曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2022年02月

電子書籍のアップロードでてんてこまいさせられて報告が遅れましたが、今年もじゃが芋植え付けでお百姓さんのスタートです。去年からじゃが芋は早植え、今年もマルチ栽培で早植え、普通より一カ月以上早く植え付けたのだが、今年は自分なりの工夫をしてみた。
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2月7日              2月11日
去年、薩摩芋(右)、いちご(左)を作った後に、じゃが芋の畝を二つ作る。1月の終わりに一面に耕運機をかけて石灰は撒いてある。じゃが芋は肥料はいらないと言われているが、何年も前のじゃが芋専用肥料が山ほど残っているので少しだけ撒いた。
2月11日
いよいよ植え付け。この頃は春のような陽気。メ―クイーン21個、とうや17個。とうやは少し大きかったので7個を半分に切って1週間干したものを使う。
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2月11日              2月11日
男爵45個、計算違いで数が足りなかったので慌てて追加分としてキタアカリ21個を買って来る。
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2月11日             2月11日
今年は間隔をきちんと取って真っ直ぐに植える。右は男爵47個とキタアカリ6個。左は手前からとうや17個とメイクイーン21個とキタアカリ15個。全部で106個も植えた。どんだけ出来ることか。男爵が2個多いのは冷蔵庫に放り込んでいた去年の男爵の残りが芽を出していたのでそれを使った。
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 2月11日
そして最後にマルチを被せて張る。ここが新工夫。本当は初めにマルチを張り、そこに芋一個分の切れ目を入れ、その切れ目から芋を押し込むように植え付けをする。去年まではそうしていたのだが、この方法でやるためにはマルチを早く張って1ヶ月ぐらい地温を上げないといけない。そのためには1月中にマルチを張らないといけない。1月からそんなことやりたくないのでぐずぐずしていたら2月になったのでどうしようと考えたのである。今から同じ方法をやっても地温は上がっていないし、マルチに切れ目があるからきっとじゃが芋も寒いに違いない。そこでマルチを被せてじゃが芋ごと地温をあげてやろうと思ったのである。3月になれば地温も上がっているだろう。その時点でマルチに切れ目を入れて芽が出るようにしてやればいいのではないかと思ったのである。そのためにもじゃが芋の位置がわかりやすいように等間隔に植えたのだ。手で触ってもじゃが芋の位置はほぼわかる。その頃は少しは芽が出ているはずだからもっとわかりやすいはずだと思っているのだが、果たしてどうなるだろう。乞う、ご期待である。
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2月11日             2月11日
じゃが芋を植え付けた後、夕方、豆を間引く。もう少し早く間引けばよかったのだがずるずる延ばしているうちにかなり大きくなってしまった。一か所に9個もまいて、2本だけ残すのだが、9個全部芽が出ることはないとはいっても、芽だしのいいところは7、8本あるから間引いて2本残すのが大仕事。どれが成長している苗か分からなくて、最後は適当に大きそうな苗を残して根元からチョキチョキと切る。
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2月11日カリフラワー        2月7日春キャベツ
例のなすびの後に植えて残留肥料だけで育てていたカリフラワー。ブロッコリーは小さめなのが出来ていたが、カリフラワーは全然できていなかった。ところが、ひょいと見たらなんとカリフラワーもできていた。ちいさいけれど十分食べられる。
2月7日
春キャベツを食う。元肥だけで追肥は一切していないのに立派なキャベツが出来た。春キャベツはうまい。千切りだけで食べられる。これを食べると春が来たと思う。翌8日に3回目のワクチン接種。ファイザー。モデルナでも良かったのだが個人病院の接種はファイザーに決まっていた。異常はなし。

下に変なメッセージが出ていますが私にも何のことか分かりません。どこか変なところをさわったのかもしれません。直したいけど、お手上げです。(笑)

