曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2024年11月

夜間頻尿の記事は2022年の6月27日の記事を最後に2年以上音沙汰なしが続いていた。それは2022年の5月に寝る前に飲む薬をミニリメントルに変えたら、効果があったからであった。記事にはしなかったがその間も夜トイレに行った時間と尿量の記録は取り続けていた。夜間トイレに行く回数もほぼ1回となり、先生からも順調ですねと言われ、2ヶ月に一回の診察も3ヶ月に一回になった。
すると気が緩んだのか、記録を取るのが面倒になって来て、今年の春からはやめてしまった。そして夏が来た。私は夜間頻尿がさらに良くなることを期待した。なぜなら体験から夏には夜起きる回数が減るからである。それは暑くて汗をかくからだ。汗で体内の水分を蒸発させたら当然尿として排泄される水分は減る訳である。私はそう理解していた。ところがである。この夏は夜中に二回も三回も起きる事態となりひと夏中、私は睡眠不足に悩まされたのであった。
夕食後に飲む2種類の薬と寝る前に飲むミニリメントルは変わらないのにどうしたことか。同じ薬を飲み続けて来たので効き目が悪くなって来たのか。あるいはエアコンのせいだろうか。私はエアコンが嫌いだが今年の夏は控えめではあるがつけて寝た。9月に入っても調子は悪い。
この頃、私にはある秘策が浮かんだ。それは弾性ストッキングをはくことである。頻尿記事の初めの頃にアップしたことがあるが、私は夜間頻尿に悩み始めた時、まだ医者に通う前にネットの記事で弾性ストッキングをはくと夜間頻尿に効果があると知り、試した時期があったのである。その理由は弾性ストッキングを履いて血流をよくすると、日中の排尿量が多くなるので、夜間の尿が少なくなると言うものであった。早速試してみると、効果はあったように感じるが、そうでもないようにも感じる。結局、薬に頼ろうと思って病院へ行ったわけであるが、ここに至って私は藁にも縋る思いで弾性ストッキングに頼り、薬と併用してみようと思ったのである。
ところが弾性ストッキングには難点が一つある。それは暑い事である。9月の末はまだ暑かった。ようやく涼しくなった10月22日から着用。23日から記録を取る。
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捨てないで取ってあった弾性ストッキングを久しぶりに履く。

以下、記録。11時~11時半に就寝。6時に目覚ましで起床。トイレに行く。【ー】は一度もトイレに行かなかったことを意味する。

10月23日4:00 24日4:40 25日 2:20 26日 4:30 27日 3:20 28日4:00 29日3:50 
30日6:00 31日4:50 11月1日4:45 2日3:35 3日2:20 5:20 4日4:35 5日4:45 6日4:50 
7日5:30 8日4:15 9日4:45 10日ー 11日4:30 12日風邪 13日風邪 14日風邪 
15日4:30 16日3:00 17日21時就寝 2:50 5:30起床(本山参り出発) 
18日ホテル宿泊記録なし 19日4:25 20日ー 21日5:35 22日2:10 3:00 23日5:30 
24日ー 25日5:20 26日4:45 27日4:20 28日5:05 29日2:20 30日2:20 

