曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2021年11月

    第五章 出雲の武士(9

 

 凱旋した辰敬を父悉皆(しっかい)入道は上機嫌で迎えた。杵築大社造営を成し遂げた年に不肖の裾子が面目を施したのである。

「伊予様(経久)からお褒めの言葉を頂いたぞ。総大将刑部様(国久)のお命を狙った、桜井一族一の武辺者の首を獲ったのじゃから大変なお喜びじゃった。お前のこともお考えくださり、引き続き儂のもとで励めとのお言葉を頂いたぞ」

 父のもとで働くと言っても立場は大違いである。これまでは父の私用を務めていただけであったが、これからは大社奉行のもとに正式に出仕し、尼子家に御奉公することになったのである。

「来年の遷宮で大社造営の一大事業が終わる。伊予様は我ら親子の為に遷宮と言う晴れ舞台を用意して下さったのじゃ」

 正国も大きく頷いた。

「伊予様の親心じゃ。辰敬、大変な名誉だぞ」

 辰敬は低頭した。見えない兜がずしりと重かった。

 母の笑顔を見るのも数年ぶりだった。それは嬉しいことだが心を軽くすることはなかった。どこへ行ってももてはやされたが、もてはやされるほどに心は叫んでいた。

「違う」

そこへ追い打ちを掛けるように一番聞きたくない報せがもたらされた。

 多聞の首が晒し首になったのである。

 城下の外れの刑場に、桜井宗的以下桜井一族と重臣たちの首が晒されたのだ。戦後の始末としていつも行われることで、覚悟はしていたのだが到底平常心は保てない。聞けば黒山の人だかりと言う。一番注目を集めるのは多聞の首と思うと胸は張り裂けんばかりであった。

 夢に多聞の首が浮かんだ。

 阿用城が落ちた後、首実検は同じ磨石山の頂上近くにある古刹蓮花寺で行われた。

 国久を前にして、首注文を記録するために、辰敬は首台に乗せられた多聞の首と相対した。

 変わり果てた首があった。何が変わっていると言って、奇麗に血を洗い流した顔はまるで白粉を塗ったように白く、漂泊の人形師が操る人形の顔のように見えたのであった。敵であっても、それが死者を弔う作法とは言え、辰敬には逆に多聞を冒涜しているように思えた。抉れた片目や米粉をこすりつけて止血した無数の刀傷の跡が、ぱっくりと開いて、まるで作り物のように見える。

(違う、多聞さんの首ではない)

 そう叫びたい声をこらえるだけで精一杯だった。多聞は血と泥にまみれた顔で国久を睨みつけていたかったに違いないのだ。

 その多聞の首は毎晩夢に出て来た。眠れぬ夜が続いた。首が腐乱し始めたと言う噂を聞いてからは夜の底が耐え切れないものになった。辰敬はたまらず布団を抜け出すと、夜が明ける前に裏口からそっと屋敷を出た。

 まだ暗い刑場は深まり行く秋の露をたっぷりと含み、足をぐっしょりと濡らした。冷気に満ちた靄の中にぼおっと十数本の杭が現れた。その上に物言わぬ黒い塊があった。

 濡れた足音しか聞こえなかった。濃い靄の中を真っ直ぐに進み、黒い塊のおぼろな輪郭が一つの形となった時、辰敬は強烈な腐臭にたじろいだ。肺腑を破裂させ、息をすることもできなくなるような、この世の物とは思えぬ臭いだった。

 まじかで見る首はどれも首化粧の跡形も残っていなかった。想像以上に腐乱は進んでいた。ハエやウジ虫がたかり、中には腐敗が進み、悲しく俯いたように崩れ、今にも首台から落ちそうな首もあった。

 足が止まった。

 そこにあるのもまた多聞であって、多聞の首ではなかった。辰敬は後悔した。来なければよかったと。幾つもの壮絶な戦いの証さえ溶けていた。腐った肉の塊としか見えなかった。余りのおぞましさに、声もなく、悲しさも虚しさも放棄した人の抜け殻のように立ち尽くしていた。

