先日何気なくTVを見たらR-1グランプリをやっていて、杖を持った若者が漫談をしていた。以前、視覚障害の漫談家がいると聞いていたので、この人のことかなと思って見ていたら、素直に面白かった。その後、私は父が風呂に入るので、簀の子を敷いてやったり、脱衣場を暖めたり、パンツを探してやったりしていて、R-1のことを忘れてしまった。
パソコンで視覚障害の濱田祐太郎が優勝したのを知る。決勝は見ていないが、妥当な結果に思えた。必ずケチをつける人がいる。同情票だと言う人もいるが、私はよかったなと心から喜んだ。と、言うのは、たまたまその日、喫茶店でこんなことがあったのである。
私がパソを叩いていると、隣の席に3人の主婦が来て話し始めた。子供の将来について。よくある光景である。だが、その内容は大学進学のことでもなければ、公務員や一流企業を目指す話でもなかった。「うちの子はこういういいところがあるのだけれど」とか、「こういうことはできないけれど、こういうことは出来る」とか……。三人とも子供が養護学校に通っていることが分かった。
卒業後、子供たちの仕事が見つかるかどうかを心配しているのであった。聞いている方が切なくなって来る。市でもずいぶん昔から、障碍者の雇用をしているけれど、その数は少ない。島根県でも出雲市はまだ雇用機会が多い所だとは思うが、それでも簡単ではないことは想像がつく。
その日は、「うちの子はこういういいところがある」と言う母親の言葉がずっと心に残っていたのだった。それ以上はお母さんは諦めたように言わなかったけれど、言いたいことは分かる。「誰か分かってくれる人がいたら……」
濱田祐太郎はそこを笑いで気づかせることに成功したのかなと思う。彼は伝道師ではないから、それが目的で漫談をしているわけではないけれど、結果的に笑いの中でふっと大切なことを気づかせると言うのはすごいことだと思う。凡百に出来ることではない。障害を売り物にしているなんて私は言わせない。
ただ芸の世界は厳しい。一発屋で終わるかもしれない。でも、虎は死んでも皮を残すと言う。濱田祐太郎は一発屋で消えても、あの白い杖は記憶の中に残ると信じている。
「分かってもらいたい」と思っても、障害が重ければ重いほど分かってもらえないのが現実のような気がしている。あのお母さんのように、我が子のいい所を知っていると言い切れるのが羨ましい。
儂もなあ、女房のことが分かっているのかと言われると、自信がないからなあ。

左の(A)が『書』の崩しで、右の(B)が『出』の崩し。同じじゃないかと言われるが、先生曰く、『書』の方は①の縦線が先に入り、②で横に続く。
同志から貰った見舞状に対する返信だが、
新年会でじゃが芋の新農法があると教えられ、早速、「野菜だより」(学研)なる家庭菜園誌を借りて来て一読。新しもの好きの私はたちまち魅入られる。何と肥料をやらなくても、元肥をやらなくても、しかもあの面倒くさい土寄せを、2回も、3回も繰り返さなくても、種芋を植えてしまえば、もうそれだけでOKと言う嘘のような話だ。


左の写真は、厄介者のイチジクの根。大変だとは聞いていたが、どこまでも伸びている。全部は掘れないので途中で切る。