一月にトイレに行かなかったのが3回もある。これは夜間頻尿の治療を始めて初めての事。12月は診察日がある。先生に報告したら何と言うだろう。

本山参りで同室になって仲良くなった曽田さん(近所にたくさんいる曽田さんの一人)は同じ昭和22年生まれで小説好きだった。時代小説も好きだと言うので遠慮気味に私が書いた小説を読むかと聞いたら是非読みたいと言ってくれたので、夕方マルコの散歩がてら本を三冊(同行二人長屋物語)届けに行く。
田舎に帰って13年、読書が好きだと言った人は二人目。私の小説を上げるのも二人目である。
帰郷して本を話題にするような人とは出会うことがなかったので、私も自分から本を話題にすることもなく、小説を書いていたことや発表する当てもないのに書き続けていることを話すこともなかった。TVの仕事をしていたことは知っている人はいたので、問われればTVの話はしたがそれ以上のことは話しても興味を持たれないと思っていたので話すこともしなかったのである。田舎では「小説を書いています」とはちょっと恥ずかしくて言えないところもあった。
でも、こうして出会ってすぐ、「あんな小説こんな小説・・・」と話す人を目の前にしたら、たちまち十年来の友に会ったような気持ちになって、私もとても嬉しくなったのであった。今回の本山参りで一番の収穫はこの人と出会ったことかもしれない。
本を渡すと、曽田さん喜んでブドウを上げると言う。「この時期に、ぶどう?」と首を傾げながらついて行く。
曽田さんの亡父はブドウを作っていて、今もハウスが2棟残っている。曽田さんは他県で働き、そこに家も建てたので、退職後は行ったり来たりしていて、ぶどうも道楽で作っているのだそうだ。年に半分以上は出雲にいるようだ。
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こんな季節でもまだブドウが残っていると言う。
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左)食べればいいのにもったいない話だ。これは種ありで酸っぱかったがこれはこれでうまい。無農薬だからそのまま食べればいいと口に放り込む。
右)ハウスの中に干していた干し柿ももらう。明日、グループホームから母を連れて帰り、一緒に昼ご飯を食べるので、この干し柿を食べさせてやろうと思っている。
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これ、マスカット。もう変色していて、黒くしぼんでしまったものもある。この黒くしぼんだのが干しぶどう。ところが、この変色してしまったマスカットも干しぶどうも甘くて旨いのにびっくりする。干しぶどうはまだ完全に水分が抜けていないが、甘くてまだ水分の残っているやわらかい干しぶどうもおつなものである。いい体験をさせてもらった。こういうところが田舎暮らしのいいところかもしれない。
「来年、孫連れておいで」
孫が喜ぶ姿がもう目に浮かぶ私であった。

