曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2018年02月

このブログ、雪の定点観測レポートになってしまった。いちおう最後までレポートすることにした。
イメージ 1
イメージ 2








雪は上がって晴れたが、雪かきが大変。門の前の駐車スペースが結構広くて、雪をかいて車を出すのに一仕事。念のために車にスコップと長靴を積んで出発。ところが横の道に出た途端20メートルも行かないうちに動けなくなる。Mちゃんと若い衆が雪かきしていて手伝ってくれる。若い衆、私の運転を見かねて、車を広い道まで運転してくれる。ここまでで1時間近くかかる。
Mちゃんが言うには、昨夜は9号線もバイパスも車が止まって大ごとだったらしい。
「こんな日に出るの止めたら」
「大丈夫、今日はスコップ積んでるから」
「よう出るわ」と、呆れられながら市内へ。
分かったことは、駐車場はどこも雪かきが間に合わなくて、入れる駐車場を探すのが大変なこと。モスバーガーのような比較的小さい駐車場は雪が寄せてあったので、モスに入る。ここもパソコンの電源がとれるので重宝している。
午後は夕食の買い物もあるのでイオンへ。
イメージ 3イメージ 4
朝の畑。
白菜も大根も玉ねぎも雪の下。





夕方、帰宅した時もまだこの通り。
横の道に、わが家のヒイラギの塀に積もっていた雪がどさっと落ちて車の通行の邪魔をしている。
その雪を片づけて、明朝、デイサービスの迎えが来るので、駐車スペースの雪かきもする。北陸の豪雪と比べたら、だらしないと叱られるが、慣れないから三日で音を上げる。明日は晴れマークだが、日月はまた雪が降るらしい。降ってももうレポートしないので、こんな調子と想像してください。

早起きしたら、薄化粧程度の雪。スコップ使わずとも、竹ぼうきで掃けばすむ。ラッキーといざ出発。いつも同じ店は飽きるので、今朝はコメダ珈琲へ。2年ぐらい前に、出雲にもコメダ珈琲が出店したのである。土日休日以外は、「学生さん勉強に使ってください」と、長居しても嫌な顔をしないので、時々来る。
11時過ぎに特養へ。去年の2月6日に入所したので、丁度1年になる。早いものだ。
一緒に昼飯を食っていると雪が降り出す。
イメージ 1
12時40分ごろ、特養の前の道。振り返って北山方向を写す。目の前、画面いっぱいに写るはずの山が吹雪で見えない。
だが、まだ、タカを食っていて、そのままイオンへ行く。
今日の夕食のメニューはちょっと気取って、ビーフシチューとパンの予定。イオンのベーカリーに父母が好きなパンがあるので、それを買うつもりであった。
イオンでは3Fの今井書店のアレアか、1Fのターリーズをその日の気分で使っている。今日の気分はターリーズ。パソを開いてパチパチ。4時ごろ切りがいいところまで進んだので、サラダの材料を買い、パンを買うことはすっかり忘れて駐車場へ出る。一歩外へ出て目が点になる。なんと車が全部羽毛布団のような雪を被っている。
雪もすごい。3、4時間の間に雪国になっていた。
私が車を駐めた北側のスペースには入場した時は満車だったのに、私の軽を含めて3台しか駐まっていない。皆、雪が降り出したので帰ったと思われる。
吹き溜まりに足を突っ込むと膝まで雪がある。雪だるま状態の車の雪を素手で払い、いざ車を発進させようとしたら、愕然となる。軽は悲しい。雪の壁に阻まれてうんでもなければすんでもない。微動だにしない。アクセル踏みこんでも空回りばかり。外へ出て、傘で雪を払いのけ、車に戻っては何度も何度も雪に突進。何回繰り返したか。私の方が雪だるまになる。事態は絶望的。車を置いて帰宅することまで考えたところに、イオンの駐車場の係のおじさんが見えた。おじさんに車を押してくれと頼む。
おじさん、迷惑そうな顔をしたが、しぶしぶ雪の中をやって来る。
「バックしたら」
しょうがないので、言われたとおりにバックする。すると、何度も突進を繰り返していたので、1mほどバックできた。そこで、思い切りアクセルを踏んだら、あら、見事!無事、脱出できた。おじさんに感謝のハザードランプを点滅させて、一目散に帰宅する。途中、気の毒な車を2台横目に。
イメージ 2
イメージ 3

左の写真。
家の横の道はこの有様。




イメージ 4
玄関前を雪かきしたが、途中で嫌になってやめる。





明日は一日家から出られないかもしれない。帰郷して初めての大雪だ。
イメージ 5イチゴもすっかり埋まってしまった。
イチゴの育て方を読むと、2月15日頃、敷き藁を取り、肥料をやり、マルチを張る。とあるが、ほんとかよと言いたくなる。
1週間後はまだ寒いだろうし、雪もまだ降りそう。こんなに寒くては畑に出たくもない。
暖かい時は、3月初旬にじゃが芋を植え付けたが、今年はじゃが芋も遅くなるのではないだろうか。


