曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2025年11月

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10月31日に出雲演劇鑑賞会で青年劇場『星をかすめる風』を観たが、感想をうまく書くことができないでいた。なぜだろうと考えたら、まずこの芝居には推理要素がある上に、回想が多く、同時進行の話が二つあったりして、分かりやすくまとめるのがとても難しいのだ。さらに難しくしているのが、これが最大の問題なのだが、物語の中心人物である尹東柱(ユ・ドンジュン)という詩人の視点でドラマが進まず、あくまでも尹東柱と彼の書いた詩の魂とも言うべきものが明らかにされて行く形をとっていることにある。いわばこの物語の主役を占めるのは詩の魂なのである。
芝居の展開と彼の詩の魂をどううまくシンクロさせて書けばいいのか、さんざん悩んで、ふと、そうだ、彼がどんな詩人であったかをまず分かってもらってから、次に(出雲演劇鑑賞会・その2)で芝居の展開を読んでもらえば理解しやすいのではないかと思ったのです。
1917年中国吉林省北間島の開拓民の子として生まれ、1932年15歳で中学入学。4年の時平壌の中学に転校。詩は17歳の頃から書き出し、1938年21歳。現延世大学文科入学。1941年24歳。延世大学卒業。卒業記念に『空と風と星と詩』の出版を思い立つが果たせず、自筆で3部を作る。そのうちの一冊が戦後刊行の尹東柱の詩集の原本になる。
1942年25歳。立教大学に留学。留学のために創氏改名し平沼東柱となる。同年同志社大学に転学。
1943年26歳。独立運動の容疑で逮捕され多数の本と日記を押収される。多数の詩の草稿ノートも押収されたであろう。1944年27歳。朝鮮語で詩を書いたことで治安維持法違反の罪で懲役2年の判決を受け、福岡刑務所に投獄される。1945年2月16日27歳2ヶ月。獄死。死因は不明。
短い生涯で残した詩はとても少ない。日本でも書いたはずだが、立教大学時代に書いた5編を朝鮮に送ったものしか残っていない。
だが戦後、『空と風と星と詩』が刊行されると、尹東柱は国民的詩人として愛された。
その詩集の巻頭に置かれたのが「序詩」である。
芝居の冒頭で舞台のスクリーンに、この詩が映し出される。

序詩

死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にさえ
私は思い煩った。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いて行かねば。

今夜も星が 風にかすれて泣いている
(1941.11.20)

その詩集の最後に置かれたのが「星を数える夜」で、芝居のラストシーンで尹東柱が朝鮮語で朗々と読み上げ、その日本語訳が後ろのスクリーンに映し出されるのである。即ち、この芝居は詩集「空と風と星と詩」の最初の詩で始まり、最後の詩で終わるのだ。

星を数える夜

季節が過ぎてゆく空には
秋がいっぱいみなぎっています。

私はなんの懸念もなく
秋の奥の 星々をすべてかぞえられそうです。

胸の中にひとつふたつ刻まれる星を
今のこらずかぞえきれずにいるのは
たやすく朝がくるからでありますし、
明日の夜がまだ残っているためでもありますし、
いまなお私の青春が尽きてはいないからであります。

星がひとつに追憶と
星がひとつに愛と
星ひとつにわびしさと
星ひとつに憧れと
星ひとつに詩と
星ひとつにオモニ、オモニ

お母さん、私は星ひとつに美しい言葉をひとつずつ唱えてみます。
小学校で机を同じくした子どもたちの名前と
佩(ぺー)、鏡(キョン)、玉(オク)、こんな異国の少女たちの名前と
早くもみみどり児の母となった乙女たちの名前と、
貧しい隣の人たちの名と、鳩、子犬、兎、ラバ、麞(のろ)、
「フランシス・ジャム」「ライナー・マリア・リルケ」、
このような詩人の名を口にしてみます。

これらの人たちはあまりにも遠くにいます。
星がはるかに遠いように、

お母さん、
そしてあなたは遠く北間島におられます。

私はなにやら慕わしくて
この数限りない星の光が降り注ぐ丘の上に

自分の名前を一字一字書いてみては、
土でおおってしまいました。

夜を明かして鳴く虫は紛れもなく
恥ずかしい名を悲しんでいるのです。

ですが冬が過ぎ私の星にも春がくれば
墓の上にも緑の芝草が萌えるように
私の名の文字がうずもっている丘の上にも
誇るかのように草が一面生い茂るででありましょう。
(1941.11.5)

※麞(のろ):鹿の一種

先日、娘からLINEで送って来た。
4歳2ヶ月の孫(男の子)と娘の会話。


孫「どうやったら、おとなになれる?」
娘「いっぱい食べて、いっぱい遊んで、いっぱい寝たら、大人になれるよ」
孫「あと、経験とか?」
娘「(絶句)・・・すごいね、アンタ」


娘と話したのですが、恐らく幼稚園の先生が「いっぱいいろんなことを経験して大きくなろうね」みたいなことを言ったので、経験と言う言葉を覚えたのではないかと推測しています。
腹を抱えて笑い転げた。

その翌々日、また娘からLINE。
娘の出先について行き、盲導犬ユーザーと出会い、生まれて初めて盲導犬とひと時を過ごした。その次の日の朝。
孫「盲導犬て目が見えないんだね」
普通の4歳児でした。

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