9月1日
今日の昼食は鶏肉と玉ねぎの卵とじ、ほうれん草の煮たものなど。平気で食べている。味噌汁もお茶も飲む。御飯はまだ全粥。
9月2日
朝から新宿京王デパート。介護用品売り場で妻の服を2着買い、スポーツ用品売り場でトレーナーを買う。昨日手抜きしたので今日は肉じゃが。息子にじゃが芋の皮むきを手伝わせる。
夜の10時に今後の仕事について明日元親会社のえらいさんと会議をするので打ち合わせをしたいと呼び出される。Tは最後まで頑張ってくれたのでもう俺はやらないと断るのも申し訳なくて出て行く。
9月3日
元親会社との話し合いは不調。疲れた。家へ戻り、9月1日からの身障者受給票を持って病院へ。邦子は先生からインタビューを受けていたが、支離滅裂なことを言っている。自宅へ戻れば必ずよくなると信じて希望は絶対に捨てない。ヘロヘロになって帰宅。
(入院して三ヶ月のリハビリを受けたら、転院して三ヶ月の回復期リハビリを受け、それが終わったら自宅に戻る。回復期リハビリが終わったらもう次のリハビリは受けられないことに決まっている。だがごく少数だが特例を設けてそういう患者を受け入れてくれている病院がある。それが八王子永世病院だった。私は妻はまだ若い、絶対によくなると必死に頼み込んだ。転院が決まった時、烏山の病院はこれまでうちの病院で八王子永世病院へ転院した人はいない。初めてのことだと驚いた。それくらいこの店員は奇跡ともいえる転院だったのである)
9月4日(土)【転院】
9時半烏山の病院を出発。中央高速を通って10時半八王子永世病院到着。出発するとき、涙が出るかと思ったが、前回とは病状も状況も違う。在宅になったらまた診察やリハビリを受けに戻って来るし、看護婦さんたちも明るく送ってくれたので泣かずにすんだ。
早速リハビリを受けるが、PTもSTもOTもひとつひとつが丁寧。すべてが在宅準備に向けられていることを感じる。帰宅したら家の見取り図を描き、写真を撮って提出しなければならない。
一体いつになったら小説の直しができるのやら。
9月5日
娘は発熱。俺一人で車で八王子へ。高速を飛ばして50分かかる。府中のおじさん夫婦や隣のYさん夫婦も見舞いに来てくれる。
昼食終了後に到着。邦子はまだ何か食べたいと言う。入院診療計画書を見ると、病名は右脳出血、左辺麻痺、失語症、嚥下障害、高血圧症とあり、病状としては左辺麻痺と失語症とある。治療計画は継続リハビリテーションと在宅準備。推定される入院期間は1ヶ月半とあった。3ヶ月を期待していたので短くて驚く。せめて2ヶ月は預かって欲しいのだが。失語症にもショックを受ける。邦子のような状態が失語症の範疇に入るとは知らなかった。果たして治るものだろうか。
9月6日
9時前に市役所へ行き介護更新の申請。夕方、新宿へ出てTがとって来た仕事を曽田事務所で受ける話し合い。Tは自分の会社を持っていないので俺の会社で受ける形を取らないといけないのだ。
9月7日
10時半前には病院へ着く。午前のOT、昼食、ST、PTと全部付き合う。昼食は鯖の西京焼き。骨は指で出して食べる。レタスは細かく切ったのをそのまま食べている。OTは着替えの練習。PTでは左足に装具をつけたら足裏がぴたりと床につくので、介助されながら手すりにつかまり数メートル歩く。これは歩く練習ではなく、将来的に車椅子の乗り移りが楽になるための練習。STとの応答は哀しいものだった。食べたいが始まってからは意識がすべてそっちに行ってしまう。
8月27日以来、初めて小説の直しにかかる。水、木、金と見舞いを休んで小説に専念しないと。
9月8日
午前中、家屋調査票完成。写真も撮る。午後から小説直し。その後、写真館に娘の振袖の写真を取りに行く。「お母さんに似て来たかな」と娘。息子も母親に似て来たと言われたそうだ。こういう話になると邦子には早く戻って来てほしい。
