(1)からの続き

3月15日
仲の良かった妻の友達に見舞いの御礼の手紙を書いていたらとめどもなく涙が出て来る。
3月16日
府中に住む義理のおばさんが妻の従妹を伴って見舞いに来る。従妹が泣くので私は今日も泣く。おばさんは夕食のおかずを持参。これがなかったら私たちはどんな食事をしていたことか。
3月17日
家裁八王子支部へ行き後見人手続きを教えて貰う。想像以上に大変。その後、病室で年配の美容師さんと会う。客と美容師の間を超えた友達。妻は友達作りの天才だった。
暑いので風を送ってやったら小さなあくびを三回する。こんな反応は初めて。生きていることを実感する。
帰宅して娘を図書館へ送った帰りに、小学校の塀に車をぶつける。何をしても心ここにあらず。
3月18日
近所の酒屋の御夫婦が見舞いに来てくれる。奥さんが「くにちゃん、くにちゃん」と名前を呼びながらずっと足を揉んでくれた。
相談室で次の療養病院の相談。
3月19日
昨日今日と後見人申請のための必要書類集め。熊本の市役所まで手紙を出す。
午後から見舞いし、その後、相談室で昨日の続き。月37万円~38万円かかりそうだが、高額医療費の減免制度があることを知る。二人部屋で差額ベッド代は7000円~1万円。
3月20日
妹が藤沢から見舞いに来てくれる。おかずも持って来てくれる。これで夕食は娘がシチューを作ってくれたらOK。助かる。
今日は妻の父親の50回忌。妻が熊本へ帰ったのはこの50回忌の相談。母親に任せきれないので喧嘩までして妻がすることに決めたのだが結局出来なかった。若くして死んだ義父におはぎを供える。
妻は昨日から水枕をしている。熱が引かない。耳元で妻の名を呼ぶが二回繰り返したらもう涙が出て来て声にならない。
3月21日
妻が倒れてから小説はストップしたまま一行も書けない。何とかしなければと焦るのだがPCに向かったからと言ってすぐに書けるものではない。妻のベッドサイドに見舞いに来た人からの置手紙があった。
3月22日
いよいよ会社が危ないようだ。報酬は月給制に変わっていた。月給がなくなる。そのためにも小説を頑張らないといけないのだが、頭を切り換えて小説の世界に没入することがでいない。
3月23日
看護学校の同期の女性で介護の仕事をしている人が見舞いに来る。元気ではつらつとした姿を見ると、もはやこのような姿は望むべくもない妻が可哀想で涙が出て来る。HさんとYさんがまた見舞いに来てくれる。
3月24日
長男の小学校時代の友人のお母さんが見舞いに来てくれる。
3月25日
朝一番に家裁八王子支部に行き成年後見の申請をする。妻は被後見人になる。法的に一人前の人間としては扱われなくなる。遠くへ行ってしまったような気がしてしんみりする。
看護学校時代の先生が次の病院を紹介してくれるが、西武多摩湖線の八坂駅。乗り換え乗り換えして1時間半はかかる。
このところ瞼が動くようになる。あくびをした時は今にも起きるのではないかと思うくらいになった。少しでも良くなるのは嬉しいが赤ん坊のようなあくびしかできないことに切なさが募る。
3月27日
妻が倒れて一ヶ月。早いような長いような。娘が春休みで手伝いしてくれたが新学期が始まったらこうはゆくまい。息子も就活でますます忙しくなる。
今日は微かにではあるが左腕が動いた。元気になってくれるような気がした。
3月28日
熊本の義母から電話。娘のことを考えると泣いてばかりいると言う。
妻の瞼が開くことが多くなる。半開きの目にじっと見つめられる。
「どうしてわたしの苦労に気がついてくれなかったの」
「どうして私が疲れていたことに気がついてくれなかったの」
と言われているようで、辛くてたまらない。
3月29日
今日はぐっすり寝ていた。ピクリとも動かず。一月寝ていたら脚の肉がすっかり落ちて痛々しい。
夜、車で会社へ。若い者達がすっかりだらけてしまっていると言うので、明日から会社へ出ることにする。毎日見舞いに行けなくなるが許してもらわないといけない。
3月30日
留守中、妻のおじさん夫婦がおかずを届けてくれる。西武多摩湖線八坂の病院まで見学に行き、パンフレットまで取って来てくれる。本当なら自分がしないといけないこと。頭が下がる。
