曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2023年10月

今朝の5時ごろ、真っ暗闇の中でマルコが急にうろうろし始め、落ち着きなく動き回る。同棲して2ヶ月こんなことなかったのでどうしたのだろうと、ベッドから手を伸ばしてなだめようとするがおさまるどころかひんひん言い出す。その頃になると遠くで雷が鳴る音が聞こえて来る。雷が怖くて鳴いているのかなと思うがこれまで雷でこんなに怯えたことはない。そのうち雷が大きくなったかなと思ったら急に雨が降り出し、途端に激しくなる。稲妻も光り、車軸の雨となる。いつもと雨の気配が違う。屋根が凄い音をたてている。マルコは怯えて怯えて狂ったように歩き回りベッドに飛び乗って来て私の顔をぺろぺろ嘗め回す。この頃には電気もつけていた。5時半を回っていたと思う。外を見て驚く。庭の一部が真っ白になっている。どうやら雹(ひょう)が降ったことが分かる。起きてしまったのでどんな雹が落ちたのかと思って見に行く。
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大きな雹がうっすらと積もっていた。夜が明けて6時半ごろに芝生の上の雹を写す。真ん中の大きい雹は軽く1 ㎝を超えていた。こんな大きな雹を見た記憶はない。田舎に帰って初めて。屋根が大きな音を立てていたはずである。まさか雹が打ち付ける音とは思わなかった。
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このままマルコの散歩に出かける。予報では一旦上がっても今日は雨模様。(夕方には急に雨が降り出して大慌てで逃げ帰った)
朝の散歩から帰って、恐る恐る畑を見る。
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ニンニクの二畝。10月11日に130個ずつ植え、10月16日に約50個ずつを追加で植えた分は無事。まだ小さいし、ニンニクの芽は強いからだと思うが、10月25日に植え付けた春キャベツ(春波キャベツ)は危惧した通りひどい目に遭っていた。苗10本植えたがみな雹にやられてこれ以上に悲惨な状態。
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これは10月21日と24日に植えた極早生玉ねぎの「貴錦」150本。奥が10月22日に植えた早生の「ソニック」100本。今年は極早生と早生しか作らない。誰もが作る晩生の玉ねぎ(普通の玉ねぎ)は作らないことにしたのだ。今年のような天気だとうまく作れないような気がしたのだ。吊るして保存したものもみなどんどん腐って落ちたと言っていた。極早生と早生は生で食べると美味しいし、早く収穫できるのがいい。
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ネギは弱いから散々。ちょん切れたやつもある。何本植え替えすればいいのか、全面、植え替えか、まだ判断がつかない。近所では全滅だと嘆いている人もいるとか。全面、植え替えなんて嫌だよ。
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9月末に植えたイチゴと10月1日に植えたニンニクの混植畝はニンニクは無傷。イチゴの葉っぱが少し傷ついた程度ですんだ。
右の鉢植えの苺は松江の孫のために植えた白いイチゴ「天使の苺」。(数が出なくて、売り切れていたので楽天で取り寄せた苗)。少し傷ついたがこの程度なら心配することはないだろう。
ああ、玉ねぎと春キャベツが心配だ。春キャベツは10本だけだから植え替えは楽だけど、玉ねぎはそうはいかない。予定ではこの後「空豆」と「えんどう類」を植えて終わりにしようと思っていたのに。

