曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2025年07月

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イロイロ市はフィリピンのルソン島の南に浮かぶ島にある一地方都市である。そこにNGO LOOBフィリピン事務局があり、主催しているLOOB教育サポートに私と娘は月々5000円の学費を送っている。
そこの2024年度(2024年7月29日~2025年4月15日)が終わり、新しい年度に切り替わったところで、
私がサポートしているKayeさんから礼状が届いたのでご紹介します。娘に翻訳してもらった。

曽田 博久さま

 

こんにちは、博久さん!

ハイシェン・カイエです。

タガイタイ村に住む、21歳の大学3年生です。

私の勉学をご支援いただき、深く感謝申し上げます。

あなたの優しさ、寛容さに、感謝しています。

ご寄付が、学費を払う上で重大な支えであることはもちろんですが、

将来の夢を叶えるために大学を卒業する、という機会を与えてくださっていることに、改めて感謝申し上げたいです。

あなたの支えと、わたしの勉学への決意によって、必ず卒業することをお約束します。

本当にありがとうございます。

いつもお身体に気を付けて、神のご加護がありますように。

 

ハイシェン・カイエより

最初にサポートした学生さんは助産婦になり、カイエさんは去年からサポートして、今年度からは2年目になる。パワフルな笑顔もかわいい女学生だ。将来の夢をかなえてくれることを願っている。
娘がサポートした女学生は今年、先生になったそうだ。だが娘が言うには、せっかく資格を得ても仕事につけなくて、結局、サウジアラビアでメイドをしている子もいるのだそうだ。応援してきた者としてはとてもつらい話だ。
それでも彼女や彼たちはLOOBの「教育サポートを受ける子供たち(8歳~22歳の52人)」が集まって一つのコミュニティとして学校の外でも独自の取り組みをしている。
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それが毎週土曜日に集まるコミニュティ図書館プロジェクトで、「健康」や「芸術」などSDGsのテーマを設定し、子供たちはダンスやアクティビティを通じて、楽しみながら知識を身に着けている。
この運営にかかわっているのは52人のうちの31人の中高生たちで、彼らは中高生のリーダーとして年下の子供たちのサポートしているのだそうだ。彼らはその活動の中で自らリーダーシップを育み、「来年はもっと責任をもって関わりたい」とまで言うようになったという。
恵まれない環境の中の子供たちが頑張っている姿をみると負けないでと応援したくなる。
この小さな子たちが大学を目指すまで頑張らないとと思う私である。
カイエさんは最後尾の5人の中の真ん中の人だと思う。

この組織を立ち上げたのは小林さんという女性で、今年でフィリピンに来て結婚して25年になると言う。頭が下がる。娘が10数年前に海外青年協力隊でイロイロに派遣された時に知り合い、その縁でささやかながらサポートをしている。
現在3つの村で合わせて、小学生6人、中高生35人、大学生6人、大学奨学生5人の計52人をサポートしている。
日本人のインターン生も何人か現地で働いている。
皆様もできる範囲でのご支援をお願いいたします。

ねぎ畑にじゃが芋を植える新農法を思いついたのは、『ねぎとじゃが芋を交互に植えるといい』と言う記事を読んだ後のことである。なぜ、ねぎとじゃが芋を交互に植えるといいのかということはすでに本ブログでも紹介したが、改めて簡単に言うとねぎは有機物を好むがじゃが芋は有機物を好まないという相関関係にある。
じゃが芋を収穫した後にねぎを植えると、ねぎは有機物を好むので、じゃが芋の残存有機物を餌に成長する。するとねぎを収穫した後の畑は有機物のない畑となり、有機物が嫌いなじゃが芋にとっては最適な畑になるのである。即ち、有機物を介在して、ねぎ→じゃが芋→ねぎ→じゃが芋・・・のサイクルが永遠に続くわけである。
私もすぐに「おお、これは素晴らしい」と思ったのだが、ちょっと考えただけで「待てよ」となった。
もしこのサイクルでねぎとじゃが芋を作り続けるとなると、じゃが芋の後にねぎを植え、翌年、ねぎを抜いてじゃが芋を植えることを繰り返さなくてはならなくなる。
ねぎなんて、自家で食べるだけなら、一回植えたら何年放置してもいい野菜である。自分で食べるねぎを毎年植えている人なんて見たことない。
しかも、じゃが芋の収穫時期よりねぎの植え付け時期は1、2か月早くて、じゃが芋を収穫した後、ねぎを植え付けようと思ってもねぎの苗はもう売ってなくて、苗を手に入れるのにネットで買ったりとか苦労するのである。
そこで何年たってもプロになり切れないくせに、妙な農法ばかりに興味を持つ私は、今年は自分流に考えたのである。ねぎを抜いた後に植えなくても、ねぎのそばに植えればいいのではないかと。ねぎの根も広がっているわけだから、ねぎの近くの土地も有機物は少ないはずだと思ったのである。
と言うことで、じゃが芋を植えたのが3月8日(既報)

