10月19日に娘がスマホ面会してくれた。
何かの話で「(儂が)いも好きだから」と笑い、「イモよりも(娘)が好きよ」とまた笑わせ、スマホで娘に会えて「涙が出て来た」と目をおさえる。
娘が「王さん、覚えてる。お母さんが日本語を教えてた」と聞くと、「ああ、懐かしい」と答える。「頭が良かったから教えがいがあった」
脳に重い障害を負ったので覚えていたことに驚く。
王さんは御主人が技術者で日本の会社に派遣されていた。スーパーでバイトをしていて妻と知り合ったのだ。バイト仲間の主婦に嫌な思いをさせられて悩んでいたのを馬鹿な主婦なんか相手にするなと励まし仲良くなったのである。日本語がうまく通じない時は娘と英語でやりとりしていたが日本語の検定試験にもすぐに受かった。妻が倒れた時はとても悲しみ見舞いに来てくれた。八王子のリハビリ病院にまでも見舞いに来てくれた。
翌年、娘がモンゴルの孤児院にボランティアで行った時、北京経由だったので娘は帰国していた王さんと再会。日本ではお世話になったからとあちこち連れて行って貰い、その日はユースホステルに泊まる予定と知ると「そんなホテルには泊まったらいけない(余りいいホテルではなかったらしい)」と自宅に泊めてくれた。
娘がそんな話をすると「いい人だったわねえ」と妻は答える。
それで思い出したのが妻のもう一つの国際交流。王さんとのおつきあいと時期がwっていたような記憶がある。
韓国人の青年二人組。家の前で二人に道を尋ねられたことから家に招待してお好み焼きを作って食べさせたりしていた。近くの韓国人留学生のアパートに住んでいた。まだ日本語は不自由だったが一人が英語が出来たのでここでも娘が通訳していた。二人は日本人の家に上がるのは初めてだと喜んでいた。休みに帰国する時、妻は一人の両親に宛てて「あなたの息子はとてもいい子に育っている」と手紙を書いた。本当に好感の持てる青年だったのだ。戻って来た時、親からのお土産だと壺に入った朝鮮漬を届けてくれた。この青年、娘と肩を組んで(勝手に)写真を撮って行った。
妻が倒れたので暫く会えず、久しぶりに一人訪ねて来た時、妻が倒れて再起不能の状態だと教えたら今にも泣きそうな顔で悲しんでくれた。
王さんもあの若者も今どうしているのだろう。
大学へ行くのが夢で、留学なんて夢のまた夢だった妻は、異国で学ぶ若い人たちをとても羨ましく思い、少しでも力になってやりたいと思ったのだろう。
王さんの話からすっかり忘れていたことを思い出した。妻らしい国際交流だった。
語録(25)
2007.12.2
「知り合った頃の写真を持ってる?ちょっと見せて。どんな人好きになったか、どんな自分だったかみたいの」
2007.12.4
「高菜でもう一膳ちょうだい」
「食べ過ぎだよ」
「覚えといてよ。一膳くれなかったことを」
「カレーちょうだい」
「もうご飯ないよ。ルーしか」
「じゃあ、ルー大柴ちょうだい」
2007.12.8
「寒くない?」と、しつこく聞いたら。
「寒くない、寒くないと言われたら、寒くなるでしょう。お父さんにも痛くないと聞くよ。お父さんが痛そうな時に。痛い?と聞くよ」
2007.12.9
「お父さん、いつも私を監視してるのね。それが嫌なの」
2007.12.14
「夢の中で泣いているとお父さんが拭いてくれるの。『邦子まだ泣いているのか』と」
2007.12.16
(TV見ながら)
「こういうの見ながら、お父さんの名(脚本)出ないかなあと思ってるの」
※この頃はもうTVの仕事をしていなかったので胸が痛む。
2007.12.28
「左手(マヒした方)が痛い」
「もんであげるよ」
「いいよ、あんたなんか」
手を持ったら
「あっ、そうしたら痛いよ。人の手を何と思ってんだ」
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デイサービスへ行く準備をしていると
「プールへ行く準備をしてくれてるの?ありがとう」
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「モモちゃんを(愛犬)を叱らないで、私が叱られてるみたいで辛いから」
寝かせている時
「○○兄ちゃん(従兄)は優しいねえ。○○兄ちゃんでしょ」
「お父さんだよ」
「うそ、お父さん、そんな優しくないもん」
2007.12.30
「私、ママちゃんが勤めてたから言わなかった。せつなかったよ。運命だと思ってた」
※母子家庭だったので色々我慢していたことを言ったのだと思う。
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「○○兄ちゃん(従兄)といると温かい」
「○○兄ちゃんじゃないぞ。俺」
「それでもいいけど、優しいんだよ、○○兄ちゃん」












