9月12日(日)
覚悟していたが日曜は混む。調布インターに入るのに1時間以上かかる。行き2時間弱、帰り1時間強。何と看護学校時代の友人4人が見舞いに来てくれていた。邦子は全員が分る。4人だと普通に会話が成り立つ。
左手が不自由なこと。皆に迷惑をかけているようなことを言う。皆に励まされ、これからは何でも旦那にしてもらえばいいと言われ、納得した様子。邦子は島根松江出身の友達が忘れていたドジョウすくいの話をする。
この一週間、装具をつけて歩く練習をしたせいか、なんとなく体がしゃきっとし、心なし表情が出て来たような気がする。相変わらず「食べる」ばかり言うが。
9月13日
息子に15日に見舞いに行ってもらおうと思ったら、ゼミの勉強を口実に渋っている。頭に来て不機嫌な顔をしたらもごもご言い訳をする。要は見舞いに行っても「食べたい」ばかりで、あげく「帰れ」といわれたりするのが苦痛なのだと言う。気持ちはわかるが、妹も同じ目に遭っていると言ったら行くと言う。そっとため息をつく。子供達も可哀想だが邦子も可哀想。俺なら一番可哀想なのは邦子と思うが、これからは無理強いしてまでも見舞いに行かせるのはやめようと思う。
9月14日
10時半に着き4時半までいる。OTで車椅子の乗り移りの正しい方法やこつを学び実際にやってみる。午後、PTでは足の装具作りに立ち会う。STでは月日を問われて「3月」と答える。二人きりになると「食べたい」が始まり辛い。
八王子の介護認定員が介護の見直しに来る。要介護4になるかもしれない。ぎりぎりのところと言う。こんなに大変なのだから要介護5にしてほしいと切実に思う。
9月15日
一日家に居ると小説の直しが出来る。妹が藤沢から車でおかずを届けてくれ、電車で見舞いに行ってくれる。助かった。味噌汁を作るだけでよかったが30分もかかる。
9月16日
今日も小説の直し。夕食は鶏のミートボールと小玉ねぎと隠元の煮物を作る。邦子が戻って来た時のためにレパートリーを増やさなければならない。
9月17日
Tに付き合って仕事の打ち合わせに出る。その後、九段の法務局へ行き、後見の登記事項証明を取る。
帰宅したらTBSのブロードキャスターから電話。明日の夜、戦隊シリーズの特集の取材をしたいと言う。上原さんに断られ、俺に取材しろと言われたのだそうだ。俺だって嫌だ。上原さんを恨む。明日は病院へ行くので無理だと言ったら、赤坂まで来れないかと言う。断ったら夜の10時に来て30分取材撮影して帰る。
娘の見舞い報告。先生たちが邦子の歩行訓練の進歩に感心していたそうだ。明日の主治医との面会が楽しみ。娘は邦子と英会話をしているそうだ。いい手だと思うが俺は英会話はできない。顔つきが変わって来たと娘は言う。
9月18日(土)【リハビリ延長決定】
病院10時半から5時までいる。4時~5時は嚥下の講習会。
先生との面談。リハビリの具合がいい。特に歩行訓練がいいので、もっと入院期間を延ばすことになる。飛び上がるぐらい嬉しい。だがリハビリ計画書を見ると、糖尿病に高血圧と診断され、理解力が低い、すぐに忘れる、見当識、記憶に著しい混乱が見られる。自覚がほとんどないと記されていた。
9月19日(日)
9月のこの時期に31℃。暑い。リハビリはないのでずっと付き添い。それでも写経を40分やり、間を持たす。くたびれて夜は仕事にならず。
9月20日
娘は日本に戻って来た王さんと見舞い。病院は敬老の日フェスティバル。邦子といっしょにプリクラ撮ったり、ヨーヨーをすくったりしたそうだ。「苛立つ」という英語を「イリテーション」と言ったので、娘も王さんも驚いたそうだ。邦子は「イライラするのでイラテーションだ」とも言い換えたそうだ。こんな話を聞くとまともに思えるのだが。