 びちゃっと濡れた足音が止まった。

 振り返ると真後ろに幽鬼のような人影が立っていた。

「爺……」

 思いがけない顔に驚いたが、そこにいてくれるだけで救われる老人の顔だった。

「そろそろ現れると思っちょったよ」

 小屋爺は多聞の首を見つめながらそう言った。

「爺はなして……」

「ほんの三日ほどお世話をしただけじゃがのう、忘れられん御仁じゃった。一日で人となりはわかる。三日もいれば辰敬殿とのつながりも見えて来てのう。こんな爺でも男として羨ましいものがあった……なむあみだぶ……なむあみだぶ……」

 ちいさく念仏を唱えた。

「多聞さんの首はどうなるんじゃろう」

「恐らく捨てられるじゃろう」

 辰敬は思わず小屋爺の顔を睨んだ。

「ここにある首は全部首塚に葬られることは許されぬはずじゃ」

 厳しい声音に辰敬は項垂れるしかなかった。

(ここまでの仕打ちを受けたのに、弔うことも許されぬとは)

 その横顔を小屋爺が険しい顔で見据えていたことを、この時、辰敬は気が付かなかった。

「人が来る」

 小屋爺の声に辰敬は我に返った。

 東の空がわずかに白み、靄がゆっくりと動き始めていた。

「早く帰るのじゃ。いいか、もう二度と来るんじゃないぞ」

 小屋爺が辰敬にこのような厳しい態度をとるのもこれまでになかったことだ。奇異に思いながらも辰敬は老人の気迫に気圧された。

 二人は足早に刑場を離れ無言で別れた。

 屋敷に戻っても刑場の光景が脳裡から消えることはなかった。書物に集中しようとしても、庭で素振りに没頭しようとしても、食事をしている時も、日々腐り崩れて行く首が目の前に浮かぶ。多聞の首のことを考えない時はなかった。寝ても覚めても。眠れぬ夜は続いた。思いはいつも同じだった。

(多聞さんの首をあのままにしてよいのか。見るに堪えないほど腐り果てるのを有象無象の人目に晒して。あれほどの武士を見世物にして。挙句捨てられると言う。葬って上げたい)

 そして、行き着くところも同じ。

(御屋形様のお側に葬って上げられたら)

 多聞の首と別れて三日目の夜になった。布団の中で同じ事ばかり考え続けていた身体が辰敬を叱った。いつまで同じ事ばかり考えているのかと。むっくりと起き上がった。

実は辰敬が起き上がったのはそれだけが理由ではなかった。辰敬はそっと縁に出ると夜空を見上げた。低く雲が垂れ込め、星一つ見えぬ闇夜だった。夕方、雲が出て来た時から、ふっとその思いが頭を過っていたのであった。

(今夜なら……)

 鼻を摘ままれても分からぬ闇夜が辰敬を突き動かした。

(御屋形様のお側に葬って上げるのじゃ)

 辰敬は小屋爺に来るなと言われたことは忘れていた。

 寝静まった城下を抜け、闇の中を刑場へ急いだ。心の臓は激しく波打ち、全身燃え上がるように熱かった。

 城下の外れまで来た時、足が止まった。

 前方の闇の中に松明の明かりが幾つか揺れていた。刑場の辺りだ。足音を殺しそっと近づくと、晒し首を載せた棒杭の間に蠢く人影があった。

「何者じゃ」

 不意に誰何され、闇の中からぬっと刑場の見張りが現れた。

「多胡悉皆入道の家の者じゃ」

 見張りは畏まって頭を下げた。

「用を済ませて帰るところじゃったが、一体何があったのかと思って見に来たのじゃ」

「首を盗んだ者がありまして」

「なに」

 胸が音を立てて鳴った。

「誰の首を」

「桜井多聞です」

 辰敬は殴られたような衝撃を受けた。その時、遠くから人の声がして松明が振られた。

 見張りが駆け出したので辰敬も追った。

 そこは刑場の近くを流れる富田川の下流で、堤の下の河原の水辺に刑場の下役人や番人たちが松明を手に集まっていた。その足元に横たわる骸らしきものがあった。

 堤を降りた辰敬は立ちすくんだ。松明の火の粉を浴びながら、かっと目を剥いていたのは小屋爺だった。小屋爺の身体はずぶ濡れだった。川から引き揚げられたのだろう。

「首はどこじゃ」

 誰かが聞いた。

「流された」

 斬られた小屋爺は川を渡って逃げようとしたが力尽きて倒れ、抱いていた首は川へ落としたのだと説明する声も、辰敬は途中から聞こえなくなっていた。

 小屋爺が来るなと言った意味が今になって分かった。辰敬がこうなることを危惧したのだ。だが、小屋爺は分かっていた。警告しても無駄なことを。辰敬は必ず多聞の首を盗み出し、御屋形様のお側に葬ろうろうとするだろうと。だから月も星もない夜に、辰敬よりも先に首を盗み出したのだ。

