11月22日から23日、京都の妙心寺本山参拝に行って来た。正式には臨済宗の「山陰西教区第四部花園会本山参拝」。毎年秋が深まった頃に行くのだが、コロナで3年中止で今年4年ぶりに行われた。普段出雲から出ることがなくなった私にとって年に一回の唯一の楽しみにしていた旅だったが3年も中止が続き、今年はお寺さんに一番に申し込んだ。ワンコも当日出発が早いので前日からペットショップに預ける。


6時40分。お寺さんの前から出発。コロナ後で参加者が減ったとは聞いていたが、行って見たら何と参加者は私を含めてたったの四人。和尚さんは葬式があって参加できず。4年前には我がお寺が19名参加し出雲のお寺で最多だったのに呆気に取られる。前回はバス二台だったのに今回は一台。女性1人、男3人は全部近所の顔見知り。男三人は前回も相部屋だったので和気あいあい楽しい旅だった。
市内で他のお寺さんの参加者を拾って7時半に出雲を出発。参加者は41人。ガイドさんも4年経ったが同じ人。いつもこの人なのだそうだ。出雲弁がばんばん飛び出す田舎のツアーである。
山陰道→米子道→中国道→京都
途中、米子道から「裏大山」。二、三日前から雪がちらつくほどの寒さに襲われたので裏大山は綺麗な雪景色だったが、23日の夕方、帰りの車窓から見たら雪は8割方消えていた。いかに22、23日の天気が良かったかを物語っている。小春日和というより、皆、暑い暑いと言っていた。
京都について13時から遅い昼食を摂って「龍安寺」へ。


「石庭」を見るのは何と中学生の修学旅行以来。こんなに小さかったかなあと思う。観光客は多いい。やはり外国人が目立つ。外国人は縁側に座ったまま動かない。これが混雑に輪をかけているのだそうだ。
新たな襖絵が公開されていた。何と作者は前総理・細川護熙。総理大臣を辞めた後、作陶と書画に打ち込み、龍安寺に奉納したのだと言う。なぜこんな芸当が出来たかと言うと、龍安寺を創建したのは室町時代の守護大名細川勝元である。細川家とはゆかりがあるので細川勝元550年年忌に合わせて奉納されることになったのだそうだが、私みたいな性格が悪い、皮肉屋にしてみれば「なんだかなあ」である。元総理で、細川家かなんか知らんが所詮素人に毛が生えたような代物をよく飾ったなあと思う。自分の画量を知っている人なら恥ずかしくて出さないと思うのだが。だって、京都にはすごい雲竜図がある。妙心寺には狩野探幽の雲竜図の天井絵があるぞ。
写真撮ってもいいので写真に撮った。普通はどこでも襖絵は写真禁止なのだが、写真OKと言う事はお寺の方でも文化財ほどの扱いはしていないのかもしれない。久しぶりの石庭を老いて見て感じるものを大切にしたかったのだが、釈然としない気分で外へ出る。

竜安寺の紅葉。紅葉しているように見えるが青い葉っぱもいっぱい残っている。市内の銀杏もこの季節なのに青い葉っぱがある。今年はそれだけ温かいのだろう。本当ならもっと赤く、もっと黄色いはずなのに。
その後、妙心寺へ向かい、妙心寺境内にある大雄院(だいおういん)が特別拝観をしていたので見学する。


いい庭だったが、私は龍安寺からの襖絵つながりで、こちらの襖絵に興味を惹かれたがこちらは写真撮影禁止。古い古い江戸時代初期の襖絵があり親子の猿のうち母猿がきれいに消えてしまっている。しかも何面かの猿の目がいたずらされている。お寺の説明によると昔は普通に子供が遊んだりするのでいたずらもされるし、墨が薄れるのもそのままにされてきたのだそうである。いまのように修復するとか複製を作って本物は大切に保管するようなことはしなかったのだと言う。明治時代パリの万国博に出品された襖絵もあった。この時、日本に返って来たのは襖絵だけで、そのほかの漆器などの小さなものは返ってこなかったのだそうだ。
泊りは妙心寺の隣の花園会館。
夜は宴会だが、食事制限している儂は天ぷらも鍋も食えないので、食えるのは刺身少々。土瓶蒸しなんて腹の足しにもならん。抜け出してセブンイレブンでお握りとアンパンを買って食う。もちろん酒も飲めない。ツアーは楽しいのだが宴会だけが哀しい。かくして22日の夜は齢とって酒が弱くなった二人が10時には寝たので儂は風呂に入って寝る。(23日に続く)


