入所してからは自分は確かに楽になったが、妻を施設に入れたことには申し訳ないと言う気持ちを払うことが出来ず、施設には出来るだけ通うようにした。昼ご飯を一緒に食べ、施設の周りを散歩したり、時には妻の部屋でマッサージをしてやったり。それでも自分としては納得できず、月に4泊5日ぐらいで自宅に外泊させたりもした。年末年始ぐらいはと正月を自宅で迎えたりもした。
そして、1年経った2018年の2月になって、私は2010年の11月でやめてしまっていた妻の語録を再び書き留め始めたのであった。書き留め始めたのは東京の病院を退院してからの2006年の1月からで、当初は手帳に細かい字で克明に記録していたのであるが、さすがに疲れが出て来てついに5年目に力尽きるようにやめてしまったのであった。
2011年に出雲に戻ってからもまた書き留めようと言う元気は出なかったのに、なぜ、急にまた8年ぶりに書き留めようと思ったのか。それは妻が施設に入り別れてしまったからだと思う。会って話をするのは1週間に何日かだけのお昼の一時間ほどと月に数日の外泊の時だけ。限られた時間にしか会えない妻の言葉がとても大切なものに感じられ、これは書き留めて置いてあげなければいけないと思ったのである。たくさん話せないのでたくさんは書き留められなかったが、今読み返すと施設や散歩コースや外泊で戻って来た時のことが甦って来る。
再開語録【1(通算38)】
2018.2.18
外泊で戻って来た時。食事の世話をしていると
「お父さんには一家の主婦と言う仕事があるの」
2018.2.28
特養でマッサージするが、痛むので
「殺せ、保険金がもらえるぞ。いい暮らしができるぞ」
※痛みを訴えられるのはいつも辛かった。
2018.3.4
特養でマッサージしていると
「奥さんと入れ替わりましょうか。いい奥さんになりますよ。犬だって猫だって可愛がります。鶏だって可愛がりますよ」
2018.3.20
外泊で戻って来た時、昼食の世話をしていると、
「良く動く男だな」
※こういうセリフというか言い回しが妻らしくて好きだった。いい言葉が書き留められたと嬉しくなったものだ。
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「だめじゃないですか、コサインコサインタンジェントを忘れたら」
※こんな台詞が出るのも妻らしいが、なぜかコサインが連続して出て来た。
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外泊の時、手伝いに来てくれた私の妹にローションを塗って貰って
妹「こんなにきれいになるのに」
妻「もともときれいだからな」
※笑った。
2018.4.12
TVのCMを聞いて
「バイト探しはインディード。バイトしたいな」
「なにしたいの?」
「私がするのは飲み屋に決まっているじゃん」
※この頃、このCMをよく繰り返していた。
※お酒は好きだった。飲ませるのが怖くてノンアルコールビールしか飲ませなかったがそれも二口か三口だった。いっぱい飲ませてやりたかったと思う。
「玉子焼き作ってくれた。ふわっとして、おいしかったあ」
「誰が作ったの」
「お前が。風邪ひいたらすぐ作ってくれた、すぐに治った」
※子供の時の記憶が入り混じったようだ。
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「お母さん、お母さんと言うから、子供たちがお母さんと言う。気持ち悪い。言い直せ。〇子さん(妻の名)と言え」
2018.5.1
ゴールデンウィークに見舞いに来た娘夫婦に向かって
「〇〇ちゃん、フルーツポンチの逆を言ってごらん」
と、むりやり言わせてゲラゲラ笑う。
2018.5.6
特養で足のマッサージをしていたら
「ねえ、畳の上にごろっとなりたい」
※何気ない当たり前のことを言われるのが辛かった。
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特養の中を車椅子で散歩中
「館内放送で〇〇(息子)と〇〇ちゃん(娘)を呼んで」