11月17日~18日、今年も妙心寺の本山参りに行く。今年で3回目。コロナで三年中止だったので、本当なら6回目で、去年5回目の表彰されていたのに未だ表彰されず。京都は好天。17日は23℃もあった。到着した日は妙心寺の法堂(はっとう)が公開されていたので拝観。6年前、初めて来た時、特別に見学させてもらえたが今回は解説あり。有名な狩野探幽の龍の天井絵と再会。名人の手になる古さびた大きな龍に見下ろされると、ここで学ぶ僧侶たちもさぞ身が引き締まったことと思う。
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法堂入り口。           屋根の四隅の鬼瓦。
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法堂の屋根のこの方角だけ鬼瓦ではなく龍の瓦になっている。
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その夜の花園会館(妙心寺に隣接する宿泊施設)の夕食。
椅子に「お肉、天ぷら、✖」とあるのが分かるだろうか。これ、私の席。こういう席で一番困るのが脂質が高い油っぽいものや酒を止められている私である。いつも刺身と煮物を食ったらもう食うものがなくて往生していた。そこで今回は要望欄に肉や天ぷらなど抜いて刺身二人前と煮物二人前でもいいからと注文しておいたら、なんとちゃんと対応してくれて、天ぷらのかわりに立派な煮物、鍋は肉の代わりに鱧を入れてくれた。同部屋で相席した二人も初対面だったが一人は同じ歳でとてもいい人たちで、家も近く、すっかり仲良くなり、久しぶりに楽しく過ごせた。
翌18日朝、本山参り。私は三回忌の妻と父と祖父の供養をしてもらう。
その後は滋賀県大津の石山寺を見物して出雲に戻る。京都を横切って大津までは一時間もかからなかったと思う。
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石山寺の東大門
東大門を入るとすぐ紅葉だが色づくのが遅く。まだ緑がいっぱい残っている。
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左)急な階段を上って境内へ。
中)これだけ上がっただけで紅葉していた。
右)さらに上がって本堂へ。
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本堂脇に紫式部源氏の間がある。二間続きの部屋で紫式部が参篭(さんろう)して源氏物語の着想を得たと伝えられている。紫式部は石山寺で「明石」と「須磨」の二帖を執筆したと言われていて、執筆中の紫式部の人形が置いてあるが、参篭はしてもこの部屋で書いたかどうか私は疑問に思う。『光る君』ブームで観光客多し。NHKとタイアップして『大河ドラマ館』をやっていたが、私は『光る君へ』を見てないのでパスする。
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さらに山登って多宝塔へ。
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左)多宝塔の横から見下ろした瀬田川。向こうが琵琶湖。琵琶湖から流れ出た水が瀬田川となって下り宇治川となる。
右)紫式部像を見て石山を下りる。いつ誰が作ったのかガイドが説明しなかったので私も敢えて聞かなかった。この後は石山寺の前で昼食を摂り、出雲を目指して帰る。
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出雲を目指して帰る途中、京滋バイパスから見た巨椋(おぐら)の田園風景。昔はここら辺り一帯は巨椋池と言う広大な池があったのだが、戦前に干拓されてしまって池が消えてしまった。時代小説を読んだり書いたりしていて一番困るのは、この巨椋池の存在である。戦後生まれは誰も見た人はいない。京都盆地の南の低地に宇治川が流れ込み、西は北から桂川、南からは木津川、その他中小の川が流れ込み、集まった水は淀川となって下って行くと説明しても、現在の景色からは幾ら想像しようとしてもどうにもイメージが湧いて来ないのである。昔は漁師もいれば水上交通も盛んだったそうだ。秀吉が伏見城を築いてから長大な堤を築き、その後も次々と堤が築かれ池も風景も変わっていったらしい。
ところが干拓もすっかり終わった昭和30年代に宇治川が氾濫して大水害が起きてしまい、宇治川上流に天ケ瀬ダムを築いた。それが昭和38年。その翌年、私が高校2年京都に修学旅行に行った時、自由行動の一日があり、なぜか数人の友人と出来たばかりの天ケ瀬ダムを見に行った。なぜ京都まで来てダムを見に行ったのか謎だ。クラスの女の子たちと京巡りした男子もいたのに、なぜ男ばかりで。77歳になって、そんなことを思い出した。
出雲の出発地であるお寺に着いたのが19時。雨がしょぼ降り、真っ暗で寒かった。その足でペットショップに預けていたマルコを引き取りに行く。
帰宅して、やけに寒いな、スース―するなと思っていたら、カーテンがふわり。廊下のガラス窓が一枚開いていた。慌てて通帳の隠し場所を見に行くが無事。誰かに侵入された気配はなくほっと胸をなでおろす。網戸があってレースのカーテンがあり、廊下の障子を閉めていたので、ガラス窓が開いていることに誰も気がつかなかったのだろう。そもそも新聞配達と郵便配達の他は誰も来ないのだ。ま、それにしても田舎だ。二日、廊下の窓が開いていても平安無事。本山参りのお蔭かな。

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左)隣の柿。何とこの秋は一個もならなかった。毎年、美味しい熟し柿が出来て、熟し柿が大好物の母に分けてもらい、グループホームに届けると大喜びして食べていたのに。一個も出来なかったことなど何十年一度もなかったと隣家の奥さんは言う。去年が生り年だったので今年は去年ほどは出来ないだろうと思っていたがゼロと言うのは前代未聞の出来事だと言う。花がぽろぽろ落ちていたそうだ。暑いのは夏だけではなく全般に暑かったから温暖化の影響か。
右)我が家の柿。数は少ないが例年なみにできた。だが実は全般的に去年より小さく出来は最悪。
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見ての通り皮がペコペコにへこんでいる。へこんだところは固いので分厚く剝かないといけない。剥いたらところどころ黒っぽくなってスカスカした部分がある。隣の奥さんが言うにはカメムシが実を吸った跡だと言う。今年はカメムシが異常発生して(そう言えば去年も異常発生したことを思い出す)農作物が被害を受けていたことは聞いていたが、我が家の柿もやられていたとは。
去年は朝夕食後のデザートに食べたが今年は食う気にならず。

