作成したものだと言う。こういうことをしてくれるのが我が娘である。


誕生日の誕の字が書けていない。文面は『博久様へ 今年は子供たちが喜ぶような有名人を目指しましょう 邦子より』とある。邦子らしい言葉に思わずにやりと笑う。
10月24日(日)
娘が久しぶりにお母さんに会いたいと見舞いに行ったので小説の直しを進める。
菊花賞デルタブルースの単勝、馬連万馬券が的中。5000円が110,520円になる。たまにはこんなことがあっても。
10月25日
娘に託された二人一緒のプレゼントは夫婦茶碗と箸二膳。『家に戻ったらこの夫婦茶碗で仲良く御飯を食べてね』のメッセージ。泣けて、泣けて。邦子に「どうして泣くの」と言われて、また涙が溢れる。
嬉しいことがもう一つ。左足の振り出しが出来るようになった。三回に二回はわずかながらも自分で左足を動かす。まさか左足が動くなんて。夢を見ているようだ。今日もOT、PTからリハビリを少し習う。
10月26日
Tが某大手ゲーム会社に出す見積書に俺のハンコも欲しいと言うので新宿へ出る。有限会社を作ったらやって行けそうな感じになって来た。すべてTの力。
10月28日
連日食費が凄い。三人なのに六人前は作っていて、それがきれいになくなる。
10月30日(土)
小説直し終わる。一人は寂しい。外食しても何か一品だけは作る。ひじきの五目煮を作り、栗をゆでる。遅く帰った娘が栗をぱくぱく食べる。
10月31日(日)
見舞い。久我山の病院の時から比べたら楽になった。ただ尿意を訴えてくれないのは困る。俺にも言いにくいのだろうか。そんなはずはないと思うが。尿意を訴えることがわからないのかとも思う。
11月1日
Tが頑張って何とか会社を作ってやって行けそう。ゲーム会社だから俺のやることはシナリオ関係だけ。シナリオが必要になった時だけ、若い作家が書いたものを監修する役。これなら小説と並行して出来そう。
11月2日
今日も一人飯。コロッケ買って来て冷蔵庫の干物を焼いてすます。食後、高野豆腐と椎茸、人参を煮る。薩摩芋の辛し和えなるものもレシピを見ながら作るも、娘は辛子がだめ。ああ。
11月3日
見舞い。今日は尿意を訴えてくれた。疲れたのかずっと寝ていて、マッサージをしてやった。近くの公園を車椅子散歩する。帰宅後、けんちん汁を作るも外食。
11月5日
今日STを習うために病院へ行くつもりだったが、予定が来るって行けず。明日、行くことにする。明日のために料理を作る。ごぼうのささがきを作っていたら妹から電話がある。ささがきは冷凍の袋を売っていると笑われる。
11月6日(土)
このところ休日と祭日のみ見舞いに行っていたので、今日はOTとSTに立ち会いたかったが、STに立ち会う。また色々と教えてもらう。固い筋肉がずいぶん柔らかくなったので、それに従って足も動くようになったのであろうととのこと。トイレでのつかまり立ちも長く立てるようになった。
11月7日(日)
リフォームの再見積もり。廊下の段差解消を入れたりしたら170万になる。高くなり過ぎたので業者が材質を見直して149万に抑えてくれる。それでも高いことに変わりはない。見舞いに行った娘から電話。邦子が出雲に電話すると言って、自分でプッシュホンを押したそうだ。0853-28-〇〇〇〇。
俺にも電話が来た。へんなことを言っていたが、自分で電話できるようになったのは大変な進歩だと思う。出雲の電話番号も憶えていたのだから。
11月8日
今日は先を考えて料理の練習日。鯖の味噌煮、人参の胡麻和え、豚肉とひじきの煮物。娘はすっかり食べる人になって、帰宅してぺろりと平らげると、二階へあがって仏検の勉強。夏前まで家事負担をかけていたからこれでいいのさ。
11月9日
病院。OT、PTはノートに図解でメモを取る。在宅になってからのリハビリのため。STから邦子は自分の記憶の不確かさに不安を口にしたと教えてくれる。そこまで認識できるようになったのは驚きで進歩だと思うが、反面可哀想に思う。おそらく取り戻せない記憶だと思うのだ。
朝はパンを食べていることを知る。ずっとおかゆを食べていると思っていたのでほっとする。朝がパンなら楽でいいと思う俺。
