曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2023年08月

突然ですが今日から同棲することになりました。お相手はアラサーの美女です。アラフォーかな?
と、言っても当ブログに度々登場する娘一家の愛犬マルコです。
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23日に娘一家が松江に引っ越して来ましたが、新居が狭くて生活が立ち行かないと言うので、落ち着くまでの間、暫く預かることになったのです。新居の条件がペット可で保育園に近い所で探すと他に選択の余地がなく、現況を見ることも出来なかったので、実際に入居したら狭くて狭くてこれは大変だとなった次第です。東京で住んでいたところは障害者用のマンションだったので段差もなく車椅子の移動も楽だったのですが、ここは障害者用ではないのでドアも扉だったりして車椅子にはとても不便なのだそうです。(私はまだ見に行ってません)。犬が邪魔で車椅子が動けず、車椅子で動くたびにマルコを追い立てなければならず、犬も人間も大迷惑していたそうです。そこにもうすぐ2歳になる子がちょこまかする。一方、親は連日、病院、保育園、役所、介護事業者との面談などで忙しく出歩かなければならず、少なくとも子供の慣らし保育が終るまでの2週間は預かって欲しいと頼まれたのである。その間に荷物も片付く予定。
私はもともともっと時間はかかるだろうと思っていたし心の準備も出来ていたから早速今日から引き受けた訳である。マルコは自分にも慣れている。というか好かれている自信があったのだが、娘たちが帰ってしまったら、後追いして鳴かないか不安に駆られる。環境が変わったばかりだから、それが心配だったのだが、娘一家が出て行っても昔ほど狼狽えるそぶりは見せず。
私が夕食後6時過ぎに散歩に出る時も自分から飛び出して行く。
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満月前のお月様が出ていた6時半ごろ。何年間も年に何回かは散歩している道。楽しそうに散歩している。娘に言わせると、松江では暑くて散歩にも行けず、ずっと散歩にも行ってなかったと言ってたから外へ出られただけで嬉しかったのかもしれない。
そういえば孫も田舎の広い家の中を喜々として駆けずり回っていた。車で一時間なのだからこれから気分転換に来ればいい。連休には泊りがけで来ればいい。
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夕食後は寝ていたが、目を覚ましたらじっと暗い外を見ている。いつものご主人様を待つ姿である。
寂しいだろうが人間も大変なのだからしばらく我慢して、寂しい爺さんの相手をしておくれ。可愛がってやるから。

炎暑の畑に人間まで夏枯れして、すっかり畑の記録をアップするのを忘れていたので、遅まきながらのご報告。まずはじゃが芋から。この頃はこんなに暑くなるとは思わなくてじゃが芋のできも悪くなくて喜んでいた。6月14日。じゃが芋収穫。
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ご存じマルチ農法のマルチを剥ぐとじゃが芋がゴロゴロ。土を払うとその下にもゴロゴロと転がっていた。「とうや」「男爵」「シンシア」を作ったが、フランス原産を日本で改良した「シンシア」が評判よくて、来年も「シンシア」を作ろうと思う。
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これは「とうや」。今年は「とうや」を一番沢山作った。「シンシア」と「男爵」はまだマルチの下。
三つある畝の向こうのマルチに見えるのが5月に植えた薩摩芋。「シルクスイート」
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7月12日のカボチャ畑。
手前が問題の「ウルトラ万次郎」の主苗。受粉専用苗がダンゴムシに食われる大ピンチに陥ったが、急遽別な種類のカボチャを植えて「ウルトラ万次郎」の足りない花粉を補う応急策に取り組んだところ。この頃はそれでもまだ少しは出来るだろうと希望を持っていた。
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「ウルトラ万次郎」の花。花も咲いたし、10個も20個も期待しないが、4つか5つ程度でもいいからできないかなあと期待していたのだが、なかなか受粉しない。何とか人工授粉しようと思うのだが、おしべととめしべの区別がつかない。
と、ここまで書いて、どうも「ウルトラ万次郎」の実のなり方を根本から理解していないことに気がつく。というのは主苗と思っていた苗には雄花しか咲かなかったのである。写真は雄花(今日近所の人に聞いて確認した)。「万次郎」はこの雄花を受粉専用苗の雌花に受粉させて作るとしか考えられないのだが、肝心の受粉専用苗が枯れたので確認の仕様もない。店屋は受粉専用苗が枯れたなら、他のカボチャの苗で代用しろと言ったので、坊ちゃんカボチャなどを植えてみたが、もし上記の理屈なら、「万次郎」の雄花を坊ちゃんカボチャの雌花に受粉させたら、坊ちゃんカボチャの苗に「万次郎」ができるのだろうか。そんな馬鹿な!もう何が何だかさっぱりわからん。
下の写真はそれから一ヶ月半経ったカボチャ畑。
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8月27日のカボチャ畑。
雑草に覆われてどこにカボチャがあるかわからない状態。かき分けて坊ちゃんカボチャが2個出来ているのを発見。虫が自然受粉させたに違いない。ま、これではっきりしたことは、カボチャを100個作ると言う話は物笑いの種になったということ。
「何個出来たの?」「ゼロです」「わはははは」皆に笑われる光景が目に浮かぶ。