ニンニクもどえらいことになっていた。そろそろニンニクの植付をしようと思って準備にとりかかって愕然となる。ニンニクは春に収穫したもののうち、約80個を植付用に干しておいたのだがそのほとんどが今年の猛暑にやられて干乾びたり腐ったりしてスカスカになっていたのだ。
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左)干乾びてしまったニンニク
右)ようやく使えそうなものだけ、毎土曜日に帰宅する母にばらばらにほぐしてもらった。
去年の秋に500片植え、この春はほぼ500個近くは出来たのだが、妹たちや知り合いに送ったのが300個ぐらいか。残りのうち80個は植付用に残した。余った120個は小さすぎて使い物にならないニンニク。
なぜ80個を残したかと言うと、ニンニクの畝のマルチは二畝で500個の穴が開いている。ニンニク球一個は殆どが6片あるので、80×6=480片採れるからである。84個残せば500片以上採れるではないかと言われるだろうが、その時点で80個残すのでやっとだったのである。小さな球が沢山できたし、収穫自体がそれほど良好ではなかったのだ。
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左)残した80球のうち使えそうなニンニク片がとれたのは10球ちょっとで65片しかとれず。
左の78片はちょっと小さ過ぎていい大きなニンニクにはなりそうもないが、黒ニンニクにするなら小さくても食べられるので植えることにしたもの。
右)となると、500-65で435片も足りない事態となる。こうなったら買うしかない。14個入りの青森ニンニクの袋を4袋買う。一袋4356円。4356円×4・・・めまいがした。だが、これで14×4袋×6=336片採れる。
65+336=401片。401片確保できたことになる。
残り100個の穴は78個+αの小さいニンニク片を植えて黒ニンニク用のニンニクでも出来ればよしとするしかない。
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大きいのが市販の青森ニンニク(ホワイトニンニク)。出来の悪かったニンニクがいかに小さいかわかる。小さくても黒ニンニクが出来ればいいのでこれらも植付する予定。この秋も暖かいので来週冷え込んでからだ。
市販336片、自家65片、自家小粒100片で約500片を植え付ける予定である。
去年は作った数が少なくてみんなに送った残りの50球を植付に使って約300片を植えているから、今年の65片がいかにひどいかよくわかる。去年は500-300で約200のマルチ穴分を買い足して植えた。ニンニク球にして33球ほどである。
そもそもニンニクの出来が悪かったことが今回の失敗の根本原因である。もちろん来年は乾燥保存の方法も考えないといけないが、もし来年も同じことが起きるとしたらニンニク栽培も考えないといけなくなるかもしれない。去年のブログを読み返しても天候異変(温暖化)ばかりである。


