曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2024年07月

7月28日に妻の三周忌を行う。去年の一周忌は長男一家は外国、長女一家は長女が妊娠中でしかも松江へ引っ越しする一か月前だったので参加できず、私一人で行ったのであるが、今年は長男一家も長女一家も来てくれたので全員が揃うのは葬式以来2年ぶり。我が家にこんなに人が集まるのも2年ぶりである。2年前にはいなかった長女の娘(8ヶ月)が加わり、記録的熱暑のなか賑やかな集まりになった。
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左が一周忌の時の塔婆で右が今回三周忌の塔婆。他の宗派のことは知らないが臨済宗では一周忌を「小祥忌」と言い、三周忌を「大祥忌」と言う。法要を始める前に和尚さんが「大祥忌」とは、残された人の祥を願うと言う意味がこめられているのだと語る。法要が始まるとおのずと視線は妻の遺影に。すると和尚さんの言葉通り妻が残った私や子供たちを見つめているような気がした。その日の夜、LINEで娘も私と同じように「お母さんに見守られているような気がした」と言っていた。2年前にはいなかった孫娘(8ヶ月)を見て喜んでくれたのだろうと思った。残された者はいつも見守られていると思って生きている。素朴だが大切なことなのだと思った。
「小祥忌」の塔婆は今年のお盆が終った日の朝、お寺へ納め焼いてもらう。「大祥忌」の塔婆は一年間お墓に備え、来年のお盆が終ってから焼いてもらう。

長女一家は月曜から仕事なので28日(日曜)の朝に来て夕方には松江へ戻ったが、この6月に母子帰国した長男一家は26日の最終便で出雲に来て、30日の夕方の便で東京に戻る。長男の一人息子はアメリカで小学2年生を終えて、6月に日本の3年生に編入したばかり。2年前の出雲で虫取りの虜になっていたので今回も虫取り意欲満々で戻って来た。2年前虫取りマスターと尊敬されていた私は炎天下、2年前よりさらに暑くなった畑に引っ張り出され目が回りそうになる。
かたわら三周忌の準備もある。
当日朝には仏壇にお供えする仏膳を作らないといけないので、長男のお嫁さんに仏膳の作り方をレクチャー。正直に煮物など作っていると大変なので私流の手抜き(例えばスーパーで煮物のおかずを買って来てすますとか)を教える。
お経が終った後に出す冷たいおしぼりや冷たいお茶の出し方、お布施の渡し方なども教える。
11時から始まり、12時には終わったが、それからは孫たち9才、3才、8ヶ月の相手となる。
9歳児は田舎には遊びに来たとしか思っていないのでトンボだ蝉だの、池の魚を捕まえるなどと大騒ぎ。帰京したらサマースクールがある孫が可愛そうなので付き合ってやりたいのだが私は何日も前から庭の草取りや布団を干したり、法要が始まる前からかなり疲れていたので長男にSOS。
サマースクールと言うのは帰国子女の為の日本語の補修教室。実は孫は帰国子女が集まることで知られている公立小学校に編入したのである。その学校では公立なのに独自に帰国子女対策していて、日本語が遅れている子のために夏休み教室を開いているのだ。孫のクラスにも三人帰国子女がいるのだそうだ。三年生だけで9人いるらしい。
国語辞書の引き方に面食らっている。「あかさたなはまやらわ」と奮闘しておる。
あっと言う間に帰京の30日。初めは怖がっていたマルコと翌日には友達になり、出発の時にはマルコと別れるのが悲しいと父親にすがりついて泣いていた。出雲から帰りたくないと泣いていた。
見守ってやっておくれと妻に頼む。
布団を干したり、シーツを洗ったりしたので、明日からいつもの生活にもどれるはずである。

