曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2022年11月

11月の一ヶ月は毎日が小春日和と言っていいほどの好天続きだったが、今日はその中でも一番と言っていいほどの好天。昼飯を食いに出て、週刊誌を買ってグループホームの母に届ける時は冷房を入れて走らないと暑いぐらいの陽気だった。天気予報ではこの好天は今日で最後、明日は雨で30日からは一気に冷えて冬になると言うので、今日は急遽予定変更、朝から冬支度をした。
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春秋用の布団を仕舞損ねて廊下の椅子の上に放りっぱなしにしていたのを干す。布団を仕舞う時は湿気のない日にしろと言われていたので、今日を逃がしたらもうこんな日はないと思ったのである。
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蔵を冬書斎タイプに模様替えする。
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春にルーターを最新のやつに交換したので通信環境はぐんとよくなっているのだ。パソコンの使い勝手はいい。これで小説も頑張って書けるぞと思いながら、この記事は今まで通り台所の散らかりっぱなしのテーブルで書いている。
冬支度はまだまだ一杯残っている。昨日、エマールで洗濯した秋物の衣類をたたんでしまわないといけない。家で洗えないものはクリーニングに出さないといけない。段ボールや古新聞も捨てに行かないといけない。掃除はやりだしたらきりがないからほどほどにしようとはおもっている。
家の外に目をやると枯れ葉や枯れ草がたまっているし、畑から出た廃土や灰もゴミの日には必ず処分しないといけない。第二弾、第三弾とやることは目白押しだ。12月に入ったら今日のような日はないだろうから想像しただけで今から寒気がする。
そうそう今日はタイヤ交換もした。自分でやった訳ではない。近所の店でやってもらった。皆、天気予報を見て一斉にタイヤ交換をするので朝から混んでいた。

11月24日がお母ちゃんの誕生日で94歳になる。父が亡くなったのが満で97歳と思うと出来る限りのことをしてやりたいと思うのが人情である。特にグループホームに入れてしまったことにやむを得ないとは言え申し訳ないと言う気持ちがあって、この十日で四回半の面会と一回の外出をした。
11月15日。94歳になるのに白髪が気になり、染めに行きたいと言うので近くの美容院に連れて行く。誕生日ぐらい綺麗にしてやりたい。
11月19日。毎週一回の定例の土曜日面会。いつものように女性週刊誌とお母ちゃんが部屋でひとりでこそっと食べる大好物の熟柿を一個差入れする。
11月21日。私が5回目のコロナの注射をした後、毎年、つるし柿を作るのを楽しみにしているのでラピタで予約しておいたつるし柿用の柿を届ける。
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これをみんなと一緒に皮を剥いて吊るすのが楽しみなのである。髪は染まっているが美容院に行ったことは19日の時点では忘れていた。髪を染めたことも。「俺が連れて行っただろう」と言ったら「ああ、そう言えば思い出した」と言っていた。
11月22日。21日に冬用の衣類が足りないと言われたので午後急遽届けに行った。面会して行きますかと言われて予約なしで面会する。つるし柿を作ったかと聞いたら、そんなものは作っていないと言う。
昨日の午後か今日の午前、午後もあるのだから、作っているはずなのに、昨日今日のことも忘れたのかなあと首を傾げながら帰る。
11月24日がいよいよ誕生日なので、23日に面会の予約をしようと思ったら、島根県のコロナ患者が増加しているので急遽1月31日まで面会中止になる。お誕生日なのに申し訳ないと謝られたが仕方ない。
イオンで注文したバースデーケーキを届ける。
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みんなで食べられるように大きいケーキを注文した。
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私の妹のプレゼント。カーディガンの下に着る薄いセーターだとか。帰りに職員さんが玄関先で距離を置いてちょっとだけ話をさせてくれた。これが4回半の0.5回分の面会。
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帰りにグループホームの裏に回ってみたらちゃんとつるし柿があった。これで半分くらい。あと半分は別なところに干してあるのだろう。こんなに暖かくて(ずっと小春日和が続いている)いい干し柿が出来るか心配だが、12月に入るとすぐに寒くなるらしいからそこに期待するしかない。
これから2カ月以上も15分の面会もできなくなるとお母ちゃんの認知症が進むのではないかとそれが唯一の気がかり。儂も忘れられてしまうような気がする。
島根県の人口は約66万人。これまでの延べコロナ患者数が約10万人を越えたばかり。と言う事は6.6人に1人が罹ったことになる。この数字を見たら罹らないのが不思議だ。面会中止もやむを得ないだろう。お願いだから、皆さん、注射を射ってください。

