曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2024年09月

10月19日に大年神社秋季例大祭が行われる。町内の荒神様の秋祭りである。大年(歳)神社と言う名の神社はあちらこちらにある。この神社も元は町内の住人の屋敷にあった屋敷神が町内の荒神様になったものと聞いている。町内五組が持ち回りで祭りを行っていて、五年に一度回って来る。前回は父が亡くなった年なので私は祭りには出なかったので実に十年ぶりの参加である。帰郷したのが十三年前だから今回がまだ二回目。十年前も妻の介護で忙しい時期だったからほとんど何もしてないので今回が初めてみたいなものだ。
今日は神社の草削り。十年前は誰も声を掛けてくれなかったので不参加だったが、今年は裏のMちゃんが声を掛けてくれた。Mちゃんは仕事があるので早く行って早く上がると言うので私も草削りを持って一緒する。8時集合だったが7時半に二人で神社へ行く。早い人が2、3人いる。定刻になったらぞろぞろ数十人は集まる。意外と大人数が集まったので驚く。
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写真では少なく見えるが大勢集まっている。
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穴を掘って草や枯れ葉を燃やす。
私は犬の散歩から戻ると餌もやらず、そのまま犬を連れて参加。Mちゃんが8時半に上がるので一緒に上がる。陽が出て来ると暑くなる。
ここまでは神社の清掃だが、私にとって頭が痛いのは「神事花(じんじばな)の花作り」。神事花というのは大きな傘を作って、その骨に色とりどりの紙の花を結んで作る綺麗な花傘のことである。近年、この傘を作れる人がいなくなり、毎年どうするか問題になり、去年の組はもう小さな傘ですませた。わが組では相談の結果、昔のような正式な傘は作れないが、小さな傘も寂しいので昔ほど大きくはないがそれなりのものを作ることになり、9月27日の隣保の「集金会」で各戸にその花作りの依頼があったのである。
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5色の花を作る。一辺約30センチの色紙を1㎝幅に屏風のように折って、真ん中を細い針金で縛り、ぐるっと広げて花の形にするのだが、これを5色×3枚で15個の花を作らないといけないのだが、これが私には作れない。どの家も殆どの家は女性が作っているのだ。我が隣保13軒のうち男やもめは私一人だけ。しかも作るのは今回が初めて。10年前はたまたま私の妹が帰郷していたので妹とまだ元気だった母に頼んで作ってもらった。枚数はもっと多かったと思う。ためしに一枚折ってみたが1㎝幅に折るなんて至難の業である。毎週土曜日に戻って来るおふくろに頼むことも考えたが、もう96歳である。無理そうな気がする。となると前回作っている福岡の妹に頼み込むしかないかなあと考えている。HELP ME!

獅子舞の稽古も始まった。
近所の勤め人が仕事が終わって、夜、集会所に集まって稽古しているのだ。40になった人もいる。若い人がいないのでやらざるを得ないのである。頼まれたら断れないのだ。顔を知っているから申し訳ないなあと思う。

七夕におツルさんがいつもの餌場に戻って来てから、この暑い夏は朝は6時ごろ(最近は7時前)に私が犬の散歩のついでに餌をやり、夕方は5時半になってからお婆さんが出て来て餌をやっている。私は夕方も犬の散歩をするのでお婆さんが餌をやっているところへ行き立ち話をしている。
お婆さんは時々昔を懐かしみおツルさんの話をしてくれるのだが、これまで初めて聞く話をしてくれたので紹介する。
十数年前、お婆さん夫婦が川の側に引っ越して来た時、川に白鳥の夫婦とツルが一緒にいるのを見て餌をやり始めたのがおツルさんとの付き合いの始まりと聞いていたが、やがて白鳥夫婦が卵を産んだ。その頃、白鳥夫婦は河口の松林の中に巣を作り、そこでかわるがわるに卵を温めていたそうだ。