10月13日。事故の翌日、車を運び込んだホンダの支店へ行き、車を見た。事故を起こした日は車の様子を確かめるどころではなかったので、この日、初めて近くで見た。
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右側を下にして倒れていた。     正面。
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左側が大破していたがこの時は左のタイヤ部分がどうなっているのか、担当の人と話があったのでよく見ることをせず、急いで写真を撮っただけであった。
それから、一週間余、病院へ行ったり、保険会社と電話したり、県の土木事務所(街路樹の損傷やオイル漏れの処理費について)と話したり、ホンダの担当に相談したり、慌ただしく過ごす。初めてのことなので全損の場合はどうのこうの言われてもよくわからなくてため息が出る。その話の中でどうやら廃車になりそうな雰囲気だったが、ついに先日廃車にすることに決める。修理できないことはないが修理しても強度は保てない恐れがあると言われたら乗る気にはなれない。修理費もかなりの高額になるらしく保険では到底足りない。
10月21日。今日、車の中の荷物を整理に行く。
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最後の同乗者マルコもお別れに行く。このエアバッグが私とマルコを守ってくれた。
担当の人から8年前に購入したこの車が初代のN-BOXだったのだと教えられ、そう言えばこの車が話題になった時、こう言う車が欲しかったのだと思って買ったことを思い出した。病院通いをするのに妻を軽自動車に移すのが限界になり、タクシー会社の福祉タクシーを呼んでいたがそれも不便で困り果てていた時に、N-BOX+が発売されたのだった。私にとっては夢の車だった、車椅子のまま乗せていつでも好きな時病院に行けた。何年か経って、特養に入所しても、特養からお花見やすき家へ昼食会へ行く時も食事介助に付き添う私はこの車に妻を乗せた。特養から月に数日、自宅へ戻る時にも、送迎はこの車でやった。
晩年の父の病院通いにも使った。最期を迎えた病院へ送り届けたのもこの車だった。
私にとっては心強いヘルパーであり、仲間であり、戦友であり、同志だった。それをたった一つの私の愚かなミスでこんな無残な姿にいしてしまいどれだけ胸が痛んだことか。時価額2万5千円のスクラップ同然になってしまったのである。時価額を聞いた時は本当にこの車に申し訳ないと思った。私はお前をただの移動手段とは思っていなかったんだよ。いつも感謝して、いい車だ、便利な車だと、有難うよと言いながら運転していたことを伝えたくて、今日はお酒を持って行き、車にお酒をかけてお別れをした。さよなら、N-BOX+。
これからまだ車に乗るがこんな事故は二度と起こさないと誓う。
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左前部をよくわかるように写す。廃車になるのも無理はないと思った。本当に居眠り運転は恐ろしい。
お見舞いを下さった皆様にはこの場をお借りして御礼申し上げます。
右の肋骨あたりが少々痛みましたが今は殆ど痛みはなく咳をした時多少響く程度になりました。首も翌日起きようとしたら首が持ち上がらないぐらい首の筋が強張っていましたが、すぐによくなり今はどこも異常はありません。