【電子小説】戦国を旅した男 石見岩山城主多胡辰敬 第四章「初陣」の発売にようやく漕ぎつけました。看取りと葬儀の疲れが出て何をする気も起きなかったのですが、いつまでもぼんやりしている訳には行かないので、病院通いを余儀なくされたあたりから出版の準備にとりかかった次第です。

4章表紙 -縮小
今回の表紙のアイデアは私のものです。どうしてもこの絵にしてもらいたくて絵描きさんに注文した。
17歳の辰敬が身に付けているのは割褌(わりふんどし)と言う。普通の褌は腰で結ぶが、鎧の下に着ける割褌は長めの肌帯で、股下を通し、ずれないように腰でひもを回して抑えると、前は胸、後は背中まで引き上げ、首の後ろで緒を結ぶ。これなら鎧を着けたままでも、首で結んだ緒を緩めれば排泄が出来る。その上から鎧直垂(よろいひたたれ)を着て、袴を付けるのだが、その袴も足を開けば、左右に割れ、排泄が出来るように仕立ててある。昔の人も工夫していたのだ。
時代小説や映画、TVでも割褌にふれたものや映像で見た覚えがないので、四章では初陣と言う事もあって割褌をきちんと書き、表紙に描こうと決めていたのである。ところが割褌の絵がいくらネットで調べても見つからない。仕方ないので絵描きさんに何とか調べて描いてくれと頼んだら、出身大学の図書館に行き割褌の絵を見つけてくれたのである。

【四章あらすじ】
御屋形様が死に吉童子丸もいなくなった京極屋敷で、邪魔者扱いされる孤独な辰敬にも次々と事件が起きる。

雑色の次郎丸は辰敬のご先祖が多胡博打と呼ばれる博打名人と知ると、賭場に行く前に辰敬を拝み始める。閉口した辰敬はいんちきお守りを書いて渡し拝むのをやめさせる。

深夜、屋敷の見回りをしていた時には大内兵に追われて逃げ込んで来た石動丸と遭遇する。石動丸は河原から抜け出し武士になるとうそぶいた。石動丸はいちの情報と交換に匿ってもらうと、いちがいい女になっていると辰敬を動揺させる言葉を残して去る。

頼りの多聞はと言えば謎の女と暮らしていたが、京極屋敷の調度を持ち出して金に換えていることがばれる。多聞は生き別れの子に会いたいと願う女の為に伊豆へ行く旅費を作っていたのだ。多聞を堕落したと思い込んでいた辰敬は、多聞が一つ屋根の下に暮らしながら女には指一本触れなかったと知って恥じる。多聞は女と伊豆へ旅立った。

辰敬はいちを忘れようと一心に武芸に打ち込み学問に励もうとするが世の中は一気にきな臭くなる。

将軍足利義尹(よしただ)の暗殺未遂事件が勃発した。その事件に絡んで暗殺者の一味の中に凄まじい飛礫の使い手がいたことが知れる。辰敬はその飛礫の使い手こそ石動丸に違いないと思った。武士になると宣言した石動丸が着実に己が目的に向かって進んでいることを知る。

