曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2024年01月

ここまで来たら三日目も書きます。書くほどではないのだが。
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外へ出て見たら昨日よりは降っていた。夜のうちに少し降ったのだろう。だが大雪にはならず。松江では28㎝と言うのが嘘みたいに思われる。昨日一昨日のように風がひどくないのが救い。今朝はいつもの7掛けの散歩をしてやる。
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雪も昨日より若干積もっている。昨日より風は弱いとはいえ手はしばれる。調べたらホッカイロは2014年製。ほとんど効かない。(右の写真)最近、お気に入りの散歩コース。これから先の道を犬が散歩するのを見たことがない。随分長い道に見えるがこれはスマホで撮っているからだろう。
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行きどまりが小高い台地で細い登りになっている。枯れ草を抜けると新内藤川の土手に出る。向かい風の中を震えながら帰宅。こんな天気の中、39分も散歩。大サービスである。但しかじかむ指でスマホ撮影したのでかなり時間を取られている。
帰宅したら晴れる。これで寒波騒ぎは終わりかと思ったら、
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(左の写真)昼前に突然、激しい雪が降り出す。やっぱりまだ雪は続くのかと思ったら、しばらくして止み、その後は雨になったり、少し晴れ間が見えたらまた雪が降ったりの繰り返し。
(右の写真)夕方、散歩に出た時に撮った北山。この写真ではよくわからないが山全体に粉をふりかけたように雪が降っていて山全体が白っぽく見えていた。
夕方の天気予報で、出雲は14㎝と出ていた。思わず「どこだ」と叫んでしまった。うちの周りはせいぜい実感は2㎝である。ほんとに観測地点はどこなんだろう。まさか山の中にあるはずはなかろう。市内のどこかだと思うのだが。出雲空港とか斐川あたりは積もったのだろうか。天気予報で嘘つくわけがないから市内でも我が家の辺りは積もらない所と思った方がいいようだ。
松江では去年の大寒が30㎝。今年が28㎝と言っていた。
数年前、雪の吹き溜まりに車を突っ込ませ大渋滞を引き起こしてしまったが、あんな大雪は出雲では滅多にない事なのかもしれない。うちの近所に冬タイヤに換えない人がいる。「大丈夫なの?」と訊いたら、「出なきゃいいんだよ」と笑っていた。けだし名言である。

夜間頻尿の調子が良くていつもは4時過ぎか、5時前後にトイレに行くのだが昨夜は珍しく2時半に目が覚めてトイレへ。外を見たらうっすらと庭の半分くらい白くなっていたので朝には積もっているぞと期待(?)したが、起きて見たら大したことない。昨日よりは降ったが積もると言う予報はどこへ行ったのやら。
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7時15分にマルコと散歩に出た時はこんなもん。1㎝ぐらいしか積もっていない。松江は7㎝と言うのに。
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家の横の道もこんなもの。最近仲良くなった友達とひとしきりじゃれる。田舎の犬は半分以上が柴犬。どの道を通っても柴に出会う。残りが小型の愛玩犬、雑種、その他パグなど。写真ではわからないけどビュンビュン冷たい風が吹いている。
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新内藤川夫婦橋を通り過ぎてさらに下流に向かう。川っぷちで一段と強い風が吹くので雪が積もらない。全部吹き飛ばされている。
(右の写真)向かい風があまりにもきついので内藤川の対岸を通って引き返す。
帰宅して暫くすると激しく雪が降り出す。これから本式に降るのかと思っていたら、暫くして止み、また降り出す。猫の目のように変わる出雲の天気は夏も冬も同じ。
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(左)それでも積もってお昼過ぎには朝よりも積もる。松江では12㎝と言っている。これから降るのだと思っていたら(右)4時半にマルコに催促されて散歩に行く時は綺麗に消えていた。それでも手が冷たくて耐え切れないので薬箱から何年前のかわからないホッカイロを持って散歩に出る。風は相変わらず冷たい。そして、散歩に出た途端、天気が一変する。
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すさまじい雪が吹き付ける。さらさらの雪なので顔に当たると痛いぐらい。カイロも気休めにしかならない。余りにも寒いので途中でショートカットして帰宅する。ワンコも雪まみれ。いつもは35分から40分の散歩を20分で切り上げた。家へたどり着いた途端、雪がやむ。一番ひどい時に散歩してしまった。
7時前の天気予報で松江は15㎝と言っていた。今夜も降って明朝は積もっているらしいが出雲に限ってはもう信じない。
私にとっては雪は台風と同じ。子供の時は台風が来るとわくわくしたものだ。大雪もそれと同じ。降るならわくわくするような雪が降って欲しいのだ。

