曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2024年08月

24日、久しぶりに母帰宅。コロナの11波で外出や面会が制限されたのと、お盆で忙しかったのが重なって8月3日から3週間ぶりの一時帰宅。本当はお盆は呼んでやりたかったが多人数の接触は制限されていたので呼んでやることができなかったのである。今日も自宅で会うのが私だけなので許可された。
遠い台風の風がフェーン現象を起こしているらしく外に出て立っているだけで汗が噴き出す。そう言えば昨日は施設で母の介護認定があり、私も立ち会った。こんなに暑いのに、母は今の季節を問われて「春」と言った。もっとも「外へ出ないからわからん」とも弁解したが…。
いつもなら帰宅したら、娘二人とのスマホ会話で話が弾むのだが、今日は二人とも用があって話が出来ず。こうなると私も昼食の時間まで間が持てない。ふと思い立ったのが私の作業ズボンのボタンつけをしてもらう事だった。畑に出る時毎日はいていたのだが、ボタンがとれて困っていたのだ。自分でつけるつもりで、小学校の家庭科で教わったことを思い出していたのだが、面倒で数日放り投げていた。
「ボタン、つけられる」と聞いたら、「そんなこと簡単なことよ」と調子のいいことを言うので、半信半疑やってもらった。たまたま糸の通ったままの針があったので大いに助かる。針を使うので心配して見ていたのだが、すいすいと縫ってあっという間にボタンをつけてくれる。
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スマホで撮影していたのですぐに妹たちに送ってやったら二人とも驚いていた。妹たちも96歳の母がこんなに上手に縫えるとは思っていなかったようだ。いい動画を送って貰ってありがとうと感謝される。
「昔から縫物は上手だった。ボタンが穴をくぐるようにボタンの下にゆとりを持たせて縫っているのね。やっぱり手は覚えているのね」と感激してくれた。
これからも、もっと色々やらせてくれと頼まれる。
そうは言われても何をさせたらいいのか見当もつかなかったが、昼食の冷やしうどんを食べた後、自分の履いていた靴下を脱いで穴を縫い始める。針仕事をしたのがきっかけで、靴下に穴が開いていることを思い出したのだろう。これも上手に繕った。96歳になった母の達者な姿を見ることができて嬉しかったが、穴の開いた靴下をはかせていたことは反省しないといけない。
毎週土曜日の一時帰宅はルーティーン化してなかば義務化していたところがあるのは自分でも気がついていたのだが、今日の出来事で少し光明が見えて来た。
昨日の介護認定でも「96歳にしてはお元気ですね」と言われたが、衰えている所は少しずつ衰えているのも事実なのだ。しばしば私が誰か分からないことがあるが、親子だなあと実感できる時間は大切にしたいものだ。











お盆の前日の8月12日、娘一家が松江からやって来ると「ひまわり畑」を見に行くと言う。山陰のニュースでたまたま「ひまわり畑」のニュースを見たもうすぐ3歳になる孫がどうしても「ひまわり畑」を見たいと言い張るので行くのだが私も行くかと問う。何とその場所が浜田市のさらに西、三隅の山の中だと言う。9号線しかなかった時代なら片道3時間以上はかかりそうな遠隔地である。今はところどころに高速道路の山陰道が開通したので2時間ぐらいで行けそうだと言う。
明日がお盆なのに遊んでいいのかと迷うも、実はお盆の準備は9割方8月10日に終わっていた。私がお盆の棚経が10日にあると勘違いして、9日中に頑張って準備していたのだ。その後、13日が我が家の棚経とわかり、和尚さんも朝の8時に来ることになっていた。当日早起きして仏膳をつくればいいだけになっていた。
孫と一緒に遊びに行く誘惑には勝てない。しかも片道2時間のドライブも何年振りだろうか。マルコも連れて出発。娘夫婦と3歳になる長男と9ヶ月の長女と私とマルコ。しばらく西へ行かない間に山陰道が伸びていて、11時に出発して12時半には9号線の江津の道の駅で昼食。1時半過ぎに道の駅を出発。浜田を通り過ぎ三隅に入ると山の中に入って行く。
200m登ると聞いていたが、どんどん山の中に入って行き、人家は途絶え道も狭くなる。車なんか一台も走っていない。まさに「ぽつんと一軒家」状態である。
「対向車来たらどうすんだ?すれ違う所なんかどこにもないぞ」
「来ないと思って行くしかないです」と婿。
はらはらしながら登った先が急に開けて、狭い駐車場に車が10台ほど停まっていた。そこが目的地の「野山嶽ひまわり畑」
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山の村の高齢者たちが山の高台に切り拓いて造ったひまわり畑である。入場料はない。寄付箱があり、果物や野菜を売っている。寂しい見捨てられた山村に賑わいを呼び戻し、高齢者の生きがいを求めた「ひまわり畑」なのである。
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孫とマルコ
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標高200mからの景観が180度広がる。灼熱の太陽が照り付けるがこの標高だと風が爽やかで暑さにも少しは耐えられる。普通ひまわり畑と言えば平地にどこまでも広がるイメージがあるが、山の尾根を切り拓いたひまわり畑はさすがにそこまでの広さは確保できない。でも景観が補って余りある。眼下に低い山々が連なり、見上げれば青空。まさにそこは「天空のひまわり畑」だったのである。その時、私の胸に浮かんだのは妻の面影だった。妻は底抜けに明るくエネルギッシュっだった。まるで真夏の太陽を浴びて咲くひまわりの様に。天国に一番近い「ひまわり畑」で妻に会うことが出来たと思うと、お盆の前の日にとてもいい場所に来たような気がして、孫に感謝したのであった。

8月13日お盆
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7月28日に妻の三回忌をしていたので仏膳を作るのも手慣れたものになっていた。花は9日に買ったものだがこの熱暑に御供えしておくわけには行かないので私の書斎兼寝室である蔵改造部屋のクーラーの効いた部屋に置いておいたら、13日まで無事に持った。ナスの牛と胡瓜の馬は孫と一緒に作る。
「ご先祖様は胡瓜の馬に乗って来て、ナスの牛に乗って帰って行くんだよ」と教えながら。
毎年お盆が来るたびに孫たちと「天空のひまわり畑」に行ったことを思い出すだろう。決して忘れない。とてもいい思い出が出来た。もしかしたらまた行くことになったりして。

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