曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2017年12月

一つは言わずと知れた『黄泉比良坂(よもつひらさか)』
古事記や日本書紀で、死んだ愛する妻イザナミノミコトを追って、イザナギノミコトが黄泉の国へ行くが、妻との約束を破って妻の腐乱した死体を見てしまい、怒ったイザナミノミコトに追われ、命からがら逃げる話に出て来る場所である。
玉造温泉に調べ事に行ったついでに、天気も良かったので、足を伸ばす。高速の山陰道を東出雲で降り、国道9号線を安来方面へ行くと右に案内板があり細い道がある。
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細い道を下り、民家の横を抜けると、黄泉比良坂の道に出る。看板が立っている所は地区の集会所である。アスファルト舗装のただの山道だった。右手が雑木が生い茂る丘で左手は荒れ果てた窪地が続き、その向こうはまた荒れた丘が横たわる。古事記では『いわゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)という』とある。
100mちょっと歩くと行き止まりである。この先でイザナギノミコトが次々と迫る追っ手を必死に振り払った坂に続く道とはとても思えぬ。実にのどかな山里の風景であった。
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  岩→








行き止まり。どうやらここが黄泉と現世の境らしい。矢印のところに岩が二つ見える。古事記では『千引石(ちびきいわ)』と言う、千人引きの大岩でイザナギノミコトがイザナミノミコトの追撃を防いだと記されている。
貧相な岩が二つ見える。実は昔はここにこんな岩などなかったのだが、誰かが岩がないのはおかしいと言って、どこからか運んで来て置いたものらしい。なにかで読んだのだがはっきりいつかは覚えていない。そんなに昔ではなかったような記憶がある。
こんなことを勝手にやるのはどうかと思うのだが……。

もう一つの黄泉の穴の入り口は出雲国風土記に出て来る。
その場所は『脳礒(なづきのいそ)』と呼ばれ、今の猪目洞窟と言われている。
猪目(いのめ)洞窟は出雲大社の西側と千家の神楽殿の間の道を登り、くねくね曲がる山道を越えた猪目漁港にある。山を挟んで、出雲大社のほぼ裏手に当たる、日本海に面した洞窟である。
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道路と漁船の奥に見えるのが猪目洞窟である。昭和23年に漁港を広げるための工事をしていたら、洞窟が出現したそうだ、内部からは弥生時代から、古墳時代の風土記作成100年前ぐらいの時代の人たちの人骨などが出て来た。
風土記では『出雲郡宇賀郷』に記されている。『……北海の浜に礒あり。脳礒(なづきのいそ)と名づく。……窟の内に穴あり。人入ることを得ずして、深き浅きを知らず。夢にこの礒の窟のほとりに至らば、必ず死ぬ。故、俗人(くにひと)古より今に至るまで、ここを黄泉の坂、黄泉の穴となづく』
今は途中でふさがれて奥までは行けないそうだ。
昔、藤岡大拙先生の講演を聞いた時、その頃は奥まで行けた時の事を言われたのだと思うが、「奥まで行くと気をつけなさいよ」と、声を潜め、いかにも恐ろし気に言われる。何かたたりでもあるのかと固唾を呑んでいると、「釣り人の野ぐその山がある」と、大笑い。
風土記と記紀では黄泉の入り口が違う。私は出雲人の末裔だから、当然、猪目洞窟を黄泉の入り口と信じた人の方を支持したい。
この猪目と峠を越えた西の鷺浦は泳ぐにも釣りをするにもいい場所で、子供が小さい頃は山を越えてよく遊びに行ったものだ。
ところで、猪目洞窟が黄泉の穴と確定しているわけではない。「大社史話186号」では、鷺浦にも二つほど洞窟があり、それらを測量した人のレポートが掲載されている。それによると脳礒を確定するのは難しいようだ。
鷺浦の「ながらの窟」は、地元では「大国主命の牢屋」「スサノオノミコトの穴」であるという伝承があるそうだ。