7月21日に出雲も梅雨明けし二日目。途端に蒸し暑さが倍増の感あり。前線の位置が変わったのだから当然のことなのだろうが一変すると老体にはずしりとこたえる。今朝も6時過ぎにマルコと散歩に出るがもう暑い。7時前にはぐっしょり汗をかいてもどる。この一週間が思いやられる。
実は7月28日が妻の三回忌。早いものでもう2年になる。葬儀も家族葬だったので三回忌も息子一家と娘一家の身内だけで行う。いくら身内だけと言っても妻の三回忌はきちんとしたい。息子一家も夏前に帰国したので会うのは二年ぶり。草ぼうぼうの田舎に迎えるわけには行かない。お墓もきれいにしないといけない。今週はずっとその準備に費やそうと思っているのだ。
すでに梅雨明けが宣言された21日から庭の草削りから始めた。
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左)7月21日
仏間の前の庭の草削りした後。暑いので一日で削った草が枯れる。和尚さんが庭から仏間に上がるので庭が草ぼうぼうでは恥ずかしい。5月に草削りしているのだがすぐに生えて来る。
右)7月22日
門から入ったところも削る。削ったところは見える所だけである。とてもこの炎天下庭全部の草削りはやってられない。
この日はこの後、お墓に除草剤を撒きに行く。お墓の草取りも直前にやると大変なので実は一ヶ月以上も前に除草剤を撒いたのだが、スギナだけが残っていたので2週間ぐらい前にスギナだけを退治していたのだ。その方法と言うのがゴム手袋をつけて除草液を直接刷毛でスギナに塗り付け、根から枯らすと言う必殺の退治法。おかげでスギナは退治したのだがまたぞろ雑草が目立つようになっていたのだ。
この日は敷布団も2枚干す。
そのかたわら押し入れをひっかきまわし寝具を探し回る。どこへ何をしまったのか忘れていて、シーツやタオルケット、夏掛けなどどれを使っていいのかさっぱり分からない。
実は2年前の妻の葬儀の時は、準備する余裕もなく、帰国して来た息子一家にはありあわせの寝具で我慢してもらったので、今回はせめて綺麗な寝具を使ってもらいたいのである。
7月23日
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敷布団1枚と夏掛け3枚を干す。
両親がベッドだったので、いつまでも使わない綿布団が残ってしまっていて、使わざるを得ないのである。夏掛けも一枚ずつ洗濯して干したので、3回洗濯する。
その合間に、息子一家が寝泊まりする離れを2年ぶりに掃除する。
エアコンが作動するか心配で2年ぶりにスイッチを入れ半日除湿する。
今日は母屋の片付けもする。
週末には花を準備しないといけないし、仏膳の準備もしないといけない。ああ、枕カバーも明日洗わないといけない。お布施の用意もしないといけない。父の三回忌の時の記録があるのだが、その額を見て今になって、あれでよかったのだろうか、少なすぎたのではなかったのだろうかと悩んでいる。

午後2時過ぎ、今日は雨が降ると言ってたのに、多少雲はあるもののうだるような暑さ。たまらずシャワーを浴びてバスタオル一枚で出て来たら居間で寝ていたマルコの姿が見えない。ひょいと見たら玄関との境の襖が開いている。
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まさかと思って玄関に出たら、玄関の網戸も開いていた。
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ガーンとショックを受ける。まさかまた脱走されるとは。用心していたつもりだったのに。慌てて着替えようと居間に戻ったら、庭の松の木の下をマルコが嗅ぎまわっているのが見える。急いで着替え、おやつを手にそっと出ておびきよせようとするが、マルコ、ぱっと身を翻し門の外に出てしまい、後は前回同様駆け去って行く。
その瞬間、私は追いかけることは諦める。足で追いかけるのは前回で懲りた。絶対に捕まえることが出来ないのは思い知らされていたので車で追いかけることにする。そもそもこの炎天下76歳が追いかけたら死ぬ。
車で出た時にはもはやマルコの影も形も見えないが、私は慌ててはいなかった。マルコのお気に入りのコースがわかっているからだ。最近はおツルさんに餌やりをするためにおツルさんの出没地方面へ散歩しているのだが、分かれ道に来るとマルコは以前好きだったコースにいまでも行こうとしていたのだ。
車をそちらへ走らせると案の定保育園の手前を行くマルコを発見する。前回、マルコを追いかけてくれた人がゆっくり後をつけて行きなさいと言ってたのを思い出しゆっくり追うが、マルコ、振り返って私が運転していると知ったらすぐにスピードを上げる。
「ばかやろー、話が違うじゃないか」
「この恩知らずめ。毎日朝夕散歩に行き、このあたりでは最長散歩時間を記録しているのに。お前ほど幸せな犬はいないのだぞ。何の不満があるのだ」
罵りながら追うもたちまち見失う。そこらを走り回ったがどこにも見当たらない。炎天下歩いている人もいない。携帯も免許証も持っていないことに気がつき一旦家に帰る。
気分はどんよりである。この前みたいに2、3時間、車とは言え一番暑い時に犬をさがして走り回るのかと思うともう目の前が真っ暗。絶望しかない。ため息すら出なかった。でも探さないといけない。娘たちにまた逃げられたと言ったら何と言われるか。さがしても携帯をどこへ置いたかわからない。焦って探し回っていてひょいと庭を見たらマルコがひょこひょこ庭に入って来る。
「えっ!」
マルコ、そのまま玄関に入って来る。
私は飛び出し慌てて玄関を締める。
20分の脱走!
なぜこんなに早く戻って来たのか?
理由は分かっている。暑かったのだ。この炎天下、舗装道路を歩き、マルコも参ったのだ。それしか考えられない。おやつと水をたっぷりやりながら笑った。「思い知ったか。馬鹿野郎」
成果も一つあった。脱走しても戻って来ることが分かったのだ。
だからと言って、脱走を繰返してもらっては困る。ほんとに今回が最後にしないといけない。
実は前回脱走した後で、襖が開かないようにつっかい棒をみつくろっていたのだが、切るのが面倒くさくてそのまま放置していたのだ。明日には必ずのこぎりで切ってつっかい棒をする。
玄関も網戸は建付けが悪くて犬では開けられないと思っていたのだが、暑くても網戸はやめてきちんと戸締まりすることにした。
まだ本格的な夏が来る前なのに、暑い午後だった。
すっかり予定が狂って、出雲演劇鑑賞会に行く気も起こらなかった。5000円も払っていたのに。