9月21日
今日も30℃を越す。見舞い。昨日、娘が来てぬいぐるみを買ったことは覚えているが、王さんが来たことは忘れている。
9月26日(日)
12時半着。約40分、足をマッサージしながら話す。その後、車椅子散歩して食堂でTVを見る。3時過ぎから食べるコールやたばこコールが始まるが、いつもと比べたら今日は楽な方だった。
9月27日
娘は箱根へ。生姜焼きと味噌汁を作る。息子は寝る前にも食べていた。娘が炒り豆腐を作っておいてくれたおかげ。買い物をいれると結構時間がかかる。邦子が戻って来たら一週間の献立を考え、買いだめもしておかないと、介護と食事作りで一日が終わることになりかねない。
9月28日
見舞い。トイレに付き合ったがトイレ介助は大変。とても一人では出来ない。足の装具が完成してもまだまだである。
今日も二人の子の他に「もう一人出来の悪いひょろっとした子がいる」と言う。どこからそんな話が出てくるのか、理解不能。
9月30日
娘が見舞い。もう4時ごろからテーブルについて食事を要求していると聞かされると俺も落ち込む。でも今日は杖で歩行訓練をしていたそうだ。
ベッドに移される時、餃子を食べたいと言ったら、PTに後でと言われ、邦子は右手で殴る真似をしたそうだ。そういう話を聞くと、妻らしさが戻って来たと思う。
10月1日
息子は内定式。娘はサッカーの夜間練習。夕食は手抜きしてもよかったのだが、邦子が戻って来てからのことを考え、じゃが芋を揚げたものと豚肉とコンニャクの炒め煮を作ってみる。しかし子供たちがいないと寂しさひとしお。早く邦子に戻って来て欲しいと思う。
10月3日
調布から病院のあるめじろ台まで特急ならそう遠くはない。以前は食事が終わってもすぐに「食べたい」と言って疲れさせられたが、このところおとなしくTVをみていてくれたりする。クイズ番組で「秋きぬと目にはさやかに見えねども」の下の句を問うていたら「風の音にぞ驚かれぬ」と、答える。こういう記憶は大したものなのである。
カーディガンを着る時、「人に手伝って貰わないと着れないのは悲しい」と言う。「あぁ、そんな風に思っていたのか」としんみりする。まともな感情を持っていることをわかってやらないといけないと痛切に思う。
夜、息子と二人で焼き肉をして食べていたら、息子が見舞いに行った時には、「お父さんと〇〇(娘)は見舞いに来てもちっとも面白くない」と、言ったそうだ。
10月5日
歩行訓練は目覚ましい進歩。四つ足の杖で介助されながらリハビリルームの半分を一回休んでぐるりと回る。麻痺している左足も「動かしてごらん」と、言われたら、こころなし前へ振られたように見えた。根気よく動くと信じてやれば動くのではないかと思った。
そろそろ自宅を見たいとPTに言われる。OTも息子や娘に介助の仕方を教えたいと言う。在宅が近づいていることを実感する。トイレで20数える間、つかまり立ちできるようになった。ただし、理解力と記憶力は絶望的に悪い。リハビリに行く前に自分で隠しておいた3つの物を戻って来た時には見つけることができない。そのくせ、邦子得意の唐揚げのレシピは、ニンニクと生姜を醤油にすりおろし、一日漬込んでから揚げるとすらすら答える。
10月6日
豚ばらと白菜の土鍋蒸し煮を作る。何かのレシピで覚えたもの。5時限まで授業のあった娘が疲れて帰って来て喜んで食う。「お父さん、主婦してるね」と言うが、しっかり主婦にならないとこの先やって行けないのである。
10月9日
牛肉とキノコのおろし煮好評。遅く帰った娘が作り方を聞きに来る。
10月11日(祭日)
