近所の奥さんと「今度の演劇鑑賞会は久しぶりに肩の力を抜いて、気楽に楽しめそうだね。なんたってミュージカルだし」と、話していた。ミュージカルとは歌って踊って、そんなものだという先入観があったし、しかもドン・キホーテである。
馬も二頭、登場してドラマに絡む。その名前がロシュナンテとサンチョ。ドン・キホーテでは主人公キホーテの従者のサンチョがサンチョと言う名の馬になり、ロバのロシュナンテが馬のロシュナンテになり、擬人化されてドラマに絡むのである。面白くないわけがないと誰だって思うはずだ。

ところが、舞台が始まると、時は1940年の第二次世界大戦中のドイツ占領下のフランスの田舎の村。
主人公の少女ベルは女の子でありながら、同級生の女の子が好きになって、苦しむ少女だった。挙句、それがばれて冷たい目にさらされ、差別に苦しんでいた。
それゆえベルは登校拒否し、「僕はドン・キホーテになって旅に出るんだ」と、ドン・キホーテに憧れていた。
そこへ、収容所へ送られる途中に脱走したユダヤ人の少女が逃げ込んで来る。ベルは一目見て少女が好きにる。「僕が救う」と固く誓う。
ベルの担任の女先生はドイツ将校の愛人だった過去が暴かれる。
ベルの牧場で働く若者は足が悪くて、兵士にもなれなければレジスタンスにもなれない屈折した若者。
ロシュナンテは役に立たない老馬。
サンチョは若くて調子がいいがおかまの馬。
ベルの父は登校拒否でドン・キホーテに憧れるベルに胸を痛めているが、レジスタンスも共産主義者も嫌いな男。人が憎み合い、傷つけることが嫌いなだけの男。だがそんな自分こそが一番まともな人間だと素朴に信じている。だから身の危険も顧みずユダヤ人の少女をかばう。
その小さな田舎の村で、戦争と言う過酷な時代を、さらに苛酷な時代にしているのがさまざまな差別であることが暴かれて行く。差別されているのはユダヤ人だけではない。強制収容所には障碍者も同性愛者も収容されていた。おかまの馬サンチョもドイツ軍に供出されて、挙句殺されてしまう。
ベルは誓う。「僕は女の子が好きだとみんなの前で宣言する」と、父は言う。「それは厳しいことだよ」と。だが、ベルは厳しい道を選ぶ。
ベルたちはドイツ兵に捕まった少女を逃がすと、ベルもロシュナンテと一緒にドン・キホーテとなって旅に出る。でも、これは本当に旅に出たわけではない。辛くても自分の道を行くと決めたベルの決意の心象風景を舞台で見せたのである。
その時、私ははたと、このミュージカルの題名が、『さよなら、ドン・キホーテ』であることに気が付いた。なぜ、『さよなら』なのか。なぜ、ドン・キホーテにさよならしたのか。ベルはドン・キホーテになって旅に出たのではないのか?
次の瞬間、私は悟った。ベルは確かに『ドン・キホーテ』にさよならして、『ドン・キホーテ』になって旅に出たのだ。言い換えれば『これまでのドン・キホーテ』にさよならして、『これからのドン・キホーテ』になって旅に出たのだ。時代はどんどん悪くなる。生きづらく苛酷になって行く。これまでの多くのドン・キホーテ達が見果てぬ夢を追っていた時代ではないのだ。時代はどんどん苛酷で辛くなる。そんな時代だからこそ旅に出る。少女はそういうドン・キホーテになって旅に出ると宣言したのだ。
出雲演劇鑑賞会は侮れなかった。こんな芝居を呼んで来て、たまにはお気楽な芝居でも太平楽に楽しもうかと思っていた年寄りを唸らせた。
馬も二頭、登場してドラマに絡む。その名前がロシュナンテとサンチョ。ドン・キホーテでは主人公キホーテの従者のサンチョがサンチョと言う名の馬になり、ロバのロシュナンテが馬のロシュナンテになり、擬人化されてドラマに絡むのである。面白くないわけがないと誰だって思うはずだ。

ところが、舞台が始まると、時は1940年の第二次世界大戦中のドイツ占領下のフランスの田舎の村。
主人公の少女ベルは女の子でありながら、同級生の女の子が好きになって、苦しむ少女だった。挙句、それがばれて冷たい目にさらされ、差別に苦しんでいた。
それゆえベルは登校拒否し、「僕はドン・キホーテになって旅に出るんだ」と、ドン・キホーテに憧れていた。
そこへ、収容所へ送られる途中に脱走したユダヤ人の少女が逃げ込んで来る。ベルは一目見て少女が好きにる。「僕が救う」と固く誓う。
ベルの担任の女先生はドイツ将校の愛人だった過去が暴かれる。
ベルの牧場で働く若者は足が悪くて、兵士にもなれなければレジスタンスにもなれない屈折した若者。
ロシュナンテは役に立たない老馬。
サンチョは若くて調子がいいがおかまの馬。
ベルの父は登校拒否でドン・キホーテに憧れるベルに胸を痛めているが、レジスタンスも共産主義者も嫌いな男。人が憎み合い、傷つけることが嫌いなだけの男。だがそんな自分こそが一番まともな人間だと素朴に信じている。だから身の危険も顧みずユダヤ人の少女をかばう。
その小さな田舎の村で、戦争と言う過酷な時代を、さらに苛酷な時代にしているのがさまざまな差別であることが暴かれて行く。差別されているのはユダヤ人だけではない。強制収容所には障碍者も同性愛者も収容されていた。おかまの馬サンチョもドイツ軍に供出されて、挙句殺されてしまう。
ベルは誓う。「僕は女の子が好きだとみんなの前で宣言する」と、父は言う。「それは厳しいことだよ」と。だが、ベルは厳しい道を選ぶ。
ベルたちはドイツ兵に捕まった少女を逃がすと、ベルもロシュナンテと一緒にドン・キホーテとなって旅に出る。でも、これは本当に旅に出たわけではない。辛くても自分の道を行くと決めたベルの決意の心象風景を舞台で見せたのである。
その時、私ははたと、このミュージカルの題名が、『さよなら、ドン・キホーテ』であることに気が付いた。なぜ、『さよなら』なのか。なぜ、ドン・キホーテにさよならしたのか。ベルはドン・キホーテになって旅に出たのではないのか?
次の瞬間、私は悟った。ベルは確かに『ドン・キホーテ』にさよならして、『ドン・キホーテ』になって旅に出たのだ。言い換えれば『これまでのドン・キホーテ』にさよならして、『これからのドン・キホーテ』になって旅に出たのだ。時代はどんどん悪くなる。生きづらく苛酷になって行く。これまでの多くのドン・キホーテ達が見果てぬ夢を追っていた時代ではないのだ。時代はどんどん苛酷で辛くなる。そんな時代だからこそ旅に出る。少女はそういうドン・キホーテになって旅に出ると宣言したのだ。
出雲演劇鑑賞会は侮れなかった。こんな芝居を呼んで来て、たまにはお気楽な芝居でも太平楽に楽しもうかと思っていた年寄りを唸らせた。