11月11日
昼食後、どうにも身体が動かぬほどくたびれベッドに鉛の塊となって埋まっていた。こういう時は頑張ってはいけないと割り切って休む。一時間ほどうつらうつらしていたら回復する。
娘、帰宅一声。ニンニクとオイスターの匂いに「いい匂い、なに?」仏検が迫っているので5時半には食べさせてやる。ししゃもとブロッコリーと卵のオイスター炒め。ぺろりと食べて二階へ。
11月14日(日)
母、上京。荷物が重いと言うので東京駅に迎えに行く。喜寿の祝いをする。
11月15日
リフォームが始まる。邦子の居室となる茶の間が6㎝傾いていることがわかるが直すとなると大工事になるのでそのまま進める。
午後から母を連れて見舞いに行く。予想したほどの反応はなし。実母なら違うだろうが、実母は会いたくても体力的に自信がなくて上京はあきらめている。
小説の出版は1月に決まる。一人になると込み上げて来るものがあり泣きそうになる。
11月16日
熊本の義母から電話。退院して26日に戻る連絡。入院していたことを初めて知る。年金ではケアハウス住まいは無理だが、糖尿食を宅配してもらえれば暮らせるとの連絡。今は何とかしてもらうしかない。
11月17日
母と見舞い。小説発売を伝える。邦子、心底喜んでくれる。リハビリの療法士にも俺の本が出ると報告する。俺を困った人だと言わんばかりに三文文士とからかっていた妻が本当に嬉しそうな顔をしていた。よくしゃべるようになった。怒ったり、感情を爆発させるようにもなった。わがままも出たり、わからんことも言い募るが、感情の発現の仕方がより人間らしく感じられるようになって来た。
PTでも今日は両足素足で歩行訓練できるようになった。もちろんPTの介助つきだが、麻痺して拘縮して不自然に歪んでいた左足がぴたりと床に着くようになる。
11月19日
母と見舞いに行く。主治医と面談。話はだいぶ通じるようになったが、関節は固くなり始めたという。STは筋肉は柔らかくなったと言っていたがどう判断すればいいのか?
STでは今日は11月19日と答えたのには驚く。つい二週間前まではでたらめだったのに。
17日はトイレを3回訴えたが、今日は1回だけ。
11月20日(土)
母は藤沢の妹のところへ行く。妹が成城学園まで迎えに来て、おかずをくれる。母が料理してくれたので一週間助かった。今日は台所の工事終了。月曜には終わりそう。
11月21日(日)
母の一週間の滞在でくたびれ、今日の見舞いは1:00~3:30。邦子が看護師の名前を言っていることに気づく。人の名前も覚えることが出来るようになったようだ。と言っても相変わらず変なことは言い続けている。
11月22日
リフォーム終了。床暖は暖かい。これで邦子も快適に過ごせるし、介護する方も楽。
娘が午前中見舞いに行ってから大学へ。タバコは持っていないと言ったら、「高幡不動に誓ってないと言うか」と邦子に言われたよし。退院して「たばこ」「酒」とせがまれるのが今から頭痛の種である。リハビリ科の家屋調査が29日に決まる。
11月23日(勤労感謝の日)
見舞い。1:00~3:00過ぎまで。以前は一人にしておくのが哀れで長くいるようにしたが、さすがに見舞い疲れする。もうすぐ退院だし、しっかりして来たので2時間ぐらいで帰ることにしている。帰り際振り返ると、一人でTVのチャンネルを変えて見ていた。
11月24日
娘と話していて思い出したことがある。邦子が「冬のソナタの映画を見ていない」と俺に言ったことを話したら、娘は邦子が「大統領選挙はゲー(ケリー候補のこと。勝ったのはブッシュ)が勝ったのか」と娘に聞いたことがあると教えてくれた。
冬ソナが流行った時も観るような主婦ではなかったが、話題になっていたことは覚えていたのか。大統領選挙はTVを見ていてインプットされたのかもしれない。希望の持てる話だ。
11月26日
「お母さんの味大百科」を見て、豚肉とニンニクの炒め物と無国籍スープ(ツナ、トマト、豆腐)を作る。酸っぱいスープは疲れた時に美味かったと好評。
11月28日(日)
