曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2026年01月

早く言えば高市が負けると言う予想。結果が出た後で、実は私はそう思っていたと言うのは、後出しジャンケンみたいで嫌なので、恥をかくかもしれないが予想しておく。
この『高ころび』と言う言葉は、なかなか言い得て妙があり、味のある言葉で、最初に使った人はこの一言で歴史に名を残した。私が紹介するより、こういうことは最近はAIが上手なので、AIの解説をコピペします。

たかころび(高転び)は、
「高いところまで登りつめた者が、そこから一気に転げ落ちること」
を意味する日本語表現です。比喩的に使われ、特に調子に乗って勢いづいた人物が、最後に大きく失敗するというニュアンスを含みます。
🔍 語源・基本的な意味
高い所に上がって転ぶという、文字通りのイメージから生まれた言葉。
「高転びにあおのけに転ぶ」という形で使われることもあり、
“仰向けにひっくり返るほどの大失敗” を強調します。

歴史的に有名な用例:安国寺恵瓊(えけい)の書状
この言葉が特に知られるのは、安国寺恵瓊が織田信長の将来を予見した書状です。
恵瓊は天正元年(1573)頃、信長について次のように述べました:

「高ころびにあをのけに転ばれ候ずると見え申し候」
(=信長はいずれ大きく転落するだろう)

この書状は、信長の急速な台頭がやがて破綻を招くと見た恵瓊の洞察として有名です。
後に本能寺の変が起きたことで、この言葉は象徴的に語られるようになりました。

現代での使われ方
現代でも「たかころび」は比喩として使われます。
成功に酔って慢心した企業が、突然の不祥事で高転びする。
調子に乗りすぎた政治家が、スキャンダルで高転びした。

つまり、“油断・慢心・驕りが招く急落”という警句として使われる言葉です。

どうです?今の高市早苗にあてはまると思うのは私だけでしょうか。

ところでこの安国寺恵瓊は信長の「高転び」を予想しただけで名を残した人と思われているかもしれませんが、もともとは毛利の外交僧で坊主でしたが、後に大名並みに6万石の禄高を領し、関ヶ原の戦いでも西軍で戦い、戦後は処刑されました。
「高転び」と「安国寺恵瓊」、覚えておくといいですよ。
この世の中見てごらんなさい。高転びする人だらけですから。

多胡辰敬完全版第4巻が届いた。PXL_20260123_003348687
これで念願の紙書籍化が終わり、しばし感慨に浸ったが、それも一日だけ。
実は私は辰敬が終わったらすぐに次の紙書籍化をしなければならないものがあるのだ。
それが電子小説で発表した『老いて愛して書いた』という新井白石の評伝風の小説。以前にも少し触れたが、文庫時代小説を6本書いた後、もう介護と執筆の両立は無理。しかも自分は本当は『多胡辰敬』を書きたくてそっちを進めていたのだが、紹介する人があって、フリーの編集者から何か書いてみないかと言われた。介護もあるし、もう注文を受けて書くのは無理。ほかにも辰敬という書きたいものもある。でも出版業界に未練はあるし、迷っていると、紹介する人も書いた方がいいと言うので、私は助平心を出してしまった。そして、新井白石が偏屈な意地悪爺さんで、市井の事件を面白おかしく解決する話を書いたのだが、書いている途中からこんなものを書いていていいのだろうかと悩みながらなんとか書き上げた。そんなものが面白いわけがなく、結局ボツになり、私はなんと無駄なことをしたのだろうと悔やんだのだが、その一方ではこれでよかったのだと思っていた。
 実は私は面白おかしい意地悪爺さんの白石を書きながら、こんな白石を書いていいのだろうかと言う思いが、日増しに増していたのだ。白石を主人公にするのだから、当然、白石のことは調べる。著作も読む。そうすると調べれば調べるほど、読めば読むほど、白石の凄さに圧倒され、こんなすごい人を面白おかしい娯楽小説にしてはいけないのではないのだろうかと思うようになったのだ。
 そうなったら、よし、俺が書くとなるのが、己の力を知らない物書きのさが。
 見事に大失敗。
 読んだ人にはみな難し過ぎると言われてしまった。
 新井白石は日本の歴史において五本の指に入る天才である。詩人であり、歴史家であり、文章家であり、あらゆる分野の大学者であり、政治家でもあった。巨人という言葉でしかあらわせない人だった。
まともに挑んで描ける人ではない。そこで、白石と父が偉過ぎたために結婚もできない子供たちをキーワードに小説化したのだが、介護に疲れ、辰敬の進行に焦り、白石にも焦り、志しほどの出来には遠く及ばなかった次第である。
 それは辰敬の小説にも言える。だから紙書籍にするのに14年もかかった。だが、ようやく辰敬を終えたいま、やっと残った白石に力を注ぐことが出来るようになった。群盲象を撫でるになってはいけないが、巨人白石のほんのごく一部分だけでもいいが描けたらいいなと思っている。

