私が小学校の何年生の頃だったか定かではないが高学年ではなかったと思う。
母方の曾祖母が余命いくばくもないので母がお別れに里帰りをしたことがあった。
島根の田舎から戻って来た母は「おばあさんが自分の葬式の時はみんなひ孫たちをつれて帰っておいで。いっぱい遊ぶといいと言ってたよ」と言った。
子供の私は変なことを言うひいおばあさんだなあと思った。自分が死ぬことが悲しくないのだろうか。みんなが悲しむお葬式にひ孫たちに遊びに来いとは。なぜ曾祖母がそんなことを言ったのか子供には理解できなかった。まもなく曾祖母は亡くなり、母は葬儀に戻ったが、私たちは学校があるので曾祖母の葬儀には行かなかった。
なぜ、こんなことを書いたのかと言うと、妻の葬儀が終わった翌日8月1日から、長男の一人息子(7才)の虫取りに付き合わされることになったのである。
海外勤務でアメリカのタワマン暮らしの孫は虫取りなんかしたことないらしくたちまち虫取りの虜になってしまった。だが空ふりばかりでとれないものだから、「じいじい、トンボ採って」「せみ採って」「ちょうちょ採って」と私をつかまえて離さない。
孫に会うのは4年ぶり。私が一番心配していたのは、アメリカのタワマン暮らしに馴染んだ孫が出雲の外れの農村地帯のド田舎に馴染んでくれるかどうかだった。こんなド田舎嫌だと言われ、帰ると言われるのではないかと心配していたので、虫取りに夢中になってくれたことはうれしいのだが、炎天下一番暑い時に付き合わされるのはさすがにこたえた。正直、息子に任せて自分は涼しい家の中で休んでいたかった。
昨日の今日で、まだ葬式の翌日でもある。妻を失ったばかりなのに孫と楽しく虫取りをすることを咎める自分がいた。喪に服さないまでも静かにすごさなければいけないのではないかとどうしても思ってしまう。
だが、そんなじいじいの気持ちを知らない孫は私に「せみマスター」の称号を奉って許してくれない。実は私は「こんなものじいじいには網なんていらない。手で捕まえてやる」と木に止まっている蝉を手で捕まえて見せたのだ。爾来孫の尊敬を一身に集めてしまっていたのだ。せがまれるまま、トンボを採れば「トンボマスター」、ちょうちょを採れば「ちょうちょマスター」と大喜びする。
その無邪気な笑顔見ていて、私はふと小学校時代の死に臨んだ曾祖母の言葉を思い出したのであった。そして、気がついたのだ。4年ぶりの孫との交流の機会を与えてくれたのは妻ではないかと。自分もこの年になれば曾祖母の気持ちはよくわかる。同じ立場なら自分もそう言うだろう。
妻は孫だけではない。長男一家と長女一家をも一堂に会わせてくれたのだ。
4年前までは長男一家も年に最低一回は妻の見舞いに帰っていたし、長女たちもよく戻っていたが、田舎で両家が揃うことはなかった。長女一家にも子が生まれ、賑やかな両家が揃うのは初めてのことだった。妻は私に子や孫たちと過ごす時間を与えてくれたのだ。それも数日、貴重な時間をたっぷりと。
今回、私が一番恐れたのは娘がジュネーブに行けなくなることだった。国連の事前審査に行く日本の障害者団体をまとめる事務局メンバーとしての大切な仕事があるのだ。だが、娘は間に合った。葬儀後、看取りや葬儀の疲れを多少なりとも癒す時間がとれた。事前の打ち合わせもオンラインでこなし、コロナ患者が出た場合の病院や医者の手配、大使館との連絡などを各障害者団体に通知し、出発1週間前に帰京し、8月17日に出発した。
娘婿も実は大切な試験が8月の初めにあったのだが、通夜と葬儀をすますとすぐに飛行機で帰京し、試験を受けた後、休みを取って妻と孫を連れて帰るために犬を乗せて車でやって来た。
長男は夏休みをとって帰国していたので、葬儀後の五日は田舎の夏休みをゆっくりと過ごすことが出来た。
子供たちともしみじみと話した。まるで残された家族に素敵な夏休みを与えるために7月28日と言う日を選んだみたいだなあと。
そう思うと少し気持ちが楽になった。その代わり殺生は控えたいので、捕まえた虫たちは必ず夕方には放してやった。釣った魚も海へ放した。

家の前の池 大社漁港
日中の虫取りが余りにもきつくて、長男も私も音を上げて、最後の二日は夕方大社港に小あじを釣りに行ったのである。
子供たちが小さい頃は毎年通った港である。まさか孫と同じ釣りをしに来るとは思ってもいなかった。妻のプレゼントだと感謝しながら魚釣りに興じた。孫も釣り堀で釣りをしたことはあるが岸壁の釣りは初めてで大興奮してくれた。
イオンの本屋で昆虫図鑑を買ってやったので、孫は図鑑を眺めては、シオカラトンボ、オオシオカラトンボ、ギンヤンマ、アキアカネ、ショウジョトンボ、アブラゼミ、アオスジアゲハと確認すると、ギンヤンマを捕まえてくれとせがむ。
「ぎんやんまマスター」になってくれと。
だが、ギンヤンマは一筋縄ではゆかない。池の上を飛び、高いし、速い。いくら昔昆虫少年でも寄る年にはかなわない。とうとう捕まえることが出来ず、必ず捕まえると約束して孫はアメリカへ戻った。「帰りたくない」と言いながら。
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長男の子は葬儀の翌日、木魚を叩き、鐘を叩いた。坊さんのリズムを覚えていて、そっくり真似して鐘を叩いていた。長女の子も音がする物は何でも好きでしきりに叩こうとしていた。
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その後の数日は8末に1歳になる孫と犬と長女夫婦とまったりと過ごした。長女夫婦はよく帰郷してくれるが子連れは春から二度目。毎晩、孫を抱いて風呂に入るのは私の役目だった。孫は這いまわって障子を破り、犬を追い回していた。帰京する前に娘婿にはお盆の準備を手伝って貰った。おかげで盆は楽だった。
長女一家も帰って行くと言いようもない寂しさに襲われたが、振り払うように祭壇の前に座った。妻に感謝した。夢のような日々を与えてくれたことに。
ギンヤンマには後日談がある。何と捕まえたのである。
飛んでいるところは絶対に捕れないと諦めていたのだが、産卵するために池のホテイアオイに止っていたのだ。動画を送ってやったら、孫は大興奮したらしい。長男が感謝してくれたので、超ラクチンに捕まえたのだが、孫には内緒だと言っておいた。私は晴れて「ぎんやんまマスター」である。孫はオニヤンマも捕まえてくれとリクエストして来た。
オニヤンマは楽だ。来年の夏、出雲大社の裏あたりの谷川で待ち構えていれば採れるだろう。
長男の嫁からラインメールが来た。
長男が出張の準備をしていたら、孫が「出雲へ行くのか。ずるい。僕も連れて行って」とせがんだそうだ。「ディズニーランドより出雲に行きたい」とも言っているそうだ。
私は早速妻に報告した。
「孫は出雲が大好きだってよ」
長女の子も出雲が好きになるのはすでに分かっている。なぜなら娘婿は出雲が大好きなのである。出雲で働けたら出雲に引っ越すと言っているくらい出雲が好きなのだ。
「これからもみんな集まってくれるからな」
そう妻に伝えた。