子供たちは夕食不要なので、久しぶりに邦子の所に4:30分までいる。タバコを吸いたいと言われるのには参る。帰って来てからが思いやられる。トイレには二度行くが一度は手間取っているうちに漏らしてしまう。
看護学校の同期生からの寄せ書きを見せる。「これは誰ちゃん」と言い、「励ましてくれるのは嬉しいね」と言うが、自分の病気をどう認識しているのだろうか。
11月29日
家屋調査。病院からPTとOTが来て、ケアマネージャーとフランスベッドが来る。トイレの手すり取り付けと12月16日ベッドの運びこみ、12月17日退院と決まる。いよいよ介護の生活が始まる。まだ実感が湧かない。どうなるのか不安の方が大きい。
11月30日
9:50のOTに間に合うように病院へ行く。12月17日だと、子供たちが学校で迎えることが出来ないので、退院を18日(土)に変更する。
OTが左手が動く可能性について言及すると、邦子は「こんなこともできるのかと思うと希望が湧く」と言う。(結局、動くことはなかった)
昨日、俺が作った豚汁が一夜でなくなったと言うと、「食べてくれると嬉しいものだ」と言い、保険のことも口にする。邦子に支払われた高度障害の保険金はきちんと管理していると教える。妄想的な話をするが、こんな会話が増えて来ると希望が湧いて来る。
12月1日
小説ゲラを貰う。初版は1万2千部。新人で文庫の初版はこんなものらしい。
12月2日
受け入れ準備。台所用品を買ったり動き回る。疲れて夜は手抜き。あじ塩焼きと筑前煮と味噌汁。これで邦子が帰って来たらどうなるのかと暗澹とする。遅く帰って来た息子があじ塩焼きを「まじ美味かった」と言う。焼き魚なんか好きではないと思っていたので驚く。邦子がよく言っていた台詞を思い出す。「美味しいと言って」その言葉の重みがずしりと伝わる。
夜、ゲラに手を入れる。
12月3日
ゲラ校正、一気に終える。
子供達夕食不要もひじき入りのおからを作っておく。遅く帰宅した娘が「何かある」と聞くのでおからを出すと、うまいと食べてくれる。これだから夕食不要でも何か作っておいてやりたいのだ。
12月4日(土)
パイプ棚を買って来て台所に組み立てる。邦子の居間になる8畳間の家具の配置を変える。化粧道具はまとめて押入れに片付ける。もう使うことはないのだろうなと思うとしんみりする。後は邦子が見るTVを買ってくれば迎え入れの準備はすべて終わる。
12月5日(日)
娘が見舞いに行く。「行くたびに良くなっている」と聞くと嬉しくなる。今日は小説に載せる俺の写真を持って行き、どれを載せたらいいか二人で検討した。
娘がまたボランティアでケニアに行きたいと言ったら、「自分も若い時、外国へ行くと言って皆を心配させた。生水は飲まない。一人では行動しない。約束できるならいい」と、言うようなことを言ったらしい。顔つきが変わって来たと娘は言う。
息子と二人で茶の間の箪笥を移動する。その他こまごましたものを押入れにしまう。後はベッドを入れるだけ。
12月6日
編集者にゲラの校正と写真を渡す。題名は新三郎武狂帖・千両帯にする。帰りに小田急の地下で総菜を見る。あまりにも美味そうなので今夜は手抜き。買って帰る。
12月7日
見舞いに行く。9時半~4時半。PTが4時からだったので帰宅が遅くなる。娘がよくなったと言ったが相変わらずのところも多い。期待し過ぎてはいけないと自戒して行くのだが、どうしても期待して落胆も大きくなる。疲れた。一方的なもの言いや、理解しようとしてくれないところは相変わらず。昼御飯も食べたことも忘れている。
便失禁があり看護師に始末の仕方を習う。在宅になったら全部俺の仕事だ。身体に付いた便を洗い流すためのマジックリンのような空き容器やポリバケツを用意するように言われる。
子供達、夕食不要。外食(秋刀魚定食)ですますも、きんぴらを作っておく。
OTから電話。11月1日に家屋調査の予定だったが、床暖房の工事を先にしてくれていいとのこと。急遽エネスタ狛江に電話する。一階の和室を邦子の居室にし、ベッドを入れるため床張りをするのに合わせて床暖房にする。明日、見積もり。忙しくなる。
10月22日