7 月12日に戻る。
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7月12日のジャガイモ畑の跡。もうこの頃は一面雑草に覆われて、雑草の向こうの薩摩芋の畝もみえないほど。薩摩芋の畝も雑草に覆われていたので連日雑草退治をする。このころから雑草の勢いが凄かった。
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7月23日。薩摩芋の畝周りの雑草を抜いたら小さい畝を作るだけの余地があったので畝を作る。
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数日前から芋の伸びたつるを切って水に漬けて置いた。白い根が伸びたのでこれを植え付ける。
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斜め上にするので斜めに穴を開けて、そこに切った苗を斜めに差し込む。三本ほど植える。これでも芋が出来るはずだがどうだろう。

8月9日秋ナスを作る。
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いいナスが出来なくなったので久しぶりに秋ナス作りに挑戦する。いつもは他にトマトやオクラなど夏野菜があって、秋ナス作りまで手が回らなかったが、今夏は夏野菜は茄子とピーマン2本しかないので近所の人に作り方を聞いてナスを切る。左の写真の一番前のナスを切って短くしたところ。どれくらい切っていいのか分からないので尋ねたら、「バウズにしろ」と言う。「バウズ」とは何じゃと思ったがよく聞いたら「坊主」にしろと言う事だった。言われた通りに切ったが、8月27日現在、切り方が甘かったように思っている。もっと、本当に「坊主」になるくらい切らなくてはいけなかったのではと思っている。
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茎から30㎝離したところにスコップを入れて根切りをする。化成肥料もたっぷりとやる。

8月11日イチゴの苗を貰う。
孫が松江に来るので、来年はイチゴを作ると言ったら、毎年イチゴを作っている隣保の人が苗をとってポットに入れて70個も持って来てくれる。いつもメダカを獲りに来る人だが、メダカの御礼にこんなに手間をかけてこんなに沢山、恐縮する。
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今年は特別暑いので日陰に置き、遮光ネットもしろと助言される。朝夕毎日水やりをしている。

8月27日。じゃが芋畑の跡。この夏2回目の草取り。
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あっと言う間に草ぼうぼうになり、薩摩芋の畝が見えなくなるほど。もう夕方の草取りは体力的にきついので朝やっている。最近は午前5時とか5時半に目が覚めるので、バナナ一本食ってから畑に出て小一時間体を動かしている。それも7時まで。7時になるともう暑くてやってられない。この写真も朝の7時。
夕方は水やりだけ。この暑さ、松には毎日水をやれと言われているので8月に入ってからは雨以外の日は毎日やっている。

かくのごとく地獄の釜の底のような暑さに喘ぎながら生きているが一服の涼を与えてくれるのが池。
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ホテイアオイの花が満開。早朝は涼しくて気持ちがいい。
メダカも元気だ。今年もいっぱい生まれて5mmにも満たないものから3㎝ほどのものまで群れをなして泳いでいる。ひときわ目を引くのが中央の白いメダカ。初めは病気かと思ったがどうやらアルビノらしい。帰郷して12年、こんなのを見るのは初めて。毎朝夕、せっせとメダカの餌をやっている。これも毎日の仕事の一つである。

第八章をようやく発売に漕ぎつけた。毎回同じことを言っているようだが、今回は表紙が8月1日には修正したものが届いていたのに、決定稿を読み直したら不満なところが次々と出て来て書き直していたら20日近く経ってしまった。8章からは物語も長くなり、これまでの1.5倍から2倍になっているのでそれだけ時間もかかった次第です。23日(娘一家が松江に引っ越し)までに仕上げようと猛暑の中、お盆も休まず頑張りました。これで小説のことを忘れて引っ越しの手伝いが出来る。と言っても大したことが出来るわけではないが。
【縮小版】8章表紙修正0801
              第8章「三人荒野」あらすじ

あれから8年、都を離れ流浪の旅をしていた辰敬は忘れたはずの女いちの悪い噂を聞くと足は都へ向いていた。いちの店から出て来た庭師石阿弥と目が合い、石阿弥が河原者石動丸の19年後の姿であることに気づく。辰敬の胸が騒ぐ。石阿弥はいちには正体を隠していた。いちのために日本一の庭を作った暁に正体を明かすとうそぶく。だが石阿弥には盗賊の手引きをしているという噂があった。辰敬は石阿弥を探る。石阿弥は呆けて老いさらばえた謎の老人と同居して世話をしていた。