【追記】
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昨日2月17日の朝の畑。大雪が降ると言われていたがうっすらとこの程度。昼には道路の雪は消える。
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今朝2月18日。夜のうちに降ると言われていたがこの程度。この冬は出雲は大雪になると言われても全部こんなもの。ただ、この二日はこの冬一番の寒さ。最低気温が零下2℃ぐらいまで下がったようだ。
じゃが芋も冷たかろう。頑張ってもらうしかない。
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電子書籍「戦国を旅した男 石見岩山城主多胡辰敬 第一章 御屋形様と将棋の子」につきましては、うっかり古いバージョンの原稿をアップロードしてしまい、最終の決定稿をアップロードするについて四苦八苦していることはお伝えしましたが、無事解決したことがようやく判明しました。
原稿を差し替えるについては色々難しいことが書いてあったのだけど、兎に角やってみようと思って2月13日に決定稿をアップロードしました。すると2月14日0時20分に販売しましたとの連絡がKindleから入っていた。14日の朝、スマホで確認したら決定稿に替わっていた。自分も自分の小説を買っているので確認できた次第です。Kindleの説明では作者が買った小説は自動的に替わるとあったので、ああ、その通りになったなと思っていた。
ところがこの時点で、自分はすでに古いバージョンを買ってしまった一般の人は自動的に最新版には替わらないと思い込んでいた。説明書にもそのようなことが書いてあったので。説明書を読むとそういう人のために、最新版に切り替えるためにはKindleの審査のようなものがあり、それをクリアしないといけないようなことが書いてある。それが改変個所を「どこどこをかくかくしかじか変えた」と、対照できるように書いて出す気が遠くなるような大変な作業。その改変個所を示すのも、頁や行は使用できず、位置ナンバーで示さないといけないとかあって、儂はもう絶望状態のドツボにはまってしまった。
もうこんな体たらくでは到底無理。このブログで古いバージョンを買ってしまった人にはお詫びをしなければと覚悟した。
その前にふと娘に確かめてみようと思って、古いバージョンを買っている娘の小説をもう一度みてもらったら、「小説が変わってるよ」と、言うではないか。古いバージョンにはあとがきがなかったのに、今見たらあとがきが入っていると言う。それもわしが手直ししたあとがきである。他の場所を確認したら決定稿と同じ文章に替わっていた。
「そこが電子小説のいいところでしょう。新しいバージョンに切り替えたら自動的に替わるのよ」と言われる。作者だけでなく購入した読者の小説も最新のものに自動的に切り替わっていたのだ。
「そう言えばそうだよなあ」
だったら、Kindleで位置ナンバーで場所を示して、云々かんぬんと言うのは一体何だったのか、今もって謎だが、もうどうでもいい。
とにもかくにも、今、販売されているは決定稿です。すでにお買い求めされた方も決定稿に替わっています。
大変お騒がせしました。申し訳ありません。二度とこのようなミスをしないように今後は注意いたします。一年以上続く長丁場になりますがお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

2月11日に発売した電子小説「戦国を旅した男 石見岩山城主多胡辰敬 第1章 御屋形様と将棋の子」で書くのも恥ずかしい大チョンボをしでかしていることに昨夜気が付きました。何とアップした原稿が決定稿ではなかったのです。決定稿になる前の三つぐらい古いバージョンの原稿だったのです。目の前が真っ暗になって、どうしたらいいのだろうと考えていたら昨夜は眠れませんでした。
早速、今日、詳しい人に相談したら、「ああ、よくある話ですよ。原稿を間違えてアップする人はいるんです。大丈夫です」と言って、修正方法を教えてくれる。
修正方法もkindleで書式化されていて、それをメールで教えてくれる。手順通りにどこへ行って、どこをクリックして、何を選択して……「原稿をアップロード」をクリックし……最後に「出版」をクリックしたら「修正版にさしかえました」のメッセージが出る。
次に、Amazon側に原稿を差し替えたことを連絡する。
そうするとどういうことで原稿が変わったのかの説明を求められるので「全9章の予定の長編大河小説の第1章から古いバージョンの原稿をアップしてしまったので完成稿と差し替えて欲しい」と書く。要はそれだけのことなのだが、私が相談した人は「たった1文字の間違いの訂正」を要求したと言う。「わずか1文字でもその言葉の意味が変わってしまい、作品のテーマにもかかわって来る。云々」それは大げさに1文字の持つ意味の重みを訴えたのだそうだ。出来るだけ大げさに、いかに重大なことか、書いておいた方がいいと言うので、あれ以上何も書くことないのだが、1章が不完全な原稿だと、大河小説の意味がなくなる云々と当たり前のことを書き連ねておいた。
受理されて24時間~48時間以内に回答がある。
と言う訳で、これから購入しようかと思われる方がいらっしゃいましたら2、3日様子を見て下さい。
原稿の差し替えが出来たらブログで報告します。
すでに購入された方は心配はいりません。Amazon側から差し替えてくれるそうです。それが電子小説の便利なところといえば便利なのですが、こんなことは起こさない方が言い訳で、皆様にはご迷惑おかけしました。申し訳ありません。以後、原稿の扱いには細心の注意を致します。
私は原稿を基本上書保存はしない。原稿の変わり具合を知りたいのでその都度月日をいれて保存している。すると7つも8つも次々と新しい原稿が出来るので、何かの拍子に古いバージョンの原稿をアップしてしまったのだと思う。なにしろPCには疎くて、しかも前回報告したように、目次ページを作るのに四苦八苦した後のことだったので、注意力も散漫になっていたのだと思う。
すでに購入された方も、購入予定の方も、2、3日お待ちください。ご迷惑おかけしましたことお詫び申し上げます。