松江からの帰りにN-BOX+で横転自損事故を起こしてしまった。記憶も生々しい起こした日の夜にこんな記事は書きたくないのだが、どうせ書くことだし、書くなら車を運転する人の他山の石になることだろうと思って書くことにした。
平田に入って平田循環道に入る手前だったと思う。時刻は3時前か。
突然、ガーンという凄まじい衝撃を受けて、「あっ、やった」と思った瞬間、はっと気がついたら、車が横転していて、私の顔の上に豆柴のマルコがいて震えていた。眼の上にドアの窓があり空が見える。この時、初めて何かにぶつかって車が横転したことを知る。原因も分かる。眠っていたのだ。
松江総合体育館で行われた2歳の孫の運動会を見ての帰りだった。犬は家に置いておくとパニックになってウンチやおしっこをするので助手席に乗せて連れて行ったのだ。
松江を出てしばらくして眠気がさしていた。途中、縁石にぶつかりそうになり咄嗟にハンドルを切ったことがあり。「危ない、危ない」と注意していたのだが。事故を起こした直前の記憶は一切ない。
注意していたつもりなのに睡魔に襲われ完全に寝てしまった一瞬があったのだ。
凄まじい衝撃で「あっ、やった」と思った瞬間にもまだ何も見えていなかった。その次の瞬間にぱっと視界が広がった時に初めて横転した車の中にいる自分を認識したのである。この時はまだ何にぶつかったのかも知らなかった。(歩道の街路樹にぶつかったのを知ったのは警官に教えられてから)
つぶれたエアバッグがあり、運転席はしっちゃかめっちゃか。右の肋骨が痛むが、頭は打っていないし、右手に小さな切り傷があるぐらいで大きな流血はない。
駆け付けた人から「大丈夫か」と聞かれ、「大丈夫です」と答える。何とか出ようと思うのだがドアが開かない。シートベルトもなかなか外れない。外の人は「動くな、じっとしていろと」と言うが、目の前からはうっすらと白い煙が出ている。火が出たらどうしようと焦る。その間の時間経過は分からない。交通整理が始まる中、後部の窓が割れていたのか、ドアが開いたのかわからないが、まずマルコを出してから這い出る。歩道の街路樹の下で手当てを受ける。そこへ救急車も来て診てくれるが、右の肋骨の打撲による痛み以外には異常はないが、一応、病院へ行くことに。平田の総合医療センターが無理なので斐川の徳洲会病院に運ばれる。マルコは病院が世話できないので平田の広域交番が一時預かりしてくれることに。救急で首と胸のレントゲンを撮るが異常なし。30分で病院を出る。
平田の広域交番にマルコを受け取りに行くが交番は何か対応事変があったらしく締まっている。1時間ぐらいないと戻れないと言うので、出雲のホンダ北支店へ行く。ここにJAFに事故車を運んでもらったのだが、その時渡した車のキーに家の鍵がついていたので、その鍵を受け取って6時に帰宅。
マルコは娘の婿さんが帰宅後引き取りに行ってくれた。
娘は10月で妊娠8ヶ月、12月に帝王切開の手術日も決まっている。今日も運動会に孫と娘とマルコを連れて車で行った。平日なので婿さんは参加できなかったのだ。もし、娘と孫を乗せていたらと思ったらぞっとした。娘に二子が生まれるまでは娘も二歳の長男ももう私の車には乗せないと宣言する。
もう、運転をやめようかと思ったくらいショックを受けている。
横転した事故車を目の前にしても写メしようと言う気も起きなかった。あったらもっと臨場感を持ってもらえたかもしれないが。
本当に居眠り運転は恐ろしい。寝てはいけないと注意していても、振り払えない限界というものがあって、それを越えた瞬間意識は飛んでしまい、寝てしまっているのだ。そして、次の瞬間には事故になっているのだ。人を巻き込まず、対向車もなく、自損事故で終わったことをせめてもの慰めにしたい。時間帯もあったが田舎の道だったことも幸いした。今でも自分がこんな事故を起こしたことが信じられないが、逆に言えば誰でもいつでもどんな事故を起こさないとも限らないのだ。本当に気をつけましょう。母は85歳で免許を返上させたので自分も85歳で返上しようと思っていたが、もっと早く返上することは今回のことで確実になったと思っている。

6月にフィリピンの子供たちの教育支援を始めたことを報告しましたが9月になって私がサポートする学生さんから礼状が届いたので紹介します。
最初に同封されていたLOOB代表小林幸恵さん他スタッフからの礼状を紹介します。
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LOOB教育サポート会員/正会員/
賛助会員の皆様                  2023年9月吉日

平素お世話になっております。皆様の温かいご支援に支えられ、おかげさまで私たちは活動22年目を迎えることが出来ました。皆様のお力添えに感謝しております。
今年は小学校から大学まで53名の子供達を支援できております。現地の子供たちは将来の夢や目標を叶えるため、意欲的に勉強を続けています。フィリピンでは著しい人口増加と経済成長で、教育はますます人々の生活の重要な役割となっています。
そんな子供たちの未来を、可能性を切り拓くことが出来ると信じ、これからも皆様と共にフィリピンと日本の架け橋となっていければと存じます。教育はすべての子供たちの権利であるだけでなく、よりよい生活・人生を歩むための鍵となります。今後とも宜しくお願いいたします。

【訂正】
6月の記事で、LOOB代表の小林さんは私の娘が「海外青年協力隊」でイロイロ州へ派遣された時の同期と書きましたが、小林さんはそれ以前から現地で教育サポートをされていた方で、娘が「海外青年協力隊」でイロイロへ行った時に知り合いになったものです。私の聞き間違いでした。

私がサポートするのは助産師を目指す女子大生でした。半分ぐらいは分かるのですが正確を期すために娘に翻訳して貰いました。
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支援者さま、

 

こんにちは!私は〇〇〇〇です。21歳、イロイロ医科大学助産師専攻の二年生です。イロイロ市マンドゥリアオ、ナバイス村のシティオスブリに住んでいます。歌と踊りが大好きです。NGO LOOBが開催する活動(コミュニティ図書館プロジェクトや日本人のインターン受け入れなど)が最近忙しく、とても楽しく充実した日々を過ごしていました。