昨日うれしい便りが2通届いた。1通はフィリピンから。
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教育サポートをしている女子大生からの手紙である。サラマットは現地語でありがとう。💛が一杯ついているところは日本の若い女の子と変わらない。万国共通のようだ。
娘に翻訳してもらった。

親愛なる支援者 曽田博久様へ

 

こんにちは!私の名前はジェシカ・〇〇〇です。イロイロ医療大学の助産師学科を間も無く卒業します。フィリピンイロイロ市マンドリアの〇〇〇村に住んでいます。

 

あなたが、私の学生生活に与えてくださった素晴らしい影響、そして2年間、私がNGO LOOBの奨学生となれる機会をいただいたことについて感謝の気持ちをお伝えしたく、このお手紙を書いています。あなたの寛大さ、愛、そしてご支援には、感謝、という言葉では足りません。神様が、あなたとあなたのご家族に豊かな生活を与えてくださいますように。そして、私たちのように教育を修めたいと強く決意し、情熱を持っている若者たちへの支援を継続してくださると嬉しく思います。

 

NGO LOOBの奨学生になったことで、非常に良い変化がありました。公の場で話をしたり、人と関わることで自信を深めることができ、新しい友人たちにも出会い、良き若者リーダーになることができたと思います。S DGs(持続的な開発目標)、そしてZWAPと呼ばれるゴミをゼロにするための啓発プロジェクトからも多く学びました。奨学生として心より感謝をしています。今日の私があるのはご支援のおかげです。

 

たくさんの愛を込めて

ジェシカ・〇〇〇

彼女から手紙を貰うのは2回目。去年のZOOMでのLOOBの交流会では挨拶をし、お互いに話もした(娘に通訳してもらって)。その時、励ましの手紙を出すと言っておきながら、居眠り運転の事故を起こしたり、娘が出産前に2ヶ月入院したりで手紙を出せなかったので、今度こそ無事学業を修めて社会に巣立つ彼女に励ましの手紙を出さねばならないし、彼女が後に続く若者への支援を願っていることにも応えなければならないと思っている。

LOOBはフィリピンの地方都市イロイロの「貧困線以下の子供達(8歳~22歳)をサポートしている」。2023年度は3つの村で小学生7人、中高生32人、大学生9人、大学奨学生5人の計53人を学校に通わせた。ジェシカさんもきっとこういう子たちの一人で、夢を実現させるために勉強して来たのだと思う。毎月5000円の支援で貧困線以下の子供たちの人生が変わって行くのを応援しているとこの子たちがまるで自分の孫か子のように思えて来る。自分の孫が成長する姿を見ていると、次は小学生のサポートをしてみたいと思っている。

もう1通は去年まで娘が働いていた介護事業所の仲間だった人たちからの寄せ書き。
私は何年もそこに自分が作った野菜を送っていたのだが、娘が島根に帰って来てからも送っていて、この春も新玉ねぎや空豆、ニンニク、じゃが芋などを送っていたのだが、その礼状を寄せ書きにして送ってくれたのである。
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帰郷して13年になる。毎年作っているが毎年なにかしら失敗する。最近は天候にも左右されていいものは送れていないのだがこんなに喜んで貰えると嬉しいが恐縮し気恥ずかしいところもある。でもこれから力の続く限り送ろうと思っている。なぜなら介護事業所で働くヘルパーさんたちは私にとっても心のヘルパーさんだったのである。17年間妻の介護をしてくれたヘルパーさんは私にとってはまさに「神」だったのである。妻の側に居てくれることは実は私の側にもいてくれるのと同じだったのである。娘とは同居していないが、娘もヘルパーさんのお世話になっている。離れていても、いや離れているからこそ、どれだけ安心できることか。母はグループホームでお世話になっている。
ヘルパーさんの世話になるまでは誰も気がつかないが、介護保険制度ができてこの世にヘルパーさんが定着するようになって、実は社会は確実に変わって来ていると思う。支援し支援されることが普通の世の中にならないといけない。だから私も少しでもと思ってヘルパーさんを支援しているのかもしれない。野菜を送るだけではない。気持ちを送っているのだと思う。
出雲から東京へ。出雲からフィリピンへ。

