23日、二日目がこの旅の目的である団体参拝。6時40分に花園会館を出発。隣の妙心寺の微妙殿に向かう。


沢山の塔頭(たっちゅう)寺院が並ぶ中を花園会館から微妙殿に向かう。微妙殿で参拝。参拝には首から輪袈裟をつける。私は一昨年に亡くなった妻と5年前に亡くなった父の供養をしてもらう。父の供養に来たのが本山参りの一回目である。本来ならその間、コロナがなければ3回来て、今年は5回目になったはずなのに今年でやっと2回目である。


5個ハンコを集めると記念品(バッジ)が貰える。本当ならバッジが貰えたのだ。一緒にお参りした女性は何と23回目で、4個の色違いのバッジを輪袈裟につけていた。到底不可能な私は羨ましかった。花園会館に戻って朝食。


こういう朝食ならいくらでも食べられる。昨夜の仇をとるかのように御飯もしっかりおかわりする。
花園会館の5階の窓から隣の妙心寺の山門(赤)⇒仏殿⇒法堂(はっとう・天井に雲竜図がある)を望む。
同行した和尚さんの一人が、二条城見学に出発するまで少し時間があるので、妙心寺の中を案内してくれると言うので希望者は参加する。もちろん私も。


妙心寺正面から入る。妙心寺の看板はあるが、ここには妙心寺と言う寺(建造物としての寺)はない。沢山のお寺が集まっているがその中に妙心寺と言う寺はないのだ。たくさん集まったこの広大な寺域全体を妙心寺と言うのである。説明は山門・仏殿・法堂の後で。
赤い門が山門。なぜ山門と言うのか。昔中国ではお寺は山の上にあったので山門と言うようになったのだそうで、お寺が平地に立つようになっても山門と言う。


山門を進むと仏殿である。ご本尊が祀ってある。
その次が法堂。多くの僧がここで学ぶ。
この山門、仏殿(ご本尊が安置)と法堂(学ぶところ)が妙心寺の中心なのである。沢山のお寺(塔頭・たっちゅう)はみなこの三つを取り囲むように建っている。それらのお寺に祀られているのは皆ここで学んだ高僧なのである。偉い高僧が死ぬと次々と山門・仏殿・法堂を護るように寺が建てられて行ったのである。これらの塔頭を境内寺院と言った。昨日見学した大雄院も塔頭の一つで境内寺院である。ちなみに塔頭の「塔」は「墓」のことである。だが時代が下り敷地を広げることが不可能になると、離れた場所にもお寺が建てられるようになる。これを境内寺院に対して境外寺院と言う。その代表が龍安寺なのである。分かりやすい説明で、これまであいまいなままにしていたことがはっきりしてとてもいいお話だった。塔頭の塔が墓を意味するというのも初めて知った。
二条城の見学に行く。


『東大手門(二条城の正門)』から入る。二条城も外人観光客に加えて修学旅行生がいっぱい。
『唐門(二の丸御殿の正門)』を通って二の丸御殿へ。


『二の丸御殿』正面。大政奉還をしたところ。沢山の部屋と広く長い廊下を歩く。大勢が歩くので鴬張りがしてある廊下はキュッキュッキュッキュッとうるさいぐらいの大合唱。鴬張りの廊下は歩いたことがあるがこんなに盛大で長く広い廊下で鳴り響くのを聞くのは始めて。
二の丸御殿を出て、本丸御殿(修理中)を回って、二条城の三つの庭を見て回る。
『二の丸庭園』
二の丸御殿から眺める庭園。寛永三年1626年小堀遠州が改修。

この池を眺めることが出来る大広間あたり?の縁の下にもぐっている外人の親子がいたので、何だろうと思って覗いてみたら、二本の細長い金属板が交差するようにずらりと打ち付けてある。これが鴬張りの仕掛けと分る。内側の廊下を歩く振動が金属板をこすりつけ、音を発していたのだ。この歳になって初めて鴬張りの仕組みを知る。
ここでスマホの電池が切れてしまって、撮影終了。
二条城を出る時、ガイドさんが人数確認のために4人ずつ縦列に並べていたら、通りかかった外人観光客が「ワオ~」と目を丸くしていた。ほとんどが60歳以上、後期高齢者が半分の年寄り集団がおとなしく並んでいたのがよほど奇異に見えたらしい。よく見て行くがよい。ジス イズ ジャパンだ。
この後、嵐山で昼食。お土産を買って出雲に戻る。18時50分、お寺さんに到着。ペットショップは19時45分までだったので、すぐワンコを迎えに行く。