6時40分。お寺さんの前から出発。コロナ後で参加者が減ったとは聞いていたが、行って見たら何と参加者は私を含めてたったの四人。和尚さんは葬式があって参加できず。4年前には我がお寺が19名参加し出雲のお寺で最多だったのに呆気に取られる。前回はバス二台だったのに今回は一台。女性1人、男3人は全部近所の顔見知り。男三人は前回も相部屋だったので和気あいあい楽しい旅だった。
市内で他のお寺さんの参加者を拾って7時半に出雲を出発。参加者は41人。ガイドさんも4年経ったが同じ人。いつもこの人なのだそうだ。出雲弁がばんばん飛び出す田舎のツアーである。
山陰道→米子道→中国道→京都
途中、米子道から「裏大山」。二、三日前から雪がちらつくほどの寒さに襲われたので裏大山は綺麗な雪景色だったが、23日の夕方、帰りの車窓から見たら雪は8割方消えていた。いかに22、23日の天気が良かったかを物語っている。小春日和というより、皆、暑い暑いと言っていた。
京都について13時から遅い昼食を摂って「龍安寺」へ。


「石庭」を見るのは何と中学生の修学旅行以来。こんなに小さかったかなあと思う。観光客は多いい。やはり外国人が目立つ。外国人は縁側に座ったまま動かない。これが混雑に輪をかけているのだそうだ。
新たな襖絵が公開されていた。何と作者は前総理・細川護熙。総理大臣を辞めた後、作陶と書画に打ち込み、龍安寺に奉納したのだと言う。なぜこんな芸当が出来たかと言うと、龍安寺を創建したのは室町時代の守護大名細川勝元である。細川家とはゆかりがあるので細川勝元550年年忌に合わせて奉納されることになったのだそうだが、私みたいな性格が悪い、皮肉屋にしてみれば「なんだかなあ」である。元総理で、細川家かなんか知らんが所詮素人に毛が生えたような代物をよく飾ったなあと思う。自分の画量を知っている人なら恥ずかしくて出さないと思うのだが。だって、京都にはすごい雲竜図がある。妙心寺には狩野探幽の雲竜図の天井絵があるぞ。
写真撮ってもいいので写真に撮った。普通はどこでも襖絵は写真禁止なのだが、写真OKと言う事はお寺の方でも文化財ほどの扱いはしていないのかもしれない。久しぶりの石庭を老いて見て感じるものを大切にしたかったのだが、釈然としない気分で外へ出る。

竜安寺の紅葉。紅葉しているように見えるが青い葉っぱもいっぱい残っている。市内の銀杏もこの季節なのに青い葉っぱがある。今年はそれだけ温かいのだろう。本当ならもっと赤く、もっと黄色いはずなのに。
その後、妙心寺へ向かい、妙心寺境内にある大雄院(だいおういん)が特別拝観をしていたので見学する。


いい庭だったが、私は龍安寺からの襖絵つながりで、こちらの襖絵に興味を惹かれたがこちらは写真撮影禁止。古い古い江戸時代初期の襖絵があり親子の猿のうち母猿がきれいに消えてしまっている。しかも何面かの猿の目がいたずらされている。お寺の説明によると昔は普通に子供が遊んだりするのでいたずらもされるし、墨が薄れるのもそのままにされてきたのだそうである。いまのように修復するとか複製を作って本物は大切に保管するようなことはしなかったのだと言う。明治時代パリの万国博に出品された襖絵もあった。この時、日本に返って来たのは襖絵だけで、そのほかの漆器などの小さなものは返ってこなかったのだそうだ。
泊りは妙心寺の隣の花園会館。
夜は宴会だが、食事制限している儂は天ぷらも鍋も食えないので、食えるのは刺身少々。土瓶蒸しなんて腹の足しにもならん。抜け出してセブンイレブンでお握りとアンパンを買って食う。もちろん酒も飲めない。ツアーは楽しいのだが宴会だけが哀しい。かくして22日の夜は齢とって酒が弱くなった二人が10時には寝たので儂は風呂に入って寝る。(23日に続く)
コメント