曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2023年01月

25日は終日家に居たので外の様子は分からなかったが、26日は冷蔵庫が空っぽなので出ないわけには行かなかった。
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26日の朝は少し雪が減っていた程度。池は凍っていた。
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家の横の道はかなり通れるようになっていた。これなら楽勝で走れると思ったのだが、いつも通るコメダ珈琲へ行く新内藤川沿いの道はまだアイスバーン。ブレーキもアクセルもそっと撫でるように踏んでおっかなびっくり走る。ほとんどの車がライトを点灯していた。市役所から延びている農道へ出る道とぶつかる手前からは経験したことのない大渋滞。コメダへ行く時間がいつもの三倍かかる。4時過ぎに買い物をして帰る頃には道路の雪は消える。
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畑の雪もかなり解ける。玉ねぎ(左)とにんにく(右)
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哀れな豆(左)と空豆(右)。まるで凍傷を負ったようだ。

27日は前夜からまた降ると言っていたが降らず。起きたら雨で午前中は雨。寒いがこの日も午前中コメダ。午後イオンFIKA。普通に生活出来た。夜になってぐんと冷え込む。夜から雪の予報。

そして今日28日の朝。起きたら一面の雪。25日ほどではないが25日の半分ぐらいは積もっている。
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今朝の雪は湿雪。
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畑の雪も25日ほどではないがまた積る。雪も降っていたので土曜日は母に面会&差し入れの日だが、今日は休む。明日に変更。今日は終日在宅PC。昼は冷凍庫にうどんがひと玉残っていたのを発見。隣の畑からネギを頂戴してうどんですます。昼食後、夜の買い出しに行く。道路の雪は全部消えている。寒かったので夜はポトフで温まる。明日は曇りだが、30、31は雪だるまが出ている。もう峠は越えたと思う。雪国の人には笑われるかもしれないが雪はこれくらいにしてほしい。畑の豆類が本当に心配。






母の差入は中止にする。










125日午前7時、起きたら一面の雪景色。松江32㎝。最低気温-3.8。出雲空港17㎝。
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                                                         我が家の積雪は8㎝。
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 水
道もメーターも無事。
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屋根の雪が少ないのは強風で飛ばされたから。粒状のさらさらした雪だった。
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我が家の横の道。南へ。      北へ。左が我が家。
右が東の畑。
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畑は一面雪にすっぽり。右の写真は春キャベツ。寒さにやられて萎れている。
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右)豆はほとんど埋まっていたがかろうじて顔を出していた。黒ずんでひどいダメージ。
左)空豆もほとんど埋まっていて顔を出していた数本のうちの一つ。
今日は朝から晴れて、3時ごろから1時間ほど雪が降ったが止む。明日は曇りの天気予報だが、金曜からまた寒気が降りて来て、今回ほどではないが月曜頃まで雪だるまのマークが出ている。いつまでも雪が残っていたら豆類はどうなるのだろう。玉ねぎは雪でも大丈夫そうなのだが。ニンニクも。
無理して出ることも無いので、終日家に居て炬燵でPCに向かっていた。昼も夜もあるもので済ませる。喫茶店や外食の生活をそろそろ見直そうと思っていたので今日はその練習もかねて、昼は残っていたラーメンを作る。野菜が何もなかったので隣の畑の雪の中からネギを一本貰って来る。夕食は冷凍してあった鯛を煮て食う。副菜は三日前に作った大豆の肉のひき肉と冷凍里芋と冷凍隠元を煮たものがあまっていたのでそれを食う。(最近野菜は冷凍を買っている。その方が調理が楽だし、無駄にしなくてよい)昨日作った豚ひれの生姜焼きも残っていたので食う。豚ひれの生姜焼きは初めて作ったが旨いものではなかった。豚ひれはオイスターソースを絡ませた方が素直に旨い事が分かる。味噌汁は冷凍ブロッコリーが残っていたのでブロッコリーの味噌汁を作る。
今回の雪は生活の在り方を変える契機になったのかも知れない。
松江は30㎝以上も降って大雪だったが出雲は降ったけれど騒ぐほどではなかった。金曜からまた寒くなると言うので用心のために水道管とメーターの防寒はそのままにしておくことにした。

