第二章 都の子(9)
比叡おろしを背に受けて帰る身体は飛ぶように軽かった。
好きになれない山伏だったが、辰敬は感謝していた。まずはいちの父親に気に入られることが肝要。そのためには何をすればいいのか教えてくれたのだ。何よりもいちの家に出入りできる口実が出来たのが嬉しかった。
ところが、いざ、紙を集めようとすると、容易(たやす)いことではなかった。
紙は贈答品でもあり、高価であった。紙一束(十帖)で番匠(大工)の日当二、三日分に相当したから、辰敬は書き損じの反古や古紙を求めたのだが、反古や古紙も立派な商品だった。
漉き返して再利用されていた。これを宿紙と言い、平安時代の紙屋院の流れを汲む職人たちが作る宿紙上座と、新規業者で作る宿紙下座で製造販売されていた。
反古や古紙が捨てられる事はなかったのである。
木阿弥が筆を持つ姿を見た事もなかった。
身の回りにある紙と言えば、木阿弥が汗を拭いたり、鼻をかむ懐紙ぐらいなものであった。そのくしゃくしゃに丸めて捨てられた懐紙も拾い集められて、屑拾いに売られた。
暮れも迫った頃だったので、辰敬も大掃除や年越しの準備に追い回され、反古集めどころではなかった。
ようやく半帖ほど、二十数枚の反古が集まったのが、年を越して、明くる永正三年の一月も終わろうかという頃であった。
泥混じりの雪が凍てついて残る道を、辰敬は反古の束を抱き締め、胸をどきどきさせながら上京に向かった。父親のため一所懸命に反古を集めた苦労を、いちも今度は認めてくれるに違いない。
辰敬は加田家の土間に入ると、
「もの申す」
精一杯大人びた声を張り上げた。
寒そうに身を縮めて現れたのはいちであった。いちは辰敬を見るなりあっと小さく声を上げて立ちすくんだ。意外な来訪者に驚きを隠せないでいる。
辰敬も木偶の坊のように立ちすくんでいた。いちと会える事を予期し、いや期待していたくせに、いざ面と顔を合わせると何も言えず、ただ土間から見上げるだけであった。
冷たく暗い宙で少年と少女の視線がぶつかり、二人の頬にほんのりと紅が差した。
「誰かと思うたら……」
先に目を逸らしたのはいちだった。
「屋根板ならもういらんで」
と憎まれ口をきく横顔が、辰敬にはまた一段と美しく見えた。
喉がからからだったが、
「……屋根板ではない。これを差し上げたくてまかり越したのじゃ」
と声を振り絞って反古を差し出したが、途端にさっといちの顔色が一変した。
「何や、それ」
「反古じゃ」
「見たら分かる。何の真似やと言うとるんや」
まるで喧嘩腰である。
「だから、差し上げると」
「いらん」
余りの変わりように、辰敬は戸惑うばかりだった。
「いらんと言われても」
「いらんものはいらんのや。はよう帰って」
さすがに辰敬もむっとなった。
「我御料(わごりょう)にやるんじゃない。我御料の父上に差し上げるのじゃ」
「それが余計なんや」
屹っと振り向き、
「ほんまにわぬしは余計なことばかり」
険しい顔であった。
「何を騒いどるんや、大きな声で」
ちびた下駄を引きずり、裏庭の方から公典が震えながら入って来た。
「出るものも出えへんがな」
厠から戻って来たようであったが、反古の束を見た途端、目の色が変わった。
「おお、それは……」
思わず駆け寄り、手を伸ばしかけたが、はっとその手を止め、辰敬の顔を覗き込んだ。
「まろに……」
くれるのだなとその目が問い掛けていた。
「は、はい」
たちまち貧乏神がくしゃくしゃに相好を崩した。
「おお、こないな仰山……おおきに、おおきにやでえ……天の助けや……」
細い目が消えてなくなったが、ふと訝しげに呟いた。
「何でや」
「あ、あのう、常陸坊さんから聞いて。反古を求めておられると」
「ふーん……それにしてもえらい親切な事やなあ……先だっての屋根板と言い……この反古と言い……」
芥子粒のような目がじろりと光った。
怒ってそっぽを向いている娘と辰敬の顔をこもごも見比べると、にたっと笑ったように辰敬には見えた。
「まあ、ええわ。くれる言うものはもらうことにしとるんや」
いちが恨めしげな目を向けた。
その向こうに妻の竹ちよの冷え冷えとした顔もあったが、公典は無視した。