 

この機会に、わたしの勉学を経済的に支援してくださっていることに感謝の意をお伝えさせてください。特に、病院での現場実習があるこの時期において、あなたからのご支援は本当に大きなものです。

 

去る2023530日は、「リング&ピン セレモニー」がありました。これは、助産師という自らが選んだ職業と正式に結ばれることを意味する行事です。現場実習が終わると、国家試験に向けた勉強が始まります。合格して正式に助産師となれるように願いながら頑張ります。

 

NGO LOOBを通じたご支援は、特に教育面での出費において、わたし自身、そしてわたしの家族を助けてくれており、わたしの人生に大きな変化をもたらしてくれています。そのため、教育サポーター制度の奨学生のひとりに選ばれたことについて、とても感謝しており、恵まれていると感じています。本当にありがとうございます!直接お礼を伝えたいので、いつかお会いできるといいなと願っています。

 

神様の祝福が、あなたと、あなたのご家族にありますように。

 

娘がサポートする女子大生からの礼状も紹介します。
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支援者さま、

 

コンニチハ!お元気ですか?私は〇〇〇〇、21歳です。イロイロ市マンドゥリアオのカラフナンに住んでいます、ゴミ山があるところです。わたしたちのコミュニティはあまり良い場所ではまだないかもしれませんが、安全に住めるところです。ここにしかない美しさ、というものが、それでもあります。

 

あなたの温かいご支援に深い感謝をお伝えしたく、このお手紙を書いています。あなたからのご支援に、いつも、そして今後もずっと、感謝し続けます。ご支援は、わたしと、わたしの家族にとって大きなものです。あなたは私にとって大きな恵みなので、どうぞいつも幸せで健康でいてくださるよう願っています。本当にご支援に感謝しています。ありがとうございます。

 

私はウエストビサヤ州立大学の3年生で、児童教育学専攻です。時間がある時は、音楽を聴いたり動画を観るのが好きです。黒子のバスケ、というアニメが一番好きです。でも何より好きなのは、本を読むことと詩を書くことです。日本語も勉強中ですが、すごく難しいです。でもベストを尽くして勉強して、話せるようになるといいなと思います。

 

今は夏休みで授業がないので、母の手伝いや家事をしています。姪っ子、甥っ子に勉強も教えています。時々疲れたなぁと思うこともありますが、それでも、自分がしていることを楽しむようにしています。

 

自分の人生においても、仕事においても、ベストを尽くします。そして夢を叶えて、家族やみんなを誇らしい気持ちにさせたいです。ご支援本当にありがとうございます。

 

ご支援は本当に大きな意味があります。大学に着くまで乗合バスに3回乗り継がなければならないのでその運賃、書籍代、制服代、食費、その他にも支払わなければいけないお金が色々あります。大学に行くということは、お金がかかるのですね。だからこそ、ご支援を受けられてとても感謝しているのです。以前に比べ、教育にかかるさまざまな支出の負担がとても楽になりました。

 

本当にありがとうございます。生涯にわたってずっと感謝します。神様の祝福があなたにありますように、あなたは私と私の家族にとっての恵みですからー。どうぞ身体に気をつけて、いつか直接お会いしてお礼を言えることを楽しみにしています。

 

月5000円のサポートをこんなに喜んで貰え、こんなに役立っていることに私まで嬉しくなった。
娘が「海外青年協力隊」で働いていた時の障害者団体の職員の給料が1万4000円だったと言ってたから5000円がどれほどの重みのある額かわかろうというものだ。逆に言えば5000円がないために夢をかなえられない若者が大勢いるということなのだ。彼女は小学校の先生を目指しているそうだ。
娘は励ましの返事を書くと言っていた。私も書くが翻訳は娘に頼む。勉強していないとこういうことになる。情けない。