京王デパートで邦子の誕生祝いにブラウスを買う。今夜も子供たちは夕食不要。水煮の豆と人参を加えたひじき煮を作る。帰宅した娘がぱくぱく食べてくれる。
10月23日(土)
57歳の誕生日。娘がプレゼントをくれたが、25日(邦子の誕生日)に一緒に開けてくれと言うのでそれまでは内容不明。邦子からもお祝いのメッセージがある。娘が助けて作成したものだと言う。こういうことをしてくれるのが我が娘である。


誕生日の誕の字が書けていない。文面は『博久様へ 今年は子供たちが喜ぶような有名人を目指しましょう 邦子より』とある。邦子らしい言葉に思わずにやりと笑う。
10月24日(日)
娘が久しぶりにお母さんに会いたいと見舞いに行ったので小説の直しを進める。
菊花賞デルタブルースの単勝、馬連万馬券が的中。5000円が110,520円になる。たまにはこんなことがあっても。
10月25日
娘に託された二人一緒のプレゼントは夫婦茶碗と箸二膳。『家に戻ったらこの夫婦茶碗で仲良く御飯を食べてね』のメッセージ。泣けて、泣けて。邦子に「どうして泣くの」と言われて、また涙が溢れる。
嬉しいことがもう一つ。左足の振り出しが出来るようになった。三回に二回はわずかながらも自分で左足を動かす。まさか左足が動くなんて。夢を見ているようだ。今日もOT、PTからリハビリを少し習う。
10月26日
Tが某大手ゲーム会社に出す見積書に俺のハンコも欲しいと言うので新宿へ出る。有限会社を作ったらやって行けそうな感じになって来た。すべてTの力。
10月28日
連日食費が凄い。三人なのに六人前は作っていて、それがきれいになくなる。
10月30日(土)
小説直し終わる。一人は寂しい。外食しても何か一品だけは作る。ひじきの五目煮を作り、栗をゆでる。遅く帰った娘が栗をぱくぱく食べる。
10月31日(日)
見舞い。久我山の病院の時から比べたら楽になった。ただ尿意を訴えてくれないのは困る。俺にも言いにくいのだろうか。そんなはずはないと思うが。尿意を訴えることがわからないのかとも思う。
11月1日
Tが頑張って何とか会社を作ってやって行けそう。ゲーム会社だから俺のやることはシナリオ関係だけ。シナリオが必要になった時だけ、若い作家が書いたものを監修する役。これなら小説と並行して出来そう。
11月2日
今日も一人飯。コロッケ買って来て冷蔵庫の干物を焼いてすます。食後、高野豆腐と椎茸、人参を煮る。薩摩芋の辛し和えなるものもレシピを見ながら作るも、娘は辛子がだめ。ああ。
11月3日
見舞い。今日は尿意を訴えてくれた。疲れたのかずっと寝ていて、マッサージをしてやった。近くの公園を車椅子散歩する。帰宅後、けんちん汁を作るも外食。
11月5日
今日STを習うために病院へ行くつもりだったが、予定が来るって行けず。明日、行くことにする。明日のために料理を作る。ごぼうのささがきを作っていたら妹から電話がある。ささがきは冷凍の袋を売っていると笑われる。
11月6日(土)
このところ休日と祭日のみ見舞いに行っていたので、今日はOTとSTに立ち会いたかったが、STに立ち会う。また色々と教えてもらう。固い筋肉がずいぶん柔らかくなったので、それに従って足も動くようになったのであろうととのこと。トイレでのつかまり立ちも長く立てるようになった。
11月7日(日)
リフォームの再見積もり。廊下の段差解消を入れたりしたら170万になる。高くなり過ぎたので業者が材質を見直して149万に抑えてくれる。それでも高いことに変わりはない。見舞いに行った娘から電話。邦子が出雲に電話すると言って、自分でプッシュホンを押したそうだ。0853-28-〇〇〇〇。
俺にも電話が来た。へんなことを言っていたが、自分で電話できるようになったのは大変な進歩だと思う。出雲の電話番号も憶えていたのだから。
11月8日
今日は先を考えて料理の練習日。鯖の味噌煮、人参の胡麻和え、豚肉とひじきの煮物。娘はすっかり食べる人になって、帰宅してぺろりと平らげると、二階へあがって仏検の勉強。夏前まで家事負担をかけていたからこれでいいのさ。
11月9日