永正8年。辰敬は17歳になった。

義尹暗殺に失敗した前将軍足利義澄と前管領細川澄元はついに将軍足利義尹と管領細川高国打倒の旗を挙げる。義尹を支える大内義興は安芸や石見、備後などの中国勢に上洛を促した。尼子勢も上洛し辰敬も出陣することになる。辰敬は京極屋敷に別れを告げ初陣に臨む。多胡家家臣との再会を懐かしむ間もなく、辰敬は初陣の心得を叩き込まれる。曰く手柄を挙げようなどとは考えてはならぬ。初陣とは戦場とはどういうものか体験するだけでよい。曰く槍は突くものではない。ひたすら殴りつけ叩きつけるものである。剣も斬るものではない。鎧は斬れない。ひたすら突け。戦場では庄兵衛たちから絶対に離れてはいけない。云々。

いよいよ初陣が迫った時、次郎丸が辰敬を尋ねて来る。次郎丸は辰敬から貰ったお守りを返しに来たのである。このお守りを貰ってから博打で負けたことのない次郎丸はこのインチキお守りを霊験あらたかなお守りと信じて疑わず、辰敬のためにわざわざ届けに来たのである。辰敬にとっては迷惑極まりない贈り物だが次郎丸の善意には胸が熱くなる。その次郎丸がいちに伝えることはないかと問うた時、胸の奥底にしまいこんでいたいちへの思いが一気に噴き出す。同じ長屋暮らしの次郎丸は辰敬のいちへの思いに気がついていたのだ。

死を覚悟した戦いを前にした辰敬はいちへ辞世の歌を作って次郎丸に託す。好きとも言えずに別れたいちに贈る別れの歌だった。

ついに決戦の日が来た。現将軍方の圧勝だったが、暴走した馬から落ちた辰敬は敗残兵となった石動丸と遭遇する。負け戦を認めず辰敬の首を狙って斬りかかる石動丸。辰敬は武士になることに命を賭けた石動丸の敵ではなかった。死を覚悟した時、間一髪飛び込んで来たのが従軍僧に扮していた多聞だった。伊豆へ去ったはずの多聞がなぜ都に戻っていたのか。辰敬は気を失って倒れる。

辰敬は三日三晩悪夢にうなされた。それほど初陣は苛酷だったのである。

出雲へ帰国する尼子勢の中に辰敬の姿もあった。いちが嫁いだ土倉泉覚坊の前を通った時、馬上の辰敬はもう永遠に会うことがないであろういちに心の中で胸が張り裂けんばかりに叫んだ。

(さらば、いち。素晴らしいおなご。だんだん。我は田舎に戻り、武士になるけん。平気で人殺しをする武士になるけん。首を掻き切る武士になるけん)

 涙が噴き出した。

現在十章(最終章)を執筆中。これからはペースを上げて、来年中には最終章まで発表したいと思っています。

11月5日に特養へ御礼に行った。何も手につかずぼおっとしていたら病院沙汰が続きなかなか御礼に行けなかったのだがようやく葬儀以来初めてお世話になった方たちにお会いし、直接御礼を言うことが出来た。顔を見ただけで万感こみあげて来て涙もろい私は逃げるように特養を後にした。帰りの車の中でもう二度とお会いすることはないだろうなと思うと涙が込み上げて来て、お世話になりましたと心の中で呟いていた。
施設には妻の持ち物がまだたくさん残っていたので、それらも車に積んで引き上げた。主に衣類だが、歯磨き用具やコップ類、タオル類、スタッフの人がつけていた記録ノート、写真や母の日などに届けたプレゼントなど、どれもみな懐かしいものばかり。三年間、特養内に入れなかったから余計に懐かしく感じたのかもしれない。その中でも胸を締め付けられたのがギブスと靴。
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左足の装具と右足の靴。もうこの靴を履く足はないと思うと帰宅してぼろぼろと涙が落ちた。寝たきりになるまでは十数年間妻を支えた装具である。左半身がマヒしていたので、ベッドから車椅子に移る時には体を支えるために必要な装具だったのである。10年近く使ってぼろぼろになったので、出雲で新たに作ったものだ。右足は市販の介護用の靴。介護用の靴はよくしたもので片方だけを半額で売ってくれる。
持ち帰った物を眺めていると、ほとんどがもういらないものばかりであるが、どれも捨てることが出来ない。しみじみと思った。妻が生きている時は思い出だったものが、妻が死んでしまったら永遠の宝物になっていることに。
そんな宝物の一つが妻の言葉である。
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前回のブログで、小さな手帳に妻の言葉を書き留めていたが、2006年の正月から始めて2010年の5月7日で力尽きてやめてしまったと記した。しかし、完全にやめた訳ではなく、2010年の5月21日からは手近な紙にメモしたものを暇な時にパソコンにまとめた。前回は5月7日までをアップしたので、今日は残りの5月21日から11月までをアップします。