お婆さん夫婦が見に行くと(かなり歩く)、なんとおツルさんはまるで抱卵する白鳥を守るかのように側に立っていたそうだ。白鳥夫婦はかわるがわる抱卵するが、おツルさんはずっと立ち続けていたそうだ。やがて、二羽のひなが誕生すると、四羽の白鳥一家が間に二羽のひなをはさんで土手を歩く姿が見られるようになったのだが、何とその一家に付き添うようにおツルさんも一緒に歩いてそうだ。
「それは可愛い光景だった」とお婆さんは懐かしそうに目を細めた。
それはそうだろう。想像してみるといい。四羽の白鳥一家とツルのお散歩。もしそのとき、SNSやYouTubeがあったらどれだけ話題になったことだろう。多分、写真があるはずだから、いつか見せてもらいたいものだと思っている。
その後、成長した二羽の子供は旅立ったが、白鳥夫婦は居残り、同じく居残っていたおツルさんと仲良く暮らしていたそうだ。その頃、川は浅くおツルさんも岸辺の浅い所には入れたので、三羽は川の中にいた。今は河川改修で水深が深くなったのでおツルさんが川の中にいるのを見たのは一回だけである。
繁茂した藻を刈り取る船が出ると、三羽はその船の後を追って何やらついばんでいたらしい。
だが幸せは長くは続かなかった。
白鳥の一羽がどうも元気がないなと思っていたら、翌朝、死んでいたそうだ。オスかメスか分からないがお婆さんは今生き残っているのがオスだと思っている。知り合いがメスの死んでいる場所まで案内してくれたので行ってみると、おツルさんと生き残った一羽が近づこうとするカラスを追い払っていたそうだ。知り合いが市役所に連絡して白鳥の死骸を引き取ってもらったそうだ。
それが正確には何年前の事かお婆さんが言わなかったので分からないが、想像するに十年前ぐらいの事ではないかと思っている。その後、生き残った白鳥も姿を消してしまい、おツルさんは一羽だけになってしまった。お婆さんの御主人も十年前ぐらいに亡くなったと聞いているので、その辺りから一人になったお婆さんと一羽になったおツルさんの付き合いが深まったのであろう。
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朝のおツルさん。私がやった餌をついばんでいるところ。餌が欲しくて鳴く声はかすかに私の家まで聞こえて来る。お婆さんは耳が遠くなって対岸で鳴く声が聞こえず、目も悪くなりぼんやりとしか見えないと言っていた。
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おツルさんに歴史あり。近くでじっとその顔を見つめていると、「お前は何を思っているんだろうね」と問いかけている私である。
今朝はまだ小雨だったので餌をやることが出来たが、午後からはかなりの雨になる。雨合羽を着て犬の散歩に出たがおツルさんには会えず。明日の朝は会えるだろうか。
このところ夏よりも暑い残暑に音を上げていた者にとっては恵みの雨。本当に心底生き返ったような気がした。今夜はエアコンなしで眠れる。明日から秋になってくれるといいのだが。そう言えばおツルさん、昨日の朝はすごい食欲だった。お婆さんは秋になると食欲がでると言っていた。

実りの秋、自信満々収穫を待っていたのが薩摩芋だった。東の畑に「バイオ鳴門金時」24本、「べにあづま」15本。西の畑に「べにあづま」8本のつるを植えたのが5月中旬。満を持して9月3日に東の畑の薩摩芋のつる上げをする。
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東の畑には短2、長2、4つの畝に手前から「バイオ鳴門金時」短2長半分。「べにあづま」を長半分と長1植え付けた。伸びたツルを畝の上に持ち上げる。葉っぱが栄養を摂るのを止めて薩摩芋を熟成させるためである。薩摩芋を作るのは去年に続き連作である。基本野菜は連作できないものが多いが、薩摩芋は荒れ地に育つものだから連作はOK。去年も肥料はやらなかった。残留肥料のせいか栄養過多で葉ばっかり伸びて出来が悪かったが、今年は2年目で残留肥料ももう少なくなっているはずだからいい薩摩芋ができるはずだったのである。
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西の畑に植えたのは余った「べにあづま」8本。ここは空豆の後でめちゃめちゃ残留肥料の多い畑。薩摩芋向きではないが勿体ないので植えただけ。どうせ葉っぱばかり伸びてうまくできないのはわかっていたので、つる上げの手間を省いていきなりつる切りする。左の写真がつるを切った畝である。