 激しい水音に辰敬は我に返った。暗い流れを目が追った。多聞の首に会うことはもう永遠にない。

 辰敬は踵を返した。水音が遠ざかって行く。

(小屋爺、有難う。こんな形で別れることになろうとは……)

 多聞との……小屋爺との……数々の思い出が涙となって零れ落ちた。屋敷に戻るまでに流し切ると言い聞かせた。

 

 屋敷では誰も多聞と小屋爺のことを口にする者はいなかった。小屋爺が辰敬に将棋を教えたことで忠重の怒りを買い、折檻されたことは誰もが知っていた。数年の空白を経ても昔と変わらぬ交わりを結んでいることにも気が付いていた。

 都の京極屋敷での多聞と辰敬の奉公ぶりもいつしか出雲に伝わっていた。どこまで深くかは定かではないが。

 その小屋爺が多聞の首を盗んで殺されたのである。何かあると思うのが当然だが、皆、知らない振りを装い、腫れ物に触るように辰敬に接した。

 辰敬の顔つきは変わっていた。思いつめた顔で沈黙の日々を過ごしていた。

 忠重は遷宮の打ち合わせと称して、辰敬を伴い杵築へ向かった。富田を離れたら少しは気分が変わるかと思ったのだが、かえって孤独な時間を増やしただけで、ひたすら懊悩の底に落ちて行くのであった。

 人は天晴尼子武士と褒めるが、多聞の首を斬ったのは死の間際の多聞に頼まれ、叱咤されたからであった。兄とも、父とも、師とも敬愛する男への愛念ゆえに出来たことで、後にも先にも最初で最後の事と思っていた。誠の武士と言う言葉が空々しく薄っぺらに感じられてならなかった。二度と同じことをする自信はなかった。これからもし平気で首を斬る武士になったら、多聞はどんな目で辰敬を見るだろうか。

(多聞さん、我はどうすればいいのじゃ)

 心の叫びは一つでは収まらなかった。

 小屋爺の無残な死も辰敬を苛み続けていた。辰敬の身代わりとなったかのように殺された小屋爺への自責の念は片時も離れることはなかった。何よりも辛かったのは、小屋爺が命を引き換えにしても辰敬を守ろうとしてくれた愛情の深さに気が付かなかったことだった。辰敬を愛してくれていたことは分かっていたが、命と引き替えにするほどまでに愛してくれていたとは。

(許してくれ、小屋爺)

 生かしてもらった命が切なかった。どうすればいいのかが分からずに。

 野分が吹き、晒し首をすべて吹き飛ばしてしまったのを機に、晒し首は集められて、山中深く打ち捨てられた。おそらく小屋爺の亡骸が捨てられたのと同じ場所だろうが、何処かは定かにされることはなかった。

 その日、辰敬は小屋爺の小屋を訪ねた。

 主が一月いなくなっただけで、谷底の掘っ立て小屋はすでに廃屋の気配が漂っていた。辰敬はそっと目を閉じ耳を澄ました。小屋爺の声がどこかに潜んでいるのではないかと。枯れ葉がかさかさと鳴る音がした。見上げると屋根の穴から枯れ葉が舞い落ちて来た。冬はもうそこまで来ていた。

 帰宅すると、屋敷は辰敬達が凱旋した時のように華やぎ、笑顔と明るい声で満ち溢れていた。どうしたことだろう。辰敬はすぐに父に呼ばれた。父の目の端からも笑みがこぼれていた。

「お前に縁談じゃ」

「えっ」

 思いもかけない言葉に声が詰まった。普通ならめでたい言葉が悪魔の声に聞こえた。

「亀井様からお話があったのじゃ。御一族の亀井掃部介様から婿に貰いたいと申し出があった。有難くお受けしたぞ」

 辰敬は狼狽えた。今はとても結婚を考えるような精神状態にはない。それをどう説明すればよいのか、俄かにはその言葉さえ見つからなかった。よしんば見つかったとしても決して分かっては貰えないだろう。そもそも断ることなど許されるはずもない縁談なのだ。茫然とした辰敬に、

