曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2024年03月

長かった。2010年10月に出雲に戻ることになるとは思いもしないで構想を起こしてから、第1章を書き上げたのが2012年の2月8日。出雲に戻って約一年後のことだった。それから白石の小説を書いたので2年間の中断があって、ようやく2024年3月25日に最終章(10章)に漕ぎつけた。実質10年間、ひたすら書き続けた訳だが、こつこつ書き続けていればいつか必ず書き上げられると自分に言い聞かせて書き続けて来た。本当に書き上げられるか自信を無くしかけたことは何度もあった。その度に病の妻に書いて見せると誓い、妻が亡くなってからは妻との約束を果たさなければならないと自分を奮い立てて来た。今は約束を果たせてほっとしている。人間て途方もない事でもやればできるものなのだなあと感慨に浸っている。終わってみればあっと言う間だったなあとも思っている。
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梗概

辰敬が心得状を書いたのは岩山城主になった時である。書き終えると辰敬は妻の千代だけに読ませた。なぜ千代だけに読ませたかと言うと、これは辰敬が身分の高い武士の子で、親に早く死なれた子(即ち辰敬が御奉公をした御屋形様京極政経の子吉童子丸の子)に宛てたものであったからである。尼子氏の時代にあっては大っぴらには出来ないものだったので、心得状は夫婦だけの秘密にされた。

辰敬はいつかこの心得状を吉童子丸の忘れ形見に届けたかったが、尼子家の重臣の立場では憚られて果たすことができず、いたずらに月日が過ぎて行くうちに、偶然娘の阿茶が見つけて二人の子供に読まれてしまう。心得状は辰敬一家の秘密になる。

父の願いを叶えてやりたい阿茶は心得状の写しを作ると大胆にも吉童子丸の遺児に届ける。辰敬は叱らなかった。阿茶は嫁ぐ時も子孫のために心得状の写しを作った。それを新宮党事件で自害することになる姉(尼子国久の妻)も読むことがあり、阿茶の舅の湯惟宗も読む。

心得状は家訓ではないから、忠義や滅私奉公を第一義に説くことはなかった。一言で言えば一風変わった訓えだった。第一に読み書きの大切さを説き、読み書きができないと密書も読めず、恋文までも代筆してもらうことになるとたしなめる。第二にこの世のすべては算用で成り立っていると説き、計算の大切さを説く。武芸においてもほどほどでよいと説き、弓も強い弓を引くことを求めず、正確に当てることだけを心掛けよと説く。他にも料理や薬、流行している武士の舞についても語り、家族、親戚、家臣、領民たちへの接し方など多岐にわたって語る。

一読した千代はこんな風変わりな心得の文章を書いた夫を武士として人としてますます好きになる。この夫を支え、この夫と共に生きて行こうと思う。読んだ者それぞれ受け止め方は違っても、この心得状の一言一言が心を打ち、胸に響いたことに変わりない。

尼子が滅びて行く戦国の苛酷な時代を、心得状を読んだ者たちは辰敬の言葉を支えとして生き抜いて行くのである。

 
私が一番書きたかったのは「心得状」だったのである。実はこの辰敬の書き留めたものには表題に相当するものがないので、皆、便宜上「家訓」と言っているだけで、読めばわかるようにこれは家訓ではない。若い人に与えた人間としての心得を説いたものだと主張する学者の意見に賛同して私も「心得状」としたのである。だからこそ現代人の心を打つのだと思う。
それゆえ10章は構成も9章までのオーソドックスなスタイルとは変えている。これはすべて心得状をより多くの人に分かってもらいたいからである。
10章だけ読んでもらっても「心得状」に込めた辰敬の気持ちは分かってもらえるのではないかと思う。
尼子が毛利元就に追い込まれて行く過程もこれまでの歴史小説では重点を置かれなかったところに視点を当てて自分ではうまく描けたのではないかと思っている。