ようやく小説に取り掛かるも100枚分を読み返しただけ。
3月31日
編集者と会う。一枚も書けずに心配をかけているので一章を読んでもらう。意見を出してもらい先へ進む約束をする。
娘が報告をすることがあると電話して来た。友達と会って遅く帰宅した娘から話を聞く。午後の見舞いで娘が持って来たお守りを手を伸ばして取ろうとしたそうだ。花瓶を動かすと目で追ったり、手を強く握り返したと言う。思わず耳を疑う。いつの間にそんなによくなっていたのか。嬉しい。
4月1日【耳が聞こえていたことがわかる】
今日もどうしても会社へ行く用があり、病院は娘に任せる。
教授回診があり、「視線が合っている。良くなってきている」と言われたよし。すると看護師が「曽田さん、手を上げてと言うと、昨日は手を上げた」と言ったよし。
まさか耳が聞こえていたとは。そんな話を聞いたら会社はどうでもよくなる。俺が行かない日に限ってこんな嬉しいことが起きていたなんて。決して過大な期待はしてはいけないと自戒しつつも胸がどきんどきんと高鳴る。この先どこまでよくなってくれるのか。車椅子でもいい、寝たきりでもいい。意思疎通ができることを願った。
4月2日
11時病院へ。ちょうど入浴するところ。看護師が「手伝いますか」と言うので、二つ返事で手伝うことに。まさか入浴していたとは。知らなかった。すでに二三回入浴しているそうだ。反応は期待し過ぎていた。だが看護師が「曽田さん、気持ちいいですか?手を上げて下さい」と言うと、かすかに手を上げる。目も見開いたままだが瞳がかすかだが動くようになった。妻を可愛がってくれていたお婆さんが妻が倒れたことを知り、「生きていてよかったとじゃない」と言ってくれた。その言葉を実感する。
4月3日
午後一、娘と病院へ。これまで話しかけても何の反応もなかったが、私たちはいつも話しかけていた。いつから聞こえるようになっていたのかわからないが、それがよかったのだ。聞こえていると分かると励みになる。今日も話し掛け、足の指もしっかりマッサージし、音楽も聞かせる。暗い気持ちで通った一ヶ月が嘘のような気がする。希望に向かって進むことだ。耳元で呼び続けることだ。
出版社を紹介してくれた友人がとにかく前へ進めと言うので、一章の手直しは後回しにして二章に入ることにする。
4月4日
娘と病院へ。見舞客も妻が反応を示したので驚く。帰宅後、後輩のライターから電話。親子三人で見舞いに行き、幼い娘が声をかけたら足をぴくぴくさせたらしい。今日は何組も見舞いがあった。
4月5日
今日から二章に入るも40日以上間が空いたので筆が一ミリも進まない。
妻は回復の兆しを見せてくれた。私は車椅子でもいいと思う一方で、ふともしこのまま寝たきりで口もきけない状態のままだったら、本人は何と思うだろうと後ろ向きなことを考えてしまう。
4月6日
今日は家裁調査官が来るので会社は休む。
午後から病院へ。脳外科病棟の主治医と会える。胃瘻(いろう)による栄養補給に切り替えると伝えられる。経管だと食事の訓練の時に戻すことがあるらしい、胃瘻の方が直接胃に栄養を送る(腹部から胃に穴を開けて送る)ので効果があるらしい。意識回復が進めば頭蓋骨を元へ戻す(開頭手術をした時の穴が開いたままになっている)骨入れの手術もした方がよいと言われる。
食事の訓練や意識回復が視野にはいっていることを知って嬉しい。
先生に無理を言ってどこまで回復するか聞く。左半身の麻痺は治らないが車椅子なら・・・と言われる。今日は車椅子に30分座ったそうだ。知らない所でどんどんすすんでゆくのが驚きであり嬉しいことである。
会社は6月に閉鎖になるらしい。
4月7日
妹が長女を連れて来る。娘と三人で見舞いに行く。今日の反応はとてもよく、「お母さん、右手が動くよね」と話しかけたら、ピアノを弾くように指を動かしたそうだ。そういう話を聞くと明日見舞いに行きたくなるが、親会社に提出する資料作り。
4月8日
会社で小説を進めるもまだ本調子にならない。結局会社での打ち合わせはできず。
娘によると妻はずっと眠っていたそうだ。
4月9日
