4月28日の補欠選挙の前日、私は隣家に電話した。「投票用紙が送って来ないんだけどどうしたんだろう」「選挙があるのは島根1区ですよ。出雲は2区ですよ」と笑われた。道理で静かなはずだ。世間で騒がれているわりには静かだなあと思っていたのだ。
結果が出た後の翌日、畑で近所の主婦二人を交えて選挙の話。一人は60代後半、一人は70代前半。60代主婦はなんと亀井亜希子の応援に行ってたと言うのでビックリ。選挙区でもないのに手伝いに行ってたとは。「他県の人からは保守王国なんて言われて馬鹿にされているみたいでねえ」「ほんとよね、応援した甲斐があったわねえ」
まさか60代主婦と70代主婦からこんな台詞が出て来るとは。当地は出雲でも昔ながらの古い風習が未だに残っていると言われている土地柄なのにである。「ま、これからが、どうかよねえ」と今回が一過性のものかどうかまで言及するほど冷静に見ているところもなかなかのものである。出雲の老年主婦もたいしたものだと改めて見直す。
日本中の小選挙区の中でたった一つ自民党が独占していた議席を今回初めて奪ったのが亀井亜希子。父親が亀井久興という自民党代議士で、亀井亜希子も小政党を渡り歩き今回は立憲から立候補した訳だが、実はこの亀井亜紀子はその血筋を遡ってゆけば、このブログでもしばしば取り上げ、わたしが小説を書いている多胡辰敬につながるのである。
辰敬の子孫の話もブログでは何回か書いているが(最終章10章の後日談にも書いた)忘れている人もいれば最終章は読んでいない人もいるでしょうから改めて紹介することにします。

岩山城で自害した多胡辰敬には一男一女があり。その娘が結婚したのが湯永綱。湯氏と言うのは今の玉造温泉あたりを領した国人領主で尼子氏でも有力な武将だった。辰敬の娘と永綱の間に生まれたのが湯新十郎である。尼子氏が毛利に滅ぼされた後、この新十郎が山中鹿之助のもとに馳せ参じて尼子再興のために戦う。鹿之助は若くて豪胆有能な新十郎をいたく可愛がる。この時、鹿之助は尼子の重臣だった亀井氏の長女と結婚し亀井鹿之助と名乗っていたが、鹿之助の兄が死んだために山中家を継がなければならなくなる。尼子の名家亀井の名が絶えることを惜しんだ鹿之助は、妻の妹を新十郎に娶わせ新十郎に亀井姓を名乗らせる。亀井新十郎の誕生である。亀井新十郎は山名鹿之助が毛利に殺された後は尼子再興の中心となって秀吉に仕え、尼子びいきの秀吉からも可愛がられる。
有名な話がある。秀吉が毛利攻めをしている時、秀吉は毛利を滅ぼしたら亀井茲矩(これのり・新十郎改め)に出雲半国を与えると約束した。ところが本能寺の変で信長が殺されたので秀吉は毛利と講和し中国大返しをする。茲矩との約束も毛利と講和してしまったので果たせなくなってしまった。
秀吉は気の毒に思い、茲矩に望みの国を与えるから欲しい国を申し出るように言うが、茲矩は琉球を征服するから琉球を下さいと言い秀吉をいたく喜ばせる。秀吉は茲矩に琉球守と言う受領名を与えた。正式な受領名の中に琉球守という受領名はない。後にも先にも一時的であったが琉球守を名乗ったのは亀井茲矩ただ一人である。この後、茲矩は因幡国鹿野城主に取り立てられ一万三千五百石の大名となり、秀吉没後は関ヶ原の戦いでは東軍につき、三万八千石となる。
そして、その子政矩(まさのり)の時、津和野藩主となって四万三千石を領す。
以後、亀井家は津和野藩主として明治に至り、今回の補選で当選した亀井亜希子に続くのである。
ところで、亀井家の次女を娶った新十郎であるが夫婦の折り合いが悪く暫くして別れてしまう。その再婚の相手が、多胡重盛の娘である。即ち辰敬の長男の娘。新十郎にとっては従妹になる。新十郎は母が辰敬の娘で、妻は辰敬の孫ということになる。津和野亀井家の初代は母から辰敬の血を受け継ぎ、再婚した妻からも辰敬の血を受け継いでいるのである。