 いちは管領細川高国に取り入ると都一の政商となり店名も泉覚坊から泉屋に変えたが、高国の没落で店も傾き始めていた。だが、いちは高国の復活を信じていた。

 その泉屋へいちの子と称する悪党赤夜叉が乗り込んで来る。いちは16歳の時、泉覚坊との間に出来た赤子を誰にも気づかれずに産み落とすと鴨川に捨てさせていた。だが赤子は生きていて、それが赤夜叉だと言う。赤夜叉は口留め料を要求するがいちは赤夜叉を我が子とは認めなかった。怒り狂った赤夜叉は泉屋を襲う。石阿弥は配下の山水河原者を動員していちと泉屋をを守ろうとするが、赤夜叉は泉屋の商いを窮地に追い込む。

 その頃、復活を目指す細川高国は迎え撃つ細川晴元と激しい戦いを繰り広げていた。

 高国に泉屋復活のすべてを賭けるいいちに辰敬は現実を見つめることを説く。官位を捨て、泉屋を捨て、無一物になることを説くが、いちは拒否する。石阿弥も泉屋がある限り庭を作り続けると宣言する。いちの行く末を危惧する辰敬。

 高国方有利と見た赤夜叉は晴元方から高国方に寝返り泉屋強奪に成功した。半狂乱のいち。頼りにしていた石阿弥はなぜか助けに来ず姿も消していた。石阿弥が石動丸と知ったいちの怒りは知って黙っていた辰敬に向けられる。孤立無援のいちはたった一人で細川高国のいる摂津をめざす。

 いち、辰敬、石阿弥三人の運命は急変する。

高国方の内輪もめで泉屋が焼き討ちに遭い、赤夜叉一党は全滅。赤夜叉は行方不明になる。店も庭も灰燼に帰した。その焼け跡に三つの人影が立つ。見る影もなく落剝したいち。いちは晴元方の土豪から追われる身になっていた。石阿弥は死の床にある老人の看取りをしていた。老人は石動丸を庭師にしてくれた恩人だったのである。辰敬には出雲の父が死の床にあるとの知らせが届いていた。三者三様の思いは交わることはなかったが、都の隣国丹波の保津城で高国方と晴元方の決戦の火ぶたが切られたところで再び三人は運命の糸に操られるように集まっていた。三人の目の前で石阿弥の師匠が死んだ日、高国方は敗れた。いちの最後の望みも絶えた。そこへ現れたのは瀕死の落ち武者赤夜叉だった。赤夜叉は母を求めていた。そこは死者と生者が交錯する荒野だった。


9章、10章(最終章)も決定稿になっているが、表紙が出来上がってから原稿の見直しをしていると今回のようなことになりかねないので、今の内からもう一度見直しをしておこうと思っている。