10年に1度の寒波が来る来ると盛んに言うのでさすがに心配になる。帰郷して12年目になるこれまで防寒対策などしたことないが、今回は最低気温が-4℃になると言う。-4℃になると水道管が凍結破裂すると言うので昨日から庭の市水道と部落水道の蛇口をタオルで巻きビニールで包んで縛る。
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その日の夜のニュースで水道のメーターも防寒しろ言うが、暗かったので1月24日の朝、出かける前に大急ぎでメーターも防寒する。
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蓋の上に肥料の袋を乗せて冷気が入らないようにする。(これは私のアイデア)
午前中から風が強く横殴りの雪が吹き付けるが降ったりやんだり。メガネが出来る日なので朝からコメダ珈琲へ行く。神立で昼食、ゆめタウンの眼鏡屋でメガネを受け取り、雪がひどくならない前に帰宅する。
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途中、食の市場あんりで豚ひれのブロックを買う。夕食のおかず。写真ではわからないが雪が吹き付けているのだが、昼過ぎでもこの程度。松江ではもう積もっているらしいのに出雲はこんなもん。夜になってもニュースでは松江は十何㎝も積もっていると言うのに出雲はさっぱり。今度も騙されたかと思ったが9時過ぎに庭をみたら雪が積もり始めていた。
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下の写真は1月12日(最低気温-3℃)の日の朝に写したもの。
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豆も空豆も去年のクリスマス寒波と12日の-3℃でこっぴどくやられてしまった。去年の育ち具合とはくらべものにならないぐらいひどい。
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明朝、この豆と空豆がどうなっているかが心配だ。明日に続く。

13軒ある隣保で初めてコロナ患者が出た。私の母も去年の3月にコロナになったがグループホームでかかったので、隣保で生活している人でかかったのはHさんが初めてである。知らされたのは日曜日の15日。夕食の材料を買って戻って来たら畑にいた畑先生が教えてくれた。Hさんと聞いてびっくり。金曜日に会ったばかりなのだ。それも『13日の金曜日』に。場所は眼科。私は白内障。Hさんは緑内障。待合室で大声で話は出来ないので至近距離でお互いの病気を嘆き合ったのである。二人ともマスクはしていたし、私が会計に呼ばれたので長時間ではなっかった。今日のところなんともないのでうつってはいないようだ。
畑先生と話したのだが、Hさんがコロナにかかったのがどうしても納得が行かない。この隣保では一番かかる可能性が低い人なのである。隣保でただひとりの専業農家なのだ。子供は外に出ていて奥さんと二人暮らし。畑で働いている人がどうしてコロナにかかったのか不思議でならない。畑先生は市場でうつされたのではないかと言うが、Hさんの畑の白菜は去年の内に全部抜いてしまっている。市場へ行く用はないと思うのだが、農協関係の用事があるからそういう集まりでうつされたのだろうか。
Hさん、私より10歳以上若いが手術歴があるから心配している。
母のグループホームでも年の初めに入所者が一人コロナにかかって厳しい面会制限が敷かれたが、先週は6人に増えていて、差し入れに行ったら職員さんたちは重装備だった。この施設は東西に部屋が分かれていて、それぞれ9部屋ある。コロナ患者が出たのは東で9人中6人が発症したのである。私の母は西なのでいまのところ無事である。東西は遮断できるようになっているので今は西に広がらないように必死なのだと思う。去年のクラスターではみな入院できたが今回は施設で療養だから本当に大変だと思う。
民生委員も回る先でコロナが出ていると言う。
(実は私、去年の誕生日から毎月1日と15日に民生委員の家庭訪問を受けているのだ。齢をとったら必ず民生委員が年寄りの様子を見て回ることになっているのだそうだ。こんなこと都会でもやっているのだろうか。困ったことはないか、病気になっていないか、様子を見に来てくれるのだ。余計なお世話だと思ったがとても感じのいい人だ。定年退職したばかりのようで物腰も柔らかい)
我が隣保は13軒あって26人住んでいる。70以上が16人。高校生が1人、20代がいなくて、30から70までが9人。私の母ともう一人施設に入っている人は勘定に入れていない。子や孫はいても外に出ているので年寄りだけが残って老人部落一直線である。働いているのは70代2人、60代はHさん1人、勤めに出ているのが30代から50代で7人。
17日現在、島根県の患者は15万3548人になった。島根県の人口が65万5千人だから、何と4人に1人がコロナに罹ったことになる。26人で1人発症は奇跡的に少ない数字である。何とかこの数字を維持したいものである。島根県がこんなことになるとは。
私も手洗い消毒を欠かさない。土日以外は毎日午前コメダ珈琲、午後はイオンのFIKAでPCに向かっている。FIKAは土日も含めて毎日。我が隣保で一番危険なのは自分ではないかと最近思っていてコロナがおさまるまでは喫茶店通いはやめようかと思っている。外出するのはお昼を食べに行く神立食堂と買い物に行くイオンだけにするかと。でも唯一まともな食事が摂れる定食屋をやめることは出来ない。年寄りの昼飯なんてろくなものにならないことは目に見えている。一日家に居て、昼もろくなものを食わないのでは寂しすぎる。健康にもよくない。悩ましい所である。
コロナとインフルエンザの同時検査キットも3つ持っている。7500円もした。正月に孫と娘が来たので用心のために3人分買っておいたのだが、娘が東京にもあると持って帰らなかったので3つ残った次第である。使わずに済むことを願っている。母もかかりませんように。
withコロナと言っているが、私は体のいい姥捨て山政策だと思っている。政治家も若い人も死ぬのは年寄りと病気持ちだけで、自分たちだけは大丈夫だと思って弱者のことを考えようともしていないのだ。