今年の秋は暑くて何もかも遅れる。暑過ぎて例年なら9月になる前から動き出すのに畑に出ようという気にならなかった。そこへ例年通り種まきしたら芽が出ないとか、みな枯れてしまったとか、2度種を撒き直したなんて話を聞いたらますますやる気にならなくなる。
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左)9月18日。西の畑の南端。イチゴの苗をポットに移し替えているところ。
右)10月1日。イチゴの苗はたくさん取ったので、東の畑全部を耕し、ようやく前面に消石灰をまいたところ。例年より1ヶ月遅れ。植えても撒いてもどうせ駄目なことはわかっているので焦りはなし。
この後、鶏糞や化成肥料を撒いて畝を8つ(春キャベツ1,極早生玉ねぎ1、空豆2、イチゴ1、スナップエンドウ1、ニンニク2)作る。
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左)10月29日。秋の第一号は極早生玉ねぎ貴錦。去年はイチゴ、ニンニク、極早生玉ねぎはとっくに植え終わっていたのに。しかも今年の極早生玉ねぎは呆れるぐらいお粗末。2、3㎝の根が何本も伸びていなければならないのに、ドジョウの髭より短い根がほんのわずか。苗に力がなく去年の様に青々としていない。それでもネギ類は強いのを信じて植えるしかない。今年は全部極早生で250本。最近は温暖化のせいか中生や晩生の玉ねぎを作るのが難しいと思う人が増えたようで、私みたいに極早生しか作らない人がパラパラと出ているらしい。畑先生が「250本!」と目を丸くしていた。
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左)11月3日。玉ねぎの隣に味春キャベツを植える。春キャベツは甘くて柔らかくて旨い。
この頃には8つの畝全部にマルチを張る。右から、味春キャベツ、極早生玉ねぎ、空豆、空豆、いちご、スナップエンドウ、ニンニク、ニンニクの順。何でもマルチにするからみんな呆れるやら感心するやら。最初は大変だが草取りすることを考えたらマルチはやめられない。
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左)10月31日にイチゴの苗を植えた。58本。全部今年の苺から伸びたルーラーに出来た苗を植えたので苗代はただである。
左隣はスナップエンドウ。後から支柱を立てるのが面倒なので、まだ種まきする前から支柱を立てる。スナップエンドウの畝もマルチである。
右)ニンニクの畝二つ。当然、マルチを張る。
かくして今年も8つの畝全部にマルチを張ったのだが、今年はこのマルチが私の大チョンボをさらに難儀なことにしてしまったのである。
この8つの畝は消石灰をまき、堆肥をまき、鶏糞をまいたところで作ったのであるが、マルチを張る前に極早生玉ねぎとニンニクの畝には化成肥料をまき終えていた。その段階でたまたま畑先生と肥料の話が話題になり、畑先生が鶏糞の重要性を話した。その時、魔が差したとしか言えないのだが、私は自分がこれまで化成肥料をやり過ぎていたのではないかと思ったのである。と言うのも、農業経験ゼロで
13年前帰郷した私は母から、石灰まいて、鶏糞と化成肥料をやってから種を撒いたり、苗を植えると教わっていて、これまでずっとそのやり方を踏襲していたのだ。鶏糞は葉物、化成肥料は実のなるものとも教わっていたので、よく考えたらキャベツに化成肥料はやらなくてもいいはずだ。そこでキャベツの畝には化成肥料をやらずに鶏糞だけ、玉ねぎとニンニクには化成肥料もやったのだが、空豆とイチゴとスナップえんどうには例年なら化成肥料もまくのに今年はやめてしまったのだ。まったくもって魔が差したとしか言えない。マルチも張ってしまった三日前の4時ごろ、ふと目が覚め、なんだか自分は間違ったことをやってしまったのではないかと考えたら、眠れなくなってしまった。朝起きてからネットで調べたら、スナップエンドウは化成肥料だけで育てるとあるではないか、愕然となる。鶏糞しかやってないぞ。どうすりゃいいんだ。つらつら考えてわかったのは、母が両方やれと言ったのは、両方やっておけば間違いはないと言うことだったのではないかと。妻の介護などで忙しく農事は片手間だったとは言え13年間あまりにも勉強が足りなかったと反省するも、さてどうしようと狼狽える。もうマルチを張っている。極早生玉ねぎは苗を植えたが両方撒いているからOK。キャベツも苗を植えたが葉物だから鶏糞だけでもOK。だがイチゴの苗は植えてしまっている。ニンニクはこれからだが両方やっているのOK。空豆とスナッエンドウはこれからだがもうマルチを張っている。イチゴに関しては苗を植えているのにマルチはがして化成肥料やるのは大変なので追肥の時にやることに決める。問題は空豆とスナップエンドウ。空豆はマルチを剥がし、マルチなしで育てるしかないと決断する。
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左)11月8日
空豆の畝。二つ。
マルチを剥がし、石灰を撒き、鍬ですき込んでいる所。1週間ぐらいしたら空豆の種を植える。
右)11月8日
スナップエンドウの畝。支柱も立ててある。支柱を中心に10㎝四方の穴を開け、化成肥料を入れるとスコップですき込んでおいた。さて来年の春はどうなることやら。葉っぱが繁り、ツルだけが伸びた。なんてことにならなければよいのだが。こんな立派な支柱まで作ったのに。今日は近所の人が何を作っているのか見に来て立派な支柱だと褒めてくれた。その人との話で、私はそもそも石灰の使い方もよくわかってはいなかったことを知らされる。苦土石灰に入っているMg(マグネシウム)について詳しレクチャアしてもらう。
そうだったのか・・・。


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