出雲に帰郷して13年になるが超多忙な日々が続く。こんなに忙しいのは初めてのこと。まず、しょっぱなが、
3月14日。半年に一回の膵臓のMRI。ただ受けるだけならいいのだが去年からうちには豆柴マルコがいる。この犬が私が外出するとパニックを起こして粗相をする。対策はただ一つ、外出する前に一時間近く散歩させる。そうすると疲れて私が3、4時間留守しても殆ど寝て留守番しているのだ。ただし病院に8時半までに行くためには6時15分に起きなければならなかった。
3月16日。孫娘のお食い初め。娘夫婦がお婆ちゃんにもお祝いに加わって欲しいと松江からやって来た。毎週土曜日はグループホームから母を一時帰宅させているのでそれにあわせてやることになったのだ。
2歳7か月の長男も可愛い盛りでこれは賑やかで楽しかったのだが、娘一家が来る前に私はお墓の除草をしなければならなかった。(理由は後述)。
3月17日。明日は「風土記談義」。毎月の楽しみなのだが、これも犬をロング散歩させてから出ないといけない。
3月19日。2時。お寺で「春の彼岸説教」。名ばかりの総代だが出なければならぬ。名ばかりで何も役に立つことをしていないからこそ出なければならないと思っている。この日は、さらに6時から「出雲演劇鑑賞会・音楽劇母さん」もある。犬をどうしようかとお悩み中。そして、翌日。
3月20日。長浜神社で「戦没者慰霊会」がある。隣保で遺族会役員をやっていて、その長なので出席しなければならない。饅頭を貰って帰って配って回る。そして、また翌日。
3月21日。MRI結果が出るので受診。6年間異常なしなので今回も異常なしを願っている。
3月23日。4時半。墓じまいに参列。これが予定外に飛び込んで来た超多忙の理由の一つなのだ。埼玉に住む親せきが当主の死去で墓を埼玉に移すことになったのである。ところが子供たちは一度も出雲に来たことのない人たちで何もわからない。親戚も私より近い人はいるのだが高齢過ぎて何もできない。墓地がうちの墓地の裏にあることから相談を持ち込まれ、石材店を紹介し、下見に立ち合い、墓じまいの料金も見積もってもらう。墓じまいのお経が4時半というのも、東京から飛行機・レンタカーで1泊2日で来るのでこの時間しかお経が上げられないのである。
3月24日。12時半からお寺で当主の供養。石材店は朝早くから収骨して12時半までにお寺に届ける。
その後、直会(なおらい)をやって、遺族はご先祖様の遺骨を持って帰京。
こういうことがあるので親戚のお墓と隣のうちのお墓もお彼岸と言う事もあり綺麗にしなければならないのである。
ところで、前日の23日の夕方には私の妹が出雲に来る。実は妹の娘が九州から神奈川に引っ越すに当たって、お婆ちゃんに会いたいと、男の子4人(小学生から3歳まで)を引き連れて車でやって来るのだ。
私一人でとうてい世話を出来ないので、妹が早や乗りでやって来てお婆ちゃんに孫たちを見て貰ったら一緒の車に乗って帰ることになっている。
3月25日。歯医者。毎月歯の定期検診で通っている。
3月27日。妹の娘たちが来るので母を一時帰宅させて面会。一緒に夕食をしようかと計画している。
3月28日。妹と娘たちは出発。
これで終わりならよいのだがまだもう一つ残っているのだ。
4月2日。大腸内視鏡検査。2月のスプリングドックで便潜血反応があったのだ。これで4回目か。2回目に受けた時ポリープがあり摘出している。ポリープのない事を祈っている。もしポリープがあって摘出した場合は一泊しないといけないのだ。だからポリープがあってもなくても検査前日から犬をペットショップに預けないといけない。(ペットショップは10時からなので犬を預けて病院へ行くことが出来ないのだ。)ポリープがあったら犬は二泊することになる。
検査数日前から食事に気をつけなければならず、前日、前々日からは購入した検査食を食べないといけない。というわけで4月2日までは息が抜けません。
それにしても「墓じまい」は大変です。
お墓の番地がわからないので地図で提出したいのでお墓の地図を送ってくださいと頼まれたが、グーグルマップでうまく行かなくて、出雲市統合型地理情報システムにたどりつくまでえらい苦労した。

【追記】
今朝(17日)散歩の帰り、お寺に墓じまいのことを色々尋ねに行ったら、和尚さんから新年度から「出雲市の仏教会」に出て欲しいと頼まれる。これは正月の集まりで総代長からも仕事を分担して欲しいので出てくれと頼まれていたものである。総代長ばかりに仕事を押し付けるわけにも行かないので受ける。これは宗派を超えた集まりで和尚さんは副会長をしている。心配なのは副会長のお寺から出ているので役員にされることだ。まったくの素人なので見習い扱いしてもらいたいと願っている。
新年度と言う事で気がついたら、私は農協の役員もやることになっていた。うちの隣保には専業農家は1軒。副業で米を作っている家が1軒だけ。だが農協の委員は7人分必要で専業農家が殆ど一人で兼任していたがそれも限界にきて「大丈夫だから、たいしたことないから、助けて」と頼まれて、断り切れなかったのだ。「農業共済連絡員」がその役目。その昔、農業やってない人が集まりに出たら、「なにしに来た」と言われたそうだが、今は時代が変わったのでそう言うことはないと言っていたが、不安は不安である。この私が農協の役員なんて。仏教会に農協、77歳になって始めることなのか。