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わが家の裏手の道から、北の弥山(みせん)を見たら、うっすらと白くなっていた。
塀の陰にも一握りの雪の塊が残っていたから、夜中に少し降ったのだろう。
天気予報で週明けから寒波が来て、西日本でも雪が降ると言っていたので、10日の日曜日の寒風吹き荒び、時折雨も降る夕方に、大慌てで震えながらイチゴにワラを敷く。隣家はうちより早くワラを敷いていたが、すでに全部風で吹き飛ばされている。
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左が10日の夕方に藁を敷いた写真。風が心配だったので、この後、少し押さえをしたが、11日の朝見たら、このありさま。右の小さい方の畝は全部飛ばされていた。
昨夜は寝ている頭の上を風が唸っていた。ヤバイなあと思っていたら不安的中。溜息が出る。早速、ネットで「イチゴの藁の敷き方」を調べる。適当に色々な方法でやっていることが分かったので、夕方、適当にやるつもりでいたら、昼前から俄かに雪が舞い始める。天気予報では雪は今日から激しくなると言っていたので、慌てて帰宅。
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今回は藁と藁を井桁に結び、さらに竹などで押さえをし、支柱に固定する。この間も風は尋常ではない。寒風なんてなまやししいものではない。烈風である。油断すると藁が吹き飛ばされる。身体は冷えるし、指先はかじかみ、紐も結べないほど。
昼前から始めて、途中、昼飯を食って、4時前までかかる。もう少し補強したかったが、寒さと風に耐えられず退散。疲労困憊。軽い気持ちでイチゴを植えたが、今日の作業で最後にしてほしい。でも、藁が沢山あってよかった。
今夜の風は昨夜よりすごい。まるで台風みたいだ。天気予報では多少は雪が降るような予想だが、どの程度降るものやら。いよいよ出雲の冬も本格化して行く。例年より寒くなるのが早いような気がする。
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勘弁してくれイチゴ畑(12日追記)
今朝の惨劇。
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昨夜の風もすごかった。でも、まあ、大丈夫だろうと思っていたのだが、甘かった。
朝すぐに見に行ったらこの有様。もう許して欲しい。もう嫌だ。
右の小さい畝は無事だったが、長い畝は風に煽られてしまった。昨日、長い方の畝をもう少し補強しようかと考えたのだが、暗くなるし、寒いのでやめてしまった。それがいけなかったようだ。夕方、風は冷たい。本当にもうやりたくなかったが、泣きの涙でやり直す。時間がなくて、全部はやりきれなくて、応急処置。明日、仕上げないといけない。4日も続けてイチゴ畑に手を取られることになる。この忙しい時に。ほんとにホントに明日で最後にしてほしい。天気予報では今夜も雪だ。

12月3日は『リレー万葉講演会in石見』なる催しがあり、石見の大田市へ行く。
①11月26日益田市「人麿さまに書を捧げた歴代の天皇」「古典の楽しみー万葉びとの着たスカート」   
②12月2日江津市「人麻呂さんも通った道」「柿本人麻呂歌の魅力」
③12月3日大田市「古事記歌謡と人麻呂作歌ー愛の主題をめぐってー」「世界遺産石見銀山発見までの謎」「石見銀山の粋な文化人に人麻呂さんの影」などの講演・発表会があり、26日と2日は参加できなかったので、3日の講演に車を飛ばして行った。
      ↓A  ↓B

