孫が生まれた。娘の二人目の子で、私にとっては息子の子と合わせて三人目の孫になる。
[病院内での写真は公開禁止なので削除しました]
新生児ICUの中ですやすやと眠っている。帝王切開は決まっていて予定より10日早めて今朝手術したのである。女の子で2500gだから心配はいらないようだ。1週間か2週間で退院できるらしい。娘は1週間で退院する予定。私は喜びはひとしおだが今はほっとしたと言うのが実感だ。この日を迎えるまでが余りにも慌ただしく、かつ心配ではらはらどきどきすることの連続だったからである。
娘から二人目ができたと報告があったのが春の初め。一人目の子ができるまで数年かかっていたし、高齢出産になるので二人目は望めないだろうと思っていたから驚いたけれどとても嬉しかった。だが、その頃娘夫婦は島根移住を進めていたので、私は一抹の不安を覚えた。長男がまだ1歳半なのにお腹に赤ん坊を抱えて移住が出来るのか誰だって心配になる。しかも幼い息子は車椅子の娘の膝に乗って移動するのが日常である。どんどんお腹が大きくなって行くのに大丈夫だろうかと心配したが、娘は「大丈夫、大丈夫」と5月の連休には出雲に帰り、婿さんは面接、二人して家探しと保育園探し。結局時間が足りなくて松江にアパートを借りて8月末に引っ越し。環境の変化に真っ先に音を上げたのがワンコ。血を吐いて、急遽、私が預かることに。娘は二歳になった息子を膝にのせて車椅子で保育園の送り迎えの島根移住新生活。
そして、悪夢のあの日。私が孫の運動会の帰りに横転自損事故。娘一家に大迷惑をかける。それが、10月12日。娘が急遽入院することになったのが10月14日。娘はそれから51日も入院していたのだ。
(その間は義母が東京から駆けつけて来て2歳の孫と息子の世話をしてくれていた。感謝!)
実は娘は出血していたのだ。
その出血があったのが私が事故を起こした10月12日の夜。翌日、病院に行って治療を受けたが一度は収まったのだがまた出血があって、結局安静にするために長期入院になっていたのだ。
それを聞いた時、私は娘は私の事故のショックで出血したと思った。ありうることである。後に娘から胎盤の位置が下がっているからある程度の出血は避けられない状況にあったのだと知らされた。多少は救いになったが、それでも精神的ショックが出血のきっかけになったのではないかとずっと気に病んでいたのだ。もしそうだったら申し訳ない事をしたと自責の念にずっとかられていたのである。
最初に東京の病院の紹介で入院した病院では、34週以内に帝王切開した場合には、新生児ICUがないので転院しなければならないと聞いていた。心配した娘はもしものことを考えて病院と交渉し、新生児ICUのある今の病院に転院した。それを聞いた時は安心もし、さすがは娘と頼もしく思ったものだった。転院した病院でも少し出血はしたが無事に乗り越えた。やはり安静が効いたらしい。車椅子だとどうしても血の巡りが悪くなるので胎児に栄養が回りにくくなるが、安静にしていると血の巡りがよくなり栄養状態も良くなるそうで、最初の病院に入院した時は一週間で500gも体重が増えた。2400gになったと聞いた時はこれなら大丈夫とすこしずつ不安が解消され、35週に入った先週にはようやくここまで漕ぎつければと私も勇気を得て、今日のこの日を迎えた次第でした。
娘によると、手術室には医師が三人もいて、看護師が4人いて、生まれたら小児科医も来て診てくれたよし。これなら安心だと言っていた。
私も今日は出雲に帰って一番嬉しく心からゆったりできた午後だった。
小春日和の一日だったので、夕方には新内藤川の土手をマルコと61分ものんびりと散歩した。酒が飲めるなら飲みたい夜だった。孫娘の顔を見に行くのが楽しみだ。