昨日8月13日は初盆さん参り。これは隣保で初盆の家にお参りする行事。隣保は13軒だから初盆がある年はそうあるものではない。直近が父が死んだ時だから5年前になる。ところが今年は我が家を含めて4軒も初盆の家があったのである。4月から5月にかけて立て続けに3軒に不幸があった。我が家は妻が亡くなったのが去年の7月末なので今年が初盆。合計4軒。皆、こんなこと前代未聞だと言うが隣保の決まり事だから粛々と行われる。暑い時期なので夕方の5時からにしようと仏さんの順に我が家から始まる。
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各12人が千円入った金封を御供する。我が隣保では裏のMちゃんが代表して般若心経を唱え、「御一同さん、合掌、礼拝」して、終わる。普通はこれで終わるのだが、今年はまだ三軒回る。この日は暑く、5時と言っても熱砂の如き畑脇の田舎道を歩いて次の家へ。私も金封3つを持って次の家へ行く。初盆の家は金封3つだが、それ以外の家9軒は金封4つ持って回ることになる。2軒目を終え3軒目へ。この頃になると足が痛むと訴えたり痺れる人も。
その3軒目で、Mちゃん「御一同さん、合掌、礼拝」して、般若心経を唱え始めた途端につまずき、次が出なくなる。こんなこと私が帰郷して初めてのことである。いつも立て板に水のごとく唱えていたのにどうしたのだろうと思ったら。「すいません、やり直します」と、Mちゃん、慌ててやり直すが、またつまずいて、「す、すんません。やり直します」と、言うも、本人もかなり狼狽している。
皆、心配して「誰か手伝ってあげたら」「〇〇さん、一緒に唱えて上げて」などと助け舟出すが、Mちゃん、そこにあった経本を手に取り、大丈夫だからと経本を見ながら唱え始めるも何やらいつもほど調子が良くない。それでも何とか終えて4軒目へ。
Mちゃん、曰く、「足が痛くて、気がとられて」。仕事で足を痛めていたらしい。
4軒目は経本なしでいつものように唱える。本人も、皆もほっとする。
帰りしな、「一瞬、脳梗塞になったかと思ったよ」と皆を笑わせるが、「もう、誰かに変わってもらおうかな」と弱気なことを言う。「何を言うか、Mちゃんしかいないんだから、頑張ってもらわないと」と励ます私とMちゃんは同じ歳である。Mちゃん、20歳の時、肋骨折って3ヶ月入院した時、何もすることがないので般若心経を覚えたのである。かくして猛暑の13日は終わる。
14日は和尚さんが新盆の家を回り、他は息子の副住職が回る。一周忌同様東京の娘はオンラインで参加。和尚さんの読経が終るとお盆が終った気がする。新盆と言っても妻の場合は家族葬ですませたし、こちらに地縁もない、私の親戚ものきなみ高齢となり、昔のようにお参りに来る人もいないので静かなものである。母ぐらい呼んでやりたかったがコロナでそれも出来ず。
その代わり、和尚さんが帰るや、私は畑や裏庭に出て草の片づけに大汗をかく。この間、庭や畑周りの夏草を抜いたり刈ったりしたものが山積みになっていたのだが、今日の真夜中から台風7号の影響で雨になると言う。放置した草が大雨で濡れたらひどいことになるので大慌てで片づけにかかったのである。
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西側の裏庭は刈り取った草で埋まっていたが市の指定袋燃えるゴミ袋にぎゅうぎゅうに詰め込んで4つ。畑周りの枯れ草で燃えるものは全部集めて焼く。お盆の14日にこんなことやっている家はどこもない。明日の収集日には4袋しか出せないので残りは雨に濡れないように全部倉庫に放り込む。これで明日はいくら雨が降っても大丈夫だ。午後から雲が出て、夕方には昨日までとは打って変わって涼しくなった。久しぶりに涼しく感じてほっとするのだが、明日はどれくらい降るのか。送り火が焚けないお盆も風情がないが、実は私は送り火も迎え火も焚いたことがないのだ。子供の頃から夏休みは田舎にいたのに、父の実家でも、母の実家でも見た記憶がないのである。

初盆が来るし、台風も来る。今日しかないと思って急遽午後から松江に行く。実は娘一家が23日に松江に島根Ⅰターンで戻って来るのである。婿さんが大の出雲好きで前々から出雲に住みたいと言っていたのだがまさか本当に戻って来るとは思わなかったので話を聞いた時は腰を抜かすほど驚いた。二人で話をすすめてちゃんと転職までして9月1日からは松江で働くのだ。それはもう嬉しいのだが喜んでばかりはいられない。23日には引っ越して来るのだから爺さんでも手伝いぐらいには顔を出したい。
そういうわけで引っ越し先がどんなところか、出雲の我が家からどれくらい時間がかかるのかを確認しておきたかったのである。
行きは国道9号線(宍道湖南岸)を通って約1時間でおよその場所に着く。町名しか聞いてなくて住居も詳しく聞いていないので目標の建物で見当をつけるだけ。折角来たし、松江城も近いので、堀川遊覧船乗り場へ行き、その後ヘルンの道を通って小泉八雲記念館を見て引き返す。
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左)堀川遊覧船乗り場       右)松江城の西側の濠
ここから乗って松江城のお濠に出てぐるりと回るようだ。
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お濠の北側のヘルンの道にある小泉八雲の記念館。中には入らず。これからは何度も来ることになるのでただ見て回っただけ。これが昨日だったら歩くことも不可能だっただろう。昨日は出雲でも37.4度もあったのである。今日は33℃ぐらいでしかも台風の影響か雲があったので歩けたのであった。といってもほんの少し歩いただけであるが。実は松江城には50年以上も前に一度来たことがあるだけで、その時は城に登っただけで、この辺りは歩いていないのである。そのうち孫と遊覧船に乗ったり、城に登ったりするだろう。
帰りに松江在住のおじさん(母の弟)を訪ねる。何と隣町で車で5、6分の所であった。おじさん、「裏山に遊びにおいで」と言ってくれた。出雲市の倍以上ある市なのに裏山があるのだから島根県である。
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帰りは国道431号(宍道湖北岸)を通る。この写真は松江宍道湖温泉の先から出雲方面撮ったもの。西は出雲平野だから何もない。4時ごろ、雨が降り出す。やっと待望の雨かと期待したがお湿りにもならない雨。9日か10日頃には降るようだが、皆、どんな台風でもいいから来て欲しい。一雨欲しいと言っている。それくらい出雲も松江も暑い。津和野はもっと暑いのだが。
今日でおよその地理と時間はわかったので、これからは迷惑がられない程度に松江にゆくことになるだろう。

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