曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2026年05月

今日は母の日。月に一回は大好きな抹茶を飲ませてやりにグループホームに顔を出していたのだが、手術したりして行けなかったので、今日、母の日のプレゼントと女性週刊誌を届け、抹茶を飲ませてやる。
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会いに行くたびに老いを感じさせられるが、職員は歳の割には元気ですよとなぐ覚めてくれる。確かに数えで99歳だが、午後のホールにいるのは長椅子で週刊誌を読む母と母よりは若い男性入居者2人の3人だけである。西部屋入居者の残りの5人はみな自分の部屋で休んでいる。
この施設から、母の日に寄せて何か思い出を書いてくれと頼まれたので、その時に書いた66、7年前、私が小学校5年か6年だった頃の、この年になっても忘れられない出来事を記す。
その頃我が家は山口県防府市という瀬戸内海に面した小さな都市の社宅住まいをしていた。5年生の時はまだTVはなかった。高度成長一歩手前のまだそんなに豊かではない時代だった。
ある日、母が夕食に握り寿司を作ってくれた。私は飛び上がるほどうれしかった。握り寿司はお寿司屋さんでなければ食べられない大人が食べるものと思っていたからだ。もちろん回転ずしなどない。
母は18歳で結婚した。厳しい古風な母から結婚前に徹底的に料理を教え込まれたと言っていたから、料理の腕は良かった。だから散らし寿司や巻きずしやお稲荷さんなどは作ってくれたが、握りずしは初めてだったのだ。
だが、その握りずしは今思うと可哀そうなくらいみすぼらしいものだった。なにしろネタは3種しかなかったのだ。魚はイカと何かの白身の魚だと思う。今のように赤身だのサーモンだのブリだの海老だのイクラ、ウニなどがふんだんにある時代ではなかった。
そして、3つめのネタが・・・・・・・何と、きゅうりだったのである。キュウリをイカや白身の魚にみたてて薄くスライスされたものがのっていたのだ。
私も二人の妹たちも、イカと魚ばかり食べていた。
見ると母はキュウリばかり食べていた。
小学校も高学年になれば、母が子供に美味しいものを食べさせようとしていることは分かるが、親にその行為を見せつけられるのが子供ながらにとても嫌だった。ためしにそっとキュウリの握りを口に入れたが二つ目を食べようとは思わなかった。
たまりかねて「お母ちゃんも食べたらいいのに」と言ったが、母は「こっちがいい」と言ったのか、なんと言ったか覚えていないが、その後もキュウリばかり食べ続けた。
私は母を憎らしく思ったことを覚えている。私は母がきゅうりを食べ続けることが心の負担になっていたのだ。せめて少しでもキュウリ以外のものを食べてくれたらどれだけ心が楽になったか。
その後、自宅で手巻き寿司を食べるようになるまでの長い間、我が家では握り寿司を作って食べることは一度もなかった。

今日も抹茶を立てた後、母は茶碗を私にさしだし、「あんた、飲みなさい」と言う。これはいつものことである。きょうも私に会うなり「知らない人だ」と言ったのに、抹茶を立てた時は必ず起きる押し問答である。これは母が自分が飲むために自分で立てているのだと、口を酸っぱくして言っても、「あんた、飲め」を何度も繰り返すのだ。

昨夜、AIが私に謝った。誤りを認めて謝ったのである。こんなことがあるなんてと驚いたので、そのことを報告する。
私がいま書き直している時代小説は江戸時代の物語だが、その冒頭の占いがこの作品全体を通しての象徴的意味合いを持つ重要な場面となり、占う方も占われる方もその占いの結果を待つ家族にとっても人生を賭けたものになる。