病院。OT、PTはノートに図解でメモを取る。在宅になってからのリハビリのため。STから邦子は自分の記憶の不確かさに不安を口にしたと教えてくれる。そこまで認識できるようになったのは驚きで進歩だと思うが、反面可哀想に思う。おそらく取り戻せない記憶だと思うのだ。
朝はパンを食べていることを知る。ずっとおかゆを食べていると思っていたのでほっとする。朝がパンなら楽でいいと思う俺。
11月11日
昼食後、どうにも身体が動かぬほどくたびれベッドに鉛の塊となって埋まっていた。こういう時は頑張ってはいけないと割り切って休む。一時間ほどうつらうつらしていたら回復する。
娘、帰宅一声。ニンニクとオイスターの匂いに「いい匂い、なに?」仏検が迫っているので5時半には食べさせてやる。ししゃもとブロッコリーと卵のオイスター炒め。ぺろりと食べて二階へ。
11月14日(日)
母、上京。荷物が重いと言うので東京駅に迎えに行く。喜寿の祝いをする。
11月15日
リフォームが始まる。邦子の居室となる茶の間が6㎝傾いていることがわかるが直すとなると大工事になるのでそのまま進める。
午後から母を連れて見舞いに行く。予想したほどの反応はなし。実母なら違うだろうが、実母は会いたくても体力的に自信がなくて上京はあきらめている。
小説の出版は1月に決まる。一人になると込み上げて来るものがあり泣きそうになる。
11月16日
熊本の義母から電話。退院して26日に戻る連絡。入院していたことを初めて知る。年金ではケアハウス住まいは無理だが、糖尿食を宅配してもらえれば暮らせるとの連絡。今は何とかしてもらうしかない。
11月17日
母と見舞い。小説発売を伝える。邦子、心底喜んでくれる。リハビリの療法士にも俺の本が出ると報告する。俺を困った人だと言わんばかりに三文文士とからかっていた妻が本当に嬉しそうな顔をしていた。よくしゃべるようになった。怒ったり、感情を爆発させるようにもなった。わがままも出たり、わからんことも言い募るが、感情の発現の仕方がより人間らしく感じられるようになって来た。
PTでも今日は両足素足で歩行訓練できるようになった。もちろんPTの介助つきだが、麻痺して拘縮して不自然に歪んでいた左足がぴたりと床に着くようになる。
11月19日
母と見舞いに行く。主治医と面談。話はだいぶ通じるようになったが、関節は固くなり始めたという。STは筋肉は柔らかくなったと言っていたがどう判断すればいいのか?
STでは今日は11月19日と答えたのには驚く。つい二週間前まではでたらめだったのに。
17日はトイレを3回訴えたが、今日は1回だけ。
11月20日(土)
母は藤沢の妹のところへ行く。妹が成城学園まで迎えに来て、おかずをくれる。母が料理してくれたので一週間助かった。今日は台所の工事終了。月曜には終わりそう。
11月21日(日)
母の一週間の滞在でくたびれ、今日の見舞いは1:00~3:30。邦子が看護師の名前を言っていることに気づく。人の名前も覚えることが出来るようになったようだ。と言っても相変わらず変なことは言い続けている。
11月22日
リフォーム終了。床暖は暖かい。これで邦子も快適に過ごせるし、介護する方も楽。
娘が午前中見舞いに行ってから大学へ。タバコは持っていないと言ったら、「高幡不動に誓ってないと言うか」と邦子に言われたよし。退院して「たばこ」「酒」とせがまれるのが今から頭痛の種である。リハビリ科の家屋調査が29日に決まる。
11月23日(勤労感謝の日)
見舞い。1:00~3:00過ぎまで。以前は一人にしておくのが哀れで長くいるようにしたが、さすがに見舞い疲れする。もうすぐ退院だし、しっかりして来たので2時間ぐらいで帰ることにしている。帰り際振り返ると、一人でTVのチャンネルを変えて見ていた。
11月24日
娘と話していて思い出したことがある。邦子が「冬のソナタの映画を見ていない」と俺に言ったことを話したら、娘は邦子が「大統領選挙はゲー(ケリー候補のこと。勝ったのはブッシュ)が勝ったのか」と娘に聞いたことがあると教えてくれた。
冬ソナが流行った時も観るような主婦ではなかったが、話題になっていたことは覚えていたのか。大統領選挙はTVを見ていてインプットされたのかもしれない。希望の持てる話だ。