「今日日こないな感心な子はおらん。まさに捨てる神(紙)あれば、拾う神(紙)ありや。これからもどんどん持って来てや。何ぼあっても足らんのや」
反古の束を大仰に押頂くように受け取ると、
「墨や筆もあると助かるなあ……」
と聞えよがしに呟いて、奥へ消えたのであった。
妻と娘も呆れ顔で消えた。
こんな暮らしをしていれば、妻子の態度が冷たいのも頷ける。
将を射る思惑は見事に外れたが、とりあえず馬を射ることは出来た。公典に気に入られ、加田家に出入りできるきっかけは出来たことで良しとしなければならぬ。辰敬はそう自分に言い聞かせて引き上げた。
筆墨は上洛する時、父忠重より手習い学問に励めと、荷の中に入れて貰っていた。上洛以来一度も出していないので、柳行李の底でまっさらなまま眠っている。
すぐにも届けたかったが、それでは余りにも心底が見え透いているので、ある程度反古を集めてから、一緒に届けようと思い直した。急いては事をし損じる。だが思ったほどには反古は集まらなかった。
そうこうしているうちに、阿波の細川澄元が上洛すると言う知らせがもたらされた。
「ほれ見い。わしの言うた通りやろ。右京兆は阿波細川と手打ちをせなあかんようになったんや」
木阿弥はちょっぴり得意そうに小鼻を膨らませた。
「右京兆の猶子(ゆうし)聡明丸は公家の出やさかい、後継者になることに不満を持つ者が多かったのや。そこで政元は阿波細川家から養子を迎え、将軍義澄の偏諱を受け澄元としたのやけど、細川内衆で摂津守護代の薬師寺元一が一気に右京兆を廃し、澄元の擁立を謀って失敗する事件が起きてしもうた。すると政元は聡明丸を養子とし、同じく将軍義澄の偏諱を受け澄之とし、右京兆は阿波攻めもした。ここまではわぬしも知っとるやろ」
次期管領争いは、辰敬のような子供だけではない、諸人が関心を寄せ、不安を抱いていた。
「阿波攻めは失敗やったけど、右京兆の後継者は澄之に戻ったと思われたのや。ところが、澄之を補佐する山城半国守護代香西元長と政元がことごとく対立してなあ、近頃は政元と澄之の間はようないのや。そこで、政元は阿波細川家とよりを戻そうとしとるのや。それが此度の上洛やけど、こんなに二転三転してうまく行くものやろうか。もしまた澄元が後継者になおったら、澄之派は絶対に収まらん」
と言う訳で、阿波勢は先ずは先陣を上洛させて様子を見ることになったのであるが、その先陣を率いるのが三好之長(ゆきなが)と知るや、都人(みやこびと)は絶句したのであった。
実はこの男、都の評判は最悪だった。この男の悪行三昧は二十年経っても都人は忘れていなかったのである。
「京極家とも因縁があるんや」
木阿弥が語るには、三好家は阿波細川家の有力な国侍であった。
之長は応仁の乱が初陣であったが、乱後も都に留まり、無頼の徒に交わると、放埓な青春を送ったのであった。
白昼、大刀を帯び、徒党を組んで都大路を徘徊し、乱暴狼藉を働いたので、都人は恐怖し、嫌うこと蛇蝎(だかつ)の如しであった。
逸話には事欠かない。
「盗人の仲間が高倉殿、中納言永継邸で捕えられた時には、仲間を取り戻そうと高倉殿に押し掛けたのや。この時は管領細川政元が止めたのやけど、呆れ果てた話やろ」
京極家との因縁とはこうだ。
「同じ文明十七年の事や。都で徳政一揆の噂が広がった。張本人が三好之長と分かり、一色義直や細川政元、侍所の兵が之長の捕縛に向かったのや。その時の侍所所司が御屋形様の子の材宗様やった。京極家が最後に侍所所司を務めた時の事やな。所司代の多賀高忠様が出動しはった。ところが之長は主の細川政之の館に逃げ込んだのや」
政之は細川成之の子であるが、この後、三十四歳で早世している。
政之は一揆の張本人は之長一人ではない。細川政元や備中守護細川勝久の被官人もいる。もし彼らを誅したならば、当方も之長を誅すると答えたので、政元らは退散したのであった。
「ところが之長は翌日には政之の館を抜け出し、白昼堂々都を徘徊する傍若無人ぶり。一揆の火の手はあちこちに上がり、その数日後には三千人の一揆衆が都に雪崩れ込み、之長らは土倉や酒屋を襲って借用書を燃やしたのや。之長は土倉や酒屋に莫大な借金があったらしいから、人は皆、己の借金を帳消しにする為に一揆を起こしたと噂したものや」