1月24日朝、今季一番の寒気が来ると言うので昨夜はこの冬初めて一晩中エアコンを入れて寝た。と言っても21℃だけど。布団に入っているから実際の室温は分からないのだが設定温度はこれで十分なのだ。余談だが我が家は厚着して昼間でも一日中21℃だ。これで食事の時や風呂上りだけ電気ストーブか石油ストーブを使えば暑過ぎず寒過ぎず過ごせる。あまり部屋が暖か過ぎると頭がぼーっとしてしまうのだ。犬も寒いとは言わないし。
今朝5時にトイレに立った時は雪は降っていなかったが7時15分にマルコの散歩に出た時にはうっすらと白くなっていた。暮れにはこれ以上に白くなったが今日は一日を通して寒さのレベルが違った。
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寒いのなんのって縮み上がる。散歩なんて行きたくないが行かないと犬が許さぬ。写真では写っていないが小雪が横殴りにビュービュー吹き付けているのだ。ちょこっと歩いてごまかすこともできるのだが
この後悪天候になってしまうと午後からの散歩が出来なくなることを考えると、歩ける時に歩いておかないと犬のストレスが溜まってしまう。
結局、歩ける時に歩いてやらないとと言って、昼食後、ちょこっと歩き、夕食前にもちょこっと歩いてやる。ほんとに犬思いのいい飼い主だと我ながら感心している。
終日横殴りの雪が降ったりやんだり。積もらないが寒かった。手袋なんて何の役にも立たない。天気予報通りの一日だった。天気予報通りだと今夜から降り出して明日は出雲の平野部でも積もるらしい。去年も大寒に雪が降った。今年もいかにも降りそうな雰囲気。明日は買い物に出なくてもいいように買いだめしておいた。果たしてどうなるだろう。予報では最低-2℃。最高1℃。

中海の赤貝について続報が入った。教えてくれたのは私の娘。出産のために2ヶ月入院していた娘はただひたすら安静にしていなければならず暇を持て余していた。一日中、山陰新報のデジタル版をスマホで隅から隅まで読んでいて中海の赤貝についての記事を読んだことを思い出して教えてくれたのである。私も山陰新報はとっているが訃報欄しか見ない。ニュースはほとんどネットかTVなので気がつかなかった。
中海の赤貝についての歴史がよくわかるので記事を要約して紹介する。

時は昭和に戻る。食料増産をはかるために戦後日本は湖の干拓・淡水化をすすめた。有名なのは秋田の八郎潟である。中海も干拓・淡水化事業に乗り出した。小さい湖では私が書いている「多胡辰敬」の居城岩山城の麓の波根湖も戦後干拓され、今では昔そこに湖があったことなど分からなくなっている。

1955年(昭和30年)頃には、赤貝は1600トンもの出荷があったそうだ。昔は随分獲れていたことが分かる。
1963年(昭和38年)中海干拓・淡水化に着手。
1973年(昭和48年)までに、事業に伴い中海での漁業権は消滅した。
1976年(昭和51年)以後、水質悪化で赤貝は急減する。
1977年(昭和52年)を最後に漁獲の記録はなくなる。

ところがその後の食糧事情の変化で米を作っても売れない時代になった。
環境意識が高まり水質環境の悪化が問題となる。

2002年(平成14年)干拓・淡水化の中止が決定する。
その後、県や漁業者が赤貝の稚貝を放流するが、水中の酸素が少なくなる貧酸素水化や食害で育たず。
2012年(平成24年)県水産技術センターが試験養殖を開始。赤貝を籠に入れて海中につるす方法で養殖し60キロを生産。
2013年(平成25年)には約1.5トンに伸ばす。
その後、年々出荷量を増やす。

2023年(令和5年)9月1日、島根県は養殖技術が確立し、生業(なりわい)として成り立つと判断して、中海の19区画に漁業権を認めた。

漁業権消滅後も、県は希望する漁業者に漁具や区域を制限したうえで漁を許可して来た。
漁業権は漁協が自主的なルールを設けて管理する仕組みになっている。養殖するには漁業権の設定が必要になるのだ。
しかし、一方の中海漁協では担い手の減少が続いている。
組合員は310人でピーク時の5分の1程度に縮小。高齢化も進み中心は60~70代となっている。
今年(2023年)は試験養殖開始以降最高の10トンの出荷量をめざしているそうだ。

これで中海の赤貝が細々と出回っている事情は分かった。
これからは正式に赤貝復活を目指している。喜ばしいことだが最盛期の1600トンからくらべたら160分の1である。出雲のスーパーにも地元中海の赤貝が並ぶようになってほしいものだ。
欲を言えば、この復活赤貝が昔の赤貝と比べて味はどうなのか、大きさはどうなのかがわかるといいのだがまずは漁獲量の回復だろう。小さいと言う人もいれば、大きいと言う人もいる。これは個人個人で赤貝に対しての思入れが違うからだろう。
宍道湖のシジミ漁は普通に見ることが出来る。いつか中海の赤貝漁を見たいものだ。