「遷宮の前に祝言を挙げたい。一月は忙しいゆえ、二月になるじゃろう。よいな」

 父はご機嫌だった。ふさぎ込んだ辰敬を持て余していた多胡家にとっては渡りに船の縁談だったのである。結婚して妻を持てば変わる。親なら誰しも期待することであった。しかも、相手が亀井一族ならこれ以上は望むべくもない。多胡家の頭痛の種であった裾子の未来が一気に拓けたのである。

 

 多胡家にとっては最高の新春となった。

 一人辰敬を除いて。辰敬が密かに多聞と小屋爺の喪に服した正月を迎えたことに気が付いた者はいなかった。憂いは深まるばかりだった。周囲は縁談に当惑していることには気が付いていたが、結婚すれば納まる所に納まるだろうと思っていた。亀井一族から望まれた縁談に多胡家の意思を挿む余地はない。

 松の内が明けて、掃部介から辰敬に会いたいと言って来て、四日後に訪問することに決まった。辰敬の固い顔をやわらげるように父が付け加えた。恐らく娘も顔を出すのではないかと。辰敬はいよいよのっぴ切らないところに追い詰められた。断る方策がないことは分かっていた。残された手段は逃げ出すしかないと実行不能なことを虚しく呟くしかなかった。

その翌日、思いがけない来客があった。安来津の蔵番矢田であった。最早忘れていた男の顔は死人のように青白かった。

「お頭が切腹した」

 全身から血が引いた。

「瀬島さんが……なして、なして、一体何があったんじゃ」

 青白い顔が青白い顔に食らいついた。

「笹野が蔵の荷を盗んで売り払っていたのがばれたのじゃ」

 酒焼けした中年男の顔が浮かび上がった。

 辰敬は吐き捨てた。

「遊ぶのに使ったんか」

 矢田は首を振った。

「娘の薬代にしたんじゃ」

 笹野に一人娘がいることは辰敬も知っていた。矢田の話によると、今年十四になるが辰敬が安来津を離れた後、急に目が見えなくなった。娘の目が治らないと分かった笹野の酒は一層ひどくなり、そんな夫と娘の不治の病に絶望した女房は娘を置いて家を出た。

「酒毒に冒された笹野と目の見えない娘が残され、それは哀れなものじゃった。どうなるのかと心配しておったら、何とあの笹野が変わったんじゃ。人が変わったように娘の介抱を始めたのじゃ。そりゃあ甲斐甲斐しく世話をしておったが、後はもう想像がつくじゃろう。薬代を作るために……」

笹野は死罪と決まった。

「お頭は富田の伊予守様へ御慈悲を願う嘆願書を出されたのじゃ。父が処刑されたら盲目の娘は生きて行けぬ。今回の不始末は監督不行き届きの自分に責任がある。自分が罪を引き受けるから、父と娘を巡礼の旅に出すことで許してやって欲しいと」

 伊予守は嘆願書を引き裂いた。

「お頭は牢から笹野を救い出すと親子を連れて逃亡し、三日後に一人戻って来たんじゃ。そして、富田の方角へ向かって坐すと、見事に腹一文字に掻き切ったのじゃ」

 声が震えていた。が、その声も途中から聞こえなくなった。辰敬の中で何かが崩れる音がした。それは次第に大きく、崖が崩れるような音となって辰敬を激しくゆすりたてた。一人の若者が崩れる音だった。多聞と小屋爺の死に耐えていたものも三つ目の死には耐えきれなかったのだ。

「今朝港に入った船乗りが言うには、石見の波根の港から九州行きの船に盲目の娘を連れた巡礼の親子が乗り込んだそうじゃ……今頃は長州の沖じゃろう……どんな旅になるのか……儂は目が治ることを信じちょるのじゃが……」

 その声が途切れた。矢田の前にある顔は辰敬の顔であって辰敬の顔ではなかった。目は矢田を見ているのに見ていない。叫び声とも悲鳴ともつかぬ獣のような声が部屋を震わせた。矢田は驚きその顔を覗き込んだが、聞き返そうとはしなかった。