寒波2日目。
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起きたら真っ白だったが、夜中にうっすらと雪が降っただけ。昨日の屋根の雪は何センチも積もっていたので寒波襲来の割にはたいして降らなかったことがわかる。7時過ぎにマルコの散歩に出かける。
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穏やかな朝だったが、この後、すぐに激しい吹雪になる。
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左)吹雪の通学路。先が見えない。遠くの小さい人影が通学する小学生たち。
右)そこへ次の集団登校の隊列が来る。先頭に赤い服がちらりと見えるのが、滑って転んだ児童である。道路の両側には溶けないで残った雪がカチカチに凍っているのでつるつる滑って危ない、危ない。マルコと一緒に安全な道まで集団登校について行く。
この子たちは学校まで2キロを歩いて行くのだ。見送る時、声をかけて励ましてやっても、余りの寒さに、みな、真っ赤な顔をして返事もできない。もくもくと吹雪に向かって歩いて行く。みな、一年生からこれを体験して大きくなる。たくましい田舎の子供である。
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友達の柴犬。こんな雪の日でも必ず散歩するのはうちのマルコとこの犬だけ。大の仲良しである。

これまでで一番寒い散歩だった。まさか集団登校に付き合うとは思わなかった。吹雪の中、30分近く付き合ったら、体がすっかり冷えてしまい、帰宅して床暖の上にじかに寝て体を温めた。
明日は寒波は中休みで、次の寒波は土日らしい。
明日は一息つきたい。今日は出かけなかったので、明日は買い物に行かないと食べるものがない。

降りかけては降らない日が続き、数日前からは春の陽気が続いていたが、やっと本物の寒波が来たようだ。昨日20日の大寒、午後から雨まじりの雪が降ったので、夕方のマルコの散歩は出雲ドーム。
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この後、本格的な寒波が入って来て週末にかけて大雪になるという予報。夜になるとぐんと冷え込む。
1月21日
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朝7時、マルコの散歩に出る時の雪。夜の間に積もると思っていたら期待外れ。ところが・・・
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左)突然、激しく雪が降る。寒い、寒い。
右)正面左が我が家。家の横の道はあっと言う間に真っ白になっていた。写真ではわからないがものすごい雪が降っている。
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マルコも震えていた。
11時前に近所のかかりつけ医に行く。1月5日の健康診断の結果が出たので報告と相談。この時もまだ雪は降っていた。
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結構積もっていた。
だがこの雪も病院を出たらやんでいた。午後も一瞬青空が覗くがずっと曇天。
夕方、新雪の中を散歩する。
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数センチ積もった感じ。ただし、風は強く冷たい。いつもはリードを引っ張って歩くマルコも帰りたい素振り。寒かったので私の友達の家に立ち寄る。マルコは友達が食べていたイノシシの肉のおすそ分けにあずかる。たらふく食ったら我が家に一直線。
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予報では明日22日が第一波のピークで、24日から25日が第二波のピークらしい。
去年の2月、父の七周忌をした時も雪が続いた日があったが、あの時のような天気になるのだろうか。一年が早い。

去年、親戚のおばさんから玄米をもらっていた。最近、芋粥や小豆粥にはまっていて、昼食はお粥にしていて、いつか玄米粥にチャレンジしてみたいと思っていた。辰敬完全版の第4巻の直しを昨日終えて、やっと肩の荷が下りたと言うか、気分が解放されて玄米粥を作る。
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貰ったのは令和7年9月下旬に獲れたこしひかり。飯石郡飯南町という中国山地の山奥の米だから美味いに決まっている。しかも生産者は平成22年に宮中新嘗祭献上米を奉納した農事グループだから間違いない。ちなみに値段は3,704円。税込み4,000円。
昨夜、ネットで作り方を調べる。
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玄米カップ1杯をよく洗い、白米のお粥を作るときより少し多めに水を入れる。6時間~8時間浸水しないといけないので、昨夜寝る前に水を加え、今朝6時に起きた時にスイッチを入れる。
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マルコの散歩から帰ったら炊きあがっていたが、白米の時のようなお粥感が全然ない。うっかり混ぜてしまったので白濁してしまったが、水分も1センチぐらい残っていて、玄米の粒粒が透けて見える。試しにすくって食べてみたが、確かに少し柔らかくなっているが、白米のお粥のような柔らかさとは全く別物。口の中に潰しきれない小さなごみのようなものが残る。恐らくこれら微粒が食物繊維の固まりなのだろうか。私のように膵臓を気にしている者は食物繊維の多い食品は避けた方がいいのだが、玄米の栄養素も魅力なので、ここから先は自分で考えてもうひと手間加える。
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荒神谷博物館の1月の「風土記談義」に出て帰宅してから、左)電気釜の粥を鍋に移して水分がなくなるまでぐつぐつ煮詰めた。やっと見た目お粥らしいお粥が出来る。
右)食味も多少微粒感は残るが立派なお粥だった。食物繊維を消化するためにしっかり噛んで時間をかけて食べろとレクチャーされていたので、ゆっくり食べる。こうやって食べると玄米粥は腹持ちもいいのだそうだ。
おかずに「イオンのツナはんぺん」や自分が作った「カボチャ煮」、「減塩ごはんですよ」で食べる。
おかずを色々工夫したらこれからも美味しく食べられそうだ。

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