じゃが芋の植付準備に動き出したのが2月の初め。
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去年じゃが芋を掘った後に植えていたネギを抜く。じゃが芋を植えた後にネギを植えておくと翌年のじゃが芋の生育の為によいと知って去年初めて植えたのである。
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抜いたネギはじゃが芋畑の隣、薩摩芋予定地に埋めて置く。こうしておけばいつでもネギを食べることが出来る。重宝している。
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耕運機をかけて石灰を撒く。私のマルチ農法では肥料はやらない。撒くのは石灰だけ。
2月23日に田中種苗にじゃが芋を買いに行く。すると何と今年は「海外持ち出し禁止」のじゃが芋が7種(8種だったか?)もある。去年は2,3種だったのでビックリする。これは農林省が開発した新しいじゃが芋なので海外に持ち出してはいけないことになっているのだ。去年は1種類シンシアを購入した。うまかったのでそれを買うつもりだったがなぜか今年は売っていないので「さんじゅうまる」と「ピルカ」と言うじゃが芋を買う。目移りして選ぶのに困った。もちろん定番の「男爵」や「きたあかり」なども売っているのだが、田中種苗はよそでは売っていない珍しい芋をなぜか売っているのだ。全部新種を買うのはさすがに不安なのでもう一種類は「とよか」を買う。これも馴染みのない名称だろうが、私は今年で4年連続買っている。
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2月23日に買ったじゃが芋を縁側に並べて芽出しする。大きい芋は半分に切って干す。
左から「さんじゅうまる」30個。中央「ピルカ」半分を入れて17個。右が「とよか」半分を入れて25個。合計72個。
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3月4日植付する。一つの畝に24個。計72個。不順な天気が続きそうなので本当はもう少し暖かくなってから植えたいのだが3月は9日以降が殺人的に忙しくなるのでこの日に植えるしかなかったのである。
芋が並べてあるところに切れ目があるのでそこから芋を押し込んで土から頭がのぞく程度に埋めたら後は芋が出来るまで放りっぱなし。やることと言えば芽掻き(余計な芽を抜いて2本立てか3本立てに)するだけである。追肥や土寄せもしない。それでもマルチを剥いだら芋がゴロゴロ転がっているのだから芋掘りもしなくていい。芋拾いをすればいいのだ。どうしてみんなこの楽な方法を採用しないのか私は不思議でならない。農業に関してはみな保守的だ。皆と同じ慣れ親しんだ方法でやっていれば安心なのだろう。

2月半ば過ぎには20℃になる日もあってこんなに暖かくてこの先どうなるのだろう。野菜の正しい生育のためには困ったものだと思っていたら、月末からがくんと寒くなり今日は最高で6℃。雪も舞う。冬へ逆戻り。こんな冷たい朝は犬の散歩は休みたいが犬は出たくて出たくて潤んだ目で催促するのでバナナ一本食って震えながら出る。相手が犬だからと言ってあからさまに手を抜くのは出来ない気弱な性格なのでいつもは40分以上は散歩するところを30分ちょっとに短縮して「ごめんよ」と詫びる。
それからグラノーラにヨーグルト乗せて牛乳をかける365日同じ朝食を食べてからこんな日は休めばいいのにまたすぐ外に出る。畑周りにはやることは山ほどあるのだ。それが池に繁茂したホテイアオイの後始末。
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池を一面に覆っていたホテイアオイが枯れたので少しずつ引き上げていけの周りに積み上げていたがそのまま放置しておくわけには行かないので空き地に埋める作業にとりかかっているのだ。
右)茶色いのはかなけのせい。去年30万ほど出して部落水道の井戸を掘り直し、ポンプも変えたのにかなけが出てしまうのだ。ホースで水を入れているのだが油断するとかなけで油も浮いていることもある。皆、嘆いているがまたすぐ掘りなおすわけにも行かず、皆、ぶつぶつ言いながら使っている。
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その枯れたホテイアオイを空き地に埋めている。この空き地は去年ウルトラ万次郎なるカボチャを植えて大失敗した畑。畑の所有者は鳥取県に移ってしまったので売れない畑(私をふくめ誰も買わない)が放置してあり、今は隣の奥さんと私が勝手に使っている。今年こそはウルトラ万次郎かぼちゃのリベンジをする気でいるので、水草はいい肥料になるのではないかと思って少しづつ埋めているのだ。
去年は2月末にじゃが芋を植えたが、今年はこの寒さではまだ植えない方がいいだろうと思って、そのあいまを縫ってこんなことをしているのだ。これが朝の8時過ぎ。
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8時半ごろから雪が舞い始める。白いつぶつぶが雪。さすがに寒くて9時にはほうほうのていで引き上げる。明日は10℃まで温度は上がるが朝は0℃だそうだ。月曜からは朝も5、6℃になるらしいからじゃが芋は月曜に植えるつもりでいる。

ところで寒い日の散歩は寒いだけではない。ほっこりする日もある。2月のことだが朝の散歩コースを変えてから初めてコース途中でおツルさんに接近遭遇する。
2月16日。
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おツルさんの給餌場はお婆さんが餌やりしている所がメインだが、それ以外の場所でもたまに見かける。だがこんなに近くで出会ったのは初めてだった。その後、この近くで2回接近遭遇。1回は餌やり爺さんがいた。私ももし出会ったらパンをやろうと思って3日前に食パンを買って散歩の時にポケットに忍ばせている。

2月28日
もう一つは外来生物のヌートリアのカップルとの出会い。
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去年の晩秋?ごろからか1匹出没していたのだがカップルになっていた。昔、妻が入所していた特養の近くの小さな川で見たことがあったが少しっずつ増えているんだろう。
2月16日
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この時はまだ一匹だった。外来生物だから増えると困るなと思っていたら……。

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