右の写真はその切ったつる。実はこれ以前にこれほどのつるを二回切っているのだ。いかにつるが伸びたかわかるだろう。私も薩摩芋のつるがこんなに伸びたのは初めての経験。これだけつるが伸びたら養分は全部葉っぱにとられて芋が出来ている訳がない。それでもどんなものかと掘ってみたのが、
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「ええっ、出来ているではないか。しかも立派なのが。ど、ど、どういうわけじゃ」
葉っぱがばかり繁って芋が出来ない典型的なケースになるはずなのに、私は呆気に取られた。この結末の落ちはこの記事の最後に。
期待してない薩摩芋が大きさだけは合格していたので、翌日、東の畑の薩摩芋を掘る。つる上げして一週間は間を空けるのだがもうそんな手間をかける必要はないと思ったのである。
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左)「バイオ金時」を掘ったら微妙。明らかに大きさと言い数と言い西の畑の「べにあづま」に劣る。
そんな馬鹿な。薩摩芋造りの常識から言えば、肥料の少ない痩せた東の畑の方がいい薩摩芋ができるはずなのである。
右)そこで東の畑の「べにあづま」を掘ったら、もっとひどいことに。みすぼらしいやつがたったの3個。
どうなっているのだろうと「べにあづま」を掘り進めたら、もっと悲惨なことに。
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なんとたったこれだけ。「バイオ金時」とも合わせて、こんなのが7,8株出て来る。まともなのがあっても数は少なく大きいものは少ない。わからん、わからん。さっぱりわからん。ほんとうなら東の畑の方がいい薩摩芋ができるはずなのに。
そして、私は止めの一撃を食らうのである。
大きくて形のいいものを送ってあげようと薩摩芋選んでいたら、
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よく見て欲しい。薩摩芋の表面を。虫に食われてぼろぼろだ。東の畑も西の畑も7割方がこの状況なのである。とても人様に上げられるものではない。ネットで調べてコガネムシの幼虫(カブトムシの幼虫に似ているが小さい)と分る。穴が開いているのはオケラの幼虫だそうだ。コガネムシは有機物の多いい畑に卵を産み付けるのだそうだ。緑肥を入れ過ぎるといけないらしい。知らなかった。私は帰郷してからただひたすら緑肥を入れていた。雑草を削ってはよかれと思って畑に埋めていた。近年はホテイアオイをこれでもかと畑に埋めていた。いい肥料になると思っていたのだ。ああ、やんぬるかなである。
土中にひそむコガネムシの幼虫対策には「ダイアジン粒剤3」を苗を植える前に土に混和させるといいらしい。そこまでは調べたが今は来年どこへ薩摩芋を作ろうか、それとも同じ畑で3年目に挑戦するか否か考える元気もない。帰郷して13年間、片手間にやっていたから仕方ないと言えば仕方ないのだが、来年からは暑さというものにも真剣に対処しないといけないのではないかと考えると、片手間ではすまなくなるような気がしている。出雲は今日も真夏だった。

各地ではひどい被害が出ているのに当地の被害はほとんどゼロと言っていいほどだった。それなのに私は台風が来る前に疲れてしまった。こんなのろのろ台風は76歳にして初めての経験。
それは10号が発生した天気予報から始まった。当地では7月20日から雨が降らず、(24日には降ったのが真夜中の丑三つ時で気がつかない人もいた)隣近所は皆水やりに音を上げていたので、恵みの雨を期待したのだ。もちろん私も。最初の予報では紀伊半島に上陸して北陸の方へ抜けそうだったので島根県はまさに絵にかいたような降っても恵みの雨ですみそうな雰囲気だった。
ただ私の場合は雨が降ると困ることが一つだけあった。それが畑に山積みになっていた枯れ草である。雨にぐっしょり濡れると始末に困る。燃やせばいいのだが我が家の畑にちょうどいいスペースがないので、私は肥料の空き袋に枯れ草を詰めることにした。池の水草の枯れたのもあり、全部で11袋になった。毎朝のマルコの散歩の後、まだ陽が昇らない前にやったのだが、すぐに暑くなって3日ほど大汗をかいて詰め込んだ。沢山あるので力一杯ぎゅうぎゅうに詰めないといけなかったから、これに連日の暑さも加わり私はへとへとになった。これ以外にも夕方の散歩もあれば畑や庭の松の水やりなどやることが一杯あったのである。