娘に電話で様子を聞く。タオルを剥がそうとしたり、オムツを嫌そうにしたり、ずいぶんよくなったようだ。
4月10日
期待に胸を膨らませて娘と見舞いに行くも危惧した通り今日は何の反応もしてくれない。やはり一生このままかと哀しくなるもこういうことは一進一退と自分に言い聞かせる。目の光だけは強くなったような気がする。もっと大きな声で話しかけないといけないのかもしれない。娘も息子も俺がいない時は色々と喋りかけているようだ。
後見人と認める通知が来る。病院の妻にも俺が後見人になった報せが行くそうだ。読めないのに。後見人なんてなりたくない。一生後見人なんてたまらない。
4月11日
見舞いに行く。暑い日で汗を浮かべて眠っている。冷たいタオルで汗を拭き風を送る。今日も駄目かと思ったら目を覚ましたので、MDウオークマンで母校県立済々黌(せいせいこう)高校の校歌をきかせてやる。
***妻は自分の青春は済々黌で終わったと言うぐらい濟々黌が大好きで、先輩の古葉竹識が広島の監督の時は熱烈な広島ファン。横浜の監督になったら横浜ファンになった。その影響で長男は30年以上経った今も熱烈な横浜ファンである***
すると、妻がウオークマンを掴んで手に持つ。イヤホンのコードも掴む。妻が手を動かして物を持ったり動かしたりするのを初めて見る。嬉しいがどこまでわかってやっているのか分からない。よくなったらよくなったで煩悶は尽きない。週に3回しか来れないので、今日は2時間以上いて脚や手を揉み続けた。
4月12日
今日は400字で7枚書けた。これでも今の俺にしたらいい方。さらに嬉しい報せも。娘が扇子で仰いでやっていたら、妻が扇子を取って自分で仰いだと言う。その光景を携帯で撮影したものを見せてくれる。感激して何度も見る。回復に自信を持つ。
4月13日
季節の変わり目で風邪を引く。長男も軽い喘息の咳をする。長じて良くなったが完治したわけではない。妻は長男の幼い時からずっと喘息に付き合ってくれていたので、妻が不在だと不安になる。
4月14日
明日、見舞いに行くため薬を飲んで寝る。長男は明日が最終面接の発表。
4月15日
主治医と面談。回復しているように見えるが、ダメージの大きさから見たらいい経過と言うレベルと言われる。積極的なリハビリはまだ無理だそうだ。まず4月末に胃瘻の手術。その後、転院して人工頭蓋形成。そしてリハビリ付きの長期療養になるようだ。
終って病室に行くと息子が来ている。ちょうど最終面接に合格した報告をしたところだったようだ。妻の顔が泣き出しそうになったように見えた。分かったのだろうと思う。
看護師が来てグーチョキパーをすると言うので試してみたらかすかにそれらしく指を動かす。これもダメージの大きさからみたらいい経過なのだろうか。
4月16日
会社で内部分裂が起きてもうお手上げ。少しでも時間があれば小説を書きたいのにそれどころではなくなる。泣きたくなる。
4月17日
家族で一緒に見舞いの行くのは無駄なので土日木が俺。残りを子供達で手分けして行くことにする。長男は内定したがスポーツサークルのキャプテンをしているので夏の大会に向けて忙しい。長女は新学期が始まった。
今日は2時間いたが目を開けている時間はわずか、5月下旬の状態が行く末に反映すると言われたので、少しでも覚醒時間が長くなるように願うのだが、このまま止まってしまうのではないかと悲観的になる。
4月18日
今日は俺がいる間、半分近く起きていた。しきりに右手を動かしていたし、目が合うと沢山話し掛けた。いい見舞いだった。
4月19日
息子が見舞いに行ったら王さんが見舞いに来てくれたそうだ。お見舞いを3万も包んで。王さんは中国人の若い奥さん。ご主人が家電メーカーに派遣された技術者。スーパーでバイトしていた王さんがパートのおばさんから馬鹿にされていたのを見て腹を立てた妻が王さんを慰め、爾来仲良しになった女性。英語ペラペラのインテリ。妻は家の前で道に迷った韓国人留学生金君とも仲良くなり、留学生仲間を呼んでお好み焼きをふるまった。日本人の家に初めて上がった若者たちは大喜びした。妻は外国人だってすぐに仲良くなる友達作りの天才だった。