「終わりじゃ」

 心が折れた若者から迸った声であった。

 若者が人生が終わったようなことを言えば笑われるだろう。辰敬が言いたかったのは出雲でのここまでの人生が終わったと言うことだった。区切りをつけると言う意味だったのである。辰敬にとってこのまま出雲にいるのは耐え切れるものではなかった。今こそ区切りをつける時が来たと、もう一人の自分が、いやこちらこそが本当の自分であるべきもう一人がそう言わせたのであった。どう区切りをつけるのか。答えは用意されていた。それは何カ月も前から心に芽生え、次第に大きくなっていた思い。

 辰敬は父と向かい合うとまっすぐに父の目を見た。

「旅に出たいのです」

 父は何も言わなかった。表情も態度も何一つ変わらず、視線も微動だにせず辰敬を見据え続けていた。父子を中心とする世界の全ての動きが止まっていた。音一つしない。異様に長い沈黙が続いた。

 

昨日23日の記事では72時間以内にAmazon Kindleでの販売許可が下りると書いたが、その後、夜、メールで販売許可が来てびっくりする。3日後にご案内の記事をかくつもりでいたのだ。余りにも早くて心の準備が出来ていなくて、慌ててこの記事を書いている。
老いて愛して書いた完パケ
副題に「追放された悲運の天才白石と新井家の人々」とあるように、6代将軍家宣、7代将軍家継に仕え、8代将軍吉宗に代替わりした時に追放同然に失脚した新井白石とその家族を描いた小説です。
新井白石と言えば仕えた家宣家継父子の将軍在位期間が短く、正徳の治と呼ばれる改革をしたと教科書に載っているが、注目されるような成果を挙げることは出来なかったと評価されている。吉宗の享保の改革ほどの注目を浴びることもなく、時代小説の世界でも余り扱われることのない人物であった。何人かの作家は白石を描いた小説を書いているが、それは殆どが白石が政治の中心にいた時の話である。
政治家としての頂点から一挙に突き落とされた後の人生に焦点を当てた小説があるかもしれないが自分は読んだことがないので、へそ曲がりの自分はいつかそんな人の老いた姿を描いてみたいと思っていた。それがもう30年以上も昔の話。どう描いていいのかも分からず、月日だけが過ぎて行った。
自分が60を過ぎて、たまたま白石の書簡を目にした時、天啓のように「あっ、これだ」と思った。
失脚して、世間を恐れ、沈黙を余儀なくされていた白石が、書簡の中だけでは、友人や詩友や弟子に赤裸々に自分の気持ちを打ち明けていたのだ。失脚した悔しさ、権力への恐怖、世間の冷たい視線、持病の苦しみ、家族への思い、友情、詩や学問への熱い思いに触れて、命果てるまでの白石を書こうと思い立ったのである。
自分ごとき学問も能力もない人間にどこまで描けたか自信は正直ありません。小説として成功していると言い切る自信もありません。何しろ対象が凄すぎます。自分としてはこんな形の小説にしかなりませんでした。
梗概を付けておきますので、読んでみようかと思われる方がいらっしゃいましたら宜しくお願いいたします。

                                           梗概

 

 失脚した新井白石は病と孤独と世間の冷たい視線に耐え、権力の報復に怯えながら、書いても世に問うことが憚られる著述に打ち込んでいたが、家庭内においては行き遅れた長女の結婚と言う大きな悩みを抱えていた。

 縁談がまとまらない原因は、白石が将軍家宣の政治顧問として執筆した武家諸法度にあった。

 白石は退廃した士風と拝金主義を一掃するために持参金禁止を定めた。ところが誰一人法度を守ろうとはしなかった。白石の娘を望む者さえも平然と持参金を要求した。怒った白石はことごとく縁談を断ったのであった。

 だが、家宣家継父子が相次いで死に、将軍が吉宗に代ると、白石は栄誉の頂点から失意のどん底に叩き込まれる。栄職にあった時ならいざ知らず、有能過ぎたがゆえに嫌われた白石に縁談を望む者は絶えたのであった。

 ようやく見つけた縁談も決して満足なものではなかったが白石は縋り付く。不憫な娘の幸せを願い、自ら易を立てる。その結果が不安で友人に相談し、最後は妻と義母にも籤を引かせに行く。

 何とか決まるも、白石の過去の政歴が災いして、またもや二転三転する。ようやく結婚に漕ぎつけたが、白石にはまだ二男一女が残されていた。六十二歳になった白石は七十歳まで生きられるとは思っていなかった。

