
梗概
辰敬が心得状を書いたのは岩山城主になった時である。書き終えると辰敬は妻の千代だけに読ませた。なぜ千代だけに読ませたかと言うと、これは辰敬が身分の高い武士の子で、親に早く死なれた子(即ち辰敬が御奉公をした御屋形様京極政経の子吉童子丸の子)に宛てたものであったからである。尼子氏の時代にあっては大っぴらには出来ないものだったので、心得状は夫婦だけの秘密にされた。
辰敬はいつかこの心得状を吉童子丸の忘れ形見に届けたかったが、尼子家の重臣の立場では憚られて果たすことができず、いたずらに月日が過ぎて行くうちに、偶然娘の阿茶が見つけて二人の子供に読まれてしまう。心得状は辰敬一家の秘密になる。
父の願いを叶えてやりたい阿茶は心得状の写しを作ると大胆にも吉童子丸の遺児に届ける。辰敬は叱らなかった。阿茶は嫁ぐ時も子孫のために心得状の写しを作った。それを新宮党事件で自害することになる姉(尼子国久の妻)も読むことがあり、阿茶の舅の湯惟宗も読む。
心得状は家訓ではないから、忠義や滅私奉公を第一義に説くことはなかった。一言で言えば一風変わった訓えだった。第一に読み書きの大切さを説き、読み書きができないと密書も読めず、恋文までも代筆してもらうことになるとたしなめる。第二にこの世のすべては算用で成り立っていると説き、計算の大切さを説く。武芸においてもほどほどでよいと説き、弓も強い弓を引くことを求めず、正確に当てることだけを心掛けよと説く。他にも料理や薬、流行している武士の舞についても語り、家族、親戚、家臣、領民たちへの接し方など多岐にわたって語る。
一読した千代はこんな風変わりな心得の文章を書いた夫を武士として人としてますます好きになる。この夫を支え、この夫と共に生きて行こうと思う。読んだ者それぞれ受け止め方は違っても、この心得状の一言一言が心を打ち、胸に響いたことに変わりない。
尼子が滅びて行く戦国の苛酷な時代を、心得状を読んだ者たちは辰敬の言葉を支えとして生き抜いて行くのである。
私が一番書きたかったのは「心得状」だったのである。実はこの辰敬の書き留めたものには表題に相当するものがないので、皆、便宜上「家訓」と言っているだけで、読めばわかるようにこれは家訓ではない。若い人に与えた人間としての心得を説いたものだと主張する学者の意見に賛同して私も「心得状」としたのである。だからこそ現代人の心を打つのだと思う。
それゆえ10章は構成も9章までのオーソドックスなスタイルとは変えている。これはすべて心得状をより多くの人に分かってもらいたいからである。
10章だけ読んでもらっても「心得状」に込めた辰敬の気持ちは分かってもらえるのではないかと思う。
尼子が毛利元就に追い込まれて行く過程もこれまでの歴史小説では重点を置かれなかったところに視点を当てて自分ではうまく描けたのではないかと思っている。