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石見へ行く途中、国引き海岸道路の多岐(たき)あたりから島根半島を振り返る。日曜日の午前中は穏やかで眺めも良かったが、今日5日は初雪。風が冷たく、白いものが舞い飛ぶ。
Aの辺りに「出雲大社」があると思う。
Bの方角にわが家があると思う。あまり自信はない。ゆるやかな海岸線が薗の長浜。このブログにネタがなくなると出て来る国引きの浜である。砂山に松林が続く。
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島根半島の突端が日御碕である。
大田市の会場「あすてらす」までは車で30分ちょっと。
石見は人麻呂、出雲は風土記なので、聴衆の雰囲気が違う。女性が多い。驚いたことに受付をすませたら、女性のお世話が沢山いて、抹茶とお菓子でもてなされる。こんな講演会は初めてだ。聴衆は知らない顔ばかり。一人だけ、出雲の講演会などでよく見かける男性がいただけであった。出雲の風土記や古代史ファンは人麻呂や万葉にはあまり興味がないようだ。勿体ない。
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最初の講演は、京都大学名誉教授内田賢徳氏の「古事記歌謡と人麻呂作歌ー愛の主題をめぐってー」
確かに石見の女性をぐっと惹きつける内容だ。




人麻呂とは直接関係はないが、古事記歌謡として最初に載っているのが、八雲神詠、
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を」である。
稲田姫と結ばれた素戔嗚命(すさのおのみこと)が須賀の地に宮を造る時に歌ったとされている歌である。五七五七七のかたちをとっているように見えるが、これは古代の歌謡であり、五七|五七|七の構造を持つのだそうだ。これを歌い継いだのは、新婚の新室作りに使われた、出雲八重垣を作る職人集団であり、これは労働歌だったのだ。
ここで私程度の男は、それ見たことか、大和朝廷は出雲人の歌を簒奪したと罵るところだが、内田先生は違う。スサノオが天界から追放され、試練を経た後の幸福を、神話世界に同化して、ともに感受しようとする人たちがいたのであると説かれる。
この後、古事記歌謡と人麻呂の歌を比較し、『愛の主題をめぐる』話となる。古典は不勉強だからメモを取るだけで精一杯。隣のおやじは寝ていたが、私は13時から16時半までの講演、途中一回しか休みがなく、実に辛かったが、計四つの講演を真面目に聞き通す。疲れたが、心地よい疲れ。
イメージ 4講演と同じ時間に、ホールでは大田市の子ども神楽があった。
喫茶店で昼飯を食っていたら、赤ん坊連れの若い夫婦が3歳にもならぬ男の子と入って来る。
男の子は竹の棒にひらひら飾りのついたものと、竹の輪に同じようにひらひらの飾りがついたものを持っている。
「神楽に出るの」と尋ねたら、まだ幼過ぎるので見物に来ただけだと言う。坊やに聞いたら「かぐら大好き」と楽しそう。石見の神楽熱は尋常ではないと聞いていたが、この若い夫婦も神楽に熱中しているのだろう。
一家が店を出ると、別な幼い男の子が飾りのついた弓を手に駆け寄って来る。
窓から見ていると、駐車場で二人の子は竹の棒や弓を振り回し、駆けまわり、舞を舞うかのようにくるくる回り出す。とても微笑ましい光景であった。
ここ石見では、普通ならヒーローショーに夢中になる子たちが、神楽に夢中になっている。
TVで見たことがあるが、神楽の舞台のかぶりつきに、子供たちが文字通りかぶりつき、身体を揺らし、足を踏み鳴らしていた。
やがてこの子たちが、舞台で八岐大蛇を退治し、いつの日か、風土記や万葉の世界に入って来てくれることを願う。
ところで、昨日の山陰新報で3日に鳥取では「古記録で読み解く古代中世の鳥取」と言う講演があったことを知る。伯耆大山の大山寺が焼失したのを尼子氏が再建したことの歴史的、政治的意義を解説したものらしい。事前に知っていてもとても参加できなかったろうが、とても興味がある内容なので、主宰者の「県立公文書館」に電話して、レジュメがほしいと頼んだら、快く送ってくれると言う。思わず、万歳する。
同時に「そうか、この手があったか」。これから講演会がWったら、がっかりしないでレジュメを手に入れようと思った次第である。窮すれば通ずである。