 白石は残された子の縁談を進めながら、残りの人生のすべてを書くことに打ち込む。たとえ、今の世の人が読んでくれなくても、二百年三百年後の人に読んで貰うために。

 そんな老人に容赦なく不幸が襲い掛かる。

 火事で丸焼けになり、江戸の僻地代々木の荒れ野原に引っ越さざるを得なくなる。

 ようやく結婚出来た長男の初孫(男孫)が生れ落ちると同時に死に、病弱だった次男も死ぬ。嘆き悲しむ白石に、積年の持病が追い打ちをかける。だが、数少ない友人達と最愛の弟子と家族が白石を支える。会ったこともない二人の友人との文通が白石を励ます。白石は最後に残った末娘を結婚させると、残った力を振り絞り、「古代史疑」を書き上げて力尽きる。

 享年六十九歳。

失脚後の七年を描く。

1122日に上京したのは、娘に第六波が来る前に孫の顔を見に来たらと誘われたからであるが、もう一つの目的は何年もかかって書いた時代小説を電子書籍としてAMAZON KINDLEにアップロードするためでもあった。
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電子書籍の準備は
2年前から進めていて、KINDLEに掲載できる書式にしてもらっていた。編集者による編集も終わっていたのだが、諸般の事情でアップロードできなくてずっと宙に浮いていた。パソコンには弱いので人任せにしていたのだが頓挫してしまってどうしようかとしばらく迷っていたのだが、電子書籍は誰でも簡単にできるという話を信じ、自分でやってみようと決断し、取り掛ったのが今年の2月。まず表紙づくりにとりかかった。絵描きさん探しから始まり、人を介してアニメの作画監督をしている人に頼んだのだが3月。ところが、これが一向に出来上がらない。5月になってももう少し、6月になっても音沙汰なし、7月になっても音沙汰無いので、儂も我慢の限界、正直に描けるのか描けないのか言ってくれと言ったら、向こうから降りると言うので、8月からまた絵描きさん探しから始める。若くていい人が見つかり、約束通りに10月に仕上げてくれたので、さてとりかかろうと思うも出来上がった絵を表紙に貼り付けることが出来ない。というか、送られた絵はAmazonKindleの出版アップロード規約に準じたサイズになっていて、ギガファイル便からダウンロードしなければいけないのだ。ギガファイル便と言う大層な名前にびびり、眩暈がして自信喪失。上京した時、婿さんに一切合切丸投げしてやってもらおうと思ったのである。
婿さん、ギガファイル便からダウンロードしてくれて、あっという間に表紙を貼り付けてくれる。これなら小説のアップロードも楽勝と思っていたら、急にパソコンがおかしくなる。「おかしいな、変だな」色々調べて「お父さん、変なものインストロールしませんでしたか?」覚えはないが、よくよく考えて「そういえば、マイクロソフトがしつこく言ってくるのでポチッとなと押したものがある」と、言ったら「それはマイクロソフトとは関係ないんですよ」と、アンインストールしてくれる。するとパソコンは正常に動き出してくれて、アップロードの作業は順調に進む。
そして、いよいよ、銀行口座を記入する所に来て、「しまった、山陰合同銀行の通帳を持ってくるのを忘れた」。出発前に何度もチェックして、数日前までは通帳が必要なはずだから、忘れないようにしなくちゃと思っていたのに、忘れてしまっていたのだ。がっくり肩を落とす。ここまでやってあればあとは出雲に戻って自分でもやれそうだが、いまいち不安である。何かないかと財布の中のカードを調べていたらWAONカードが出て来る。このWAONカードはイオン銀行が発行していて、イオン銀行のキャッシュカードと兼ねているのだ。これで、口座番号も支店もクリアできたのだが、最後に一項目とんでもない関所があった。
何と納税者番号を記入しろというではないか。そんなもの確定申告の写しを見なければわからない。「ああ、やっぱり出雲に戻って最後は一人でやるのか」と、諦めてホテルに戻る。