11月26日
「お母さんの味大百科」を見て、豚肉とニンニクの炒め物と無国籍スープ(ツナ、トマト、豆腐)を作る。酸っぱいスープは疲れた時に美味かったと好評。
11月28日(日)
子供たちは夕食不要なので、久しぶりに邦子の所に4:30分までいる。タバコを吸いたいと言われるのには参る。帰って来てからが思いやられる。トイレには二度行くが一度は手間取っているうちに漏らしてしまう。
看護学校の同期生からの寄せ書きを見せる。「これは誰ちゃん」と言い、「励ましてくれるのは嬉しいね」と言うが、自分の病気をどう認識しているのだろうか。
11月29日
家屋調査。病院からPTとOTが来て、ケアマネージャーとフランスベッドが来る。トイレの手すり取り付けと12月16日ベッドの運びこみ、12月17日退院と決まる。いよいよ介護の生活が始まる。まだ実感が湧かない。どうなるのか不安の方が大きい。
11月30日
9:50のOTに間に合うように病院へ行く。12月17日だと、子供たちが学校で迎えることが出来ないので、退院を18日(土)に変更する。
OTが左手が動く可能性について言及すると、邦子は「こんなこともできるのかと思うと希望が湧く」と言う。(結局、動くことはなかった)
昨日、俺が作った豚汁が一夜でなくなったと言うと、「食べてくれると嬉しいものだ」と言い、保険のことも口にする。邦子に支払われた高度障害の保険金はきちんと管理していると教える。妄想的な話をするが、こんな会話が増えて来ると希望が湧いて来る。
12月1日
小説ゲラを貰う。初版は1万2千部。新人で文庫の初版はこんなものらしい。
12月2日
受け入れ準備。台所用品を買ったり動き回る。疲れて夜は手抜き。あじ塩焼きと筑前煮と味噌汁。これで邦子が帰って来たらどうなるのかと暗澹とする。遅く帰って来た息子があじ塩焼きを「まじ美味かった」と言う。焼き魚なんか好きではないと思っていたので驚く。邦子がよく言っていた台詞を思い出す。「美味しいと言って」その言葉の重みがずしりと伝わる。
夜、ゲラに手を入れる。
12月3日
ゲラ校正、一気に終える。
子供達夕食不要もひじき入りのおからを作っておく。遅く帰宅した娘が「何かある」と聞くのでおからを出すと、うまいと食べてくれる。これだから夕食不要でも何か作っておいてやりたいのだ。
12月4日(土)
パイプ棚を買って来て台所に組み立てる。邦子の居間になる8畳間の家具の配置を変える。化粧道具はまとめて押入れに片付ける。もう使うことはないのだろうなと思うとしんみりする。後は邦子が見るTVを買ってくれば迎え入れの準備はすべて終わる。
12月5日(日)
娘が見舞いに行く。「行くたびに良くなっている」と聞くと嬉しくなる。今日は小説に載せる俺の写真を持って行き、どれを載せたらいいか二人で検討した。
娘がまたボランティアでケニアに行きたいと言ったら、「自分も若い時、外国へ行くと言って皆を心配させた。生水は飲まない。一人では行動しない。約束できるならいい」と、言うようなことを言ったらしい。顔つきが変わって来たと娘は言う。
息子と二人で茶の間の箪笥を移動する。その他こまごましたものを押入れにしまう。後はベッドを入れるだけ。
12月6日
編集者にゲラの校正と写真を渡す。題名は新三郎武狂帖・千両帯にする。帰りに小田急の地下で総菜を見る。あまりにも美味そうなので今夜は手抜き。買って帰る。
12月7日
見舞いに行く。9時半~4時半。PTが4時からだったので帰宅が遅くなる。娘がよくなったと言ったが相変わらずのところも多い。期待し過ぎてはいけないと自戒して行くのだが、どうしても期待して落胆も大きくなる。疲れた。一方的なもの言いや、理解しようとしてくれないところは相変わらず。昼御飯も食べたことも忘れている。
便失禁があり看護師に始末の仕方を習う。在宅になったら全部俺の仕事だ。身体に付いた便を洗い流すためのマジックリンのような空き容器やポリバケツを用意するように言われる。
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