沢山の塔頭(たっちゅう)寺院が並ぶ中を花園会館から微妙殿に向かう。微妙殿で参拝。参拝には首から輪袈裟をつける。私は一昨年に亡くなった妻と5年前に亡くなった父の供養をしてもらう。父の供養に来たのが本山参りの一回目である。本来ならその間、コロナがなければ3回来て、今年は5回目になったはずなのに今年でやっと2回目である。


5個ハンコを集めると記念品(バッジ)が貰える。本当ならバッジが貰えたのだ。一緒にお参りした女性は何と23回目で、4個の色違いのバッジを輪袈裟につけていた。到底不可能な私は羨ましかった。花園会館に戻って朝食。


こういう朝食ならいくらでも食べられる。昨夜の仇をとるかのように御飯もしっかりおかわりする。
花園会館の5階の窓から隣の妙心寺の山門(赤)⇒仏殿⇒法堂(はっとう・天井に雲竜図がある)を望む。
同行した和尚さんの一人が、二条城見学に出発するまで少し時間があるので、妙心寺の中を案内してくれると言うので希望者は参加する。もちろん私も。


妙心寺正面から入る。妙心寺の看板はあるが、ここには妙心寺と言う寺(建造物としての寺)はない。沢山のお寺が集まっているがその中に妙心寺と言う寺はないのだ。たくさん集まったこの広大な寺域全体を妙心寺と言うのである。説明は山門・仏殿・法堂の後で。
赤い門が山門。なぜ山門と言うのか。昔中国ではお寺は山の上にあったので山門と言うようになったのだそうで、お寺が平地に立つようになっても山門と言う。


山門を進むと仏殿である。ご本尊が祀ってある。
その次が法堂。多くの僧がここで学ぶ。
この山門、仏殿(ご本尊が安置)と法堂(学ぶところ)が妙心寺の中心なのである。沢山のお寺(塔頭・たっちゅう)はみなこの三つを取り囲むように建っている。それらのお寺に祀られているのは皆ここで学んだ高僧なのである。偉い高僧が死ぬと次々と山門・仏殿・法堂を護るように寺が建てられて行ったのである。これらの塔頭を境内寺院と言った。昨日見学した大雄院も塔頭の一つで境内寺院である。ちなみに塔頭の「塔」は「墓」のことである。だが時代が下り敷地を広げることが不可能になると、離れた場所にもお寺が建てられるようになる。これを境内寺院に対して境外寺院と言う。その代表が龍安寺なのである。分かりやすい説明で、これまであいまいなままにしていたことがはっきりしてとてもいいお話だった。塔頭の塔が墓を意味するというのも初めて知った。
二条城の見学に行く。


『東大手門(二条城の正門)』から入る。二条城も外人観光客に加えて修学旅行生がいっぱい。
『唐門(二の丸御殿の正門)』を通って二の丸御殿へ。


『二の丸御殿』正面。大政奉還をしたところ。沢山の部屋と広く長い廊下を歩く。大勢が歩くので鴬張りがしてある廊下はキュッキュッキュッキュッとうるさいぐらいの大合唱。鴬張りの廊下は歩いたことがあるがこんなに盛大で長く広い廊下で鳴り響くのを聞くのは始めて。
二の丸御殿を出て、本丸御殿(修理中)を回って、二条城の三つの庭を見て回る。
『二の丸庭園』
二の丸御殿から眺める庭園。寛永三年1626年小堀遠州が改修。

この池を眺めることが出来る大広間あたり?の縁の下にもぐっている外人の親子がいたので、何だろうと思って覗いてみたら、二本の細長い金属板が交差するようにずらりと打ち付けてある。これが鴬張りの仕掛けと分る。内側の廊下を歩く振動が金属板をこすりつけ、音を発していたのだ。この歳になって初めて鴬張りの仕組みを知る。
ここでスマホの電池が切れてしまって、撮影終了。
二条城を出る時、ガイドさんが人数確認のために4人ずつ縦列に並べていたら、通りかかった外人観光客が「ワオ~」と目を丸くしていた。ほとんどが60歳以上、後期高齢者が半分の年寄り集団がおとなしく並んでいたのがよほど奇異に見えたらしい。よく見て行くがよい。ジス イズ ジャパンだ。
この後、嵐山で昼食。お土産を買って出雲に戻る。18時50分、お寺さんに到着。ペットショップは19時45分までだったので、すぐワンコを迎えに行く。




