これまでブログで連載していました「石見岩山城主多胡辰敬」を電子書籍「戦国を旅した男 石見岩山城主多胡辰敬 第1章 御屋形様と将棋の子」として211日にAmazonkindleで発売しました。
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実はこの小説はブログでは第5章まで連載しましたが、すでに6章、7章、8章までは書き上げ、現在は最終章の9章に取り掛かったところです。ようやく完成の目途が立ったところでかねてより目標にしていた電子書籍化に踏み切った次第です。
ただ電子書籍にするに当たっては前々から完成版として出したいと思っておりました。というのもブログで発表したのは数年前ですが、書き始めたのはそのまた数年前の2011年からで途中新井白石の小説「老いて愛して書いた」を書いた2年間のブランクがありましたが実に10年もかかって書き続けています。その間に地方史の研究も進み、次々と新しい事実が発表されたり、新しい見解が提示されたりして、書き直さないといけない所が多々出て来ました。私の勉強不足で間違ったことを書いたところもあります。連載中にも物語の進行上前に戻って手を加えた所もあります。
それらを直しながら発表するとなると、9章を書きながら1章を完成版にするのに、表紙の作成も含めてどうしても1カ月以上2カ月はかかります。そこで1章ずつ8章までを年内に発表し、最終章9章を来年早々に発表するという予定を立てました。
と言う訳で、ブログでの連載は5章で終わります。5章までをお読みいただいた方には申し訳ありませんが6章以降を発売するまでお待ちください。できたら完全版としてお読み頂きたいと願っております。そういう気持ちもありまして、1章99円で発売することにしました。これなら9章まで全部読んでも約900円になり、紙化されない本としては妥当な値段かと思います。

【訂正とお詫び】


「戦国を旅した男 石見岩山城主多胡辰敬 第1章 御屋形様と将棋の子」のあとがきで「第一章は宣伝を兼ねて無料で発表しましたが、第二章以降は廉価で発表いたします」と書いたのは私の間違いです。Amazonの電子書籍では無料販売はありません。最低価格99円から最高価格20000円までの間でしか価格は設定できません。
但し、KDPセレクトを登録すると、発売から90日間に延べ5日だけ無料キャンペーンをすることが出来ます。それを本代無料と勘違いしてしまったのです。申し訳ありません。無料キャンペーンはやってみようと思っていますがこれから研究するので、いつから出来るかわかりません。誰でも出来る電子書籍といいますがいざやってみるとPCの能力の低い私には分からないことだらけで悪戦苦闘しております。もしかしたら次の第2章の発表の時になるかもしれませんが、その時までには必ず出来るようにしますのでご容赦下さい。

以前にも書きましたが、小学生時代に夏休みを過ごした母の実家の裏山が岩山でした。「裏のお山にはお殿様が住んでいたんだよ」と教えられていましたが、後に多胡辰敬と言う尼子の武将で「家訓」を残した稀有な武将と知った。戦国時代有名な戦国大名は「家訓」を残したが、無名の一武将で「家訓」を残したのは多胡辰敬だけです。「命は軽く名は重い」という言葉を残した武将でもあります。
また多胡家はご先祖様に将棋名人で、「多胡博打」とよばれるほどのありとあらゆる博打の名人がいたことでも知られている。その血を引いた将棋の天才少年辰敬の一生を描くのが私の夢だったが、ようやく完成が視野に入りました。
将棋が導いた運命の出会いから、幾つかの出会いを重ね、長い旅を経て、最後は小さな小さな岩山城の城主として毛利の大軍の前に立ちはだかるまでの一生にお付き合いいただけたら作者冥利につきます。
 