やっと第九章発売に漕ぎつけた。計画では10月に第九章、年末に第10章(最終章)を発売し、長い長い物語が完結して新しい年を迎える予定だったのだが、絵描きさんのスケジュールの都合で延び延びになってしまった。急がせるのも気の毒になり、スケジュールは気にしなくていいよと言ってたら、年末の出版事情でさらに絵描きさんのスケジュールがきつくなり、じゃあもう年を越してからいいよとなり、1月3日に絵が出来上がって来たのであるが、そこからAmazon Kindleで出版するのにいつもなら1時間くらいですむ作業が悪戦苦闘3日もかかってしまったのだ。一時は出版できないのではないかと思った。それがどういう事かと言うと、余りにもつまらないことだったので今思い出しても腹が立つのだ。
出版の手続きの最初にタイトルの登録をする。
まず題名を書きこむ。
「戦国を旅した男 石見岩山城主多胡辰敬 第九章 戦国家族」
次にカタカナ表記する。
「センゴクヲタビシタオトコ イワミイワヤマジョウシュタコトキタカ ダイキュウショウ センゴクカゾク」
最後にローマ字表記する。
「SENGOKUWOTABISHITAOTOKO IWAMIIWAYAMAJOUSYUTAKOTOKITAKA DAIKYUSYO SENGOKUKAZOKU」

その後、必要事項を記入し、あらすじを書きこんで次に原稿と表紙をアップするのだが、いくら次へ進もうとしてもエラーが出て先へ進めないのだ。
そのエラーというのが、タイトルのローマ字表記である。
どこか記入ミスがあったのかと思い、打ち直すが何度やってもエラーが出る。この部分は第1章から第8章まで、8回やって来た所で、いつも問題なく通過していた。間違えようにも間違える所ではないのだ。以前、一度だけエラーが出たのは、「し」が「SI」ではだめで「SHI」に直した所だけだった。どこかローマ字入力が間違っているのではないかと、色々ためしても駄目。半日やって投げ出す。
出だしでつまずいたのでダメージは大きい。ベッドに入ってあれこれ考えるもまるで思い当たらない。
翌朝もどんよりした気分でPCに向かうがやっぱり駄目。迷惑かけたくなかったが背に腹は代えられないので、後輩のライターに写メを撮って送る。
返事が来て、全角スペースがエラーと判断されることがあるので、半角スペースにしてみろと言う。
そこでスペース部分を半角にしたらそれでも駄目。正月早々どんよりと落ち込む。この出版を進めないとほかが進まなくなってしまう。他に相談できそうな人の顔を思い浮かべるも、正月早々だけに気楽には頼みにくい。赤ん坊が生まれたばかりの娘婿にもSOSを発する。
すると昨夜になって後輩から小文字で書きこんでみろ
「sengokuwotabisitaotoko iwamiiwayamajousyutakotokitaka 9 sengokukazoku」とアドバイスがある。

なるほどと行けそうな気がして小文字で試したら見事に先に進めた次第である。
Kindleの馬鹿野郎と罵るが仕方ないのだ。Kindleはアメリカだからローマ字で登録せざるをえないのである。

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                   「あらすじ」

帰国した辰敬は父の位牌に手を合わせると、休む間もなく父尼子経久に叛いた三男塩冶興久の乱に駆り出された。大内毛利が共倒れを目論む父と子の戦いは出雲存亡の危機をはらみながら数年に及んだ。その激戦のさなか辰敬は将来の親戚となる尼子の武将湯惟宗(これむね)と出会う。湯は宍道湖畔の海辺領主である。南蛮交易に憧れる型破りの武士で諸国遍歴を重ねた辰敬とは肝胆相照らす仲となる。
辰敬は翌年見合いをして生涯の伴侶千代を得る。辰敬を心配した亡き父が辰敬の為に見初めた女であった。辰敬は38歳、千代は32歳で再婚だった。遅い結婚にもかかわらず辰敬は一男一女を得る。辰敬は妻と子を愛し、千代もまた夫と子を愛す戦国の家族の歴史が始まる。
その二人目の子阿茶の一頁は誕生の瞬間から破天荒なものになる。阿茶が生まれるや否や湯がすっ飛んで来て長男の嫁に欲しいと懇願したのである。湯は女の子の誕生を待ち望んでいたと言う。辰敬と貞女の誉れ高き千代の間に生まれた子なら湯家を支える嫁になると信じていた。
千代は結婚してすぐ夫が戦死するも再婚を断り、義父母に孝養を尽くす貞女として知られていた。湯の熱意にほだされて生まれたばかりの阿茶と湯の幼い長男との婚約が成立する。
興久の反乱は我が子を自害に追い込んだ経久の勝利に終わり、尼子家は経久から孫の尼子晴久の代に替わるが、出雲は大内毛利との中国の覇権を賭けた熾烈な戦いが続く。
結婚してから12年の間は戦いの日々の連続。かわいい盛りの二人の子と過ごす時間もなかった。
尼子晴久は無謀ともいえる毛利攻めを宣言し、辰敬は密命を命じられる。その出発前夜、辰敬が将棋の達人と知った7歳の子から将棋を教えてくれとせがまれる。帰国したら教えると約束する辰敬。
毛利攻めは大敗北に終わる。命からがら生きて帰ることが出来た辰敬は待っていた子と将棋を指すことが出来た。それはかけがえのない小さな幸せだった。


ラストの2章(9章と10章)を読んだだけでも辰敬と末裔につながる話が楽しめると思います。

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