木阿弥は嘆いた。
「あれから二十一年、三好之長も変わったやろうけど、考えてもみなはれ。もし澄元が京兆家の主になったら、あの男が管領を補佐するのやで。都を荒らし回った悪党が京兆家の執事やなんて、悪い冗談としか思えへんわ」
辰敬は別な事を考えていた。
都にはどうしてこんなに次から次へと想像を絶する桁外れな人間ばかり出て来るのだろう。いや、人間ではない。化け物だ。
大勢の人間がいれば、変わった人間がいても不思議ではないが、それだけではない。都には人を狂わせる魔性のようなものがあるに違いない。そう思うと辰敬は何となく納得できるのであった。
二月十九日、三好之長が入洛(じゅらく)した日は、春の足音も之長に怯えて引き返したかのように寒さがぶり返した。咲き誇る梅も震え上がっていた。
阿波勢は万里小路春日の仏陀寺を宿所とした。京極邸からも遠くはない。京極邸の物見高い連中が見物に行くと言うので、辰敬も便乗した。途中で見物を切り上げ、公典へ筆墨と反古を届けるつもりだった。
館を抜け出しては厄介事を起こしていた辰敬は、以前のように好き勝手には館を抜け出せなかった。こんな機会でもないと外出できなかったのである。
二十一年前、之長を捕縛しそこなった多賀忠高の奉公人だった年寄りや、次郎丸も一緒だった。年寄りは今も捕縛しそこなったことを口惜しがっていたが、次郎丸は自分の親は之長が起こした一揆で、土倉の証文が焼け、今でも之長に感謝していると笑っていた。
之長は一揆の後ほどなく阿波に戻った。
その後、何度か上洛しているが、細川成之の一部将としての上洛であり、殊更注目されるものではなかった。
だが、此度の上洛は違った。澄元の名代として右京兆管領細川政元と交渉するのだ。交渉次第では次期管領の執事となるかもしれない武将として上洛したのだ。都人の記憶に焼きついているのはおぞましい悪党であったから、都大路を進む馬上の三好之長の晴れ姿にはあんぐりと口を開けて見とれた。堂々たる体躯からは煌びやかな鎧がはち切れんばかりの精気が漲っていた。時に四十九歳。威厳さえ漂い、まさに一軍の将の姿がそこにあった。
辰敬も右京兆何するものぞとの之長の気迫を肌に感じ、圧倒される思いだった。
続く騎馬の武士たちも示威であるからいずれも精一杯着飾り、一目見て歴戦の勇士と知れた。
騎馬の列が通り過ぎ、足軽達が作る槍の林が進んで来た時、不意に何に驚いたのか最後尾の馬が竿立ちになった。
馬は鎧武者を振り落とすと興奮して暴れた。
途端に近くの馬達も暴れ出し、たちまち収拾のつかぬ大混乱に陥った。
見物人達は悲鳴を上げて逃げ出した。
暴れ馬も数頭、四方に暴走し、逃げ惑う人々を次々と蹄に掛けた。
辰敬も逃げ惑う群衆に巻き込まれ、無我夢中で逃げたが、たちまち何十人もの人間が折り重なって倒れ、辰敬もまるで琵琶湖の鮒のなれずしのように押し潰されてしまった。
ようやく騒ぎが収まり、人の山から這い出した辰敬は、前方に倒れている男を見て驚いた。
「加田さん」
駆け寄り、揺り動かしたが、公典は泥濘に突っ伏したままピクリとも動かない。完全に気を失っていた。凍てつく泥濘に放置しておく訳にはゆかないので、辰敬は公典を背に負うた。幸い小柄で痩せた公典は羽毛のように軽かった。
だがいくら軽い公典でも、まだ大人の身体になっていない辰敬には堪(こた)えた。
へとへとになって加田家に辿り着き、土間に入った途端力尽きて倒れ込んだ。
物音に驚いて、いちと竹ちよが飛び出して来た。
「お父はん」
「お前様、どないしたんや」
辰敬は喘ぎながら事情を説明した。
「お父はん、見物に行ったんや」
妻と娘は呆れたように顔を見合わせた。
辰敬は一息つくと、
「湯を下さい」
と所望したが、二人はまた顔を見合せた。
「身体が冷えとるけん」
催促したが、二人は突っ立ったまま動こうともしない。
「身体も泥だらけじゃ。早く拭いてあげるんじゃ」
なおも促すと、
「湯はない」
いちが土間の隅を顎で差した。
小さな竈に火の気はなかった。
「燃やす物なんかあらへんのや。反古なら家が燃えるほどあるんやけど」
皮肉なもの言いだった。