5月7日
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左)ねぎのそばに植えたじゃが芋に土寄せしたところ。
右)余ったじゃが芋を比較するために空地に植えたものに土寄せしたところ。

7月16日
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左)空地に植えたじゃが芋が枯れたのでようやく掘ることに。
右)一番出来が良かった穴。肥料も初めての試みでヌカと油粕。しかし穴のあいた芋が多し。有機物がいっぱいなので土の中の害虫にかなり食われてしまった。
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種芋を7個植えてこの程度の出来。5分の1は穴があけられる。

7月19日
いよいよ池の東側の本命のねぎ畑に植えたじゃが芋の収穫をする。
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左)一番西の畝から掘る
右)西の畝の左部分。2個から数個
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左)西の畝の中央部分。ここも2個から数個。
右)西の畝の右部分。ここは出来が悪かった。穴あきは少ない。
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左)中央の畝。
右)中央の畝の取れ高。穴開きは少ない。
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左)東側の畝を掘る
右)三つある畝の中で一番出来がよかった。

新農法の結論
去年までのように段ボールひと箱を送ってあげるほどは出来なかったが、一人では到底食べきれないほど出来た。数は少ないが、虫害は確かに減った。
ねぎの近くに植えすぎると出来が悪い傾向が見えた。少し離して植えると出来がいいような気がした。

来年の新農法
もう一度チャレンジする価値はある。ねぎから少し離して植えようと思う。肥料にかんしては、ぬかと油粕はもろ有機物なので来年も使うかどうか一考する。化学肥料かじゃが芋専用肥料にするか。あるいは三つの畝に三種類の肥料をやって比較するのも手である。

7月22日
ねぎ坊主の種をまく
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普通はねぎ坊主が出来たら切り取る。私も切り取っていたが面倒くさくなって放置していたら、まだ10個くらい枯れ果てたねぎ坊主が残っていて、種も少し残っていたので、ちぎり取ってねぎの畝の周りに適当にまいておいた。
もし芽が出てねぎが育ったら、来年、じゃが芋を植え付ける時、引っこ抜けばいいと思ったのである。ちょうどじゃが芋を育てるのにいい土壌になっているかもしれない。これで来年、じゃが芋を植える時の楽しみが一つ増えた。

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左)4月2日 この頃は青々としていた。右の畝は大きい球根を植えたので葉の成長もすごい。左の畝は球根が足りなくなって、去年採れた球根の小さすぎて使い物ならなかった分を植えたので、右の畝と比べたら天と地の違い。こちらは期待できない。
右)6月2日 ほとんど世話をしなかったらあっという間に6月。試し掘りした。育っているようだがお尻がまだ膨らんでいる。ここが凹んだら収穫時期なのだと、月二回、一人住まいの後期高齢者が生きているかどうか確認に来る民生委員が教えてくれる。何年も育てていて初めて知った。
6月3日
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左)放りっぱなしを反省し、慌ててニンニクの茎を取る。
右)たいしてなかったので途中でやめてしまう。いい加減なのだ。と言うか面倒になってしまった。
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左)6月16日 また試しに抜いてみる。さっさと抜いてしまいたいので、お尻は凹んでいることにする。
右)6月17日 葉っぱもすっかり枯れたので収穫する。
その後、干して茎を切り、約2週間ほど乾燥させる。
7月1日
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左)大で2ケースで116個
右)中で2ケースで217個
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左)小で123個
右)規格外90個(大中小さまざま。大きくても実が割れたように開いているものとか、見た目も悪い不良品)
このうち、大80個、中150個以上を毎年送っている江戸川区の自立生活センターステップ江戸川に送る。残りは自家用。自家用と言っても食べる訳ではない。今年の秋に植え付けするためのものである。
7月9日
久しぶりにブドウのハウスを見学に行く。親がブドウ農家だったが、私と同年齢の元技術屋さんは趣味でハウス2棟で今年は約450個のブドウを作っている。
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左)シャインマスカット。
右)フジみのり。
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左)ブラックビーン
これらのブドウはまだこれから間引かないといけない。夏のハウス内では地獄の作業。朝早くやるしかない。本人、曰く。嫌になるくらい大変な作業だそうだ。9月になってやっとシャインマスカットが食べられるようになる。あげると言われているが、ただで貰うのが申し訳ない。
右)パイプを引いて水をやる。元技術屋さんだからこういうことはお手の物。
7月10日
保存用のニンニクを干す。去年は猛暑で半分以上が干からびてすかすかになってしまって、植え付けに使えなくなったので、今年は去年と干す場所を変える。
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左)仏間の南側。
右)仏間の北側。南北に風が吹き抜けるので昼間でも暑くて生きていられないと言うほどでもない。今年は出雲は冬から春、夏とずっと風が吹いているので広島や岡山よりは2、3度低い。朝夕は本当に涼しい風が吹く。でも外は昼間は暑い。何とか植え付けシーズンまで持ちこたえてほしい。