4月の初めからいつもの餌場からいなくなったおツルさん。ツルのお婆さんは七夕の頃になると必ず戻って来ると言っていたが、今日(7月4日)の夕方5時半前、マルコと散歩に出かけてぐるりと回って土手に出たら餌場のすぐ下の田圃におツルさんを見つける。
すぐにお婆さんのアパートに報せに行くとお婆さん笑顔で出て来る。
「あら、よかった。曽田さんに知らせたかったのよ。おツルさん、戻って来たのよ。いつもの年より早かったけれど」
すでにお婆さんは餌をやった後でアパートに戻って来た所だと言う。このところ朝夕近い所まで出没していたので、夕方、いつものように様子を見に出たら、橋の袂の餌場のすぐ下の田圃におツルさんがいて、お婆さんを見るや田圃を横切ってやって来たと言う。
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左)橋の袂の餌場から見たおツルさん。私には見向きもしない。いつもだと餌が欲しくて寄って来るのだが。
右)畔に回って声を掛けても知らんぷりでしきりに何やら突いている。手前に数羽いるのは鴨。
お婆さんにたっぷり餌(胚芽玄米)をもらったので、私の食パンなどもう欲しくないのだろう。飽きていたのかもしれないが、十年以上も交流のあるお婆さんにはとうていかなわない。
ちょっと寂しくもあるが、いつもおツルさんを気に掛けていたお婆さんの為には喜ばしいことで、実は私にとっては嬉しさ半分安堵半分なのである。
これで朝夕各平均40分の餌やりマルコ散歩から解放されたのである。明日からは夕方の餌やりはいつもの餌場でお婆さんがやってくれるので、朝の散歩餌やりだけに専念すればいいのだ。朝夕をおよそ三ヶ月続けて来たがだんだん暑くなってきてかなりしんどくなってきたのだ。朝7時を過ぎると朝日が背中に照り付けて焼けるように熱くなり、夕方4時に散歩に出るとこれまたまだ暑くて大汗をかいていたのだ。
これからは夕食後6時過ぎてからマルコの散歩に出ればいいのだ。
朝散歩コースのどこかでおツルさんに餌をやったら餌場に赤い石を置き、夕方に餌をやったら黒い小さい石を目印に置いていた。お婆さんはそれを見ておツルさんの安否が確認できるのでとても喜んでいた。これからは朝の石だけ置いておけばいいのだがそれも必要ないかもしれない。なぜなら恐らくこれからは毎日夕方やって来てお婆さんから餌を貰うはずだから。それにしても不思議だ。どうして3ヶ月経って、七夕の頃に戻って来るのだろう。

【追記】7月5日
昨日の今日で今日来てくれたら本物だと思って昨日同様遅い時間の5時過ぎに餌場へ行くがおツルさんの姿は無し。ああ、やっぱり駄目かと思いながらいつもの散歩コースの土手道を東に向かって行くと300mほど先の田圃におツルさんらしき姿を発見。マルコを連れて近づいて行くとおツルさん餌が欲しくて土手に上がって来る。2日まではパンをやっていたが、ここでパンをやってしまうと、昨日折角餌場に戻って来たのに、満腹してしまって餌場には来なくなる恐れがある。
そこでここでは心を鬼にしてパンは与えず、おツルさんを誘うように引き返すが、おツルさんは諦めたかのように土手の草をついばみ始める。振り返り振り返り引き返すがおツルさんは動かず、そのうち草に隠れて見えなくなる。可哀そうだったがこんなことを2、3回は繰り返さないと餌場に戻ることを覚えないかなと思いながら餌場の近くまで戻って来て、ひょいと何気なく振り返ったら10数m後ろにおツルさんがいるではないか。いつの間にか飛んで来たのだ。ちょうどそこへ、お婆さんも手押し車を押しながらやって来る。今日は4時過ぎに来たけれどおツルさんに会えず一度引き返し、また出直して来たと言う。事情を話すと、お婆さん、敢えてパンをやらなかった私の気遣いをとても喜んでくれる。
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左)お婆さんからパンや胚芽玄米を貰って食べるおツルさん。三か月ぶりに十数年繰り返していた景色が戻る。お婆さんは押して来た手押し車を椅子にして座っている。私とマルコは少し離れて、お婆さんと雑談しながら見守る。
餌場の伸び過ぎた雑草も誰かが刈ってくれたようだ。
右)5時半になったので、私は夕ご飯の仕度をしないといけないので引き上げる。昼間は暑かったが5時になると急に曇って強い風が心地よい。

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