10月4日の最高気温が25℃ぐらいあって日中はまだ半袖で大丈夫だったが、朝6時ごろマルコの散歩をする頃は長袖でないと寒く感じる。明日からは最高気温も23℃ぐらいになるらしい。やっと秋らしくなりそうな気配だが、9月は暑かった。彼岸過ぎても夏みたいだった。その暑かった9月の畑の収穫と来年に向けての活動などetc
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9月5日シルクスイートの収穫。
一株からこれだけ。これでもいい方。失敗の原因は分かっている。東の畑は去年じゃが芋と薩摩芋を作った。今年は敢えてまたじゃが芋と薩摩芋を植付した。薩摩芋は痩せた土地の方がいいからである。多肥料の土地に作るとつるばかり成長して必ず失敗する。石灰だけはやる。ここまでは良かったのだが、去年、私は畑の土をもっとふわふわにしたくて腐葉土を放り込んだのである。腐葉土なら化成肥料や鶏糞、堆肥などをやる訳ではないからいいだろうと思っていたのだが、後で畑先生に「馬鹿だなあ、腐葉土も堆肥と同じだよ。立派な有機肥料だよ」と言われた。実はちょっと不安になって誰かに聞こうかなと思ったのだが面倒くさくて相談せずにやってしまったのだ。
案の定、葉っぱばかり威勢よく成長した、掘ってみたらこのありさまだったわけである。
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一つの畝でこの程度だから情けない。三畝とさらに小さい畝二つでこの三倍くらい収穫。マルチが残って小さいツルが残っているのは、7月23日頃に枯れたツルの後に新しいツルを植え付けたもの。(伸びたツルを切って差したもの)。2ヶ月遅れで差したものなので掘るのは10末から11月初めを予定している。
薩摩芋を失敗したら、じゃが芋は失敗できない。
薩摩芋はいくら連作してもいいが、じゃが芋はそうは行かない、どうするかと言うと、じゃが芋のあとにはネギを植えるといい知る。連作障害は起きなくて、じゃが芋の成長のためにいいのだそうだ。そこで早速干しねぎを買って来る。ただ溝を掘って植えればいいだけと思っていたらとんでもない手間がかかる。
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九条太ネギの干しねぎ。何と枯れた皮の部分を全部剥がないといけないのだ。これがめんどくさいこと。嫌になる。
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炎天下9月16日。幅20㎝深さ20㎝の溝を掘って、15㎝間隔でネギを植え付ける。この時、根にすっぽり土をかけてはいけない、ネギの白い部分が出るようにしておかなければならない。溝を掘るだけで大汗をかき、目が回る。
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溝に藁か枯れ草を敷く。藁は一昨年隣家が稲刈りをした時に大量に貰った分が保存してあったのでそれを使う。たまたまこの他にも今年庭の草刈りした時に大量のカヤの葉が出たのを何か使うことがあるかもと保存しておいたのがあったので、まずカヤの葉から使う。三本溝をほる。ここが来年のジャガイモ畑になる。
右の写真は薩摩芋の畑からネギ畑を見たもの。向こうの緑は池のホテイアオイ。
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10月4日 半月でこんなに大きくなる。

鶴、戻る。
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9月19日 数日前から姿を見る。真夏の暑い盛りにはどこへ行っているのか分からないが、秋になると必ず戻って来る。夕方、お婆さんの餌を待っている所。マルコの散歩の途中。(右の写真)脅したらいけないので、ここまで近づいたところで引き返す。
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9月25日 玄関前で水カマキリを見つける。右斜め植えの長細い虫(分かりづらい)。暑い日なのにコンクリートの上を歩いていた。水カマキリが陸に上がるのをこの年になって初めて知った。
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9月26日 イチゴ、植付。松江に孫が来たので作ることにしたのだ。来年の連休には腹いっぱい食べさせてやろうと思っている。イチゴが大好きな孫なのである。8 月11日に貰った70本の苗をこの夏の暑さで全部枯らしてしまったので、再度苗を分けてもらうが、12本しか残っていなかった。とりあえず12本植える。
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その後、貰ったのとのと同じ「宝交早生」を買って来て植える。「農家の店しんしん」は一本150円。「ジュンテンドー大社店」は一本180円だった。
10月1日 イチゴの間にニンニクを植える。去年採れたニンニクを保存しておいたもの。これを深さ5㎝に埋め込むように書いてあるが、私はいつも2、3㎝(表面からニンニクの頭まで)に植えている。59個植える。予定では10月半ばに150個ずつ二畝分植える。総計約300個。全部人に上げる。自分では面倒くさいので食べたことがない。青森ニンニクで大粒なので評判が良いのである。

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