最後に狸の話。
いつだったか誰かが狸を見たという話をしていた。へえ、どこに住んでいるのだろうと思っていたら何と我が家の床下に住み着いているらしいことに気が付く。
7月11日
ニンニクを干しに表の庭に出たら、塀の近くからぱっと狸が駆け出して西の庭の方へ逃げて行った。追いかけて北側に回ると、干してあるニンニクの左下にあるエアコンの室外機の奥の床下の穴から、狸の顔が見えた。
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白いものがぼんやりと見えるのが狸の顔。その日は表の庭で夕方も見かけた。朝と同じように西の庭の方へ逃げた。エアコンの裏を覗いたがこの時はいなかった。さてどうなるのだろう。

パソコン修理中の6月22日に大社うらら館で観劇したものです。しばらくパソコンが使えなかったので遅ればせながら報告するものです。これは出雲演劇鑑賞会主催の演劇ではありませんが同じ演劇のジャンルなので出雲演劇鑑賞会のカテゴリに入れておきました。東京演劇集団と言う劇団が上演するもので山陰で初めてのバリアフリー演劇です。バリアフリー演劇というのはあらゆるバリア(=障害)を取り払って、どんな人でも(=どんな障害を持った人たちも)、健常者と一緒にお芝居を鑑賞し楽しもうという演劇です。
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今回は「出雲の精神保健と精神障がい者の福祉を支援する会ふあっと主催」でした。
目が見えない人、耳が聞こえない人などなどあらゆる障がいを持った人がどうやってお芝居を楽しむことができるのか、何も知らなかったので一体どうするのだろうと、しばしば通っているうらら館に行ったが、上演前からすべてが初体験ばかりだった。
まず上演前に出演者全員が舞台に上がって自己紹介するのだ。ヘレン・ケラー役はこんな声で、身長は何センチぐらいで、髪型はこんな感じで、こんな感じの衣装を着ている。靴はこんな感じの靴を履いていて、歩くとこんな音がすると、どんどんと舞台を踏み鳴らす。すなわち、これは目が見えない観客や、耳が聞こえない観客が役者をイメージしやすいようにあらかじめレクチャーしておくのだ。
この他にも舞台上には手話通訳者(この人はお芝居にも一部参加する)がいて、舞台背景にはバリアフリー日本語字幕が浮かぶ。ライブで音声ガイドがあり、適宜舞台説明もある。
障がい者には行き届いた配慮と感心したが、健常者にはうるさすぎないのかなあと思ったが、これはすべて裏切られることになった。
すなわち主人公ヘレン・ケラーは三重苦の少女で目が見えず、耳が聞こえず、話すこともできないので、この主人公のなすことすべてが観客には理解不能なのであるが、障がい者のための日本語字幕や音声ガイドが私たちのような一般の観客の理解を助けてくれるのである。
この芝居に誘ってくれたのは娘である。まだ3歳半の子もつれて一緒に診るつもりだったが、孫が熱を出したので私だけが観劇したのだが、その娘から「どんな障がいがある人も見に来るし、連れて来るから、上演中に大声を出す子もいれば、ヘレン・ケラーがカップを投げつけたら、『あんなことをしたらいけないねえ』という子がいたりするのよ」と聞いていた。
確かに、上演中、何度も意味不明の大声を何度もあげる障がい者もいた。
ところが不思議なことに私はそれをうるさいとも観劇の邪魔になるとも思わなかったのである。
劇場という所は上演中に私語をするのはタブーである。絶対に許されない。それくらい劇場は神聖にして犯すべからざる場所なのになぜだろう。
答えは簡単だった。三重苦の少女ヘレン・ケラーと教師アニー・サリバンの戦いともいうべきドラマを見ているうちに、ヘレン・ケラーの障害はヘレン・ケラーだけの障害ではなく、私のすぐ隣の障害になっていたのである。あの大声も私の隣人の声であり、それは劇場全体の声になっていたのだと思う。
逆に言えば障害はヘレン・ケラーだけではない、私たちの身の回りのどこにでもあるものなのである。みんなそれを肌に感じながら舞台を見ているのだ。
舞台と観客席は不思議な一体感を作り出していたのだ。
ラストの有名な場面は涙なくしては見られないものだった。
舞台には実際に水が出るポンプが設置されていて、ポンプを押すと水が流れ出る。ヘレン・ケラーは両手ですくって顔をぬぐう。そしてアニー・サリバンから教わったWATERの指文字を一つ一つアニー・サリバンの手のひらに押し当ててゆく。(ABC…に相当する指の形が決まっていて=それを指文字と言う)
W・・・A・・・T・・・E・・・R・・・WATER
WATER=水を認識した瞬間だった。そして、
T・・・E・・・A・・・C・・・H・・・E・・・R・・・TEACHER
TEACHER、アニー・サリバンを先生と認識した瞬間だった。
この日の体験は私にとってまったく新しい感動だった。

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