語録(37)

2010.5.21

箸でつまめない時

「遠近がきかなくなった。ひところお父さんが遠くに見えて死のうと思ったことあるの」

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「私が死んで脳の手術したら、お父さんの悪口いっぱい出て来る」

2010.5.22

「北極行くの」

「行ってどうすんの」

「どうすんのじゃないの。行くと楽しいの。家の中でじっとしてるより」

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「私ね、今季節の変わり目の、心の病なの。時間が分からなくなるの。寝てるのか、起きているのか」

2010.6.3

「パパちゃん、会いに行くの。パパちゃん、死人じゃないだろうな」

「何で?」

「パパちゃん、一度死んどらすから」

2010.6.4

俺の顔を見て

「病気してから年取ったね」

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「裏から来るかな。裏があるの知ってるかな」

「誰が」

「パパちゃん」

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夜、脚を揉んでやると

「ああ、気持ちいい。眠たくなっちゃった。お父さん、代ろう。揉んであげるよ。気持ちいいよ。眠くなるよ」

2010.6.6

夜、パット交換の時、目を覚まし

「寒くないか」

「うるさい、死ね」

2010.6.26

「悲しくなるような正月の料理だね」

2010.6.29

「モモちゃん、左手が痛いよう。どうにかしてくれ」

※身体の痛みを訴えられるのが一番つらい

2010.6.30

「お父さんが起きていると思うと寝言も言えない」

2010.7.4

足を揉んでやると

「気持ちいい。あ、やめないで。お父さんはすぐにやめようとするから」

2010.7.5

オムツを替えていると

「お父さん優しいねえ。自分でもそう思っているでしょう」

2010.7.24

「今日は一日いてくれてありがとう」

2010.7.27

昼、ゆうあい福祉公社の弁当を食べながら

「私、これ囚人の弁当と思って食べてるの」

「何で?」

「逃げ出そうとしてつかまったから」

2010.7.28

「いなくていいよ、あっち行け。いちいちいなくていいと言ったの」

2010.8.26

「久しぶりに会ったら声が変わったみたい」

2010.8.28

「本当にお父さんかなと思ってみてるの。こんなことしてるのめったにないから」

2010.8.31

「時々寝たふりして、お父さんに作ってもらおうかな」

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足を揉む。

「お正月だから甘えてよう」

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「お父さん、正月だと鼻が高いね」

2010.9.1

「正月にパパちゃん呼んでいい。見たいから。パパちゃんと呼んでみたいから。そしたらママちゃんも喜ぶよ」

2010.11.5

「このごろ死んだ夢ばかり見る」

「この頃よく死ぬ」

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本当にメモを取るのが限界に来ていたのだと思う。9月は1回。10月は0回で、11月は1回である。しかし、今読み返してみると抜群に面白いものばかりである。くたびれていても、これは残さないとと思って懸命に書き留めたのだと思う。この後、しばらく休むことになるが、次回からは再開したところから始めます。

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