見舞い。病院横の喫茶店で邦子とコーヒーを飲む。「ビールを飲みたい」、「タバコを吸いたい」と、しつこく繰り返すが、こういう試みは悪くない。帰りに「新聞を読む」と言い出したので、病院の食堂に連れて行き、新聞を置き、後は看護師に頼んで帰る。果たして読んだかどうかわからない。新聞を読むと言ったのは初めて。
10月13日
15日から御飯になるので今日から箸で食べる訓練に入る。在宅にあたっておかゆを作るのが大変なので御飯を食べられるようにするものなり。
PTも左足のマッサージの方法を教えてくれる。俺がまじめによく通っているので、「曽田さんなら、ホームワークが出来るから」と、特別に教えてくれたのである。ポラロイド写真も撮ってくれた。
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邦子をマッサージしている写真。今日撮った写真をもとに作ってくれて、退院する時にプレゼントしてもらった。
(後日談:ここまでやって貰ったのに、その後、在宅になってから教わった通りにマッサージをしたのは、ほんの2、3回に過ぎない。介護や食事の支度などに疲労困憊しマッサージをしなければと思ってもそれだけの気力が失せてしまっていたのだ。懇切丁寧に教えてくれたPTに申し訳なく思い、邦子に対してもいいマッサージをしてやれないことに罪悪感を抱き続けた)
10月15日
サッカーの練習があるはずなのに、娘が浮かぬ顔で帰って来る。夜、思い切って声を掛ける。夏休みの間はよかったのだが授業が始まったら、また前のように授業にでるのが辛くなったと言う。母親のことも精神的な負担になっていると言う。またあの重ぐるしい日々が続くのかと思うと目の前が暗くなる。俺だって眠れない夜があり、不安で動悸が止まらない時があり、泣きたい日もあった。自分では乗り越えられたのは頑張る邦子の姿に励まされたからだと思っている。そんなことをとりとめもなく話したが、最後は自分で解決するしかない。いっぱいいろんなことを話せたのはよかった。
10月16日(土)
介護教習があるので急遽行く。片半身まひがどんなに辛いものか体感できる姿勢(段差から半身が出るように寝た時の姿勢)を取って教えられる。体半分が自分のものではない感覚と言ったらいいだろうか。こんな辛い思いをしているのかと思うと涙が出る。
御飯になったので昼食を見に行く。少し硬めのご飯だが箸を使って食べている。おいしいかと問うたら
「古米だからまずい」と言うが、御飯を食べられるようになったのが嬉しそうに見えた。
ケアマネージャーを決めてくれと言われる。治療計画書を見たら11月中旬退院予定とある。いよいよだ。
夜、娘がフットサルして元気に帰って来る。友達が食事に誘ってくれたそうだ。昨夜、俺が話したことなどを話したら、泣きながら聞いてくれそうだ。
10月17日(日)
娘が見舞いに行くと言うのを今日は止める。代わりに俺が行くが二日続けてはさすがにくたびれる。今日は特に妄語が多かった。
10月18日
つつじが丘支援センターに行き、ケアマネージャーの選任を依頼する。事業所とケアマネージャーが決まる。明日、契約。
10月19日
ケアマネージャーが来訪。契約する。経験豊富そうな女性。「まずオムツが取れるようにしましょう」と言ってくれる。
その後、新宿へ出て、編集者と小説の直しの打ち合わせ。帰宅したら豆柴のモモが俺のベッドにおしっこをしている。雨が降っているのに。「ばか犬め」
10月20日
台風接近で雨も降っていたが、今日は午後からのリハビリがない日なのでしゃにむに行く。1時間半マッサージをしてやる。妻はうつらうつら。
「くたびれないか、ありがとう」と、言ってくれる。ほかに「私が死んだらどうなるのだろう。この世から一人少なくなるだけかな」なんてことも言う。支離滅裂なことや、妄語を連発する中で、ひょいとこんな言葉が出て来るから、よくなると信じたいのだ。