そうこうしている間に、上陸地点が室戸岬⇒足摺岬⇒奄美・鹿児島・熊本辺りに変わって行き、そこから西に向かうと言う。段々不安になる。ちょっとコースが変わると島根直撃にもなりかねない。そこへ松江の娘から避難したいと言って来る。娘一家の住んでいる所は松江のゼロメートル地帯。誰もが知ってる有名な冠水エリア。7月9日の雨でも、ヘルパーさんの車はエンジンに水が入って廃車になり、娘の車もエンジンには水が入らなかったが錆ることが確定。一年もしたらドアが開かなくなる恐れがあるといわれているのだ。
3歳と9ヶ月の幼子を連れて来る。前回の冠水がトラウマになっているので最悪カセットコンロも必要になるかもと言う。実は私もカセットコンロが必要になるかも知れないと思っていた。オール電化なので停電したら我が家はアウトなのである。幸い5年前ぐらいにやはり台風対策で買って、未使用のカセットコンロがあるので引っ張り出してセットしたら点火したので一安心。それからはミルク用の水を買い、卵、孫用のヨーグルト、大好きな梨、アンパンマンジュース(家では飲めない。ジイジイの家にだけある特別なジュース)、鶏胸2枚、胡瓜3本、トマト2個などを買う。懐中電灯用の乾電池も買う。エアコンが止まった時、車に逃げ込むことを想定してガソリンも満タンにする。31日が孫の3歳の誕生日なので絵本まで買いに行く。私はそこまでやる元気はなかったが、知り合いは窓ガラスに養生テープまで貼ったと言う。二日泊まるから寝具も干す。肉体的と言うより精神的に疲れた。
そして29日の21時前、婿さんの車で娘と孫二人が到着。婿さんは翌日会社があるのでトンボ返り。ところが孫二人、いつもは寝ている時間に目が覚めてそれから2時間ほど交互に泣きぐずり寝てくれやしない。子供の泣き声は聞いているだけで辛いがなにもしてやれない。29日の夜が山かと思っていたが30日が山になりそうな感じ。
30日朝は6時前に犬に散歩を催促され、孫たちを起こさないようにそっと出て行く。少々降っていたがこの二日ほどは雨が降っても出かけていた。豆柴はずぶ濡れになっても雨水は浸透しないことに気がついたのである。ところがすぐに土砂降りになり散歩どころではなくなる。やはり台風の影響だろう。
福祉バス乗合所に逃げ込む。
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写真ではわからないが土砂降り。前方の黄色は台風を前にして稲刈りをした後。
やむ気配がないのでこの後ずぶ濡れになって帰宅。ところがこの後降り続くと思いきや、11時には雨が上がる。この朝はおツルさんも餌場に来ていなかったが、雨が上がったのでもしかしたら来ているかもしれないと思い、孫を連れていつもの餌場に行くといるではないか。用意していたパンと米をやる。
午後からは降ったりやんだり。それほどの大雨にはならず。30日の夜が山場になるらしいが、この頃になるとどうやらこの台風は島根ではたいしたことにはならないのではないかと思うようになる。娘もスマホで松江の近所の川の観測カメラの映像を見るが水位は上がっているが前回ほどひどくはないと言う。
翌朝、松江の婿さんに電話したら水は溢れなかったよし。午後、迎えに来て全員松江に帰る。
その後、私はベッドにバタンキュー。2時間ほど寝る。
1日の夕方、10号は熱帯低気圧に変わったが東海や関東にはまだ雨が降るらしい。来るぞ来るぞ、大きいぞ。と言われていたが余りにものろのろしているうちにみるみる弱まった。今思うと気疲れの方が大きかった10号騒ぎだったが、私にとっては一つだけ疲れを取ってくれる出来事があった。それは孫におツルさんの餌やりを見せてやることが出来たことだった。前々からいつか見せてやりたいと思っていたがなかなか果たせなかった。それが思いがけず台風のお陰で見せてやることができたのである。

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