出雲の当地辺りは大雪は降らないが連日異常に寒い。穏やかな日が来たかなと思っても3日と続かない。昨日は夕方から激しく雪が降り出し、たちまち路面が凍り付く。ヤバイなあと思っていたら、今朝は一面の雪。
イメージ 1
いつものようにたくさんは降らなかった。見慣れた雪かきの写真に見えるが、実は昨夕降った雪が夜のうちに凍ってしまって、通路にしっかりこびりついてなかなか取れない。
デイサービスに出る年寄りが歩くので、つるんと滑りそうで危ないことこの上なし。スコップで削り取ったが、完全には
イメージ 2取り切れない。
とくに門の通路は傾斜があって、つるつる滑るので、不要の敷物を引っ張り出して来て敷く。
早起きしたのだが、やっと終わったと思ったら、雪が降り出して通路をあっという間に白く染めるので、しっかり一時間かかってしまった。これまでの雪は夜のうちに積もって、朝はアイスバーンになっても昼には晴れて、夕方にはすっかり溶けるのがパターンだったが、今日は日中も降る。
イメージ 3
イメージ 4








こんな雪の中でも、お気にのファミレス・ジョイフルへ。永年喫茶店で仕事をして来た習性が抜けず、起きたら矢も楯もたまらず家を出たくなる。午前10時半頃の駐車場。激しく雪が降る。
昼には一旦晴れるも、また降ったりやんだり。
夕方の4時半頃、わが家の横の道。(右の写真)
左がわが家。しっかり雪が残っている。いつもは溶けてなくなっているのに。この雪がまた夜のうちに凍るのかと思うとうんざり。明日も父はデイサービスに出る。
「明日もよろしくお願いします」運転手さんに挨拶しておった.
明日も早起きしないといけない。
この連日の寒さも、干し芋にはいいようだ。
イメージ 5
イメージ 6








上は1月25日の写真。今はかなり水分も抜けて、いい感じになっている。トースターで焼くより、ストーブの上で焼いて食った方が美味い気がする。本当は火鉢の網の上で焼いたのが一番だと思う。
餅も焼いた、するめも焼いた、もちろん干し芋も。そんなことをしたのは何歳ごろまでだろうか。小学生時代、まだ山口の防府にいた頃だ。
降る雪や昭和は遠くなりにけり……どころか、来年には平成が終わってしまう。

2月1日から外泊の予定だったけれど、前日から母の体調が悪い。1日の昼に夕食の買い物などをして帰宅。ベッドメイクなど妻が戻って来た時の準備をしようとしたら、母が昼も食わず、よろめきながら寝込んでしまう。こんな所へ、妻が戻って来たらエライことになる。地獄図が想像できて、慌てて特養に電話し、外泊を一旦中止することにする。向こうも送り出すつもりで準備していただろうに、申し訳ないが背に腹は代えられない。
さて、外泊中止にしたものの、次は母だ。
これまでだったら、対応に悲鳴をあげていたところだったが、運よく29日の月曜日から訪問医に切り替えたばかりであった。本人も付き添いの私も、もう通院が限界だったのである。1回目の診察も受けていた。この訪問医はそもそもは妻の訪問医だったのだが、父も診て貰うようになり、母も予防注射の世話にはなっていた。
早速、先生に電話して、症状を伝える。こうして電話で相談できるだけでも心が安らぐ。真夜中でも来て貰える。この安心感は本当に大きい。私も余裕をもって病人を見ていられる。悪くなったらすぐ連絡してくださいと言うことで、少し様子を見ることに。先生の助言で同じ病院の神経内科に診て貰うことにする。
翌日、神経内科へ連れて行く。副作用で母の胃痛の原因になりそうな薬が3種類もあるのでひとまず抜いて様子を見ることにする。母も落ち着き、食欲も出る。私もやっと一息ついたので、今日、4日に特養へ顔を出す。
イメージ 1
1週間ぶり。
ちゃんと顔を覚えていてくれた。
罪滅ぼしではないが、1週間面会しないとどこか申し訳なくて、早速散歩する。朝からうっすらと雪で、終日、積もりはしないが、降ったりやんだり。とても寒い。陽も照らないのでいつもの日光浴は出来ず。
大きなボールで遊ぶ。
散歩中の車椅子のお婆さんが通りかかったので、声を掛け、お婆さんも仲間に入って、三人で遊ぶ。お婆さんも「昔はバレーボールをしていた」と、喜んでくれた。
こういう付き合いもいいものだ。
女性の職員さんが「邦ちゃん」と声を掛けてくれる。
「私が誰か分かる?覚えてる?」と顔を覗き込んだら、
「太った?」と、返したので、
「そうなのよ、太ったのよ。分かったあ」と、大笑い。

ところで、嬉しい話が一つあった。
重い障害があって入退院を繰り返している人が、入院中に私の小説の「同行二人長屋物語」の一冊を読み、

『小説読みましたよ。面白かったです。最後にお母さんが人の役に立ったというところが、お父さんの想いが伝わってとても良かったです。一緒に生きるといろんなことが見えてくるんですね』

と言う読後感を寄せて下さったのです。
この小説は妻の介護体験をもとに書いた時代小説なので、登場人物を私と妻に重ねてくださったのですね。
私が一番言いたかったことなので、それが分かってくれる人がいたことがとてもうれしかったのです。

↑このページのトップヘ