私はその場面を当時の朱子学者が行ったであろう占いの方法で可能な限り忠実に描いたつもりである。(朱子は易経を重んじたので朱子学者はみな占いをよくしたのです)
その途中の結果を本の中で、
「一変の結果は必ず五本か九本が残る」
「二変の結果は必ず四本か八本が残る」
「三変の結果は必ず四本か八本が残る」
と書いた。この内容を説明しようとすると膨大な文章になるので、かいつまんで言うと50本の筮竹の束から1本引いた49本の筮竹を無心に二分して、手順通りに筮竹を4本ずつ引いて行き、残った本数を足すと一回目の結果はどのように二分しても必ず5本か9本になるというものである。
この場合一変で5本残ったので、二変に移る場合は49本から5本を引くと、44本になる。
この44本を二分して、また同じことを繰り返すと二回目は必ず4本か8本が残る。
最後の三変に移る。この時は44本から8本を引いたので36本になった。これを二分して同じことを繰り返すと三回目も必ず4本か8本が残る。この場合は8本が残った。

と、ここまでは良かったのだが、次に陰陽を決めるに当たって、先の手順をAIで確認したら、
「一変の結果は必ず五本か九本が残る」
「二変の結果は必ず五本か九本が残る」
「三変の結果は必ず五本か九本が残る」
思わず目を疑った。そんな馬鹿なである。私は二分する時、何度もいろんな数値で試していて、間違うはずはないのだ。前回、陰陽を決めるところまでは行って老陰、少陽、少陰、老陽のうち少陽であるところまでは辿り着いているのだ。今回は清書するにあたってそれを確認しようとしただけなのだ。
三変とも全部が5本か9本残りでうまくゆくはずがなかろうと、その先を見たらたしかに一変と二変と三変の結果を足した数字は変な数字で、49から引いても少陽を表す28にはならない。ところがAIはその変な数字にわけのわからんもっともらしい補正をしたので、結果は28になって少陽になっているのだ。

茫然とするしかなかった。どっちが正しいのか。
さらにAIに問うと、4余りや8余りがなぜ誤りなのかも書いてある。何回読んでもさっぱりわからん文章なのだが。目の前が真っ暗である。ここまで調べ、ここまで書いて来て、一歩も先へ進めない。
暗澹とした夜が過ぎて行き、もうあきらめて今夜は寝ようと思い、最後にAIに「二変と三変の結果は必ず4本か8本が残ると思っていたのに」と恨み言を書いて送ったら、
画面に「思考中」の文字が浮かぶ。
今回、占いのことを聞くと時々この「思考中」が表示されるのだ。
そして、「自分の思考を見る」と表示されたので、クリックした。すると、

●自分の考えを整理し、計画を作成する。

●訂正と説明
最初の変更は5か9、2番目と3番目は4か8と言う点で混乱があったようです。
実際、2番目と3番目は4か8が正しいです。
私の以前の回答は間違ってました。
構造を簡単に説明し、必要なら表を使って説明します。

●完了

いいところに気づかれました。その理解であっています。私が前に「二変、三変も五か九」と書いたのは誤りでした。ここでいったん整理し直します。

バカヤロー


私の書きかけの本では、一変で5本、二変で8本、三変で8本残ったので、5+8+8=21 49−21=28 となり、老陰(24)少陽(28)少陰(32)老陽(36)であるから、今回の陰陽は陽(少陽)となったわけで、これで正しかったのである。

今回驚いたことは、AIがすぐに間違いを認めたことだ。間違われたら困るのだが。間違うことがあるとはcopilotも認めているが、すぐに訂正するとは思わなかった。訂正したのはいいのだが、問題なのは間違っているのに正しい答えに辿り着いたことではないだろうか。
そのことに私は驚いている。
古代から占いの方法や理論などは変遷し、数字も昔は0は存在しなかったので0の扱いも変わっている。
AIはそれらの理論や0の概念の変化を思考して、間違った前提から正しい答えを出したとしたらこれは恐ろしいことでもある。このあたりの追及となるとそもそも易に疎い私にはこれ以上は無理だ。
以前にも別なことで、AIが明らかに間違っていることがあったが無視した。これからはAIが少しでも変なことを言ったらしつこく追及しなければならないと思った。

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