それでも諦めきれず、いろいろ調べていたら、2年前のeーTAXの写しがあることに気が付く。2年前、確定申告を電子申告したのである。「これだ!」果たして、納税者番号はあるし、なんと還付金を受け取るための山陰合同銀行の口座も記入してある。すぐに婿さんに電話した。
「あった、あった、合銀の口座と納税者番号もあったよ」
ところが、23日、よく見直したら、合銀の口座番号はOKだが、納税者番号と思い込んでいたのはただの整理番号みたいなものとわかり、がっくり肩を落とす。
やっぱり出雲に戻って去年の確定申告書を引っ張り出して書くしかないかと思っていたら、婿さんが納税者番号は書かなくてもいいだろうと言う。
昨夜、困ってAMAZON KINDLEに詳しい後輩に相談したら、AMAZON KINDLEのまとめサイトを教えてくれた。それを読んだら書かなくてもいいようだと教えてくれたのだ。儂は面倒くさくなって読みもしなかったのである。
と、言う訳でここをすっ飛ばして進んだら、「出版する」と言うボタンがあったのでポチッとなと押す。すると72時間後に返事があると言う。
ここで、また疑問、儂は後輩から審査には2週間から3週間かかると聞いていたのだ。すると、婿さんが、AMAZONは色々と変わるから変わったのかもしれないと言うので72時間ほど待つことにする。OKになって、販売が可能になったら、改めて本の内容などをご紹介いたします。
それにしてもくたびれた。こんなことに1日半もかかるとは。おかげさまで、これからは一人でもやれそうな気がしている。


母のグループホームは面会が大幅に緩和され、会議室で対面の面会が出来るようになった。但し外出や外泊はまだできない。妻の特養もこの度ようやく広い会議室でのパネル越しの面会が出来るようになった。但し15分。10月に骨折が判明してからガラス越しの面会を控えていたので、早速申し込み今日面会する。
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その前に、11月11日の娘とのオンライン面会。
娘も最近はオンライン面会の要領を得て、孫の顔を常に動画で見せながら会話をする手法を取っているので妻も孫に話しかける。
「〇〇くん、たくさん牛乳飲みなさいね。たまにはウィスキー飲んでね。あはははは」
「〇〇くんと乾杯したいから長生きする」
のん兵衛ぶりをいかんなく発揮している。
「いいお母さんになったね」
と娘を褒めてもいる。
娘が骨折について問うと、
「これからはたくさんカルシウムとります」
「サロンパス貼っているから大丈夫」
元看護婦さんらしく回答。
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本日11月20日のパネル越し面会。
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10月には病院で思いがけずナマの面会が出来たが、あれは例外。パネル越しでも電子機器を通しての会話とナマの会話では臨場感が全然違う。肉声は聞き取りやすいだけでなく生身の人間と話をしていると実感できる。
「元気してる」と聞くと、
「元気もりもりよ。やっつけられる。私の方が強いからね。足をかける。助けてなんて言わないでよ」
孫について聞くと
「可愛いねえ」
「どこが可愛い?」
「あごの下が可愛い。〇〇ちゃん(娘)にいつも叩かれているんじゃない」
「何で?」
「悪いことしたから。でも慣れる」
22日から東京へ行くと言うと
「いいわね、私も連れてって。いいな、東京タワー。東京行って、東京タワーでいっしょに踊りましょうか」
「修学旅行で行った。小学4年で」
このへんの話は怪しい。熊本の小学生が修学旅行で東京タワーには行かないだろう。スカイツリーと言わないのが年齢を感じさせる。と言うか、妻はスカイツリーを知らないはず。
東京へ行って娘に何か伝えることがあるかと聞くと、
「お父さん、何か買ってあげて」
「何を?」
「ドレスに決まってるでしょ。ちょっと身の締まったドレス」
「何色がいい?」
「むらさき」
「紫はちょっと・・・」
「あの子、スケベみたいなのが好きだから」
孫に会ったら何と伝えるかと聞いたら
「〇〇ちゃん(娘)が会わせない」と、妙なことを言う。
「〇〇ちゃん(娘)よくお産したね。泣いてなかった?」
三角巾はもうしていなかった。手が痛いのはどうしたか聞くと、
「マッサージがうまいから治った。あの手はどうしたんだろうね。ウサギ追いかけてすっころんだの」
最初に会った時、わしのことを〇〇先生と呼んでいたので、頃合いを見て、恐る恐る儂は誰か聞いてみた。
「わたしの旦那さん、あなたと呼んだの」
分かってはいるんだと少し安心する。
「元気でほっとしたよ」と言うと
「よく寝てるもの、陽が当たって気持ちいい」
最後に、コロナが終わったら、娘や孫が会いに来るからと励ます。
「待ってる、待ってる。会ったら泣いちゃうかも」
来年は会えるのだろうか。
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帰りに「希望する医療について」の確認シートや「プロフィール(生活歴)」の確認シートの提出を求められた。これは国からこのようなものを作成するように通達されたので行うようだ。
医療については「病名や余命の告知について」「延命治療について」
プロフィールについては、「今まで一番たのしかったこと」「私の好きなもの、大切にしていること」
「生まれてからの思い出」など。
確かに必要なこととは思うのだが、後者は妻の場合、どうなんだろう?だって、本人しか分からないことなのに。わしが勝手に想像して書くことにならざるを得ない。「あんた、何もわかってないわよ」と言われそうな気がしている。
職員さんも大変だ。そうでなくても事務量が多い上に、コロナでまだまだ気が抜けない所に、またこんな仕事が増えて。