恥ずかしいけれど、今夜のおかずを紹介。サンマの塩焼き(いま塩を振るのを忘れていたことに気が付く)とかぼちゃ煮とサラダ蕪のサラダ。サンマを食べていて、何かヘンだなあと思っていたのだ。大失敗。サンマに塩を振るのを忘れたのは初めての事である。
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カボチャは挽肉と一緒に煮ている。年寄りに動物性たんぱく質を摂らせる為に私が考えたおかずだ。挽肉だけだと飽きるので、ツナと煮ることもある。煮るのはいつも母の役目。ボケ防止のためだ。その横の白っぽいのがサラダ蕪と実はツナのサラダである。これはネットで見つけたレシピ。サラダ蕪を銀杏切りして塩して、後は油を切ったツナと混ぜ、醤油、出汁、マヨネーズ、塩コショウで味付けする。これもボケ防止のために母がサラダ蕪を塩もみするところまでやり、後の味付けは私がする。
サラダ蕪と南瓜と大根はわが家の畑で獲れたものである。
サラダ蕪は柔らかく、文字通りサラダになることが分かった。普通の蕪としても食べられるから応用範囲が広がる。来年も作ることに決めている。
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左がサラダ蕪。右が今秋初めて育てた品種のレタス(エムラップ231)。もう少し大きくなってから食べようと思っていたら、葉の先が茶色くなっていたので慌てて収穫する。小ぶりなのが不満である。多分、育て方が悪かったのだと思う。土壌が良くなかったのか、追肥のやり方が悪かったのか分からない。もう少し大きくなると思うのだが。毎年作っている品種のシスコは去年は結構大きくなったので、シスコの育ち具合と比較してみよう。
早生の白菜も去年より育ちが遅いような気がしている。
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これは『一畑講』の飾り道具。

隣保13軒が一ケ月持ち回りで、家に祀る。一月祀ったら次の家へ回す。
12月に入ったら、裏のMちゃんが持って来る。
「ひろちゃんはどうせ飾らないだろうけど、月末には次に回してね」
すっかり忘れていた。
勿論、帰郷してこの方祀ったことがない。実は箱の蓋を開けたこともなく、次へ回していた。
言い訳するわけではないが、介護をしていると、こういうことが煩わしくて、どうしてもやる気にならないのだ。
しかし、ブログを始めたことでもあるし、いいネタになるかもと思い、今回、初めて飾りつけをしてみようと思い立った。月末まで飾っていると、歳末で大変だから一週間ぐらい飾ってみようと思ったのだが、開けてみたら、一番上に掛け軸がある。
たちまち、やる気が失せる。わが家の床の間にはいま般若心経の軸が掛かっている。これを片づけて一畑講の軸を出すのが面倒くさくなってしまったのだ。ごめんなさい一畑講である。
Mちゃんはちゃんと祀っていると言っていたが、他の家はどうしているのだろう。想像だが、我が隣保は皆祀っていると思う。不信心なのは私だけだと思っている。
そのMちゃんが、寒くなったので夏に切り残した高野槙の剪定をすると言う。
「ひろちゃん、足長バチ、退治してくれたろうね」と言うので、「何言ってんの、足長ばちなんて、みんな死んじゃってるよ」
「ほんとに、ほんとだろうね」と、本気で怖がっている。よほどこの夏に刺されたのが懲りているのだ。あんまり心配するので、私も不安になり、ネットで調べ、翌日報告する。
「働きバチはねえ、皆、冬が来たら死ぬんだよ。女王バチだけがどこかで冬眠するんだって」女王バチが冬眠することは私も初めて知った。
Mちゃん、安心して、今日から剪定してくれる。枝が山のように出る。年末までにトラックで処理場まで運んで貰わないといけない。畑周り、庭周り、手をつけ出したらきりがないくらいやることがある。
今日の昼は特養にも顔を出し、一緒に昼飯を食う。
しかも、この忙しい12月になぜか講演会がいくつもある。今日の『古代山陰道ウォーク』は断腸の思いで不参加。石見の江津市でも『人麻呂さんの通った道』の講演があったがそれも断腸の思いで不参加。
タイヤ交換にも行かないといけない。忙しい12月になる。

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