昨日、石原慎太郎が膵臓癌の再発で死んだ。89歳。この人と儂が頻尿と膵臓の病気で同病相憐れむ仲であることは以前に書いた。とても嫌いな人だったが頻尿で悩み、すい臓癌に恐怖した手記を読み、妙に親近感を持ってしまったと書いた。
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これがその時の2020年夏の文芸春秋別冊号。87歳の時の手記。
改めて読み直した。この年の1月に泌尿器科の医師が妙な影があるというので精密検査したら2センチの膵臓癌が見つかり、ショックを受けたが極めて早期の癌だったので重粒子線の照射で退治したと、いかにもあの人らしい意気軒高な文章で、最後は重粒子線のような最新治療法を国は推し進めるべきだと提言もしていた。
儂も膵臓を注意した方がいいと言われた時期と同じで、「そうか、そんな凄い武器があるんだ。悪くなっても強い味方がいるんだ」と嬉しくなり、嫌いだった石原慎太郎氏を病気仲間の悩める御同輩と同情し、いつまでも元気でいてもらいたいと思っていたのである。
それが2年足らずで、極めて早期の癌だったのに、再発して死んでしまうとはどういうことだったのだろう。横綱千代の富士や中日の星野仙一は3期、4期の膵臓癌で手遅れだったけど、自分は早期で最新治療で助かったと書いていたのに。
年齢のせいか、転移していたのか、重粒子線の照射ミスのようなことでもあったのか儂らにはわからない。あれだけ嫌いだったのに、いわば敵のように思っていた人でも、病になればノーサイドである。あの人もいい敵であったゆえに、エールを送っていたのだ。残念である。いい敵はいつまでもいい敵であって欲しいものなのだ。何度も書くが、嫌いだったけれど、あの人もいいことはしているし、小説の功績は認めないといけない。
儂の場合は最初いきなりカナダの検査で膵臓癌に必ずなると脅されてびびりまくったのだが、先生はいまだに膵臓癌とは診断を下していない。膵嚢胞(?)が膵管にあるのだが2センチの半分以下ではないだろうか。先生は甘い物やお酒は控えなさいぐらいしか言わない。でも儂は用心に越したことはないだろうと徹底的に脂質を抑えた食生活を追求、研究、開発して、最近ではかなり脂質を抑えながらもタンパク質をとったり、食生活の充実ぶりは1年前とは隔世の感がある。
前回の半年検診では「曽田さん、あなたはこのまままっとうできますよ」とまで言われた。しかし、儂ははいそうですかと、酒飲んだり、かつ丼を食ったりはしない。2年以上変わらないのは節制しているからだと思っている。現に小さくても嚢胞があるのだから用心に用心を重ねた方がいいと思っている。もし節制していなかったら絶対に悪くなっているはずなのだ。
だから重粒子線の治療法についても関心は持ち続けている。この治療法については手記を読んだ時からいくらくらい費用がかかるのか気になっていた。手記には書いてないのだ。多分高額だろうと思っていたら、TVの保険のCMで重粒子線は330万円と出ていて、「やっぱり」とため息。330万というが、これは1回の照射の治療費なのか、重粒子線照射治療の平均値なのかさっぱり分からない。石原慎太郎は12回照射している。
なぜ手記で治療費のことを書かなかったのだろう。ある意味、一番重要なところだと思うのだが。おそらく意図的に書かなかったのだろう。石原慎太郎らしくないなと思った。堂々と書けばいいのに。何百万かかったと。自分は払えたが庶民は払えないだろう。だから国は高額医療費を負担しろと書けばよかったのに。石原慎太郎ならそう書くべきだったのだ。多分、石原慎太郎も老いていたのだろうなと思った。
同病相憐れむ仲間がいなくなって寂しい。あの人と頻尿を語り合ったらさぞ楽しかったろうと思う。これから悪口も書けないのは寂しい。選挙の時、なんで石原軍団なんか引っ張り出し来るんだと罵詈雑言を浴びせたら、きっと目をぱちぱちさせて反論しただろうに。
去年の12月に遺作の短編小説を書きあげたそうだ。読もうと思っている。合掌。

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