暮れに紹介した『素敵な古本屋さん』へ行って来た。このお店で本を買う見ず知らずの人のために、これまた見ず知らずの人間が100円券や200円券などの割引券を作っておいて自由に使って下さいと言うシステムをとっているお店である。割引券を作る人間は割引券分のお金を払うわけだから一文の得にもならない。持ち出しである。でもこれは本好きが本好きのためにちょっとでも役立つことが嬉しくて始まったシステムなのである。高校生や中学生、子供たちのために。幼児のための絵本もある。お年寄りだって読むだろう。時代小説や推理小説など同じジャンルの本を読んでくれる人もいるだろう。そんな人たちが自分が発行した券を使って本を読んでくれることにひとり満足するのである。
私は暮れに500円券を使って孫の絵本を買った時、500円券の裏に御礼と次は自分も券を作ると記した。だが年末で本屋も休みに入るし、私も忙しくてその場ですぐに作れなかったので年明けに作るつもりだったのであるが、実はそこにはあるおもいがあったのである。それはこの券を天国の妻からの贈り物にしたいという思いであった。
妻が死んでからもうすぐ半年になる。供養して来たし、仏壇に手を合わせたり、近況を報告したり、今日も一日頑張ると言って出かけたりして来たが、心の底では納得していた訳ではなかった。本当に供養になっているのだろうか。弔ったことになっているのだろうか。どうしたら本当の供養になるのだろうか。心から納得できる供養の仕方はないのだろうか。ずっと考えていた。そんな時にこの券に出会ってはっと思い当たったのである。
妻は死んだけど妻の思いは残してやることが出来るのではないか。そうすることが自分に出来る供養の仕方ではないかと思ったのだ。そして、妻から本好きの人へこの券を贈ることを思いついたのだ。
妻は本好きだった。子供たちを図書館に連れて行っては山のように本を借りていた。図書館の司書がこんなに本を読む子は見たことがないと言うほど借りていた。
券はfrom〇〇からfor〇〇へと記す様式になっているので、私はfrom『本が好きだった天国の妻からの贈物』for『この本屋さんへ来たすべての人へ』と記した。値段は500円で20枚作った。
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左)文章が長くなったので少し短くした券もある。
右)このような券を作った人は何人もいて、50円から100円、200円、300円の券がレジの横のボックスに入っている。たまたま私は前回500円券を使わせてもらったのだ。使った券の裏側には使った人のメッセージが書き込まれて隣にまとめてある。みな、喜んでいる。
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本町商店街を抜けた手前から二軒目。店名は『句読点』。正月明けに初めて来たら本も増えて充実していた。奥の部屋で金づちの音がしていた。店主が店を拡張するために作業中だった。若い夫婦の古本屋である。ここを抜けると、前方左手に出雲そば羽根屋本店がある。
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横断歩道があるところが羽根屋。1月14日は小雨だった。

たまたまこの日の夜のニュースで岐阜の駄菓子屋さんのニュースをやっていた。大人たちが作った100円券を使って高校生以下の子供たちがただで駄菓子を買えるというニュース。使った子供たちは券を作った人に御礼を書く。それを読んだ飲み屋の赤い顔をしたおじさんが「嬉しいね」と顔をほころばせていた。子供の礼状の中には「大きくなったらぼくもこの券を作ります」と言うのもあった。
去年の暮れ、別なニュース番組で長崎の駄菓子屋さんを舞台にした同じようなニュースをやっていた。
どうやら私たちの知らない所でこのようなシステムはひそかに広がっているのかもしれない。

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