お寺の前の住職の奥さんが亡くなられて葬式があった。
案内には前住内室とある。なるほど、そういう風に書くものかと、何も知らない私はこんなことに感心するところから始まる。
父が12、3年前まで総代(檀頭)をしていたが、老齢を理由に引退したので、私にも総代を継いでやるように親からも言われていた。だが、私にはやる気がなくて、と言うか、そもそも総代というもの自体がどんなものか分かっていなくて、何も世襲でやることはないだろうと思っていたのだ。人生のほとんどが東京暮らし。田舎の事は何もわからん。それに、なんたって民主主義の子ですから。
何よりも出来ない理由があった。妻の介護をしているのだから出来るわけがない。
7年間、ずっとそれでやって来て、お寺さんの行事にも最初の一年は昔からの付き合いもあるので、なるべく出るようにしていたのだが、2、3回で音を上げてしまった。
やっぱり、辛い。
正月の早朝の集まりなんて、絶対に無理。
父も息子の事情を話してくれて、お寺さんの行事に参加できないのは大目に見てもらっていたのだが、妻が特養に入ったので、在宅介護の時ほどのわがままを言えなくなってしまった。
今回も父の後を継いだ檀頭さんが、何時から集まりがありますからとわざわざ自宅まで訪ねて来られたら、これまでのようには行かない。
親の夕食の用意をして、5時からの集まりに出る。女房はいなくても最近は親の食事の面倒をみなくてはいけなくなっているのだが……。まあ、在宅介護ほど大変ではないからなんとかなる。
それが金曜日の集まり。総代やら地区の世話人やら総勢30人ばかり集まっている。
参ったのは知らない人ばかりだと言う事。
しかも総代だと言うので、上座に座らされる。総代と言うのは5人いて、その中に親父の名もある。総代の筆頭と言うか総代の総代が檀頭で葬儀の頭を務める。
代理でのこのこ出て行って、案の定「あの人だれ?」と思われて冷や汗をかく。
父の息子と分かって、挨拶されても、これまた珍紛漢紛である。
「〇〇の××(屋号)です」と言われても、〇〇(地区)が分からない。
帰宅して、「××屋さんから、よろしく言われたが、〇〇てどこだ?」と、親父に訊いたら、
「うううう……あっちだ」
あっちじゃわからん。もうそれ以上は聞かなかった。
話は葬儀の打ち合わせに戻るが、細かいことは世話人が心得ていてやってくれるので、檀頭以外の平の総代はなにもやることない。何だか申し訳ない気がするが、兎に角西も東も分からないから、ただ話を聞いているだけ。檀家葬でやると言われても、よくわからない。
さらに、細かい打ち合わせをしていると、
「わげさは何色にしますか」と聞く人がある。
さあ、【わげさ】が分からない。
「緑ですか、茶ですか」
話を聞いていて、どうやら袈裟の事らしいと分かる。
帰宅して、すぐ、ネットで調べ【輪袈裟】と判明。親に聞いたら、仏壇の下から出してくれる。こんなことも知らないのだから情けない。
総代や世話人は全員、緑の輪袈裟で統一した。
日曜が葬儀。10時出棺だが、檀頭さんから、30分前には来てくれて言われていたので、9時半に行ったが、まだ受付の準備をしていて、霊きゅう車も一向に来ない。時間を間違えていて、出棺は10時半と分かる。
今日は晴れたけれど、風が強く、冷たい。震えながら待つ。
いよいよ出棺が近づいたら、本堂から檀頭さんが現れる。
「本堂の中で待っていたらいいのに」
そんなこと聞いてないよである。
葬儀は3時半からだが、お手伝いする人たちの手前、総代は1時半に集合してくださいとのこと。
昼飯かきこみ、親の昼飯を用意。
晩飯も用意し、味噌汁だけ作って、再びお寺へ。
境内は大忙し。檀頭さんは打ち合わせに忙しいが、平の総代は何もやることがない。
2時間座っていただけ。
葬儀終了後は、初七日逮夜法要。
直会(なおらい)をよばれて帰る。
結局、何も分からない総代の代理はただ座っているだけで、本当に何もしなかった。
こんなことでいいのかなあと忸怩たるものあり。一日中小さくなっていた。総代なんて恥ずかしい。誰か変わってくれないかなあと思う。