秋の風景から
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11月9日              11月10日
9日)寒空に柿二つ。東の畑の柿の木。小さな柿だったがこの秋は豊作。食べ尽くして手が届かなかった二つを鳥のために残した。この頃は初冬の寒さ。
10日)午前中の昼前、雨上がり。妻が入所している特養に新しい健康保険証を届けに行く途中、正面のみせん(弥山)さんに虹がかかっていた。オレンジの矢印にはさまれた帯がそれ。ちょうど中腹あたり。こんなに低い所に虹が掛かっているのを見た記憶がなかったので車を停めて撮影する。この後、雲間からお日様が出て数秒後には消えてしまった。本当はもっと鮮やかだったのだが車を停めるのにまごまごしている間にみるみる薄れてしまった。
緑の矢印は「出雲大社はあっちですよ」と遠方の人への観光案内。
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11月13日             11月14日
13日)東の畑、最後に残った畝にマルチを張って豆を植える。スナップエンドウを8穴、ロングピース(実えんどう)を8穴、ハイパースジナイン(すじなしのさやえんどう)8穴の計24の穴に豆を植える。
赤い着色の種はスナップエンドウの種。普通は3~4粒まいて、苗を1本~2本残すのだが、去年から8~9粒まいて、苗を2本育てることにしている。これは去年も書いたがすべて寒さ対策。小さな苗を密生させて越冬させるのだ。そして2本残してあとは鋏で切る。枯れた苗も防寒の役目を果たしてくれるのだ。それでも昨冬は例年になく寒くて1本しか残らないものや、2本とも枯れたものがあった。この冬もラニーニャ現象が発生し、島根は去年の1.3倍雪が積もると天気予報で言っていた。正直言うと種を撒くのをもう1週間から10日遅くして、小さな苗で冬越しさせたい(苗が大きいとダメージを受けやすいので)のだが、来週早々上京する予定でいるので早くなってしまった次第。
14日)この日から、一転小春日和。豆の畝の全景。
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11月14日
左)大根側から見た東の畑全景。葉っぱが大きくなったが冷たい強風でほとんど折れてしまった。となりの春波キャベツは順調。その隣が13日に種をまいた豆。その隣のマルチなしの二畝が空豆。
右)イチゴ側から見た東の畑全景。手前がイチゴとイチゴの間にニンニクを植えた畝。隣が全部ニンニクの畝。その隣が中晩生玉ねぎもみじ3号と極早生玉ねぎ貴錦とその中間にニンニクを植えた畝。その隣の二つが空豆。
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11月15日
空豆が数日前からぽつりぽつりと芽を出し始めて、今日で畝に36個、ポットに8個、計44個中31個が芽を出した。豆を植えたのが10月30日だから早くても10日を要していることになる。空豆は時間がかかることは知っていたが、去年は苗を買って来て植えたから、豆から育てるのは数年ぶり。昔のことは忘れたので毎日いつ出るかいつ出るかとやきもきしていたのだが、これでなんとか大丈夫そう。
秋の農作業からも昨日で解放された。後は来年の3月にじゃが芋を植えるまでは追肥や防寒対策をちょこちょこやっていればよい。終わった、終わった、やっと終わった。やれやれが実感。お百姓さんが湯治に行く気分がよくわかる。
わしは湯治のかわりが上京。孫の顔を見るのと、AMZON KINDLEで時代小説を出すのを婿さんに手伝ってもらうのが目的である。

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